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博士論文審査要旨

論文題目:戦前日本農業政策史の研究 1920-1945
著者:平賀 明彦 (HIRAGA, Akihiko)
論文審査委員:田﨑宣義、渡辺 治、森 武麿

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1.本論文の構成
 本論文は、題目にあるように、1920年から1945年までの農業政策の基調がどのように推移したかを分析したものである。農業政策史研究は従来、農地政策、米価政策など、個別政策分野ごとに進められてきたが、実際の農業政策はこれらを組み合わせて行われる。そこで著者は、本論文の課題を、とくに地主制を基本的枠組みとする農業部門と非農業部門との間の矛盾・軋轢に着目して、農業政策全体の基調が時々でどのように変遷するかを解明することにおいている。その際、農業部門と非農業部門との間の矛盾・軋轢が顕在化するのは第一次大戦期以降であることから、分析の起点を1920年においている。本論文の構成は以下のとおりである。

序章 課題と方法
第1章 第1次世界大戦期・大戦後の農業問題と農政
 はじめに
 第1節 資本主義の経済発展と農工間格差の拡大
 第2節 農政官僚の現状認識
 第3節 小作法の立法化と挫折
 まとめ
第2章 1920年代後半の農業政策
 はじめに
 第1節 小作調停法の運用と地方小作官
 第2節 小作法草案の政策構想
 第3節 争議状況の変化と取締り方針
 第4節 農業団体育成と迂回的争議対策
 第5節 迂回的争議対策の展開-岐阜県産業組合の活動
 まとめ
第3章 農業政策の転換と経済更生計画
 はじめに
 第1節 昭和恐慌対策の展開
 第2節 経済更生計画の実施過程-新潟県の事例
 第3節 特別助成事業の構想とその挫折
 第4節 更生計画批判と農地政策構想
 まとめ
第4章 日中戦争の全面化と農業政策
 はじめに
 第1節 日中戦争全面化直後の即応策
 第2節 戦争の長期化と農業労働力対策
 第3節 労働生産性の視点と共同化・機械化
 まとめ
第5章 戦時農業統制の本格化
 はじめに
 第1節 食糧危機の深化と増産要請
 第2節 農業労働力対策と農業経営適正規模構想
 第3節 戦時農地立法の歴史的意義
 まとめ
終章 総括と展望

あとがき
初出一覧
参考文献一覧
索引

2.本論文の概要
 序章で著者はまず、戦前日本の経済発展が、1900年代に体制的な確立をとげた地主制を基本的枠組みとする農業、農村、農民との間で生み出す軋轢・矛盾に対し、どのような政策的対応がなされ、どのような解決の方向が模索されたかを検討することを課題とすること、この課題に照らすと1910年代後半から20年代初頭に軋轢・矛盾が顕在化し、政策的対応が始まることなどを明らかにし、ついで、政策的対応の変遷に従った分析の時期区分と各時期の政策基調を概観する。また、本研究の研究史上での位置づけについて述べ、これまでの研究史との関係では、小作立法史、農地制度史、食糧政策史、米価政策史などの個別政策史では各時期の農業政策全体の立体的な構造と政策全体の基調を明らかにすることができなかったこと、さらに政策立案者の構想と意図が必ずしも問われてこなかったことを指摘し、本論文の独自性と有用性を明らかにする。
第1章では、第一次大戦を契機に急増する小作争議に対する10年代後半から20年代初頭の対応策を扱う。この時期の小作争議については、資本主義と地主制の矛盾の顕在化として戦後早い時期から膨大な研究史の蓄積があり、しかも争議の発生原因、争議対策の性格などの理解をめぐっては現在もなお学説が対立している状況である。著者は、現在の有力学説の問題点を整理した上で、都市労働市場の急膨張と農工間の収益格差の拡大による農業人口の農外流出が争議発生の原因であることを、名古屋市周辺を対象に調査報告書や愛知県農会報の記事などを駆使して論証し、さらに類似の状況が岐阜県などでも生じていることを明らかにする。ついで、農業人口の農外流出の防止策として府県営の自作農創設維持事業が始まること、石黒忠篤らの農政官僚も小作争議状況を農工間格差の拡大に起因すると認識していたこと、またその解決策として小作法の制定を目指したこと、さらに小作法の企図が挫折して小作調停法につながることを明らかにする。本章は論文全体の起点でありまた論文全体の土台にもあたる重要な位置を与えられているだけでなく、対象期の小作争議理解は本論文全体の流れを決定する決定的な役割を担っている。
 第2章では、小作法制定の企図が挫折した上、20年代後半になって小作争議に対する地主側の反攻が強まり、争議の様相が悪化したこと、さらに内務省の争議取締方針が強化されたことを受け、農政官僚の対応策がどのように変化したかを明らかにする。挫折した小作法については、小作調停法の運用によってその欠を補うとともに、調停事例の集積による小作法の実定法化をめざし、地方小作官の掌握に並々ならぬ努力が払われたことを、農政官僚の回想や地方小作官会議録、小作官人事、小作官と司法官との打合会の様相、小作法草案の公表による世論形成などによって、詳細に論証する。さらに著者は、この時期に見られた産業組合育成策が、小作法制定による小作争議の解消という農政官僚の当初の企図が挫折した状況下での迂回策であることを明らかにするだけでなく、産業組合の育成によって、争議状況の緩和と農業収益の増進、団体構成員の地主的・有産者的構成の改善が進められ、農家利益の向上による農民の組織化が見られたことを論証する。
 第3章では、まず昭和恐慌下の1930年代前半の農業政策の特徴を論ずる。昭和恐慌期には農産物価格が惨落し、地主、小作を問わず農村の全階層が打撃を蒙る状況が現れ、このため、地主経済の後退を迫る小作法-小作調停法の政策の推進が困難になり、恐慌の打撃を緩和する生産力の増強、農家利益の向上、農業団体の強化が経済更生運動として推進されることを明らかにする。とくに著者は、新潟県を事例に、経済更生運動の実施過程の分析を通して、中央-県-郡-町村の行政ルートでの具体的な施策を通して実行可能性を重視したきめ細かい指導が行われたこと、その結果、重点指導項目では効果が現れていたことを具体的に明らかにする。ついで著者は、30年代後半になると農民の熱意の低下などで更生運動に陰りが見えたため、財政支援によって更生運動のてこ入れを図る特別助成事業に加え、安定農家創出では、農家経済の黒字化を目指す農家簿記記帳運動、経営規模の適正化を目指す分村移民の各政策潮流が生じたほか、小作法の系譜では更生運動に批判的であった農政課内で農業借地法案、農地法案が練られていたことを指摘する。
第4章が扱う時期は37年から39年の短期間であるが、著者は、この時期が、日中戦争の全面化による産業政策全体の転換と農業をめぐる環境の激変によって農業政策全体が変貌するだけでなく、その後の農業統制の本格化への道筋を理解する上でも重要な時期であると指摘する。その上で著者は、戦争の全面化に伴う事態の急展開の中で、戦時に照応した政策が浮上することを明らかにする。具体的には、更生計画に象徴される農家経営に照準を合わせた農業政策の陰で傍流に追いやられていた農地政策の浮上、農業労働力の流出に対する集団的移動労働の組織的運用、労働生産性の向上による農業生産力の維持策などで、著者はこれらについて、政策意図と新潟県の事例を対比させつつ論じている。
 第5章では、39年の西日本と朝鮮の干ばつを契機にした食糧増産と農村人口の「定有」策が、戦時産業政策の中での農業政策の比重を高め、農業政策の基調をさらに変化させたことを、この時期に採られた諸政策をこれまでの農業政策の潮流の中に位置づける形で、分析を進める。まず著者は、農業生産の確保策として、重要農産物増産計画の策定により、更生運動の特別助成事業の政策構想が具体化されたこと、農業労働力の確保策として、労働生産性の視点からの適正規模論が浮上し、自作農創設維持事業の手法による中核農家の創出と過小農家の満州移民および軍需工業方面への送出が図られたこと、政策意図の末端への浸透を徹底するため農業団体の整理・統合が進められたことなどを明らかにする。
 終章は大きく二つの部分に分けられている。すなわち、各章の分析を通して明らかにした点を時間的な推移に即して整理した部分と、いわゆる石黒農政の基本的性格、石黒に代表される農政官僚の性格規定、小作調停法および経済更生運動の性格規定、戦時農業政策の特質、農地改革・戦後自作農体制への見通しについて、本論文の分析を踏まえて論じた部分である。このうち、とくに後半部で著者が取り上げたテーマについては、以下のように論じている。まず石黒農政の基本的性格については、小作農民の耕作権の確保と小作料の低減を目指しながらも、資本主義経済の発展に照応する農業生産と農村社会の安定化を政策の主眼としたのであって、地主制打破を構想したのではないこと、石黒に代表される農政官僚もまた、時々の農政上の課題に国家官僚として取り組んだのであって彼らに「革新性」を見いだすことはできないこと、小作調停法については、運用の実態から見れば新たな統合システムとは規定できないこと、統合という点では農業団体育成策の方が意味があったこと、経済更生運動については、協同主義的組織体制づくりが経済更生計画の本質であり、小作法の基本線を採用できなかった農政官僚の対応策であったこと、戦時農業政策もまた戦時の国家的要求への官僚的対応であり、小作料統制による不耕作地主への壊滅的打撃も自覚的政策というよりは戦況の悪化に伴う結果であったこと、農地改革・戦後自作農体制への見通しについては、戦前最終段階の農業政策の特徴は、迂回的・対症療法的な農家経営規模問題として取り組まざるを得なかったことであり、戦中・戦後の連続説を批判する。これらのテーマは、いずれもこの時期を扱った研究史の中では白熱した論争が繰り広げられている論点であり、それだけに当該期の農業政策史を扱う場合には避けて通ることのできない論点である。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の主要な成果を大きくまとめると以下の通りである。
 第一に、これまでの個別農業政策史研究を越えて、1920年代から戦時体制期にいたる時期別の総合的な農業政策史を描くことに成功していることである。とりわけ、第一次大戦期の資本主義と農業の矛盾として顕在化した地主・小作関係の調整を中心とする農村統合政策のあり方を分析の出発点にすえて、自作農創設政策、小作立法、農業団体政策、適正規模論など、各時期を特徴づける政策とそれを支えた指導的理論の解明によって、農業政策の時期別の基調の転換と各政策の位置と相互関係を立体的に明らかにしたことは、著者のオリジナリティーがもっともよく表れた点であり、本論文の最も大きな成果である。
 第二に、従来の政策史研究は中央レベルでの政策構想に分析の対象をおくことが一般的であったが、著者は、政策の立案にとどまらず、個別政策の実施過程を愛知、岐阜、新潟などの県レベルや郡、町村レベルまで視野に入れて実証的に検証したうえで、政策を評価したことである。これによって、政策課題と各政策の効果、残された政策課題が明らかになっただけでなく、とくに前後の時期の諸政策との相互関係が明らかになったことである。これにより、各時期の農業諸政策の立体的な構造と各時期を超えた農業諸政策の相互関係が解明され、政策史をめぐる従来の研究水準を引きあげた点は高く評価できる。
 第三に、これまでの研究史で取り上げられてきた個別論点に対し、新たな知見を加えたことである。具体的には、1920年代初頭の自作農創設政策が農民の農外流出防止策としての意義をもったこと、1920年代前半の産業組合政策・農家小組合政策による農民統合の具体的展開、1920年代後半の新潟県を中心とする地方小作官制度の運用の具体相、戦時下の適正規模論の推移とその意義、労働移動班など戦時期の労働力対策の具体的分析など、これまで必ずしも十分明らかでなかった点を新資料を駆使して実証的に解明した点は、本論文の重要な貢献に数えなければならない。また終章の後半部で提示された著者の見解は派手さこそないが、博捜した資料と緻密な論証に裏付けられた堅実な見解であり、いずれも強い説得力を発揮している点も評価に値する。
 しかしながら、本論文は、農業政策史全般を相互に関連させて明らかにするという膨大な作業に取り組んだものであるため、問題点もないわけではない。
 第一に、各時期の農業政策を立体的に明らかにするという本論文の課題とそこから導き出される方法の結果ではあるが、時期区分が農業・農村が直面する課題の変化に即したため、1926年の自作農創設維持助成規則、38年の農地調整法、43年の第3次自作農創設政策など、農業政策上の重要な動きへの言及が必ずしも十分ではない点が生じていることである。従来の研究史で重視されていたこれらの点について言及があれば、本論文の主張もさらに明解になったであろう。
 第二に、本論文のいう農業政策は、農業生産力の維持発展をめざす狭義の農業政策と農民統合をめざす農村政策からなる広義の意味で用いられている。いずれの政策も、政策の意味や効果は農民階層によって異なる場合があり、さらに狭義の農業政策と農村政策は相互に関係し、場合によっては矛盾する側面もある。本論文では、これら両者の関係について十分念頭におかれた検討がなされてはいるが、叙述においては必ずしも明晰に表現されているとはいえない部分が残されている。
 しかしながら、これらの点は著者も十分自覚するところであり、しかも本論文の達成した成果に照らせば必ずしも大きな欠陥とはいえない。また本論文の達成に照らせば、将来、これらの点は克服されることは明らかであると考えられる。
 以上から、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果を上げていると判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2004年3月10日

 2004年2月20日、学位請求論文提出者平賀明彦氏についての最終試験を行った。
 本試験においては、審査員が提出論文『戦前日本農業政策史の研究 1920-1945』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、平賀明彦氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、平賀明彦氏は十分な学力を持つことを証明した。
 よって審査委員一同は、平賀明彦氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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