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博士論文審査要旨

論文題目:デーモクラティアーと公開原理:古代ギリシア文献におけるメソンの用例をもとに
著者:名和 賢美 (Nawa, Kemmi)
論文審査委員:平子友長、古澤ゆう子、加藤哲郎、阪西紀子

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1. 本論文の構成
 古代ギリシアの民主政(デーモクラティアー)は、前6世紀後半から前5世紀初めにかけて諸ポリスで樹立が試みられた。この期間における考察を中心的に展開した研究は、史料的制約が大きいために、従来かなり手薄であったと言える。しかしながら、古代ギリシア人が先行する政体に代えてこの政体を選択した理由を検討するには、この革命的変動の時期が決定的に重要である。本論文は、デーモクラティアー樹立期に不可欠とされた原理の探求を試み解明しようとするものである。
 なお論文の表題にも使用されている「メソン」とは、ギリシア語の形容詞「メソス」に由来する中性名詞である。形容詞「メソス」は、一般に「真ん中の」、「中心の」を意味し、より具体的には、(1)「ある物の中心にある(in the center of)」、(2)「2つの物の中間にある(between)」、(3)「3つ以上の物の真ん中にある(among)」などの意味に分岐する。「メソン」は「真ん中」、「中央」、「中間」を意味する抽象名詞であるが、重要なことは、この「メソン」と動詞が結合して多彩な熟語群が形成され(例えば「メソンに置く」、「メソンに提示する」など)、古代ギリシアの日常語において重要な役割を果たしていたことである。本審査報告ではこれらを一括して「メソン関連語」と呼ぶ。
 本論文の構成は以下の通りである。
序章
第1部 衆人環視としてのメソン
第1章 前5世紀末から前4世紀
 第1節 メソンへの提示
 第2節 発言の場
 第3節 メソンに置かれたもの
第2章 『イーリアス』『オデュッセイアー』
 第1節 戦士集団の葬送競技、戦利品分配、裁判、審議集会
 第2節 集会、一騎打ち、歌舞、その他
第3章 アルカイック期後半とヘーロドトス時代
 第1節 ヘーロドトス以前
 第2節 ヘーロドトス時代
 まとめ
第2部 ヘーロドトスのデーモクラティアー用語
第4章 プラーグマタ、デーモクラティアー用語
 第1節 国事と支配権
 第2節 デーモクラティアーとイソス合成語
第5章 支配権をメソンに置く
 第1節 ギリシア3ポリスの用例
 第2節 オタネースの唱える政体
 まとめ
終章
 第1節 考察結果の要約
 第2節 デーモクラティアー出現の必要条件
文献表
2. 本論文の概要
 まず「序章」において、従来の研究がイソス(「平等な」)の合成語に着目し、デーモクラティアーの原理を「平等」に求めてきたことが指摘される。しかし著者は、「国事(もしくは支配権)をメソンに置く」という表現に着目する。これはギリシア文献上ヘーロドトスだけが言い表した表現であるが、ヘーロドトスはこの表現をデーモクラティアー的政変の出来事を記述する際に使用しており、先行する政体からデーモクラティアーへの変革を探求する際に、極めて重要なキイ・ワードとなり得る。
 この表現を主題にした従来の研究それ自体が僅少であったが、それらの研究においてさえもこの用語の意味は、通説的なデーモクラティアー理解に従って、政治的権利の全市民による共有という平等原理に還元されていた。その場合、「メソン」と共有との関係は「自明」の前提とされるばかりで、メソンという用語の持つ本来の空間的意味が考察の対象とされることはなかった。こうした従来の研究の空白を埋めるため著者は、第1部において前5世紀のヘーロドトスより数百年前の『イーリアス』、『オデュッセイアー』から前4世紀までのメソンの用例を、CD-ROMなども駆使して現存するほとんどすべてのギリシア語文献から収集整理して、「メソンに置く」の意味と性格を考察する。そのうえで第2部において、ヘーロドトスが用いた「国事をメソンに置く」という表現の意味を検討し、デーモクラティアーとの関係を考察する。
 第1部「衆人環視としてのメソン」第1章「前5世紀から前4世紀」で扱われる史料はほぼ、デーモクラティアーが維持・運営されていた時期におけるアテーナイ人の諸著作である。
 第1節「メソンへの提示」で取り上げられたプラトーンとデーモステネースにおける「メソンに置く」の用例においては、この用語は「隠すこと」の反対概念で、結論、相違点、自説などを公開的に提示することを意味していた。自分の見解を公開することは、少人数の会合であれ市民団の集う劇場・民会・法廷であれ、「メソンに持ち出す」と言い表された。これらの用例からメソンに提示される話題は、聞き手全員がその情報を共有することを意味していたと判断できる。
 第2節「発言の場」では、集会における発言が「メソンに立って」、「メソンで話す」と表現される場合が多く、こうした発言の場としてのメソンの用法は、軍の集会、法廷、劇場、少人数の会合など多様な場面で見出されることが示される。
 第3節「メソンに置かれたもの」では、メソンがアリストパネース『平和』、クセノポーン『アナバシス』、デーモステネース『ピリッポス弾劾第1』、『レプティネス弾劾』の各用例から、競技の賞品を「メソンに置く」という古来の慣例から引き出された比喩表現に関係づけられて考察される。さらに競技の意味を越えて、メソンに置かれた物品は誰もが自由に利用できると拡大解釈される用例も認められる。他にも、プラトーン『国家』、『ゴルギアース』、クセノポーン『キューロスの教育』の用例においては、「メソンに姿を現す」ことは多くの人々に見られる状況であると理解できる。
 こうした衆人環視のメソンの用法は、『イーリアス』、『オデュッセイアー』までさかのぼることができる。第2章「『イーリアス』『オデュッセイアー』」では、この叙事詩におけるメソンの用例分析がおこなわれる。先行する研究者ドゥティエンヌ(Detienne)の主張の吟味と、さらに多くの用例の収集・検討がなされる。まず第1節「戦士集団の葬送競技、戦利品分配、裁判、審議集会」において著者は、共有と公開の相補性というドゥティエンヌの説は根拠不十分であると批判する。さらに第2節「集会、一騎打ち、歌舞、その他」では、集まった観衆がメソン上の出来事に一斉に注目して情報を得、判断を下したこと、さらにはメソンを利用しての駆け引きも存在することから、メソンの衆人環視の場としての性格が強調される。
 第3章「アルカイック期後半とヘーロドトス時代」は、メソンの用法の変化の検討である。ヘーロドトス以前(第1節)と同時代(第2節)の用例を検討した結果、衆人環視の場としてのメソンの意味は、時代を貫いて保持されていることが判明した。
 第1部のまとめでは次のように述べられる。ギリシア文献全般を通して、メソンに置かれるものに関しては、戦利品と競技の賞品とでは意味が異なり、前者では共有と分配の含意が明瞭に読みとられるが、後者ではむしろ競技参加者の意欲を高揚させる目的と結びつくことが示される。また「メソンに進み出て話す」、「メソンに立って話す」という用法は、のちに簡略化の傾向がみられるが、一貫して聴衆の面前で意見を開陳し、その場に居合わせた聴衆による議論の一部始終の共有を意味した。その際、決定的に重要な点は、決定事項だけではなく、論題の発議から審議、討論、決議に至る全過程が聴衆の面前で展開されるという文脈でこの表現が使用されることが多いことである。第三に、「メソンに現れる」という表現も、『イーリアス』、『オデュッセイアー』から古典期まで時々使用され、メソンに出現した人や物は、一斉に注目を浴びることになった。最後に最も重要なことは、これらの用法全てにおいて、衆人環視の中で物事が展開されるというメソンの本来的性格が共通に看取されることである。
 ギリシア文献において、メソンは伝統的に日常語として頻繁に使用されていた。そして大半の場合、第三者、メソンの周りに群がる証人の存在が含意されている。秘密裏に事を行うことと対照的に、居合わせている人々の面前で事を行うことが強調されている。この意味では、今日話題となっている「情報公開」とはその意味内容が異なっている。すなわち現代政治における公開性は主として、政府や自治体が保持する情報にアクセスできる、市民が情報の開示を請求すればその情報を閲覧できることなどを意味するが、古代ギリシアにおけるメソンはむしろ、公共的事項に関して発議から決定にまで至る全プロセスを見届けることができることにその意義がある。

 第2部「ヘーロドトスのデーモクラティアー用語」においてはまず、第4章第1節「プラーグマタ、デーモクラティアー用語」において、ヘーロドトスによる「国事」と「支配権」との関係が検討され、「国事」が「支配権」、「王権」などの意味で用いられる場合があること、「国事を処理・管理すること」が「支配権」であることが考証される。第2節では、ヘーロドトスが用いるデーモクラティアー、イソノミアー、イソクラティアー、イセーゴリアーなどの用語の相互連関が考察され、これらの語が「民主政」の単なる言い換えではなく、各用語が筆者の意図に従って注意深く使い分けられていることが示される。すなわちデーモクラティアーは批判者の言葉もしくは地の文で使用され、他方イソノミアーとイセゴリアーは賛同の意をこめて使用されていることが示される。
 第5章「支配権をメソンに置く」では、第1節「ギリシア3ポリスの用例」において、キュレーネー、サモス、コースの政変に関する記述において使用されている「支配権をメソンに置く」が分析される。この表現は単なる王政・僭主政の放棄にとどまらず、新政体設立の文脈で使用され、支配権が置かれるのは、3例とも市民全体のメソンである。さらに、その行為をヘーロドトスは「正しいこと」と評価している。第2節「オタネースの唱える政体」では、本論文が注目する最も重要な政体論中の一文がとりあげられ、ペルシアにデーモクラティアーを樹立するとの意味で使用されていることが論証される。前節の結果も踏まえ以上の分析に基づいて、「支配権をメソンに置く」という表現が、ヘーロドトスにおいて政体的変革、しかもデーモクラティアー設立の文脈で使用されているという判断が下される。
 「終章」第1節においては、本論文全体の考察結果が要約され、ヘーロドトスがデーモクラティアー樹立の文脈で使用した「支配権をメソンに置く」いう表現は、政治的権利が集団全体の共有となるという抽象的事態を意味するだけではなく、現代人には特異とも思われるこの表現が、同時代の人々にとってはより具体的に直観可能な事態を意味していたことが結論づけられる。つまり「市民全体のメソン」に置かれた支配権は、メソンを取り巻く市民団にとって可視的存在となり、白日の下にさらされることになる。モナルキアー、オリガルキアーに付きまとう秘密主義とは対照的に、あらゆる国事の審議・処理・決定の過程が、原則的には、市民全体が注視する中で展開される。「支配権を市民のメソンに置く」という表現は、少なくともデーモクラティアーへの変革時には、政治的権利の共有という一般的意味のみならず、国事の処理・管理が市民の環視の的となることをも含意していたというのである。
 このように本論文は、ギリシア人が日常的に使用していた語句とその多岐に渡る用法の比較検討を通して、デーモクラティアーの原理を考察している。終章第2節「デーモクラティアー出現の必要条件」において著者は、メソンがギリシア文献で『イーリアス』から前4世紀まで伝統的に使用されていた事実とデーモクラティアー成立との関係について言及している。最近の研究では、ギリシアにデーモクラティアーが出現したことの必要条件として、アルカイック期後半までにギリシア世界に平等主義が浸透していたことが強調される傾向にある。これに対して本論文では、衆人環視の「メソンに置く」という慣習がデーモクラティアーの出現にとってより根本的な役割を果たしたと主張する。つまりポリスの出現以来ギリシアの一般市民は、事あるごとに集会場に行き、メソンで繰り広げられる出来事を見届けていた。このような衆人環視の慣習が発展してゆく過程で次第に、「強固な平等原理」といえるものが人々の意識の内部に深く浸透してゆき、デーモクラティアー出現の必要条件が準備され、これらの前提の上に政治的危機が醸成された時、支配権までも「メソンに置く」という大変革が試みられたという結論が導かれる。
3.本論文の成果と問題点
 デーモクラティアーという用語も含め民主政の歴史的起源が古代ギリシアに存することは周知の事実であり、およそ民主主義や民主政について学問的に考察したほとんどの著作が、古代ギリシアの民主政について一応言及することが定着している。しかし、少数の例外的研究があることを前提とした上での話であるが、これらの常識的な古代ギリシア民主政論にはある種の限界ないし盲点があったことも否めない。それは、多くの民主政研究において、まず近代西欧に定着している「民主的」政治制度を基準にして民主政の定義がなされ、それを尺度にして、古代ギリシアの民主政なるものが理念型として同定され、西洋近代民主政との比較が検討される。こうした手法においては、古代ギリシアの民主政はあくまでも近代民主政との比較において理念型として立てられるに過ぎず、考察の主眼も制度論に傾きがちとなる。従来の古代ギリシア民主政研究の主要対象が民主政定着期アテーナイの民主政研究であったのも、この時期の資料が最も豊富であるという事情から当然ではあるが、問題意識が上記のように制約されたものであったことに由来していたと言える。こうした視角からは、民主政を樹立しつつあった時代のギリシアの人々にとって、デーモクラティアーといわれる事態が実際にいかなるものとして経験されたのかという問題は、十分論じられてこなかった。

 もう一つの問題は、ギリシア語のデーモクラティアーがデーモスとクラトスの合成語であることに着目し、両者の意味を総合してデーモクラティアーの意味を確定しようとするスタイルが多くの政治学文献に見られることである。しかしこうした手法は、古代デーモクラティアー研究には有効ではない。それは、政体としてのデーモクラティアーの登場は用語としてのデーモクラティアーの登場(前5世紀後半)より少なくとも半世紀以上先行していたからである。その結果、デーモクラティアー関連用語が登場する以前にすでにデーモクラティアー政体を樹立していたギリシア人たちが、自ら樹立した政体をいかなる用語で表現していたのかという問題が、従来の研究においては十分研究されてこなかったといえる。

 本論文の成果は、第一に、民主政樹立期のギリシアにおいて、当時の人々にとってデーモクラティアーがいかなる実践・生活慣習・理念を意味していたのかを、文献学的手法を用いて解明していることである。同時代の民衆によって歴史的に生きられたデーモクラティアーを解明したいという著者の問題関心は、修士論文「前5世紀後半~前4世紀後半のアテーナイ『庶民』の政治意識に関する一試論―民会における『野次』・『喝采』の分析―」(1999年)以来一貫したものであり、その成果が本論文においても発展的に生かされている。
 成果の第二は、「メソン」という用語に着目したことである。デーモクラティアー関連用語の出現に先行した民主政を指示する用語としては従来、イソス(等しい)関連語(イソノミアー、イセーゴリアー、イソクラティアー)に関心が集中してきたが、これは古代ギリシア民主政の本質を平等に求める見解に規定されたものであった。この手法の問題点は、「平等」という抽象的概念に民主政の本質が求められたとき、それが同時代の人々にとって具体的にいかなる事態を意味していたのかが不明確になることにある。これに対して、著者がヘーロドトス『歴史』の詳細な検討を通して発見した「国事をメソンに置く」というキイ・ワードは、重要事項を「メソン」(衆人環視の真ん中)に置くという視覚的空間的含意が明瞭であるため、同時代の人々の心性により即した民主政理解に道を拓いた意義は少なくない。
 また「メソン」という用語に着目することによって、古代ギリシア民主政成立の背景をなす歴史的風景が一挙に拡大されたことの意義も大きい。民主政の起源は、民主政確立にはるか先行する叙事詩時代にまで遡行しうるギリシア古来の民俗的な法慣習を背景にしていること、またペルシアのキューロス王が全軍のメソンで命令を発するという表現(ヘーロドトス『歴史』)からもうかがわれるように、民主政をもたらした潜在的諸要因は古代ギリシアに限られず、古代地中海世界の広範な諸地域に遍在していたことも本研究では示唆されている。すなわち古代ギリシアの民主政成立史研究はそれに直接先行する政体すなわち僭主政や寡頭政の矛盾からのみ説明することは出来ないことを文献的に論証したことも、本論文の意義である。
 「メソンに置く」ことを公開、共有との関連において考察し、それをホメーロスの叙事詩時代から連綿として継承されたギリシア人の法慣習に由来することを解明した先行研究としてはドゥティエンヌのものがある。その意味では本研究はドゥティエンヌによって切り開かれた論点をさらに充実・補強する研究であるという性格を持つ。著者は第2章において、主として戦士集団の審議集会、葬送競技、戦利品分配に着目して上記の理論を展開したドゥティエンヌ説を修正して、「メソンに置く」ないし「メソンに立つ」ことが、日常の宴会や歌舞などの非戦闘的場面においてもきわめて重要な役割を果たしていたことを示す事例を少なからず挙げている。
 文献資料の収集・選択・整理・考察における成果も大きい。著者は、PerseusおよびThesaurus Linguae GraecaeのCD-ROMを駆使して、前8世紀のホメーロスから前4世紀の作家に至る総勢442人に及ぶギリシアの作家たちの諸著作(Oxford Classical Texts のほとんどすべて)におけるメソンの用法を調べ上げ、「メソンに置く」ことに関わる用例をすべて作家ごとに確定し、各箇所をそれぞれの文脈において検討している。例えばホメーロスでは145例中41例が、プラトーンでは205例中17例が「メソンに置く」ことに関わるとしている。古典文献のCD-ROM化によって可能になった手法を意欲的に活用し、緻密な考証で補強していると言える。CD-ROM化されたとはいえ、一つ一つのメソン用例について「メソンに置く」ことに関係するものとそうでないものをより分ける作業は容易ではない。「メソン」はいくつかの異なる意味を持つ語でもあるからである。こうした用例研究は、単に文献学的関心を満足させるだけではなく、その作業を通じて著者は、いくつかの興味深い事実を突き止めている。例えば、ヘーロドトス、クセノポーン、プラトーンにおいては「メソンに置く」ことに関連する用例が見出されるのに、テューキーディデース、アリストテレースにおいてはこの用例が見出されないことなどである。本論文においてはそれに対する著者の見解をまだ提示できていないが、こうした発見は著者をつぎの新しい研究テーマへと駆り立ててゆくであろうことは疑いない。
 最後に、古代ギリシア民主政樹立期に関する文献学的研究である本論文にとってはいわば副産物的な意義と言えようが、古代ギリシア民主政の核心が、公共的に重要な事項をすべてメソンに差し出すこと、すなわち問題の発議から審議、論争を経て決議に至る全過程を衆人環視の中で行うことにあったとする本論文の結論は、審議過程が秘密にされ審議結果だけが公表されることをもって「情報公開」と理解することが多い現代民主政のあり方を考える上で、重要な反省材料となる。
 本論文の問題点は、古代ギリシアにおけるデーモクラティアーの研究をメソンの用例に絞って考察した著者の独創的な方法それ自体から派生する以下の諸点にある。
 第1に、支配権ないし国事を「メソンに置く」ことがデーモクラティアーの中心概念であったとする著者の主張を支持する直接的な文献上の根拠は、ヘーロドトス『歴史』における四カ所の記述に見いだされるのみであるが、わずか数例の典拠に基づいて古代民主政の基本性格に関わる議論を組み立ててよいのか、という問題がある。とはいえこれは、デーモクラティアー概念を平等(イソス関連語)に求めてきた従来の研究にもそのまま当てはまる問題点であり、ヘーロドトス『歴史』のわずかな記述以外に手がかりが無いというギリシア文献学の資料的制約にかかわる問題であるとも言える。
 第2に、「メソンに置く」ことが叙事詩時代にさえ遡及しうるギリシア古来の習俗を背景として持ち、とりわけポリス成立に伴って決定的となった衆人環視の慣習を意味し、王政、貴族政時代においてさえもそれなりに実践されていたとすれば、このことは政体としての狭義の民主政が「メソンに置く」という慣習から直ちに成立したわけではないことを示している。アルカイック期後期になぜ民主政が成立したのか、その特殊な原因がさらに探求される必要があろう。さらにデーモクラティアーと等置されることもあるデーモスの用例の全面的な収集・整理・分析、デーモクラティアーとイソノミアー(平等)およびコイノン(公共、共有)との関連についてのより立ち入った研究、民主政確立からその定着・成熟・崩壊期に至る歴史的変遷の考察などはまだこれからの状態である。 「メソンに置く」ことを中心概念として古代ギリシアのデーモクラティアーの全体像がその制度論的側面も含め展開されたとき、著者の理論は既存の研究を乗り越えたと言うことが出来よう。
 第3に、ギリシア民主政を成立させた本質的契機がアルカイック期ギリシアに存在していた「メソンに置く」という慣習に由来していたとする著者の仮説の実証は、その時代に属する文献資料が極端に少ないという問題を考慮すると、ある意味では著者の依拠する文献学的研究の限界に直面している。今後著者の主張を補強・発展させるためには、考古学的知見(ポリスの遺構など)も含め文献以外の諸資料を活用する必要にも迫られているように思われる。
しかし、これらの問題点は著者も自覚するところであり、古代ギリシアの文献を丹念に渉猟し解読することによって自説を構築してきた著者の研究能力および着実に研究成果を積み重ねてきた従来の実績からみて、将来これらの点についても説得的な研究成果が達成されるものと期待される。
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと認め、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2003年1月29日

 2003年1月29日、学位論文提出者名和賢美氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「デーモクラティアーと公開原理 ― 古代ギリシア文献におけるメソンの用例をもとに ―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、名和賢美氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は名和賢美氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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