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博士論文審査要旨

論文題目:ラヴローフのナロードニキ主義歴史哲学:虚無を超えて
著者:佐々木 照央 (SASAKI, Teruhiro)
論文審査委員:土肥恒之、嶋崎隆、坂内徳明

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1 本論文の構成
 19世紀後半のロシア・ナロードニキ運動を中心とした思想史の中でピョートル・ラヴロヴィチ・ラヴローフ(1823-1900年)はきわめて重要な役割を果たし た人物である。本論文はこのラヴローフの思想と生涯の全体像を多数の未刊行資料をも駆使しながら叙述するものである。本文、注全体で700ページを越える本論文の構成は以下の通りである。
序文
第一章 誕生と成長(1823-1852)
第二章 クリミア戦争から農奴解放前までの思想的進化(1852-1860)
第三章 大改革期の哲学論争――出世作『人格論』をめぐる余計者論争
第四章 60年代大改革期の社会運動への参加(1860-1869)
第五章 代表作『歴史書簡』における歴史哲学
第六章 亡命とパリ・コンミュン体験(1870-1871)
第七章 『前進!』誌発行にいたる過程(1872-1873)
第八章 ヴ・ナロードと革命戦術論争(1873-1877)
第九章 民族と宗教の問題への『前進!』の基本的態度
第十章 パリでの活動(1877-1879)
第十一章  「人民の意志」党と「チョールヌィ・ペレデル」の狭間で(1880-1882)
第十二章  「人民の意志」党支援と自由主義批判(1882-1900)
あとがき
ラヴローフ文献目録
人名索引
ロシア語要旨
2 本論文の概要
 序文は本論文全体のテーマと分析の視点、研究史を概観する。ここでは、ラヴローフの思想と革命運動の基礎部分に存在する「負債 の思想」と「人格論」の概要、そしてかれがその形成に大きな役割を果したナロードニキ主義の思想史的意義、ラヴローフの思想的変遷に一貫する民衆救済義務、反専制、貴族の特権放棄の立場、さらに「虚無」ならびに「善悪に対する無関心」への対抗と格闘から生まれた「道徳的理想」とその延長としての「倫理的社会主義」など、本論文の基本的な問題設定と広がりが述べられる。また、ロシア本国、欧米、さらに日本におけるこの分野の研究蓄積について紹介される一方、19世紀ロシア文学にあらわれた観念を多用することでラヴローフならびに同時代のロシア思想史を観察するという本論文著者の方法が提示される。
 第一章では、思想家ラヴローフ誕生以前の先祖と家庭環境、幼少期、士官学校時代、数学教師、結婚までの時期におけるかれの関心と知的営為について述べられる。強調されるのは、かれがプーシキン、レールモントフ、さらにデカブリスト詩人ルィレーエフをはじめとするロシア文学や革命精神に多大な影響を受けたことであり、この点はこれまでの研究では見逃されてきた。このことは本論文著者が発見したラヴローフの少年時代の日記(未公刊)によるものであり、かれの精神形成期に「余計者」貴族の心理が育成されていたこと、また、1825年のデカブリスト事件が強い衝撃を与えたことは本論文ではじめて指摘されたという。
 第二章では、1852年に開始されたクリミア戦争に従軍したラヴローフが敗戦と腐敗したロシアに失望して急進化していく過程をかれの詩の中で検討し、またドイツ哲学研究に向かう姿が述べられる。特に、かれがヘーゲル『法哲学序文』の「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」という有名な言葉を「存在するものは理性的である」と解釈し、「存在するものは必然」として「現実との和解」を果たしながらも、カント哲学、フィヒテとヘーゲル左派の思考をもとに主観性重視へと転換してい過程が跡付けられる。
 第三章では、ラヴローフが農奴解放に始まる大改革期に発表した哲学的著作、特に代表作である『人格論』(1859年)が分析される。著者によれば、それらの著作は「余計者」貴族のための実践哲学であり、この点は従来の研究にはなかった視点であるとされる。ツルゲーネフの小説『父と子』をめぐる貴族と雑階級人の有名な論争において、ラヴローフは進歩的貴族の側の支援者として論陣を張り、それをゲルツェンに捧げたが、雑階級的知識人のチェルヌィシェフスキイ側からは観念論、主観主義、折衷主義のレッテルを貼られて批判されていく。この部分はラヴローフがナロードニキの思想家として誕生していく前史として、また、かれの思想の全体的方向性と特徴が形成される時期の叙述として重要である。
 第四章は、1861年の農奴解放前後の時代におけるかれの社会的実践活動を扱う。「婦人労働奨励協会」や出版アルテリ(組合)など、これまであまり知られていない団体との関わりが述べられ、ラヴローフの1866年逮捕時の未公刊裁判記録が紹介されるが、それによって、かれの主な罪状が
チェルヌィシェフスキイらの反体制不穏分子への共感であったことが明らかにされる。
 第五章ではラヴローフが流刑中に執筆し、当時のナロードニキ主義の「福音書」とされた代表的著作『歴史書簡』(1868-69年)の内容が分析される。ロシア思想史の原点とも言うべきチャアダーエフの『哲学書簡』(1829年)を明確に意識して書かれた『歴史書簡』は歴史過程を観察する主体の道徳的意識の重要性と歴史発展への参加義務を論じ、「批判的思惟」を歴史発達の重要な契機とした。ロシアの知識人は恵まれない民衆の犠牲により知識を獲得し、特権的地位に置かれており、その代償を支払っていないという「未支払いの債務」の訴えは「悔悟する貴族」の心情と合致し、ヴ・ナロード運動に大きな影響を及ぼしたとされる。
 第六章では、1870年に流刑地から脱走してパリに亡命したラヴローフがインターナショナルへ加盟し、翌年にかけてパリ・コミュンへ参加していく中でコミュンに強く共感しながら、コミュン戦士への弾圧に大きな衝撃を受けたことが述べられる。この戦士たちの救援活動を通してマルクス、エンゲルスらとの親交が始まるが、コミュン敗北の原因にナショナリズムの害を見る一方、現実の推移に十分対応しきれず、バクーニン派の嘲笑を受けてパリから立ち去ることになる。
 第七章は、ロシア革命運動に大きな役割を残した在外革命機関紙『前進!』の発行の過程を論じる。この問題はかつて鳥山成人氏が紹介したことがあるので、本論文著者はそれとの重複を避け、未公刊資料にもとづき「第一、第二綱領」の紹介をはじめとして、ラヴローフへの依頼者の特定などこれま
での研究とは相違する面について述べた。
 第八章では、従来から知られているラヴローフ派、バクーニン派、トカチョーフ派の間で展開された論争を紹介しながら、中央集権へ傾斜していくラヴローフの変化の過程を明らかにする。この変化はロシア国内のナロードニキ運動への弾圧の激化や国際労働運動の推移によってもたらされたものだが、これによりラヴローフ派とラヴローフは決裂することになる。ラヴローフの変化についての本論文著者の考えは、近年ロシアの研究者(イテンベルグ、トヴァルドフスカヤ)により支持されているが、このラヴローフ派との分裂過程の分析は未刊のアーカイヴ資料によるものであり、従来の研究にはなかった。

 第九章では、南スラヴ諸民族の運動を中心に、中央アジアや極東における民族問題にたいする、『前進!』紙面に見られるラヴローフとラヴローフ派の論調を紹介する。『前進!』の特徴として、労働者社会主義を優先するあまり、民族独立闘争や宗教戦争にたいして「きわめて冷静な反応」を示し
たことが指摘されるが、その一方で、『前進!』に掲載されたコミュン運動の記事を介して、当時、新宗教にたいして大きな関心が存在していたこと(マリコフ、元ナロードニキのチャイコフスキイらの神人教、フレイの名前で米国市民権を得たゲインズの人類教、さらにはトルストイの宗教的回心)に論及し、ナロードニキ運動と宗教的探求との関連性を示唆する。

 第十章のパリでの活動については、この時期のラヴローフが政治的活動から遠ざかっていたとするこれまでの研究にたいして、やはり具体的なアーカイヴ資料にもとづいて反論した。ウクライナ主義者の指導的イデオローグであるドラゴマーノフとともにおこなった革命家たちへの金銭的援助活動、ポーランド社会主義団体の誕生の支援などが新たに解明された事実である。ドラゴマーノフとラヴローフの未公刊往復書簡の使用は大きな意義があるが、それにより両者の協力のみならず対立関係も示され、ナロードニキ運動がインターナショナルな運動から地域の特殊性に依拠するナショナルな運動へ分裂していく過程を明らかにした。
 第十一章では、ロシア国内における革命運動の急進化にたいするラヴローフの態度が論じられる。当初、「人民の意志」党のテロリズムには批判的で、「チョールヌィ・ペレデル(土地総割替派)」に近い立場を取っていたラヴローフが1881年の皇帝アレクサンドル2世暗殺事件にたいする評価を変えていった過程が述べられ、この変化は倫理的社会主義からの「大幅な譲歩」であるとされる。また、マルクス、エンゲルスの「人民の意志」党支持についてはザ
スーリチ宛てのマルクス書簡に見られ、この姿勢について日本でも和田春樹氏らにより研究されてきたが、その際に重要な鍵を握っているガルトマン証言をラヴローフとの往復書簡の未刊部分の中に発見し、紹介した。
 第十二章では、ラヴローフの在外機関紙「人民の意志報知」への関わりについて、ほとんど未公刊資料にもとづいて詳細に紹介した。資本主義発達によるプロレタリアートの成長を待つプレハーノフらのロシア・マルクス主義者の組織「労働解放団」(1883年結成)、立憲議会制への移行の方針でかれらと連携しようとする自由主義者、ステプニャーク=クラフチンスキイらの「自由ロシア」運動、さらには自由主義に傾斜する新たな「人民の意志」派など同時代
のさまざまな思想潮流にたいして批判を加え、社会主義への直接的移行としての革命を主張して「旧派人民の意志グループ」の結成(1892年)に参加していく過程が述べられる。また、ラヴローフがトルストイの宗教回帰を「宗教的エゴイズム」と呼び、ナロード崇拝を民衆迎合主義として激しく批判したことが紹介される。
3 本論文の成果と問題点
 本論文は19世紀後半のロシアで展開されたナロードニキ主義の運動と思想の中心的人物のひとりであるラヴローフの思想と生涯の 全体像を叙述した労作である。著者は大学院修士課程在学以来、ロシア思想史研究に携わり、特にこの革命思想家の足跡を一貫して追ってきた。本論文はこれまでの研鑽を土台として、新たに書き下ろされたものである。
 本論文がもたらした成果として第一にあげられるのは、ラヴローフの思想と革命運動の展開を詳細に跡付け、しかも同時代の思想家や社会運動との関わりにも十分配慮しながら、かれの全生涯の仕事を再構成した点である。本国ロシアと欧米ではラヴローフの伝記研究のいくつかの試みは存在するが、
分量の点、また、上記のとおり未刊資料の利用の点でも著者の業績はそれらを越えている。しかも、多年にわたる研究の蓄積とそれにもとづく広範な知識を駆使しながらも、他分野の専門家にも読みやすい形で書き下ろされたために叙述は平明であり、ラヴローフの人間像やナロードニキ主義の思想体系、同時代のライヴァルや友人、時代背景や社会状況などに関して明確で説得的なイメージをもたらしてくれる。
 第二の成果は、多数の未公刊資料やアーカイヴ資料の利用である。これはラヴローフの生涯のパーソナルな側面のみにとどまらず、逮捕後の裁判記録、出版活動、他の革命運動グループとの戦術的対立などきわめて多岐にわたるものであり、この点でも本論文著者の調査の周到さが明らかである。本国ロシアや欧米の研究ではいまだ十分明らかにされなかった多くの部分が本論文によってはじめて解明されたことは高く評価されるものである。その点で、47ページにわたる本論文のロシア語要旨が巻末に付されたことには大きな意味がある。
 第三に、ナロードニキ主義運動が持つ思想史的意義の一側面として、民衆にたいする過剰なまでの期待と美化が存在することがラヴローフの「負債の思想」により改めて確認されたことである。18世紀末に誕生したロシア・インテリゲンツィヤとその営為としての思想・運動がナロードとの関係性の上で成立してきたことは、これまでのロシア思想史・文化史研究でもつねに述べられてきた。しかし、特に19世紀後半の革命運動の高揚の中で、ナロード崇拝や信仰も
含めたナロード観の形成が当時のすべての革命思想家の思想と戦術の根幹部分を成していたことが、ラヴローフの思想形成と展開を通して明らかにされたのである。
 第四として、「負債の思想」をはじめとして「余計者」意識、「空虚」感、「善悪への無関心」という文学的な観念をラヴローフの思想体系の中で大きな位置を与えたことは本論文の成果である。ナロードニキ思想家の中で特に道徳性・倫理性・個人意志を重視し、自身も良心的であり続けたラヴローフの思想分析にそうした観念を適用したことは大きな効果をもたらした。19世紀ロシアの思想と文学が時に一体化して明瞭なボーダーを持たぬ形で混在していたことは、「ロシアの空想図書館のなかでは、『精神現象学』が『死せる魂』と隣り合い、『資本論』が『カラマーゾフの兄弟』と隣り合っている」(クリストバル・カレーラ)という言葉に象徴的に表現されているが、その隣接性と一体性の中でラヴローフの知的営為を捉えなおそうとしたことはこれまでのラヴローフ研究のみならず、ナロードニキ主義研究にとって大きな意義を持つものである。
 本論文には、こうした多数の成果が見出される反面、若干の疑問点や問題点も残されている。叙述が新たに書き下ろされたとはいえ、反復の箇所や時代的に前後が逆に なった部分が散見されるのは読者への説得力をいささか減少させる。また、生涯や革命運動諸派の論争紹介の際に、時に平板で羅列的な記述も見られる。これらは、全体が膨大な分量で困難であるとしても今後の見直しがあることが望ましい。

 次に、思想・イデオロギー的対立が、世代・出身階級別、利己/利他主義、他力/自力、加害者/被害者などの軸により機械的に分類されるあまり、図式化の印象をたらす場合も見られた。著者自身が、これまでのロシア思想史研究で一般的な西欧派対スラヴ派、ナロードニキ主義対マルクシズム、
中央集権対アナーキズムなどの図式をできるだけ避けたいと述べているので、この点は少々残念である。

 また、ラヴローフのチェルヌィシェフスキイ批判については、この対立が自由意志と必然性という重要な哲学的命題をはらみ、観念論と唯物論の分岐の問題へと通ずることからより深い掘り下げがおこなわれるべきであった。ロシアにおけるJ.S.ミルの受容をめぐり、チェルヌィシェフスキイがミルの経済学に、ラヴローフが論理学に注目したことの意味合いにも言及してほしかった。
 上記の第四の成果で述べた文学的観念の利用に関して言えば、「悔悟する貴族」「余計者」さらに「ニヒリズム」などの観念を一方的に文学性の中でのみ捉えることには疑問が残る。文学的観念をアプリオリに設定してしまうことの危険性が存在するからであり、思想史研究は19世紀のロシア文学・思想史研究にとっては「あたりまえの」キーワードや言説を今一度対象化し、検証しなおすことからはじめてよいからである。しかもそうした検証作業により、ラヴロー
フの思想の新たな読み直しとその現代的意義がより明らかになるであろう。
 ただし、これらの問題は本論文の意義を低めるものではまったくなく、今後の研究の出発点となるものである。本論文著者がラヴローフの思想を長年におよぶ資料探索と読解・分析により、「風化」から救い上げようとした意図は十二分に実現されており、19世紀のロシア社会思想史の中に的確に位
置づけられたと考える。

 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するところが大きいと認め、一橋大学博士(社会学)の学位を授与すること が適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2002年10月29日

2002年10月29日、学位論文提出者佐々木照央氏についての最終試験をおこなった。本試験においては、審査委員が提出論文 「ラヴローフのナロードニキ主義歴史
哲学―虚無を超えて―」に関して、逐一疑問点について説明を求めたのにたいし、佐々木照央氏はいずれも簡潔かつ明快で過不足ない説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、佐々木照央氏は十分な学力を持つこと を証明した。
 よって審査委員一同は佐々木照央氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定し た。

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