博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:北アイルランドのユニオニズムにおける自己表象:「包囲」された「ブリティッシュネス」
著者:尹 慧瑛 (YOON, Hae Young)
論文審査委員:伊豫谷登士翁、関啓子、内藤正典、中野聡

→論文要旨へ

1.論文の構成
 本論文の課題は、いわゆる北アイルランド問題において、植民地主義(コロニアリズム)の「解決」としての「自治・独立(self-determination)」によって周縁的な位置に追い込まれたユニオニストの自己表象を考察することにある。1920年代初めのアイルランド自由国の成立によって、北アイルランドは、イギリスからの入植者及びその末裔が多数を占めるがゆえに連合王国の一部に留まったが、アイルランドにとってはいわば未回収の領土のままであった。本論文の対象は、マジョリティでありながらも本国から分離された存在と意識するユニオニストがおかれたアンビヴァレントな立場にあり、その運動のナショナル・アイデンティティ形成が抱える問題にある。アイルランド全島の独立を唱えるナショナリストに対し、ユニオニストの不安と恐怖は、アイルランドだけでなく、イギリスへも向けられてきた。ユニオニストにとっては、ナショナル・アイデンティティの根幹を揺るがされ、それゆえにナショナル・アイデンティティの獲得と保証が緊張を伴った日常の問題となる。本論文は、これまで断片的にしか論じられてこなかった北アイルランドにおけるポスト・コロニアルな問題状況を、「包囲の心理」と「ブリティッシュネス」をキーワードとして、初めて体系的に論じた研究である。ユニオニズムを取り上げることによって、筆者は、支配/被支配という植民地主義的分析枠組みとは異なる観点から紛争をめぐる葛藤をとらえ、政治とアイデンティティと日常化した暴力とが相互に影響しながら創りあげられるナショナル・アイデンティティの自己表象を分析するひとつの方法を提示した。
 本論文の構成は以下の通りである。
序章  北アイルランドという「場」 -緊張する「周縁」
1.   北アイルランド問題と北アイルランド紛争
2.   北アイルランド問題研究の転換
3.   「アイルランド問題」との連続性・非連続性
第一章 ユニオニズムへの視角
1.  ユニオニズムの起源
2.  ユニオニズム研究への視角
3.  ユニオニズムにおけるナショナル・アイデンティティ
第二章 ユニオニズムと「包囲の心理」
1. 「包囲」の記憶と表象
2. 「包囲」されたユニオニスト
3. 「包囲の心理」におけるねじれ
第三章 ユニオニズムと「ブリティッシュネス」
1. アルスター・プロテスタントのアイデンティティ
2. ブリティッシュネスの形成
3. ユニオニストによるブリティッシュネスの再生産
第四章 ユニオニズムの自己表象 -アルスター協会の活動と出版物を通して
1. ユニオニズムの転換
2. アルスター協会の成立
3. 「アルスター・ブリティッシュネス」とは何か
4. 「文化」という戦略
終章  「北アイルランド問題」をひらく
図版
参考文献

2.本論文の要旨
序章 北アイルランドという「場」 -緊張する「周縁」
 序章では、論文全体のテーマが明らかにされる。北アイルランドは、前史としてのイギリスからの植民、そしてホーム・ルール運動(アイルランドの独立)、公民権運動、和平といった歴史プロセスのなかで、常に紛争に巻き込まれ、且つ紛争を抱え込み、時代とともに問題状況を変化させてきた。グローバル・イシュとしての「北アイルランド」という場は、コロニアリズムからポスト・コロニアリズムへの移行によって、近代の暴力がナショナリズムを介していかなる形で発現するのかを端的に示す事例である。北アイルランドの帰属をめぐって、カトリック系住民の多くはイギリスからの分離・アイルランド島全島の完全独立を主張する「ナショナリスト」であり、入植者の子孫であるプロテスタント系住民の多くはイギリスとの連合(the Union)の維持を望む「ユニオニスト」であるとされる。しかし、筆者は、これらは必ずしも一致するものではなく、むしろ両者があたかも同義であるかのように見なされ、互いに対立させられることこそ、北アイルランドにおける事態を硬直化させてきた原因のひとつであった、と主張する。言い換えれば、宗教的対立が紛争を生み出したのではなく、紛争こそが言説を生み出し、宗教的対立の激化として表れてきたと捉えられるのである。筆者が強調するのは、日常的に繰り返され、深刻化する紛争の解決をめざしながらも、対立する集団の政治的運動との繋がりを、自覚的あるいは無自覚に、意識化しながら展開されてきた従来の論争は、必然的に、ナショナリズムあるいはナショナル・アイデンティティ、国民国家の呪縛を脱することができなかった、という点である。本論文では、マジョリティでありながらも確たる帰属意識を持てない植民者の観点から、自明性としてのナショナル・アイデンティティを捉え返し、国民国家批判に関わる言説が持つさまざまな陥穽を批判的に検討しつつ、ポスト・コロニアルな課題に接近するひとつの方法を提示した。
第1章 ユニオニズムへの視角
 本章ではユニオニストの思想形成過程を歴史的に辿るとともに、アイルランド共和国独立、公民権運動、和平協定等のエポックを通じて、それがいかに変化してきたのかを明らかにした。ユニオニズム運動は、アルスター(アイルランド北部)を中心に、19紀後半のホーム・ルール(自治)運動に対抗して、アイルランドとイギリスの連合を主張する運動として形成された。北アイルランドの成立以降、ユニオニズムは北アイルランドとイギリスの連合維持・反アイルランド統一を主張するようになったのである。1970年代以降の北アイルランド紛争の拡大は、多くのユニオニズム研究を生み出したが、その多くは不可避的に運動と関わる否定的ならびに肯定的評価であり、政治的動機と密接に結びついたものであった。本章では、これまでの北アイルランド研究ならびにユニオニスト研究を丹念に跡付け、ユニオニストにとってのナショナル・アイデンティティがどのような意味を持ち、またそれがどのような状況を背景として形を変えながらも維持されてきたのかを考察した。その中心的な分析枠組みとして抽出したのが、ユニオニズムのナショナル・アイデンティティにおける他者との関係性をあらわす「包囲の心理(siege mentality)」と、ユニオニズムのナショナル・アイデンティティにとって核となる「ブリティッシュネス(Britishness)」である。
第2章 ユニオニズムと「包囲の心理」
 北アイルランドにおけるユニオニストの心理状況を説明する際によく「包囲の心理」という言葉が用いられる。これは「アイルランド統一をはかるカトリック/アイルランド共和国」と「いつ自分たちを裏切るかわからないイギリス」によって脅かされているという、ユニオニストの恐怖を現していると同時に、ユニオニストのナショナル・アイデンティティの背後にある他者との関係性を示してもいる。また、ユニオニストの「包囲の心理」は、被支配者に囲まれた植民地における入植者の心理状況と共通する特徴をも備えている。さらに、「包囲」という言葉は、17世紀の「デリー包囲」を呼び起こすものでもある。植民地における入植者の心理、「デリー包囲」というプロテスタントに共通の歴史的記憶を基盤として、ユニオニストの「包囲の心理」は、歴史的な状況変化に応じて、イギリス、アイルランド、カトリック、共和主義との関係性において形成され、また、その関係性のなかで変化してきた。ユニオニストに対する批判は、変化に対する非妥協的な態度、保証の切実な希求、「抑圧者」としての認識の欠如、イギリスへのアンビヴァレントな忠誠といった「攻撃的」「偏執狂的」「非合理的」とみなされる思想と行動にあった。しかし「包囲の心理」は、筆者によれば、ユニオニストが自らを正当化する根拠としての役割を果たし、さらに、「不安」「恐怖」「自己保存」「抵抗」というキーワードを中心としたユニオニストから見た北アイルランドの歴史像を映し出してもいる、と捉えられる。
第3章 ユニオニズムと「ブリティッシュネス」
 ホーム・ルール運動前のアルスター・プロテスタントのナショナル・アイデンティティは、「アルスターネス」「アイリッシュネス」「ブリティッシュネス」など多層的であった。しかし、ホーム・ルール反対運動・北アイルランド成立を経て、多層的なアイデンティティは変容を迫られ、「ブリティッシュネス」が、ユニオニストのナショナル・アイデンティティの核となってきた。ユニオニズムにおける「ブリティッシュネス」は、次の三点から特徴付けられた。すなわち、 (1)連合王国の人々との歴史的な記憶・経験の共有、ブリテンという「想像の共同体」の文化的基盤、(2)イギリス国家における社会的・政治的制度との自己同一化、イギリス臣民としてのアイデンティティ、(3)アイリッシュ・アイデンティティへの対抗である。ユニオニスト/プロテスタントを普遍的な「無徴」、ナショナリスト/カトリックを特殊な「有徴」と規定することによって、イギリス人の「ポジティヴな」特質が、アイルランド人の「ネガティヴな」特質に対置されてきた。したがって、「ブリティッシュネス」とは、イギリス植民地支配の継承としてのレイシズムが、イギリスとの同一化によって自己の優位性を表現したもの、と筆者は指摘するのである。こうしたユニオニストの「ブリティッシュネス」は、伝統行事やシンボルなどの様々な文化的象徴によって表象・再生産されている。例えば、ユニオニストによる連合王国のどこよりも熱烈な王冠への忠誠は、外部から見て容易に識別できる象徴を十分に使うことによって、自らの「ブリティッシュネス」を一貫して主張する行為であり、イギリスの彼らに対する無関心の下での保証のないアイデンティティを充足させる手段でもある。
第4章 ユニオニズムの自己表象 -アルスター協会の活動と出版を通して
 1985年のイギリス=アイルランド協定締結は、「包囲」された「ブリティッシュネス」といえるユニオニストのナショナル・アイデンティティにおける緊張を端的に表すことになった。北アイルランド問題の「解決」にむけてアイルランド共和国の関与を認めたこの協定は、ユニオニストにとって、北アイルランドにおける彼らの地位を脅かし、アイルランド統一を後押しするものと映り、ここでのイギリスに対する「裏切られたという意識」は、ユニオニズムの主張の中身を分裂させていく契機となった。本論文では、このようなユニオニズムの転換を、アルスター協会の発行する機関紙・パンフレット・書籍の分析を通して、明らかにしようとした。アルスター協会は、初代会長が後に北アイルランド首相を務めるなど、大きな影響力を有する団体であり、同協会の分析は、ユニオニストの変質を端的に示すのである。アルスター協会の活動目的は、「アルスター・ブリティッシュの文化」の保護・促進であり、北アイルランドが持つ緊張のなかでの文化をキーワードとしたユニオニスト・アイデンティティの再想像/創造の試みであった。この「アルスター・ブリティッシュ」というアイデンティティは、イギリス本土とのつながりの再確認や、アルスターの独自性の発見と創造を通じた、文化的アイデンティティによるユニオニストの自信回復を促すものであり、文化を通じた連合維持(pro-union)、反統一アイルランド(anti-united Ireland)の主張であった。「アルスター・ブリティッシュ」のアイデンティティは、一方では「包囲の心理」の下にある苦難と勝利の物語であるが、他方では、文化的根拠として「シチズンシップ」「多文化主義」といった概念があげられた。これらは、ブリティッシュネスにおける「先進性」「普遍性」と分かちがたく結びつけられているとともに、公民権運動にみられるマイノリティの異議申し立て運動への対応でもあった。ユニオニストによる「文化的主張」は、直接的な暴力を回避しながらユニオニストが生き残るためのぎりぎりの選択になりうる、と筆者は位置づけるのである。政治家による和解交渉がすすめられていく一方で、人びとの暮らしにおける社会的・心理的な境界は、いぜんとして簡単には乗り超えられないものとして存在しており、何らかのきっかけで、境界をはさんだ両者の対立が再燃する危険を常に抱えている。文化にもとづいたアイデンティティの主張という選択は、このような北アイルランドの文脈において、「ゆきづまり」と「打開策」、「対立」と「和解」のあいだを揺れながら、格闘する場としてある、と捉えられる。
終章 「北アイルランド問題」をひらく
 ユニオニストの「ブリティッシュネス」は、その「包囲された心理」という状況のもとで、ブリティッシュネスにおける隠された差別性・抑圧性を暴露し、まさにそのことによって、イギリスから無意識に拒絶されている。また、帝国の喪失、大量の移民の流入、EUという新たなアイデンティティの登場などに起因するイギリス本土におけるブリティッシュネスの急速な変容は、ユニオニストとイギリスとの距離をますます広げてもいる。この意味で「ブリティッシュネス」は、もはやユニオニズムを保証する基盤となりえていないのである。ユニオニズムが抱える、この「包囲」された「ブリティッシュネス」ともいえる緊張した状況は、アイデンティティをめぐる諸問題を浮き彫りにしている。ユニオニズムにおいてよくあらわされているのは、精神的/肉体的な不安・恐怖から身を守るものとしての自己のアイデンティティが、他者に対する差別や抑圧の構造をつくりあげていく過程である。北アイルランド問題における「和解」にむけての転換を困難にさせてきた要因のひとつは、まさにこの、ユニオニストにおける不安・恐怖の問題であり、したがって、ユニオニストにとっての「和解」とは、こうした不安・恐怖をどのように克服していくことができるのか、また、対話にむけての信頼へと変えていけるのかを試されることに他ならない。現在の北アイルランドが提示しているのは、実際にさまざまな人びとが同じ場所で共に暮らしている状況において、そのことが生み出す緊張や葛藤にどう向き合うのかという切実な問題である。そうしたなかで、ユニオニズムの自己表象の言説において頻繁に登場しつつある「シチズンシップ」「多文化主義」という概念は、従来のセクタリアニズムで語られてきた「北アイルランド問題」の枠組みを、これまで北アイルランドにおいてあまり注目されることのなかった非白人住民の存在をも含み込んだ、人権の尊重と多文化主義の実践の試みへと接続・転換させる可能性を持っていると、筆者は展望するのである。
3.本論文の成果と問題点
 本論文は、先行研究ならびに文献資料を丹念に追いながら、最近のポストコロニアル研究あるいはカルチュラルスタディーズによる新しい問題関心を踏まえ、これまでの研究が陥っていた隘路を突破する方向を示唆した。すなわち、これまで「問題の解決」として論じられてきた自治や独立あるいはあらかじめ想定してきたあるべきナショナル・アイデンティティそのものを問い直す作業である。しかしそれは、単純にナショナル・アイデンティティを批判したり、ましてや擁護したりするものではない。論文では、アイルランド問題と北アイルランド問題との連続性・非連続性を、コロニアルからポスト・コロニアルな問題構制への移行と捉え、自治や独立が解決とならない現代の地域紛争を説きうる場として北アイルランドを設定した。イギリスとの連合を主張するユニオニズムは、イギリスからもアイルランドからも疎外され、自らの居場所を確保しようとする。紛争という場において支配者とされる人々が抱く不安と恐怖を、北アイルランドという場において明らかにしようとしたものである。
 本論文の特徴は次の点にある。第一は、北アイルランド問題を扱う際にユニオニズムを対象としたことである。北アイルランド問題を論じる際には、アイルランド問題との連続性と非連続性をふまえた「問題」そのものの転換という点への着目が不可欠であるが、ユニオニズムは、このポスト・コロニアルなものとしての北アイルランド問題をより端的に示すものである。北アイルランド研究においては、これまで圧倒的にアイルランド統一を志向する側であるナショナリスト研究が中心であったが、和平プロセスを難航させているユニオニズムの強硬な態度を分析することによって、北アイルランド問題の全体像を明らかにできるということである。
 第二は、ユニオニズムをナショナル・アイデンティティをめぐる緊張と葛藤という点からとらえたことである。これまでの「明確なナショナル・アイデンティティを形成しえなかった」というユニオニズム批判に対して、むしろユニオニズムにこそナショナル・アイデンティティにおける根元的な問題が凝縮されている点を指摘した。そのような認識にもとづいて、従来はそれぞれ断片的にしか論じられてこなかった「包囲の心理」と「ブリティッシュネス」という概念を、ユニオニズムにおける自己表象とナショナル・アイデンティティのあり方をとらえる分析軸として据えた。
 ユニオニズムにおける自己表象の問題をナショナル・アイデンティティとの関連において考察するという時、ナショナル・アイデンティティという問題をめぐる筆者の問題意識は以下のようなものである。すなわち、ナショナル・アイデンティティがどのようにつくられてきたのか、またそれをこれからどのようにつくっていくのか、あるいはどのように乗り越えていくのかということではなく、人びとにとってのナショナル・アイデンティティの役割と意味を維持し続けてきたものは何かを探ることが重要であるという点である。このことは、従来の「国民国家批判」のなかにみられる「脱構築」といった課題に、ナショナル・アイデンティティをめぐる問いが常に切実な形で立ち現れる場を通じて、どのように向き合うことができるかを問題化しようとするものでもある。
 以上の点から本論文が明らかにしたのは、次のような論点である。
(1)ユニオニストによる、自らの居場所を確保しようとする試みとそこでの自己表象は、自らの不安定な位置における不安・恐怖と結びついたナショナル・アイデンティティの保証へとむかうものであった。そこでの不安・恐怖とは、アイルランド統一を志向するナショナリスト/カトリック/アイルランド共和国や、いつ自分たちを切り捨てるかもしれないイギリスに「包囲」されたなかで、自らの「居場所」を脅かされるということに起因する。したがって、ナショナル・アイデンティティの「脱構築」とは、それが、自己の不安や恐怖に対する保証として、裏返せば、安心感や居心地のよさを保証する重要な基盤のひとつとして機能してしまうということを問うものである。
(2)しかし、ユニオニストの求める「ブリティッシュネス」は、充分に保証されているとは言い難い。ユニオニストの「ブリティッシュネス」は、その「包囲されている」という心理状況の下で、ブリティッシュネスが標榜する「先進性」「普遍性」と表裏一体の、差別性・抑圧性を暴露するものとなり、まさにそのことによって、イギリス本土から無意識に拒絶される。しかし、「ブリティッシュネス」への固執は一方で継続しながらも、他方ではその自己表象のあり方、語り方が、ユニオニズムのおかれている状況に応じて転換をみせている。例えば、エスニシティとしての「ブリティッシュネス」からシチズンとしての「ブリティッシュネス」へ、「支配的文化」から「多文化」へ。こうした言説上の転換は、彼らにとって、紛争という直接的な暴力を回避しながら生き残るためのぎりぎりの選択とみることができる。そこでの「シチズンシップ」「多文化主義」という概念自体はやはり「ブリティッシュネス」の特性として引き出されているのだが、それでもなお、「文化」や「シチズン」というタームは、常に政治的緊張をはらみながらも、北アイルランドにおける「和解」のあり方を模索するひとつの可能性を提示している。
(3)本論文は、政治的な制約を大きく被る北アイルランド研究およびユニオニスト研究の言説における歴史的なコンテクストをとらえなおしたうえで、北アイルランド研究において、ナショナル・アイデンティティの再生産を支える重大な基盤のひとつとしての<不安・恐怖>という視角を問題化した初めての研究である。しかも、北アイルランド問題は、具体的な文脈・場を通じた現象ではあるが、そこで浮かび上がってくる問題系は、北アイルランドに限定されるものではない。入植者と先住者との紛争に起源を持つ地域紛争は、ひろく旧植民地地域に見られる現象であり、その解決の道筋が見えないことや、旧宗主国のコントロールが利かなくなっている点など、共通点を見出すことができる。
 現在の北アイルランドが提示しているのは、実際にさまざまな人びとが同じ場所で暮らしている状況において、そのことが生み出す緊張や葛藤にどう向き合うのかというグローバルな課題である。また、不安・恐怖と結びついたナショナル・アイデンティティの問題への注目は、そのような不安・恐怖が、他者の排除にむすびつかないような回路をどのように模索していけるかという問いを提示する。個々の歴史的文脈に規定された不均等な権力関係、そこからくる差別・抑圧といった問題への対応がはかられるべきである一方で、そうであるからこそ、さまざまな背景を持つ人びとがともに社会を構成することがどのように可能になるかという共通の問題系が浮かび上がる。例えば、理念としての多文化主義が、<文化>の概念や人びとのアイデンティティとの関わりを硬直化させかねないという危険性を慎重に批判しつつ、政策としての多文化主義をどのように豊かなものにしていけるか。それは、「他者」とどのように共に生きるかということが改めて問い直される段階でもある。北アイルランドは、そうした最先端の試みが日々模索されている一方で、長引く和平プロセスや度重なる暴力抗争が端的にあらわしているように、それが簡単には解決されえないものであることを鮮明にあらわす「場」である。このように、ユニオニズムを対象とした本論文は、「自明性」を脅かされたマジョリティによる「抵抗」という問題に着目したことで、ユニオニズム研究の成果を北アイルランドという地域的課題からグローバルな現象の分析に接続させるものへと切り開いた、と評価することができる。

 以上のように、本論文は、問題意識の明確さ、先行研究との関連での位置づけ、手堅い実証など水準の高い論文であるが、次のような問題点を指摘することができる。第一は、先行研究のコンテクスト分析・歴史実証分析・文化の表象分析を組み合わせた方法は見事であるが、しかしそのことが、諸概念のズレや論証の具体性に欠ける点が見られる。いくつかの政治的画期とユニオニズムの言説レベルにおける転換をより密接に関連づける分析があれば、論述はさらに説得力を増したと思われる。第二は、膨大なナショナリスト研究を前提としたことによって、ユニオニスト研究の持つ積極的意義がやや一面的になったという点である。同様に、ブリティッシュネス概念をイギリス帝国史とどのように絡ませるのかは、課題として残されたままであった。とくにナショナル・アイデンティティを課題とした際に、戦争や紛争への人々の参加におけるナショナリストとユニオニストの差異の比較が重要となるであろう。第三は、研究が90年代はじめで終わったことによって、非白人系移民の増加という状況のなかでの多文化主義やシチズンシップの問題が、充分に考察され得なかった点などである。しかし、これらの課題は、いずれも現状では研究を進めることが困難な論点でもあり、すでに萌芽的な形ではあるが展開されており、本論文の達成した成果を損なうものではない。
 

最終試験の結果の要旨

2002年6月12日

 平成14(2002)年6月12日、学位請求論文提出者尹 慧瑛氏についての最終試験を行った。試験においては、提出論文『北アイルランドのユニオニズムにおける自己表象-「包囲」された「ブリティッシュネス」-』について、審査委員から逐一疑問点について説明を求めたのに対して、尹 慧瑛氏はいずれも十分な説明を与えた。よって審査員一同は尹慧瑛氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することと認定した。

このページの一番上へ