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博士論文審査要旨

論文題目:アッラーのヨーロッパ ― 移民とイスラム復興 ―
著者:内藤 正典 (NAITO, Masanori)
論文審査委員:矢澤 修次郎、関 啓子、児玉谷 史朗

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1.本論文の構成

 本論文の構成は以下の通りである。

序章 統合ヨーロッパの光と影
 1 シェンゲン協定のもう一つの顔
 2 トルコ人はヨーロッパに何を見たのか

・ 「文明の衝突」と移民のイスラム復興
第1章 共存の争点としてのイスラム復興
 1 活発化するイスラム復興運動
 2 「文明の衝突」は新たな紛争を読み解く鍵か?
 3 オリエンタリズムと新しいラシスム
 4 争点としてのイスラム
 5 現代におけるイスラム復興運動の契機
第2章 政教分離国家トルコのイスラム復興
 1 西欧化か、イスラム化か
 2 ライクリッキの誕生
 3 官製のイスラム復興
 4 イスラム復興の新しいプロフィール
 5 ケマリズムの擁護者にして官製イスラムの擁護者

・ 何がイスラムの覚醒をもたらしたのか
第3章 「民族」が共存を阻むドイツ
 1 統合か、帰国か 外国人政策の基底
 2 血統主義が阻む「統合」
 3 閉塞的なエスニシティの状況
 4 差別に対抗する力としてのイスラム
第4章 フランスのムスリムか、フランス的ムスリムか
 1 郊外からイスラムへ
 2 何が排斥されるのか
 3 ライシテとの衝突
 4 もはや「個人の統合」は成り立たない
 5 「フランス的イスラム」と「フランスのイスラム」
第5章 多文化共生とみえざる差別・オランダ
 1 文化の列柱
 2 外国人労働者からエスニック・マイノリティへ
 3 エスニック・マイノリティから移民へ
 4 オランダは移民のユートピアか
 5 病理への批判としてのイスラム復興
・ アッラーのヨーロッパ
第6章 イスラム復興に何を託すのか
 1 イスラムを選び取る移民
 2 トルコ系イスラム復興組織の多様性
 3 移民のイスラム復興への国家の介入
 4 移民の手によるイスラム復興 AMGTの組織と活動
第7章 信教の自由か,イスラム国家の樹立か
 1 視点一 ヨーロッパ社会との争点とは何か?
 2 視点二 トルコ本国との争点とは何か?
第8章 イスラム復興を巡る争点
 1 宗教の国における公認問題 ドイツの争点
 2 ライシテの国における公認問題 フランスの争点
 3 二つの障壁 ヨーロッパとトルコ
第9章 統合と多極の移民社会
 1 問題群による多様化の段階
 2 トルコ共和国の「屋根」の下に
 3 「屋根」を拒んだ移民組織
終章 クルド亡命議会
 1 人権擁護の先進国にうまれた亀裂
 2 二つの原理との相克 イスラム復興のゆくえ


2.本論文の要旨

 序章は、本論文の問題構造を明らかにしたものである。著者によれば、EU諸国は、その域内における人の移動を自由にする形で統合を進めているが、それは域外から来る人の移動の自由を制限することによって実現されたものである。この文脈においては、受け入れ国が発見した「移民・難民」問題と、移民労働者本人が発見したそれとの間には、大きな隔たりがある。受け入れ国から見れば、移民労働者は失業を増やし福祉の水準を引き下げる存在であるが、移民労働者にしてみれば、受け入れ国の労働者が決してやらない労働を安い賃金で行わなくてはならない存在である。結局のところ、こうして移民問題はヨーロッパ各国の国家を構成する原理を問うことになり、ヨーロッパは一つではなかったことがその国家構成の原理に基づく移民政策の違い、多様性から明らかになったのである。そこで著者は、血統主義的国民観を持つドイツ、共和国の理念と原則を共有する意志を持つことを求めるフランス、多極共存型民主主義に基づくオランダにおける、トルコからの移民問題を検討することに焦点を当てる。もっとも、この3つの国において移民政策は多様ではあっても、移民の多くを占めていたムスリムに対する言説ーイスラム脅威論ーは共通である。そこで著者は、イスラムが脅威であるとする言説がいかなる論理に基づいているのかを明らかにした後で、ヨーロッパ各国にいるトルコ移民の実態を把握し、イスラム復興運動の軌跡を跡づけることによって、その言説と実態とが如何にかけ離れているかを明らかにしようとする。

 第・部「『文明の衝突』と移民のイスラム復興」は、ヨーロッパ諸国と移民の共存の争点としてあるイスラム復興が、どのような外在的論理によって批判されているかを明らかにし、それとは反対の現代社会におけるイスラムの内在的理解がどのようなものかを提示し、あわせて現代世界におけるイスラム復興の契機がどこにあるのかを明らかにするものである。

 第1章では、著者はまずはじめに、ハンティントンの「文明の衝突」論をオリエンタリズムとして批判する。そればかりではない。イスラムが西欧にとって脅威であるとする言説は、イスラム復興運動を、イスラム原理主義という名で括っており、ムスリム移民の草の根的な民衆運動として広がりつつあるイスラム復興運動がホスト社会の民主主義を否定していないにもかかわらず、ムスリムであるがゆえに西欧社会にとって潜在的に脅威であると判断する、言葉の正しい意味でのラシスムであると批判する。その上で著者は、争点としてのイスラムが、いかに作為的に曲解され、ステレオタイプ化されているかを明らかにする。多くの場合、イスラムはヨーロッパ諸国で規範とされる民主主義、人権思想、男女平等の理念と矛盾するものと理解されているが、一夫多妻の承認、女子割礼、スカーフやヴェイルの着用なども、規範ではなく実態に即して判断すると、必ずしもそうとは理解できない場合が多々あるからである。またイスラムと民主主義の関係も、両立しえないとは断定できず、イスラムも多様な政治システムを現実に持っているからである。イスラムが政治の場で何を選択してきたかは、世界社会の構造と動態によって与えられた歴史的文脈によって規定されたのであってみれば、それは当然であろう。

 第2章は、本論文の主題であるヨーロッパに住むトルコ系移民たちがイスラム復興運動に参加していく過程とその動態を十全に理解するために必要不可欠な、トルコ本国の政治と社会におけるイスラムの意味を明らかにするものである。著者は、全人口の殆どがムスリムでありながら、国家としてのトルコ共和国が、西欧の国民国家をモデルにして、しかも国家建設を急がなければならなかったところに、多大な無理が生じたことを強調する。トルコ共和国が採用した6つの国家原則のうち、とりわけライクリッキ(国家は宗教に干渉せず、宗教も国家に干渉してはならない)の原則は重要である。ライクリッキという用語はフランスのライシテに由来するが、建国当初から国家による宗教への干渉を実態としては排除しなかったことは、フランスのそれとは異なるところである。かくして著者は、ライクリッキ誕生以降のトルコの政治ー社会史を、(1)多党化、(2)国家と宗教の相互侵入、(3)ケマリズムの砦としての軍部、(4)国家の管理下にあるイスラムという意味での官製イスラムと民間のイスラム復興運動の対抗関係、(5)左翼運動と民族主義運動の対抗関係、などを基軸として描き、1980年代以降、民衆の不満に根ざしたイスラム復興運動が台頭し、それが福祉党に望みを託すのに対して、軍部やケマリストが上からのライクリッキをもって対抗している、トルコ政治の今日的構造を的確に摘出しているのである。

 第・部「何がイスラムの覚醒をもたらしたのか」では、ドイツ、フランス、オランダという移民受け入れ国の政策とホスト社会の文化とを読み解くことで、何がトルコ人移民にイスラムの覚醒をもたらすのかが分析される。まず、第3章では、ドイツにおける外国人政策・移民政策とトルコ人移民のありようが検討され、血統主義が異質な文化をもつ民族との共存を難しくしていることが明らかにされる。国籍問題や国民概念が検討され、ドイツ人という国民へのこだわりが析出される。統合と帰国を二項対立的にとらえるドイツ政府の移民政策のもとで、第二・第三世代のトルコ人移民が直面する「アイデンティティの危機」が考察される。彼らは文化的同化を果たしても、ホスト社会によってトルコ人として括られる。彼らの社会統合を妨げる要素は、生理的嫌悪のレベルから制度的差別にいたるまで、広範囲にわたり、重層的である。アイデンティティ形成の危機に直面して、彼らは差別に抵抗する力に魅力を感じ始める。アイデンティティの危機がイスラムの信仰の重要性を感じさせるのである。ここにイスラム復興現象が創出される契機がある、と著者は分析する。すなわち、ドイツ社会に受け入れられない存在であるとの自覚が、ムスリムとしてのトルコ人であることを選ばせるのである。

 第4章は、ドイツのような血統主義的な国民観を持たず、一個人として文化的に同化すれば、移民もまた市民として遇されるフランス共和国でのトルコ人移民のありようが詳しく論じられる。80年代の後半以降、社会の空気は徐々に移民に排斥的になってはいるが、それでも、制度的な差別を受けていると指摘するトルコ人は少ない。フランス生れの第二世代以降は申請によりフランス国籍を容易に取得できるし、簡単に参政権をもつことができるのである。しかし、移民の若年労働者の失業率が高まるに従い、移民の集中する大都市郊外の公共住宅地域は「ゲットー化」する。こうした問題に、フランス側は底辺層の問題を発見し、それに対して、移民側はエスニシティの主張を提起している。フランス側は、「フランス的イスラム」であれば、すなわち国家原則としてのライシテ(非宗教性の原則)を遵守するムスリムならば支援さえしようとしている。ただし、フランスは外国人をあくまでも共和国への参加と契約の理念に従う個人として受け入れるのであって、エスニック集団としてある民族を受け入れるわけではない。民族としての自然な自己表現も、ライシテに抵触するやいなや問題視される。こうした問題としてスカーフ着用事件が分析される。 移民を個人としてしか認識してこなかったフランスは、こうした問題を媒介にして、コミュニティとしてのムスリムと対峙することとなり、移民は聖俗分離を認めないムスリムとして覚醒され、集団として異議申し立てを行うようになる。覚醒したムスリムには受け入れられない政教分離を突き付ければ突き付けるほど、ムスリムのコミュニティは集団的に反発し、いっそうイスラム復興運動に傾斜する。

 第5章では、多様な民族と文化の複合体であるオランダが検討対象となっている。移民との共生の方途を探るオランダの移民政策の基底にあるのは多元文化主義である。複数の文化の柱が対等な関係で並立しているような状態を多文化的状況と考え、異なる文化をもつエスニック集団が対等な立場で共存することが目指されている。「自らを組織化する自由」と「平等の処遇」が憲法で擁護され、多様な民族が集団的に自らのエスニシティを主張する自由が保証されている。この点はフランスと対称的だ。オランダでは、出生地主義に基づく国籍法によりオランダ生れの第二・第三世代に対して国籍が問題なく付与される。政治参加と国籍取得が容易なことが、外国人移民のオランダ社会への統合を促進している。

 しかし、著者によれば、こうした多元文化主義の行方は必ずしも明るくない。まず、オランダ政府は、ニューカマーの統合のために言語教育・職業訓練、児童手当、健康保険などを国家予算から支出しているが、流入人口が多すぎ、限界に達しつつある。こうした中で、排外主義的な傾向も現れ始めた。また、麻薬などの病理現象の深刻化する社会は、移民たちに不安を抱かせ、違和感を覚えさせている。麻薬中毒者、娼婦、結婚前の男女の性的関係などは、イスラム的社会とは相いれない価値体系の存在を感じさせる。ここにイスラム復興の一つの契機がある。いま一つの契機は、リベラリズムが社会的コンセンサスになっている状況にかかわっている。オランダ人の子どもの「白い学校」と移民たちの子どもが通う「黒い学校」とに象徴されるような空間的隔離が生じたことである。積極的な手段で差別を是正しようとはしない政府に対して、移民は制度化による事態の改善を望み、イスラム復興組織は「見えざる差別」を「見せる」ことによって、イスラム覚醒を促そうとしている。

 第・部でホスト社会の何が移民達にイスラム復興を促す契機となったのかを論じた著者は、第・部「アッラーのヨーロッパ」では、トルコ系移民による各種のイスラム復興組織に焦点を絞り、移民達をいかにして組織化し、いかなる運動を展開し、究極の目標として何を志向しているのかを明らかにしようとした。第6章では、移民社会におけるイスラム復興運動の多様性を、主体となる各組織の性格をもとに論じている。イスラム復興組織は、トルコ政府の宗教管理政策下にあるか、トルコから移植された組織であるか、トルコ本国におけるイスラム復興を選挙によって達成しようとするのか革命によって達成しようとするのか、等を基準に分類される。トルコ共和国政府による官製のイスラム組織である「宗務庁トルコ・イスラム連合(DITIB{ディティップ})」、トルコの福祉党の支持基盤であり、かつ共和国のライクリッキ原則に反対する「ヨーロッパ・イスラム共同体の視座(AMGT{アーメーゲーテー})」、暴力によってトルコ共和国の体制を打破し、イスラム体制の樹立を図るカプランジュ、特定の宗教指導者の教説に従う閉鎖的な集団など多様な組織を、著者は取り上げている。また最大の勢力を持つDITIBとAMGTが競合関係に至る経緯を明らかにしている。DITIBは政府系の組織である以上イスラムの政治化を抑制せざるを得ないが、トルコにおけるイスラム国家の樹立を究極の目標とするAMGTにとっては、DITIBの拡大は、移民の組織化の障害になるのである。ただし、イスラム復興組織の拡大は、国家や政党との関係のみによっては説明できない。AMGTが組織を急速に拡大したのは、移民の生活全般を支援するという活動の幅広さによるところが大きいのであって、福祉党が支援したことの結果ではない。

 第7章は、1994年と95年の2度にわたって著者が行ったアムステルダムのAMGT代表役員との会見記録を訳出したもので、ヨーロッパ社会との争点、トルコ本国との争点をAMGTのイマーム自身の見解を通じて浮かび上がらせている。オランダではイスラム復興主義を掲げる組織が活動する法律的・制度的制約がほとんどない。それだけにその根底に潜むホスト社会との争点が浮き彫りになっている。AMGTによれば、オランダでは、人種や民族による差別は法律で禁じられているなど、法律的には不備はないが、現実の社会は法律どおりには動いておらず、文化的相違に起因する差別があるという。そしてこの差別こそが移民をイスラム復興組織に向かわせているのである。

 第8章は、トルコ人あるいはトルコ国民という民族的・国民的帰属を超越したイスラム復興運動を展開する上での障壁とは何であるのかを明らかにし、第Ⅱ部で分析した定住先の国ごとの争点を総括している。ここでも著者は汎イスラム的性格を強調しているAMGTに焦点をあてて検討し、世俗国家におけるイスラム復興運動の限界を指摘している。フランス政府がアルジェリア系のイスラム組織をイスラムの代表組織としたことに対して、AMGTはムスリムの社会を民族によって分断するとして批判した。しかし、AMGT自身も実態としては、トルコ系イスラム組織であり、ドイツでの代表権問題では、「トルコ系」最大の組織として代表権を手に入れようとしたのである。また現実の国家はほとんど世俗国家であり、国家の法を優先しているムスリムの方が圧倒的に多い状況において、ライシテの原則を拒否するという言説がどれだけの意味を持ちうるのか著者は疑問を呈している。

 著者は第8章までで、移民社会におけるイスラム復興運動の様態を明らかにした後、第9章で、イスラム復興運動の台頭に対して、トルコの国家的民族主義を掲げる組織およびホスト社会への統合を志向する組織が、各々系列化を進めて対抗していく過程をベルリン市を例に具体的に検証している。トルコ本国におけるイスラム政党の台頭という変化の中で、トルコの国家的民族主義は必ずしも有効に機能しておらず、またドイツ統一後政府が「帰化か帰国か」を迫る外国人政策を強化しつつあるなかでホスト社会への統合を志向する組織も展望を見いだしにくい状況にある。著者は従ってトルコ系移民の集団的アイデンティティとしてイスラム復興運動への参加以外の選択肢は限られていると指摘する。

 終章では、母国における「民族問題」の存在が、イスラム復興運動にいかなる試練となるのかを「クルド問題」を事例に検討している。1995年にオランダで開催された「クルド亡命議会」は瞬時に移民社会を分裂させた。これは移民のイスラム復興運動が、実態としては出自の「民族」や「国民」を超克し得ていないことを示した。著者は、ヨーロッパ諸国を構成する諸原理とトルコ共和国を構成する諸原理との相克こそが移民のイスラム復興運動にとって本質的な課題となっていることを提示して本論文を閉じている。


3.本論文の成果と問題点

 本論文は第一に、ホスト社会の政策動向と移民の生活とをめぐる経済的分析と政治的分析と文化的分析の自然な調和がみごとである。その結果、政策の意図とその奥に畳まれている思想とが解読され、ホスト社会の諸政策が移民にとってどのような意味をもつかを立体的に読み取ることができる。

 第二に、移民の行動が母国との関係のあり方、トルコ社会の未来像や政治問題とかかわっていることが析出されていることも出色である。内藤氏は移民社会をホスト国と母国の両方の関係において複眼的に分析し、トルコ移民のイスラム復興運動がヨーロッパ社会との壁、母国トルコとの壁という二重の壁に囲まれている実態にまで迫ることができた。

 第三に、文明の相関関係の中に移民の問題はあるとし、錯綜した問題状況を丁寧に読み解くことに成功した。移民の生活にかかわる政策や法の背後に、ホスト社会の「異」民族と「異」文化への向き合い方が読み取られ、その向き合い方の特徴が比較を介して見事に浮かび上がってきた。移民の日常生活を読み解き、それを国家間・文明間で比較することによって、今まで見えなかった運動のうねりの意味が引き出され、これまでの移民問題をめぐる言説、例えば、なぜ移民の第一・第二世代が統合されないのかといった問いに対する中東のイスラム運動の飛び火説、といった解釈を乗り越える説得力豊かな見解が提示されている。

 このようにホスト国と母国、各種の移民組織といった移民問題の関係者を広く取り上げ、彼らの関わり、絡みが丹念に分析されていることは、この論文の長所である。しかし著者の移民側に対する考察の対象がイスラム復興運動等の移民組織を中心としたために、このような組織に組織化されていない移民の動向や組織に加わっていても参加や関与の程度がさまざまな一般信徒の声は必ずしも十分に分析されていない。移民一人あるいは数人の生き様を徹底追及するのではないことによる物足りなさも感じられる。移民の社会団体の多面的な活動が、移民がアイデンティティの危機を克服するうえでどのような意味を持ちうるのかも論じてほしかった。

 しかし、これは政策決定者側の代弁者にもならず、移民の立場だけを論ずるのでもない、関係者全員のドラマを書くというアプローチである以上、欲張った注文であるかもしれない。また著者自身が本論文で書いているように「数百万にもおよぶ移民たちの主張を抽出するには多大の困難がある」ので移民組織に注目するという手法を採ったのである。したがってこれらは本論文の限界というよりは、むしろ今後の研究の課題として、組織化されていない移民も含め、広く移民の意識や行動を分析することが期待される。

 本論文には、このように今後に期待される課題はあるにしても、当事者へのインタビューなど綿密な現地調査を基礎に、イスラム復興運動の分析に相関地域研究という新たな領域を切り開いた意義は高く評価すべきである。以上の審査結果から、審査員一同は、本論文が一橋大学大学院社会学研究科における社会学博士の学位を授与するに相応しい業績と判断するものである。

最終試験の結果の要旨

1997年7月9日

 1997年7月2日、学位請求論文提出者内藤正典氏の試験および学力認定を行った。
 試験において、提出論文「アッラーのヨーロッパ --移民とイスラム復興」に基づき、審査委員が疑問点につき逐一説明を求めたのに対し、内藤正典氏は、いずれにも適切な説明を行った。
 専攻学術について、審査委員一同は、内藤正典氏が学位を授与されるのに必要な学力を有するものと認定した。

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