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博士論文審査要旨

論文題目:ヴォドゥン民俗祭祀における「モノ」をめぐる儀礼実践と「個」という布置:ベナン共和国アジャAja社会の民族誌的研究
著者:田中 正隆 (TANAKA, Masataka)
論文審査委員:清水昭俊、浜本満、児玉谷史、宮地尚子

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 田中正隆氏(以下「著者」と略す)の学位請求論文は、西アフリカのベナン共和国の一民族アジャ人の民俗的社会生活を対象として、人と物と神々がそれぞれの存在を互に重複させながら作り出している生活世界を、社会人類学的な方法によって理解しようとした論考である。
論文の構成
 本論文の構成は次の如くである。
緒言
序論 議論の視座
はじめに
0-1 黒アフリカ研究における「個」の位置づけ
0-2 問題系としての「個」の議論のゆくえ
0-3 議論の指針――調査と記述の背景
 
第一部 社会的背景と信仰世界
Chapter 1 民族誌的概況
1-1 自然環境と言語的位置づけ
1-2 社会構造と婚姻
1-3 生業と商取引
   -1 採集経済と農耕変化
   -2 市と商取引

Chapter 2 集団形成と経済史的視点
2-1 Aja集団の形成からTado王朝へ
2-2 交易-奴隷-交換財
2-3 植民地体制をへて: 小結

Chapter 3 ヴォドゥンVojuの信仰世界
3-1 神々の諸相
3-2 神々の動態
3-3 神々・自然・モノ
3-4 呪物、薬とBoの観念
3-5 結社社会と祭祀集団―Vojuno、Vojusi、カルト結社
   -5-1 Vojusi、Vojunoと祭祀活動
   -5-2 Vojusiと系譜関係
   -5-3 Vojusiと新興カルト
3-6 施術師と民俗世界―BokonoとTashino
3-7 まとめ

Chapter 4 アジャ社会における運命と霊魂の観念
0 問題としての運命概念再考
4-1 Joto、Kpoli、Yaze、JogbuiとFa
   -1-1 卜占体系Faと運命Kpoliの観念
   -1-2 死者とJoto
   -1-3 Yazeというモノ
4-2 ボコノ、タシノとその活動
   -2-1 Bokonoとその活動
      -1 ボコノと卜占Fa
      -2 ボコノの経済
   -2-2 村落社会におけるTasinoとその儀礼
      -1 Kpoli-Yazeの儀礼
      -2 壷を移す
4-3 運命とのかかわり方

Chapter 5 第一部のまとめ
5-1 第一部のまとめ
5-2「モノ」「神々」「歴史性」から「個」という問題へ

第二部 個という布置と集団の実践
はじめに 第二都の構成
Chapter 6 アコと人生
6-1 アコであるということ
6-2 アコに生まれることとアコで死ぬということ
   -2-1 新生児誕生の周辺
   -2-2 誕生をめぐる儀礼
      -1 外に出す
      -2 seを聞き取る
   -2-3 成長、結婚と死
6-3 考察

Chapter 7 アコヴィという布置
7-1 問題系としての子供
7-2 子供のタイポロジー
   -2-1 モデルとしてのEke、Toxosu、Edan-Toxosu
   -2-2 アジャ社会における双子小考
7-3 取り込みとそれを免れるもの
   -3-1 嬰児殺し-Gbanb1a
   -3-2 養子制度-Huashi
   -3-3 考察
7-4 まとめと展望

Chapter 8 呪力を附される個、呪物をつくる集団
8-1 Etanuwawaと身体
8-2 村落儀礼としてのCijunuwawa
   -2-1 Cijun儀礼の概要
   -2-2 Cijunと農耕儀礼
   -2-3 Cijun儀礼の個人的側面
8-3 考察とまとめ

Chapter 9 結論
9-1アジャ社会と「個」

引用参考文献
資料: 双子儀礼の儀礼歌
 アジャの社会生活には、日常的消費物の他に、多くの物が伴っている。通常の人類学的な語彙では、儀礼的ないし超自然的な価値と力を付与された呪物ないしフェティッシュ、神々の祠ないし依り代などと表現される物である。これらの物と関係する諸個人は、先ずは親族集団の中に未分化な類的存在として生まれ、さらに特定の祖先と関係づけられて、親族集団の一員として位置づけられる。この個人は可視的な身体を持つ存在であり、さらに、それ自体が喜怒哀楽の感情と意志を持つ分身を伴っている。この分身は一つの壺として製作され、居住空間の中に設置される。この壺は、この地域に関する人類学的な文献で「運命」と訳される現地語で呼ばれている。壺が人の一生を通しての分身であるのに対し、個人のその時々の運は占いによって判じ出され、呪物に作られて、個人はそれを常に身辺に保っている。運の呪物が作られ授与される儀礼では、参加者はそれぞれの身体にも呪的な力を注入する。つまり、身体も一つの呪物である。個人の運命と運は神々によってあらかじめ定められているが、同時に神々の意志や他者(とりわけ近親)の悪意(妖術、邪術)によって、死、病、不幸の深刻な影響を被る。人の生活に影響を与える数多くの神々は、遠方に想定される霊的な存在であると同時に、その祠が随所にあって、人びとの生活空間を形づくっている。運命ないし運にアプローチする行為群として、人生の節目(出生、婚姻、死)の通過儀礼、年を更新する初物儀礼、さらに随時の卜占と対抗儀礼がある。これによって人は、人生を貫く、あるいは年々の、あるいはその時々の運命(ないし運)を知り、対処し、操作しようとする。儀礼と卜占は、それぞれ専門の施術者が主宰して、人と物と神々の間に働く力を動員し操作する行為群である。アジャの生活は、多彩な呪物とそれを操作する儀礼によって織り成され、この生活を生きる個人もまた儀礼を通して形成、再形成される。
 著者が描こうとするのは、大略このようなアジャの生活世界であるが、実をいえば、この要約は、著者が描こうとするアジャ生活世界の姿を、正しく伝えるものではない。本論文は、アジャの生活世界という事象的な対象を扱うものであるが、それと同時に、それを理解する方法、およびその理解を日本語で表現する語法をも、考察の対象とする。著者の主張によれば、アジャの生活世界を理解するには、既存の人類学の認識方法、それを支えた分析的な言語のいずれもが不適切であり、これらを自省的に対象化し、変換を加え、新たな提示方法を創出する必要がある。著者は、従前の人類学的な(具体的には西アフリカ地域に関する)研究が幾組もの分析的かつ仮説的な区分対立を前提にしていたと指摘する。人と物、人と神、物と神、個人と社会、儀礼(ないし聖)的領域と日常(世俗)的領域、近現代と歴史的過去(前近代あるいは伝統的時代)などの区分である。これら予め前提とされた区分を踏まえた認識によれば、先の要約がそうであったように、たとえば個人は、すでにそれだけで自立した一つの存在であり、その上で、属性として身体、神々の定めた運命、(運命を体現する)物的分身たる壷、その時々にみまう運、護符たる呪物を備え、さらに親族集団のメンバーとなり、他の個人との間でさまざまの親族関係その他の関係を結ぶ存在として描かれる。あるいは、生活空間に点在する祠は、神々を代表する象徴と見なされる。象徴であれば、物としての祠にそれ以上考察すべき価値はなく、考察は、神々相互の関係、神々と人間あるいは自然との関係をめぐる世界観的な分析に絞られていく。しかし、著者の認識によれば、アジャ社会における個人とは、身体、運命、分身(壷)、運、護符、親族集団のメンバーシップ、他の個人との関係、神々との関係といった諸「属性」の「外部」に位置する存在ではない。これらすべて――さらに魂――が個人という存在そのものであり、これらが融合して個人を構成する。神々は、祠とは別個に、人間の生活空間とは別の空間(彼岸)で、彼ら独自の世界(パンテオン)を構成しているのではなく、神々は祠自体として人間の生活空間に参与する。アジャの生活世界は、祠、壷、多種多彩な呪物など、(分析的な語彙で表現すれば)多位相的な存在である物に満ちており、こうした物と、やはり精神と物(呪物)との多位相的な存在である人と神々とが、互いに複雑に絡み合い、相互に存在を重ね合わせている。そうであるならば、アジャの生活世界の理解は、まずはこのような諸存在の多位相的な存在のあり方を、ありのままに理解し記述することによって、達成される。
 このような方法的な省察を踏まえて、著者は、この方法的な課題に対する回答を、理論的分析にではなく、濃密な記述に求める。人類学的な記述言語――ここでは「人類学的な」と形容詞するが、事実上、社会科学的な記述言語一般と大差あるわけではない――に埋め込まれている区分を可能な限り排除しつつ、神々、物、そして人の多位相的な存在の様態を、多様な事例(主として儀礼)の記述を積み重ねることによって、表現し、読者に伝達しようとする(この方法的な省察はChapter 0およびChapter 5で行うほか、論文の随所で繰り返しなされている)。
 本論文の論述はこの方法的省察と、それに沿ったアジャの生活世界および人間存在の記述に当てられる。全体は二部から構成され、第一部では、マクロな視点からの概要(Chapter 1)に続いて、アジャの生活世界を構成する物、神々、人について、順次記述していく(Chapter 2-4)。ここでの論述は、神々と人については、個別の要素ごとに丹念に記述を重ねる――神々をめぐる諸事象とそれに関与する人的存在(結社、祭司、憑依者、施術師)(Chapter 3)、個人の運命、運命として作られる壷、運の判別と操作の技法(卜占、施術師)(Chapter4)。しかし、物に対する著者のアプローチは特徴的である。アジャの生活には多種の消費物とともに、多くの呪物がみられ、儀礼では呪物をめぐる綿密な行為が儀礼の内容の過半をなしている。多彩な物の充溢は同時に、物相互の間の(霊的、呪的な)関係がアジャの生活空間に充溢しているということでもある。このような多彩な物の組合せの作り出す世界を描くために、著者はこの地域の経済史を14世紀にまで遡ってたどり、生活用品とりわけ儀礼用品が重厚な歴史的背景を負っていることを記述する。歴史の進行によって、過去の生活用品に新来の要素が重層し、それゆえ生活の場を構成する物は常に異種混淆的だったとする(Chapter 2)。
 第一部での、比較的に静的な視点から描いたアジャの生活世界の構成を踏まえて、第二部では、時間の流れの中で個人が受ける社会的かつ儀礼的な扱いと位置づけとを追跡し、アジャ社会における個人――著者は「個」と記述する――の存在様態に肉薄しようとする。比較的正常に生まれ育つ個人の人生儀礼(出生、婚姻、死)と、そこで成される父系親族集団アコへの加入、祖先との関係づけ、運命の壷の作成と扱い、儀礼を行う施術師の分業(Chapter 6)、異常と分類される形で生まれた幼児の扱い(かつては嬰児殺しの対象とされた身体異常、奴隷として儀礼的に売られ、養子として取り返された双生児)(Chapter 7)、年々の呪物更新の儀礼や個別の異変に対処する儀礼(Capter 8)の記述を通して、アジャにおける個人の多様なあり方を描き出す。個人は、一定の(「正常」の)範囲内で生きることを許された存在であり、ある位相では親族集団の未分化で類的な(個人へと識別されない)存在、ある位相では特定の祖先との関連づけによって個別的に識別される存在、ある位相では災いをもたらす神々の関与や他の個人の悪意によって、個別にターゲットとされる存在、ある位相では、その時々に浮沈する運ごとに細分される存在である。このような、個別的な識別が状況に依存して多様な様態で現れるアジャの個人を、著者は「関係としての個」と結論する(Chapter 9)。
評価
 アジャの存在論とも称すべき思弁的な課題の設定は、自ら高い水準の目標を課したといえる。この課題を達成するには、思弁に耐えうるだけの情報量豊かな経験的事実の提示が必要であり、実際、本論文の民族誌的記述はこの要請によく応えている。本論文の研究はアジャにおける実地調査による資料に依拠している。本論文が提示するアジャの記述は、2年半余の長期に及ぶ著者の実地調査が密度の濃い調査であったことを示している。例えば、儀礼に関する記述には秘儀に属す情報も(現地からの許可が得られた範囲で)含まれている。秘儀に触れる資格を得るまで現地社会に参与した著者のねばり強さの成果である。また、民族誌的な記述と思弁は、西アフリカに関する人類学と歴史学の先行研究を十分に踏まえている。本論文は、先行研究が陥っていると著者が指摘する方法的ないし概念的な罠に陥ることなく、自ら選択した記述法によって、アジャにおける人と物と神々が相互に複雑に存在を絡み合わせている様相を、読者に伝達することに成功している。自ら設定した高い目標に対して、本論文は経験的事実の提示においても、理論的考察においても十分に応えていると判定される
 しかし本論文が、設定した課題に応える一つの達成であるとすれば、その上で明らかになる課題も少なくない。思弁的な課題を先に設定し、それに沿って記述内容を選択した故もあって、本論文で参照する経験的事実は、調査時(1996-99年)のベナン共和国の中でも、南部の村落部の生活、それも著者が「民俗」と形容する伝統的な側面の生活に焦点を絞っている。総じて本論文では、アジャの生活の生き生きとした印象が希薄である。生活に充満する物を描くために、14世紀にまで遡って生活用品の歴史を跡づける必要があったのか、疑問が残る。アジャ社会における個人の存在様態に対する一つのアプローチとして、多種の儀礼を記述するが、それを踏まえて思弁的に考察する対象は、儀礼のクライエントとしての個人であって、(このクライエントを主役とすれば脇役に相当する)施術師は、アジャの個人の考察には含まれない。しかし、ボコノと呼ばれる施術師は、クライエントとして描かれる個人とは異なって、きわめて個的な主体を実現している個人であるように読める。同様にして、神々に憑依される祭司や、邪術妖術によって他者を害する個人は、儀礼のクライエントとは異なる個人の存在様態を示しているように考えられる。アジャにおける個人という存在は、ボコノ、祭司、妖術師などの人間類型をも含めた上で、考察すべきであろう。著者は社会科学的な分析言語に内包された、社会とは弁別される自立的な個人という前提を退けるのであるが、アジャにアプローチするために対置したこのような個人像は、仮に西欧的近代社会に視野を限ったとしても、一面的にすぎ、それがアジャの個人に関する「関係としての個」という結論を弱いものにしている。著者は、同じく分析的言語が内包する物に関する区分を退けるがゆえに、祠や呪物を象徴として解釈することはしない。しかし、この方法的配慮の故に、物(たとえば呪物としての身体、運命の壷、護符)を象徴と見なすことによって開かれたであろう解釈を、予め放棄した可能性も否定できない。著者は、分析的言語が予め前提にしている区別を排除する必要性を指摘し、それに替えて濃密な記述を選択したのであるが、その記述では、排除したはずの区別を含意する用語――呪物、呪薬、フェティッシュ、儀礼的(実質的の対語として)、伝統的(近代の変化の対語として)――を、新たに定義づけすることなく使いつづけている。ただし、これらの課題は概ね、本論文を仕上げることによって姿を現す性格のものであって、それだけに回答も容易ではなく、今後の課題として残されているというべきである。
 以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文が学位請求論文にふさわしい学術的水準にあると判定する。学力認定の結果を考慮して、田中正隆氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると結論する。

最終試験の結果の要旨

2002年6月12日

 2002年6月12日、学位請求論文提出者田中正隆氏の試験および学力認定を行った。
 試験において、提出論文「ヴォドゥン民俗祭祀における「モノ」をめぐる儀礼実践と「個」という布置――ベナン共和国アジャAja社会の民族誌的研究」にもとづき、審査委員が疑問点について回答を求めたのに対し、田中氏はいずれにも適切な説明を行った。
 専攻学術について、審査委員一同は、田中正隆氏が学位を授与されるのに必要な学力を有するものと認定した。

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