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博士論文審査要旨

論文題目:民族の語りの文法:中国青海省河南モンゴル族自治県における日常生活・牧地紛争・教育運動に関する民族誌的研究
著者:シンジルト (Shinjilt)
論文審査委員:浜本満、清水昭俊、三谷孝、坂元ひろ子

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論文の構成
本論文の構成は次の通りである。
序論
第1章 課題と方法
 1.理論研究における民族の語り
 2.モンゴルに関する学問的な語り
 3.調査経緯、資料、用語、表記法
第2章 河南蒙旗の歴史と社会
 1.歴史
 2.行政と住民
 3.情報通信・交通手段・経済産業
 4.衣食住・家庭
 5.言語状況
 6.宗教関係
第3章 日常生活における民族の語り
 1.ソッゴHと「ソッゴH的なもの」
 1.1.ソッゴH
 1.2.「ソッゴH的なもの」
 2.自治県内部におけるソッゴの語り
 2.1.民族的帰属の変更問題をめぐって
 2.2.ザン・アレゲにおけるソッゴ
 2.3.河南蒙旗五郷からみるザン・アレゲ
 2.4.ニンムタ郷の境界人
 3.自治県外部におけるソッゴの語り
 3.1.ラジャ郷とソッゴ
 3.2.貴族とソッゴ
 3.3.歴史とソッゴ
 4.河南蒙旗社会外部におけるソッゴ
 4.1.ソツゴMへのイメージ
 4.2.ソツゴCとしての経験
 4.3.ソッゴHへの解釈
 5.民族の語りのパターン、語りの文法--結論
第4章 牧地紛争における民族の語り
 1.河南蒙旗の牧地紛争経験
 1.1.牧地紛争と河南蒙旗
 1.2.北部の事例:ジャグマル郷対ゼコク県と夏河県
 1.3.東部の事例:セルロン郷対夏河県とレチェ県
 1.4.南部の事例:ケセン郷対マチェ県
 2.紛争当事者の語り--西部の事例を中心に
 2.1.紛争の過程
 2.2.紛争への対応
 2.3.紛争の被害
 3.牧地紛争と仲裁者
 3.1.僧
 3.2.各地方自治体
 3.3.国
 4.河南蒙旗にとって紛争と民族
 4.1.当事者の間における民族
 4.2.調停にみる民族
 4.3.ソッゴCの主張、ソッゴHとしての行動
おわりに
第5章 教育運動における民族の語り
 1.背景
 1.1.河南蒙旗のモンゴル語
 1.2.「ソッゴC的なもの」
 2.高揚
 2.1.河南蒙旗の教育概況
 2.2.モンゴル語教育の導入
 2.3.モンゴル語教育の実情
 3.衰退
 3.1.モンゴル語教育の諸問題
 3.2.社会の反応と役所の対応
 3.3.教授用言語から教科目言語
 4.語り
 4.1.「完壁なモンゴル人」への夢
 4.2.「完壁なモンゴル人」の今
 4.3.モンゴル語教育の今後
 5.考察
おわりに
第6章 結論--民族の語りの文法
 1.語りのパターン
 2.語りの文法
 3.語りを扱う本研究の意義
あとがき
本論文の概要
 本論文は周囲をチベット人に取り囲まれ、文化的にも言語的にも顕著なチベット化を示している青海省河南蒙旗のモンゴル人を対象に、その民族意識の動態を、自治県内外での日常的交渉の場面、地域における牧地紛争、モンゴル語教育運動などのさまざまなコンテキストのなかで緻密に検証し、そこに見られる民族の語りのパターンを明らかにせんとしたものである。
序論
 中国国内の少数民族を主題化した語り口を概観し、国民統合的な志向の語り、少数民族に国家への対抗を見る語りのいずれもが、外部からの民族規定のみによった「権威的語り」であることを指摘し、人々自身の「自家製の語り」の多様性とコンテキストに注目すべきと説く。
第一章
 民族論、エスニシティ論の文脈におけるさまざまな理論的立場が検討される。民族を原初的紐帯にもとづく永続的な歴史的実体としてとらえる立場と、想像上のもの、虚構、状況的に構築されたものととらえる立場とが対置させられるが、著者は、想像性の指摘によって実体性を否定するという、後者の立場に立つ論者にしばしば見られる行き過ぎを批判し、想像性と現実性は相反するものではなく、むしろ想像的なものが現実的なものの成立にどのようにかかわっているかを解明すべきなのだと論じる。第三章以下では、この提言を実行に移して、さまざまなコンテキストにおいて人々が、誰とどのように結びつき、あるいは対立する、どのような存在として自らを想像的に規定しているかが、詳細に検討されることになる。
第二章
 民族誌的背景記述にあてられている。河南蒙旗の歴史的社会的背景、言語状況などが概観される。
第三章
 アムド・チベット口語でモンゴルを意味する「ソッゴ」という言葉が、河南蒙旗の人々によって、どのような具体的意味内容を伴って、誰を指し、排除する形で用いられているかが、さまざまな日常的な場面において検討される。周囲のチベット系住民や漢族、チベットからモンゴルへと民族所属を変更したニンムタ郷の住民、かつて河南蒙旗の一部とされながらチベット族と分類されているラジャ郷の住民、自治県外のモンゴル族などとの相互関係の中で、この言葉が誰を基準として誰の視点から、誰に対して適用されるのかが吟味される。河南蒙旗社会の内部では自らをソッゴ的なものの基準とし、自らをソッゴと名乗り、境界的なニンムタ郷の住民をそこに含めない五郷の人々は、外部のモンゴル人に対しては、逆に彼ら外部のモンゴルを基準として自らをソッゴから排除する(「ソッゴ」という呼称を彼らに譲る)といった推移的なパターンが見られる。著者はこうしたパターンを民族的語りの文法として提示する。
第四章
 牧地紛争というコンテキストにおける「ソッゴ」のあり方が検証される本章では、この地域の牧地紛争が詳細な資料とともに紹介されている。紛争の長期化や調停過程における、民族的な範疇のダイナミズムが例証される。チベットとの牧地紛争関係のなかでは河南蒙旗五郷どうしの相互支援が活性化するのみならず、日常的な場面では「ソッゴ」から排除されているニンムタ郷の住民に対しても、同じ「ソッゴ」としての支援が拡大されるといった具合に、民族帰属が可動化するのである。また「民族」が人々の語りの中で、調停の公平さや不公平さ、紛争の経緯に対する説明的な因子としていかに重要な役割を演じているかが明らかにされる。
第五章
 本章では1980年代後半から90年代前半にかけて高揚を見せた河南蒙旗におけるモンゴル語教育運動が仔細に検討される。著者はこの運動を、河南蒙旗の人々と自治県外部のモンゴル人との接触を通じて、「ソッゴ」的なものの基準を彼ら外部のモンゴル人に転移し、そのあるべきソッゴに自らを合致させようとした運動として分析する。この運動は90年代後半になって、より現実的な方向修正の道をたどることになるが、この変化のさまざまな要因の一つに、著者は、内モンゴルのモンゴル人の実情に対する経験的知識を経由して、「ソッゴ」的なものについての再折衝が生じたことを指摘する。
第六章
 本章では著者は、さまざまなコンテキストにおける民族をめぐる「自家製の語り」の動態を個別に検証した5章までの議論を総括し、そこに見られるパターン(文法)を確認する。それは、相互交渉する相手に応じて自らの位置を定位し、カテゴリー適用の基準点を状況ごとにさまざまに移動させるという、人々の言語実践のなかに見て取れる体系性である。しかしそれは単なる言葉遣いの問題ではない。それは「状況やコンテキストによって、経済問題や社会問題と絡み合い、当事者以外の社会的な利益団体との相関関係の中で、『民族紛争』や『民族運動』などの方向へ発展する可能性も十分に秘めてい」る実践の領域、想像的なるものと現実的なものが結びつく領域なのである。
本論文の成果と問題点
成果として評価できる点
本論文は、現代中国における少数民族の自己認識の動態を民族誌的に詳細に描いた研究として大きな成功をおさめており、その論旨も明快で説得的である。またチベット族の自治地区に囲まれた青海省河南蒙旗の人々をその対象に選んだ点も、この目的にかなっている。従来の研究においては、少数民族が常にマジョリティの漢族との関係でのみ表象され語られていたのに対し、本論文は異なる少数民族間の関係の問題を、長期のフィールドワークに基づく緻密で豊かな民族誌的資料に基づいて、恐らくはじめて本格的にとりあげたものであり、その複雑な自己認識のあり方を明らかにしたことの意義は大きい。長期間にわたる現地調査の資料をもとに周到な検討の結果仕上げられた本論文は、内モンゴル出身で漢語・モンゴル語・チベット語を解する著者ならではの貴重な成果と言える。
理論的にも、社会的存在の実体的与件か想像的構築物かという「民族」をめぐる二つの互いに対立した観点を乗り越え、想像的なものがすぐれて現実的でありうるプロセスを明らかにしようとする本論文の野心的な試みは、まだ不十分な点もあるものの、おおいに評価されて良い。
また本論文では牧地紛争に関して一章をあてて詳しく論じているが、このように紛争の実態が具体的に明らかにされたことは、一部地域のモンゴル側のみの証言によるものとはいえ、現代中国における社会・民族を考える上で、また研究史的にもきわめて有意義である。
本論文の問題点
第一に、「民族」に関する先行研究の整理がやや表面的で奥行きを欠いているきらいがある。たとえば、費孝通による「中華民族多元一体論」が、単に「国民統合的志向」すなわち「国家型語り」として片づけられているが、それを歴史的にコンテキスト化する観点--中国内部の民族問題として、他のタイプの統合説ではなく、費孝通の国民統合志向説がなぜ国家に採用されているのかといった問い--がほしかったところである。また、著者はアンダーソンやホブズボウムに対して「近代主義的」とする吉野耕作の整理を引き継いでいるが、日本論分析のコンテキストでの吉野のこうした整理を別の論脈にもちこむことに対する吟味はなされていない。民族をめぐる想像的/実体的という二つの理論的立場を乗り越えようとの著者の理論的意図が必ずしも十分に実現できていないのも、先行研究に対する理論的整理のこうした不十分さによるところもなしとしない。
第二に、著者の用語のいくつかにまだ十分にこなれていないものがある。たとえば著者が民族の語りのパターンを説明する際に用いる、自己の他者化/他者の他者化といった用語の意味するところは、本論文の文脈の中では十分に理解可能ではあるが、それのみを取り出すとむしろ誤解を招きやすい(暗黙のうちに「本来の自己」の所在を想定しているかのように見える)表現であると言える。
第三に、少数民族の自己意識の「動態」を明らかにしようとする企てであるにしては、資料となる証言の採録日が明示されていないなど、歴史研究として見た場合、疑問となる点も多い。またその「動態」に関する歴史的視野の浅さも気になる。例えば著者は国家による民族識別の枠組みにおける蒙古族を「ソッゴC」と呼ぶが、その根拠となる民族識別工作の実態、その公的・制度的基準と現地での運用の実態について、あまり多くを述べていない。また共産党政権成立以前の時期における、生活・紛争・教育に見られる民族的自己意識のありよう、自治県外のモンゴル人の存在が河南蒙旗の住民のエスノスケープに登場してくる経緯などについても、よりまとまった歴史的考察がほしかった点である。これらは、現代中国における現地調査の実施上のさまざまな制約、単独の調査の困難さなどを考慮すると、無い物ねだりと言うべきかもしれないが、今後の著者の研究に待ちたいところである。

 以上、このような問題点はあるものの、本論文の優秀さを損なうものではまったくない。本論文はその論理性、構想、民族誌的記述の緻密さ、いずれの点をとっても人類学の水準を高める貢献が極めて大である。よって、審査員一同、博士学位論文として優れた作品であると判定した。

最終試験の結果の要旨

2002年6月13日

 平成14年6月13日、学位論文提出者シンジルト氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「民族の語りの文法:中国青海省河南モンゴル族自治県における日常生活・牧地紛争・教育運動に関する民族誌的研究」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、シンジルト氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同はシンジルト氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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