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博士論文審査要旨

論文題目:詩画集「響き」にみるカンディンスキーの芸術理念
著者:江藤 光紀 (ETO, Mitsunori)
論文審査委員:久保哲司、喜多崎親、中野知律、中島由美

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江藤光紀氏(以下筆者と略す)の学位請求論文「詩画集『響き』にみるカンディンスキーの芸術理念」は、20世紀美術における抽象絵画の誕生に大きく貢献した画家ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)の詩画集「響きKlange」(1913、実際の刊行は12年末)についての分析である。この詩画集は38篇の詩と56葉の木版画(うち12葉は色刷り)から成り、画家自身の言葉によれば、版画は1907年から制作され、詩は直前の3年間に書かれた。これはカンディンスキーが抽象化へと突き進んでいった時期に当たる。筆者によれば、「響き」はカンディンスキーの謎の多い総合芸術思想と抽象への歩みを解く鍵を提供する。

 一 本論文の構成

  本論文は以下のように構成されている。

目次
第一部
第一章 詩画集「響き」―研究の現状
1-1-1 絵画の抽象・言葉の抽象
1-1-2 詩についての先行研究
1-1-3 詩と版画―総合芸術の試みとしての
1-1-4 “対象の限定”は正しかったか?
第二章 H.K.レーテルの木版画カタログ
1-2-1. その意義と分析
1-2-1.1 木版画カタログの成立
1-2-1.2 版画作品の分布
1-2-1.3 「響き」収録木版画の特徴
1-2-2 批判的再検討
1-2-2.1 “1911年説”の問題点
1-2-2.2 下絵と最終作の時差
1-2-2.3 名称の混在
1-2-3 バーネット&フリーデル版の見解
第三章 ワーク・イン・プログレスの一行程としての「響き」
1-3-1 生成発展する総合理念
1-3-2 「芸術における精神的なもの」の成立プロセス
1-3-3 舞台コンポジションとは何か?
1-3-4 方法の問題
第二部
第四章 視覚文法
2-4-1 柳の下の二人
2-4-2 循環するモチーフ群
2-4-3 イメージの統辞構造
2-4-4 源泉と派生
第五章 言語と像の邂逅
2-5-1 “群”としての作品
2-5-1.1 物語的解釈と統辞構造分析
2-5-1.2 泡になった馬
2-5-2 馬で進む
2-5-3 反転世界像
第六章 記号および器官
2-6-1 記号と像の往還
2-6-1.1 記号化されるモチーフと視覚像としての詩
2-6-1.2 硬いものとやわらかいもの
2-6-1.3 “3”になった騎士
2-6-2 視覚化される言語コード
2-6-2.1 指す人
2-6-2.2 禁じる人
2-6-3 感覚連合
第七章 破砕された物語
2-7-1 寓意
2-7-2 連想の物語
2-7-3 眠り
2-7-4 夢見/想起の図像化
第三部
第八章 表象形式と記憶
3-8-1 形式と認識のダイナミズム
3-8-1.1 像と運動
3-8-1.2 式としての詩・図像としての版画
3-8-1.3 時間の構造化
3-8-1.4 時間の外在化と認識のダイナミズム
3-8-2 馬=ボート―前進のプログラム
3-8-3 閾下刺激
第九章 神話的世界観
3-9-1 深層の神話
3-9-1.1 プリミティヴィズムの波
3-9-1.2 民俗学者カンディンスキー
3-9-2 神話的世界観による分節化
3-9-2.1 クロノトポス
3-9-2.2 聖なる数
3-9-2.3 呪術的発話
3-9-3 神話表象としてのワーグナー
3-9-4 楽園―はじまりとおわりの場所
結論
1. 二重モデル
2. 抽象化プロセスに占める「響き」の位置
「響き」図版一覧および構成
文献
 
 二 本論文の概要
 第一部(第一~三章)は、「響き」という書物の概略を説明するとともに、先行研究を検討してその問題点を明らかにし、第二部以下の分析の基底をなす筆者の立場を提示している。

 第一章ではまず「響き」の刊行に関する具体的なデータが示されたのち、ダダイストのバルやアルプ、ロシア・アヴァンギャルドの詩人ら同時代人における大きな反響が紹介される。次に、主に第2次大戦後のカンディンスキー研究史、また「響き」についての個別研究の変遷が跡づけられる。そして筆者は、これまでの研究が本詩画集の詩と木版画を分離してしまい、詩の解釈に偏していたことへの批判を行う。

 第二章で筆者は、「響き」に収録された木版画についての、現在までのところほとんど唯一の包括的な研究であるH.K.レーテルのカタログ「カンディンスキー 版画作品」(1970)の再検討を行なう。このカタログの高い信頼度のゆえに、従来の「響き」研究は、木版画についての分析は終わったと考え、もっぱら詩だけを研究対象としてしまったのではないかと推察されるからである。筆者は、レーテルの年代特定にはさまざまな矛盾があることを指摘する。そして、レーテルの年代特定を修正するものとして、バーネット&フリーデルの見解を引用し、「響き」に収録された作品は、レーテルが考えているように大部分が1911年に作られたのではなく、1907年から継続的に構想された可能性があるとする。
「響き」がそのように長期にわたって制作されたものであるなら、同時期に構想された理論書「芸術における精神的なもの」や舞台コンポジションなどと関連しているのではないかと筆者は考え、第三章ではまず、これらの作品に同じようなモチーフや比喩が見られることを指摘する。次に、「芸術における精神的なもの」や舞台コンポジションが実際に「響き」制作と平行して生み出されたことを資料から検証している。以上のことから筆者は、カンディンスキーにおける絵画・理論的著作・舞台コンポジション・詩作といった種々の活動は、生成発展してゆく巨大な連想の複合体、ワーク・イン・プログレスであるとし、その網の目を一つ一つ渡り歩き、複合体がどのように継ぎ合わされているかを確認してゆくことを研究の具体的な方法として提示する。以上、第一部の議論は、第二部以下における分析手法の正当性を示すためのものである。

 第二部(第四~七章)は「響き」の具体的な分析である。

 第四章は、詩と木版画の総合的な分析に入る前の予備的な考察とされている。筆者はまず「響き」木版画と下絵に繰り返し現れる「柳の下にいる二人の人物像」というモチーフを取り上げ、それらが単にデフォルメされてゆくだけでなく、諸作品に共通する構造を浮かび上がらせる形で抽象化されている事実を指摘する。筆者によれば、この構造は言語のそれと似ている。なぜなら、範列的な性質(柳がトウヒに置きかえられるといった、同属物間の置き換え)、および連辞的な性質(特定モチーフが高い頻度で他の特定モチーフとともに出現する)という二つの契機から画面が決定されるからである。続いて筆者は、モチーフやイメージが共通で、したがって統辞構造が明確な一群の木版作品を取り上げ、それらに認められる種々のコードを指摘する。以上の分析の中で筆者は、対象のある属性を足がかりに形態を新しいコンテクストの中で次々に読み替えていく手法をアスペクト変形と名づけ、カンディンスキーの創造において重要な手法であると位置づけている。

 第五章では詩と木版画の関係がグルーピング手法によって考察される。取り上げられるのは詩「白い泡」を中心とする群、詩「見る」を中心とする群、詩「歌」を中心とする群である。暗示もしくは暗喩のように見える詩句も、視覚像と結びついていることが示される。それは普通の意味でのテクストとイラストという関係ではない。

 第六章では、詩と木版画をつなぐさまざまな手法やモチーフについて述べられる。第1節では、像が象形文字のような記号となる例、テクストが像的表現となっている例、現象がモノ化し、さらには抽象的な属性の表象となる例などが挙げられている。第2節は像と言語とのさらに高度な係わり合いを論じる。木版画に何度か表れている〈指差す〉〈両手を広げる〉などの動作は、美的形象であると同時に、身振り言語として命令や禁止を指していると考えられ、テクスト中に現れる命令や禁止表現に呼応している。第3節は、総合芸術の前提としての感覚連合の例が「春」という詩に見られることを指摘する。ただしこの例では視覚―言語ではなく、視覚―触覚の結びつきが用いられている。

 「響き」に収められた詩が成立した3年のあいだに絵画では抽象化が急激に進んでいるが、詩のなかには物語めいた作品も見られる。第七章第1節では一見漠然とした詩でも、当時の画家の置かれていた状況を考慮すると、寓意と解しうるものがあることが指摘される。第2節では、初期の絵画〈いろとりどりの生〉に見られる、部分的には物語を感じさせるが全体としては統一的な物語となることを拒む手法が、舞台コンポジションや「響き」にも転用されていることを示す。第3節では多くの木版画が“眠り”のイメージと関連していることが指摘される。第4節では夢、想起、舞台鑑賞という要素が混ざりあいながら、物語構造が視覚化されている作品群が挙げられる。

 第三部(第八・九章)では、第二部の分析にもとづき、「響き」における詩と版画のダイナミズム、そしてこの作品の背後にあったと思われる世界観について考察される。

 第八章第1節で筆者は、詩と版画という異なる記述形式をグルーピングしてみると、両者の補完関係が見えてくることを示す。たとえば詩「見る」における抽象的でつかみどころのない空間は、木版画〈赤・青・黒の中の三人の騎手〉における視覚化によって、二つの運動が拮抗する場として捉えられる。逆に木版画に描かれている個々のモチーフは、詩という統辞構造のもとに分節化される。このようにして空間や時間、運動の概念が読者・鑑賞者にとって表象可能になる。時間や空間の表現についてのこのような試みは、キュビズムや未来派といった同時代の前衛芸術家の手法と較べて、極めてユニークなものであったと筆者は評価する。第2節は〈進む〉〈前進する〉という概念が、「響き」という書物全体を貫いて、異なる表象形式のもとに現れていることを指摘する。第3節ではカンディンスキーの創作における“隠すこと”への嗜好とその意義について論じられる。このような傾向は絵画の抽象化にそのままつながっていくものであることを筆者は指摘する。

 第九章は、「響き」が単なる知覚実験にとどまるものではなく、神話的世界観の表現として捉えることができることを示そうとする。第1節ではカンディンスキーの同時代のプリミティヴィズムに寄せる関心が、部族芸術の外面的な模倣ではなく、彼らの知覚形式や世界観に向けられていたこと、そしてモスクワ時代の民俗学研究を通じてカンディンスキーが実際にそのような神話的世界観になじんでいた事実が述べられる。第2節では、カンディンスキーのさまざまな著作や「響き」に見られる神話的思考の要素が指摘される。第3節では画家のワーグナーへの傾倒を取り上げる。ワーグナーのオペラはカンディンスキーにとって総合芸術の先例だっただけでなく、神話的世界観の表象に満ちていた点でも、関心を引いたのであろうと筆者は推測している。第4節は、旧約聖書の創世記に題材を求めた「楽園」のモチーフを扱う。

 結論1では、これまでの論述全体を振りかえりながら、「響き」が器官・記号・知覚というレヴェルと、神話的世界観という二重の視点から理解されなければならないと結論する。結論2では、20世紀初頭における絵画の抽象化プロセスにおいて「響き」が占める意義を考察する。「響き」の最後の詩では、言葉が意味を伝達することをやめ、直接にスピード感を伝えてくる。詩的言語におけるこのような例は、ディスクリプティヴな絵画の終着点すなわちアブストラクト絵画の出発点となった絵画〈コンポジションVII〉に対応している、と筆者は結論づける。

 三 本論文の評価

 以上に要約した江藤氏の論文は、次のような点で、高く評価できるものである。

 第一に、「響き」についての先行研究がおおむね表面的な字句・音韻レヴェルの解釈や、象徴主義・表現主義などといった同時代の他ジャンルにおける動向との関連を調べることにとどまり、詩と木版画の関連についてはほとんど不問に付していたのに対し、本論文はこの重大な問題にはじめて本格的に取り組んだことにある。

 第二に、詩と版画という異なったメディアがどのように統合されているのかを分析する際に、いくつかの作品をグルーピングするという方法をとり、それによってカンディンスキー独自のモチーフやイメージの変形の手法、像と言葉を貫いているその流れを具体的に明らかにしたことである。これは「響き」という作品を読む・見るという経験に忠実な方法であるといえる。筆者によれば先行研究は、ある絵が何を表しているのか、ある詩が何を表しているのかを“解釈”することに重点を置く場合が多かったが、本論文の意図は、解釈によって“隠された内容”をつきとめることにではなく、統辞構造を浮かび上がらせることによって、ある詩なり絵なりがどうしてそのように書かれている、または描かれているのかを明らかにしようとすることにある。この意図は、先の方法によってかなりの程度達成されたと判断できる。

 第三に、以上のような作品の構造分析・手法の分析を踏まえて、「響き」における詩と版画のダイナミズムについて論じるのみならず、作品の背後にあったと思われる画家の世界観について、他の作品や論述をも参照しつつ、多角的な考察を行なっていることである。

 本論文は以上の点で、カンディンスキー研究に重要な寄与をなすものと判断できるが、同時にいくつかの問題点も指摘される。

 第一に、詩画集の中からいくつかの作品を取り出してグルーピングするという、本論文の基本的な手法の問題がある。個々の作品の成立年代は確定し得ないので、年代によるグルーピングは不可能であるが、本論における画面構成やモチーフや手法の観点からのグルーピングが恣意的なのではないかという疑念に対しては、筆者はあらかじめ論文の中で次のように答えている。すなわち、本論文で分析された作品グループは様式上、ほぼ同じような特徴をもったものに収まったと考えられる、というのである。しかしこのように言うためには、「響き」におけるさまざまな様式の分類整理がされていなければならないであろう。しかるに、本論文ではそれは行われておらず、この主張は説得力をいささか欠くと言わざるをえない。「響き」がよく知られた書物ではないだけになおさらである(初版刊行後、ドイツ語圏では再版も再編集もされてはおらず、1981年に英訳―原詩つき―が刊行されたのみである)。少なくとも、この詩画集全体を検討したうえで、いくつかの重要なモチーフや手法を取り上げたのだということが明確に示されていれば、本論の説得力ははるかに増したであろう。全体を検討する場合には、「響き」の冒頭から終わりまで順に詩と木版の関連を見てゆくという方法もありうるはずである。もっとも、カンディンスキー研究はまだ日が浅く、とくにこの「響き」の本格的な研究はまだ始まったばかりであり、この作品の全体が解明されるためにはまだ相当の研究の積み重ねが必要であろう。本論文が部分的解明にとどまっているように見えるのも現時点ではやむをえないかと思われる。

 第二に、術語の問題がある。筆者はいくつかの言語学用語を援用している。他の学問分野からの用語の借用は、もちろん一般によく行なわれるし、またその際に指示内容が多少なりともずれることもしばしばある。しかし本論文の場合、これらの用語が意図して非常に多義的な意味で用いられたり、独自の使い方をされたりしている場合があり、そうした場合、あえて言語学用語を使う必然性があるのかどうか疑問である。術語の使い方について、再考を求めたいところである。
第三に、これまでの「響き」研究において詩の字句・音韻レヴェルの解釈がかなりなされていたことから、本論文ではその面への言及は比較的少ないが、詩と版画の関連を探るという意図を提出した以上は、その観点から詩の字句・音韻について詳細な分析があってもよかったと思われる。さらに、引用されている詩の日本語訳にはやや疑問のある箇所が散見される。

 第四に、「原作」や「下絵」という一見自明の概念も、カンディンスキーの場合は一筋縄ではいかない言葉であろう。カンディンスキーの創作プロセスがもう少し具体的に論じられていれば本論文はさらに説得力を増したであろうと思われる。ただし、資料的な制約はきわめて大きいので、これは極めて困難な課題であろうが。 
以上のような問題点や課題を残しているとはいえ、本論文は先行研究を消化した上で、残されていた重要な課題に大胆に取り組み、一定の成果を挙げたと評価できる。
「響き」という作品の全体構成をカンディンスキーがどこまで意識的に行なっているかという問いは、決着のつきえない問いではあるが、本研究がさらに拡大・深化することによって、この謎めいた作品の謎のありようがより精確に提示されることを期待したい。

 以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文が学位請求論文にふさわしい学問的水準にあると考え、口述試験の結果をも考慮して、江藤光紀氏に、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると結論する。

最終試験の結果の要旨

2002年3月13日

2002年2月21日、学位請求論文提出者江藤光紀氏の試験および学力認定を行なった。

 試験において、提出論文「詩画集『響き』にみるカンディンスキーの芸術理念」にもとづき、審査委員が疑問点につき逐一説明を求めたのに対し、江藤氏は、いずれにも適切な説明を行なった。

 専攻学術について、審査委員一同は、江藤光紀氏が学位を授与されるのに必要な学力を有するものと認定した。

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