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博士論文審査要旨

論文題目:魯迅小説の物語論的研究:【吶喊】から【故事新編】へ
著者:景(加藤) 慧 (JING, Hui)
論文審査委員:坂元ひろ子、瀧澤正彦、中野知津、吉川良和

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一、論文の構成と概要

 本論文は、中国近代文学の最高峰とされる魯迅(1881-1936)の主要小説作品群に対して、ヨーロッパ、ことにフランスのジェラール・ジュネットの物語論に着想をえた分析を試み、そのことを通じて、魯迅作品の新たな側面を提示しようとするものである。なお、【】は作品集名を、『』は作品名を表すものとする。


第一章 【吶喊】における物語論
  一、 『狂人日記』
  二、 『孔乙己』『明日』『波紋』『村芝居』など
  三、 『薬』
  四、 『故郷』
  五、 『阿Q正伝』
   第一章の注 
第二章 【彷徨】における物語論
  一、 『祝福』『酒楼にて』『孤独者』
  二、 『傷逝』
   第二章の注
第三章 【故事新編】における物語論
  一、  【故事新編】の語り手
  二、  【故事新編】の叙法
  三、 『出関』と『起死』
   第三章の注
結語
主要参考文献

 

 序では、魯迅研究史上の問題点を指摘しつつ、本論文のモチーフ、方向性が提示される。中国ではともすると毛沢東のお墨付きを得た「魯迅神話」的な研究の蓄積において、作品そのものからでなく、文学背景等の外側から解釈されがちになった研究の行き詰まりの打開がモチーフにあり、それがジェラール・ジュネットを中心とする物語論(英語ではnarratology、中国語では「叙事学」)という研究方法への関心と結びついた。文学作品と作家との短絡的な結びつきをひとまず断ち切り、背景に押しやった上で、作品の語りの装置、構造そのものを精密に分析解明する中からその作品の文学的な構成と意図、文学的な真意を究明しようとするのが物語論だからである。

 一九六〇年代のヨーロッパに始まった文学研究の方法としての物語論が中国国内でも紹介されてからは、中国文学へのその応用が八〇年代末から部分的に試みられ始めたが、魯迅の場合を含めて、ある作家の作品群への一貫した分析方法として採用される例はなかった。日本での数少ない試み、中里見敬・平井博両氏の研究にしても、分析作品が限定されていた点では同様であった。平井氏が中里見氏の理論的弱点を批判して「物語内容の物語行為への溶融」という新説を提示し、理論そのものへの関心に傾いたのに対し、両氏の成果を批判的に吸収消化しつつ、あくまでも魯迅の作品に密着した姿勢をとる、という方針を示す。

 

 第一章では魯迅の第一小説集【吶喊】(1923)収録の魯迅小説について分析する。第一節の対象は魯迅のデビュー作にして中国近代小説の嚆矢『狂人日記』。この『狂人日記』は文言文の短い一次物語「序文」と、白話(口語調)文の二次物語「狂人日記」本体で構成されているところから、先行研究でもその断層、物語の二重構造に注目されていた。「序文」の筆者を作者魯迅に同定する従来の研究を批判しつつ、「序文」と「狂人日記」本体との、相互の文化的な力学的関係に向き合い、白話文の「狂人日記」本体が序文を呼び寄せた契機を、ゴーゴリの『狂人日記』との比較から、狂人の「狂」の弱さに由来する本体の物語世界としての非完結性に見出す。まさにその「狂」の脆さに中国近代の知性の破綻、挫折の表象を読みとってみせるのである。

 第二節の対象は「魯鎮」という場所の設定の共通性に注目した物語群、『孔乙己』『明日』『波紋』『村芝居』。『孔乙己』と『村芝居』は、自分自身の物語内容を語る「等質物語世界外」の「私」、『明日』と『波紋』は、自分自身は登場しない物語内容を語る「異質物語世界外」の語り手による物語であると分析。そうした物語内容と物語行為にかかわる、語り手の可能な類型化は、それぞれの語りの質と性格とに照応したものだ、と指摘する。前二者は、故郷喪失者が自己の少年時代、つまり清朝末期の「魯鎮」をいずれも語りの対象としているのに対し、後二者は民国初年の「魯鎮」の今現在、片田舎の変わらないあり方を、民衆の視線の高さに即して包むように語っている、と。

 第三節の対象は魯迅小説では初めての客観小説、三人称小説としての『薬』。その分析によると、四節からなる作品『薬』の第一~三の三節と第四節との間には、時間的に半年ほどの隔たりがある。前三節は、秋冷の頃の早朝からの一日未満。第四節は清明節の早朝の二、三時間が、語りの対象である。第一・二節は、不十分にしか情報を与えない黙説法の叙法が取られており、またそれに見合った形での、登場人物の思考・感情にそった叙述としての内的焦点化が精緻に駆使されるが、第三節に至ると一転して冗説法の叙法となり、過度ともいえる量の情報が呈示される。第四節の物語内容は墓参で、世間的には全く無関係でありながら、実は曰く言い難い関係を持つに至った二人の女性が亡児の墓参りをする。一方は内的焦点化の対象、一方は登場人物の言動を語り手が知りえた限りにおいて述べる外的焦点化のみという、叙法上の区分けを見出す。そうした布置から作品『薬』は人間の生への期待、希望の凝集点としての「薬」の象徴性が看取できる小説であると指摘する。

 第四節の対象は、現実の魯迅の伝記的事象との照応の中でのみ読まれ論じられて来た『故郷』。『故郷』論ではまず中里見・平井両氏の論の検討から、物語行為の時間の問題について考察する。さらに『故郷』の叙法を「在」と「非在」、「現実」と「非現実」という対概念の下に論じ、その視点から物語内容を分析することにより、虚構と現実との境界の錯綜をあえて求め、有名な篇末の「希望」という一語に収斂していく、『故郷』の叙法の本質に迫ろうとする。 

 第五節の対象は、近代中国文学の最高傑作の一つ『阿Q正伝』で、従来、物語論の視点から論じられたことはなかった。語り手から分析すると、まず物語に登場する「等質物語世界外」の語り手「私」が、顕在の「異質物語世界外」の「私」(自分自身は登場しない物語の語り手である「私」)へ、そしてその顕在した「私」が非顕在化していくという推移をたどる。さらに文のうちの発話様式としてのモダリティや、語りが阿Qの思考・感情にそった内点焦点化という叙法から、語り手と阿Qとの関わりについて考察して、以下の解釈を得る。「どうやら私の脳裏に幽霊(鬼)がとりついているようなのである」(丸尾常喜訳)という、冒頭部における、処刑された阿Qの幽霊(鬼)の語り手への憑依、そしてその呪縛からの脱出志向に阿Q「正伝」の語りへの動機が置かれている。終盤で死の恐怖を経た阿Qは、「打たれておいて「何だか打たれたみたいだ」という」(木山英雄)鈍麻から急に「羞恥」を覚えるまでに感覚が蘇り、感覚的な鈍麻を代償として有効性が保証されていたかに見える、かの処世術「精神的勝利法」の崩壊をきたしたのだ、と。ここでの阿Qの感覚的な内面を、「何だか……みたいだ」といった語りのモダリティをことさら意識的に用いて微に入り語る点を子細に分析することで、つまりこれは、刑死という事件設定に即して、阿Qが人間から幽霊(鬼)に変った、とする丸尾常喜氏の説とは逆に、むしろ、刑死後の幽霊(鬼)としての阿Qの、語り手の語りの中での、人への変容と再生の物語である、という創見を示す。

 

 第二章では小説集【彷徨】(1926)所収の小説を扱う。第一節においては物語内容の点で相互関連性をもたない、別個な作品であるかに見える『祝福』『酒楼にて』『孤独者』の三作品を、ひとまとまりとして考察し、語りの構造では密接な相関性をもち、語り手の語りの動機そのものが本質的に通底している、という新解釈を以下のように提示する。『祝福』は祥林嫂という、薄幸の山家の寡婦を中心にしていて、内容的には【吶喊】内の「魯鎮」物語の系譜に連なる。一方、『酒楼にて』『孤独者』の両作は、紹興を連想させる「S市(S城)」が基本的な場所であり、物語内容の主な対象も、呂緯甫・魏連殳という知識人である。少なくとも『祝福』は異質にみえるわけだが、その五節構成のうち第一節と第五節を「等質物語世界外」の「私」を語り手とする一次物語として捉え、間に挟まれた第二・三・四の三節は顕在の「異質物語世界内」の私を語り手とした語りが展開されている二次物語(物語の内部に自分自身は登場しない物語内容を語る第二次の語り手として「私」が顕在する)とみる。他方、一人称小説『酒楼にて』『孤独者』はともに「等質物語世界外」の私を語り手とする作品とはいえ、子細に検討すると、『祝福』における物語の二重性が潜在的に投影されていて、拡散する方向にあるものの、「死の受容」とでもいうべき物語行為の動機の通底をみてとれる、と。

 第二節の対象は難解とされる『傷逝-涓生の手記』。副題が示すように「手記」形式をとるこの作品は、涓生という男性が恋人との同居、別離を語る内容で、従来、中国でも日本でも「愛にひそむエゴイズム」(丸山昇)がテーマだとみなされた。だが、副題によって手記が二次的な語りであることが示されている以上、「等質物語世界内」の「私」(第二次物語の語り手)による語りであり、閉じた独白、内言の世界ゆえに、語られている「私」が対象化される契機は無い、と指摘。物語行為からいえば、「愛」と「新生の道」ということば・観念を軸としつつ、他者を意識することのない、閉鎖的な「ナルシシズムとしての語り」があるのみだという新解釈を示し、魯迅の見たであろう近代中国の西欧受容の姿を重ね合わせる。

 

 第三章は【故事新編】(1936)を分析する。この【故事新編】は、魯迅が一八年あまりの作家生活のうち一三年をかけ、一九二〇年代に三作品、三〇年代半ば、逝去を前に五作品を著した作品群ながら、従来の魯迅研究においては敬遠されがちで、定論がないばかりか、八篇を通して物語論的に分析したものも皆無であった。【故事新編】の語り手は、自称が使われず、戯曲構成の『起死』を括弧に入れれば、非顕在の「異質物語世界外」のそれながら、物語の内容が中国人読者の熟知した「故事」なので、語り手は普通の客観小説のそれとは違い、「等質物語世界外」のそれ(自分自身の物語内容を語る第二次の語り手)の性格をあらかじめ否応なしに負わされている。この「等質物語世界内」的性格の語り手を如何に「異質物語世界外」のそれとして振る舞わせるかが、語り手や魯迅の課題であった、と語りの水準での性格をまず確認する。

 第一節のテーマは「語り手」で、「故事」の「新編」を語るに際しての、語りの時間的な処理の問題を論じ、以下のように指摘する。元来は【吶喊】所収であった第一作目の『補天』(初出名『不周山』)では、語り手は【吶喊】の作品群と同様に、その語りの現在、現代という、語りの時間的、時代的な今を明示する語り方をしている。よって『補天』の物語内容である、神話時代の女カの補天の業の物語は、あくまでも執筆当時の二〇世紀時点から時間的に溯及する物語という性格が不可避となった。それに対して約四年を隔てて厦門大学時代に執筆された第二作目の『鋳剣』、そして特に非歴史的に新旧のものが自在に挿入されるようになった同年の三作目『奔月』以降では、そうした『補天』のような語りの時間的構造は、意識的に解体され消去されている。その結果、『奔月』『出関』に顕著なように、語り手の極めて自在な時間、時代的な行き来、つまり中国の通時代的な性格が保証された形での、物語の時空が可能になったと、と。

 第二節は叙法論で、【故事新編】はそれ自体で完結する作品世界を示しているのではなく、読者の心中に存在する古典的伝承と共振しつつ、読者の読書行為をまって、ある種の歴史的世界が生成するような特異な文学的時空の創出が意図されていた、とみなす。個別分析においては、日輪を射るほどの弓の名人、■を主人公とする古代の英雄物語である『奔月』について以下のように指摘する。■の内面世界からだけで成り立っているかのような、■への内的焦点化の叙法が取られ、非日常的であるべきはずの英雄も妻嫦娥とのかかわりでは日常の食生活に拘泥し、そのための狩猟に齷齪とせざるをえない姿が、その内面にそって語られている。とはいえ、英雄の非英雄化という、反英雄の語りに終始しているわけではなく、英雄本来の■のあり方も、内・外の両焦点化の叙法の対象とされていて、英雄・反英雄双方の語りのバランスの妙が『奔月』の叙法の本質である、と。嫦娥の「奔月」ということからいえば、『奔月』は取り残された英雄、即ち生き過ぎた英雄の物語だという見解を示す。〔■は上が羽で下が「奔」の下の部分〕

 『奔月』から九年後、魯迅晩年の上海時代に執筆された『理水』の分析では、夏王朝の始祖である禹の治水の事跡伝説が、外的焦点化の対象とされている。そこで語られる圧倒的な量と質的な多彩さを帯びた人々の話し言葉、話し声は現実的な有効性を全くもたないことに注目。それと対照的な語りの対象を、極めて寡黙な禹のあり方に見出す。さらに一九三〇年代前半に中国を幾度か襲った現実の大洪水をもその物語の背後に垣間見せるような、情報をセーブした一種の黙説法の叙法が取られている、とみる。

 やはり晩年の作『采薇』は『理水』の禹とは異なり、物語内容の中心人物である伯夷・叔斉の二人の内面にそった、一貫した内的焦点化の叙法が持続されている、と指摘。『史記』の二人に関する記載は、その出自から武王への諫言を経て首陽山での隠棲、餓死へと至るごくわずかなものでしかなく、『采薇』はその事跡の空隙を埋めるかのように、食物をめぐっての二人の内面の葛藤にそった内的焦点化の叙法で満たしている、とみて以下の論定をおこなう。「周ノ粟ヲ食マズ」という二人のあり方を示す一つの大義が、「阿金ねえや」によって受け売り的に投げかけられた「普天ノ下、王土ニ非ザル莫シ」(周以外も王土)という別のもう一つの大義にもろくも敗れてしまうという、中国的な風景が物語られている。しかも『采薇』の「阿金ねえや」は、情夫を何人ももつ上海租界の下女として、魯迅が前年に執筆した雑文『阿金』の登場人物であったことから明らかとなるこの雑文との連動性から、その中国的な風景が、二〇世紀の上海との連続性をももつような物語行為の試みとしているのだ、と。

 全体が四章で構成されている『鋳剣』は従来、復讐というテーマのみが論じられてきた。叙法上の特質に注目すると、眉間尺とその母に対する内的焦点化が主要部分をなす第一章から、首のみの存在となった眉間尺への内的焦点化をおこなう第三章にいたるまで、登場人物のみならず剣や鼠に対しても、さまざまな視点からの内・外両焦点化が駆使されている。そこで、ここでの叙法上の特質を、内・外両焦点化の、極めて意識的な使い分け、コンビネーションの妙にある、と指摘してみせる。

 第三節は郭沫若の『柱下史入関』と『漆園吏遊梁』のそれぞれを念頭においた、同じく老子・荘子を主人公とする晩年の『出関』と『起死』の分析。そこで以下の点を明らかにする。まず、『出関』が意識した郭沫若の『柱下史入関』は、老子が『道徳経』を関尹に書き残して函谷関を「出」て隠れるという伝承より、郭沫若が創作して付け加えた、老子は出て間もなく関外から「入関」して中原に帰還する、という架空の転向譚をむしろ語りの焦点に据えている。このことにも示唆されているように、郭沫若の作品は、西欧近代の人間主義の立場からの、『老子』に対する批判と否定であったこと。そのために『柱下史入関』は、語り手の語りの現在、現代性が推測できるような語り方をことさらにしている。一方、魯迅の『出関』は、語り手の語りの現在性への臆測を封じているばかりではなく、『老子』への単純な否定すらも、その物語行為の意図とはしていないこと。この物語内容の背景は『史記』の記述以前の「故事」そのものともいうべき始原の物語で、現実にも『出関』は、魯迅が諷刺対象としたのは誰なのかと、各論者の利害に即したモデル探しが始められたことから、魯迅をも巻き込んだ形での争論の場と化し、熾烈な国防文学論争の起点となった、と指摘。

 戯曲構成という魯迅にとっては新たな形式の作品『起死』は、『荘子』の外篇「至楽篇」における荘子と髑髏とのかかわりを素材としてはいる。しかし実際に物語行為の対象の焦点にしているのは内篇「斉物論篇」の万物斉同という論理で、しかもその論理の水準を幾段か落とし、意味をずらした次元で、荘子自身に語らせるという、喜劇化する方法を取っている。「起死」という題名が『荘子』によるものでないことにもそれは示唆されている。そしてこれらのことは、『起死』が現実の上演を想定した戯曲であることとも合わせて、「思想」と「現実」、「思想」の現実性の問題という、『起死』の物語行為の基底にかかわることであった、とみなす。郭沫若の『漆園吏遊梁』は老子の場合と同様に、友人を幻滅させないではおかないような、「生きた人間の味に飢えた」荘子という形象の提示によって『荘子』批判を込め、自らの「死から生へ」という単純なメッセージに用いた。それとは全く異なる、魯迅の『荘子』への愛憎も垣間見ている。

 

 結語では、特異であるがゆえに物語内容にのみ目が向きがちであった魯迅小説の個々に対して、系統的な物語論の分析をほどこした最初の試みによってなされた発見を、以下のように研究史的に確認する。1,小説内にも語り手間の拮抗対立とも言うべき状況が見出され、『狂人日記』がそうであるように、物語内容の特異性は実はそうした危うい均衡の上に成立し得たものである。また、『阿Q正伝』がそうであるように、滑稽化された表現でも、それを語る語り手には、物語内容としての登場人物の死に対する深い愛惜の念が、逆説的な形で語りの根本的な動機とされていた。2,評伝的な関心の方向から論じられることの多かった『故郷』のような作品でも、自立性をもち、虚構としての質を支えるための、高度な語りの技法、つまり叙法の網の目が張り巡らされていること。3,表面的には異なっても、『祝福』『酒楼にて』『孤独者』のように物語論から見ると語りの構造、語り手の語りの動機の点で、本質的な相似性、通底性が認められる場合のあること。4,『傷逝』のように、小説としての物語内容の難解さ、作者の執筆意図の不分明さという点で立論が容易でなかった小説も、語り論からみると、語り手の語りの質そのものの内に、論の対象となるべき問題の中心が存在することが明らかになった。5,魯迅が逝去を前にして、最終的に文学的な意志を注いだ、中国の「故事」の「新編」としての【故事新編】は、物語論からは、作品集内の語り手の語りの時間、時間性の処理に明確な区別があり、中国で長く人口に膾炙してきた物語内容に対して、絶妙、ある意味では極めて巧妙老獪な語りの技法、即ち叙法の駆使が試みられていることが解明された。

 

二、評価と判定

 中国での魯迅研究は、作品の自立性に目を向けるよりは、魯迅の社会・政治批判か、魯迅および周辺の人物の歴史的事跡に魯迅文学を還元する傾向があった。そこへ一九八〇年代末から物語論が文学研究の世界で次第に関心を集めるようになり、九〇年にジュネットの物語論も中国語翻訳が出たが、それによる魯迅小説の体系的研究は中国ではほとんど無く、日本でもまだ限られた二三の作について適用が試みられたにとどまる。ジュネットの物語論は、フランス語の語学的特性と、西欧文学の形式規範の理論史をふまえた論考としての性格がきわめて強い。さらに、ジュネットは、言語学的あるいは修辞学的な論点を、言説的な価値に読み替え、また作り直した物語理論のタームを提示しているので、そうした理論を別の言語の特徴とその言語文化圏での文学形式の伝統に照らして応用する際には、幾重もの屈折率を適格に見積もりながら、自らの研究対象の分析の道具として理論自体を新たに打ち直す作業が必要にもなる。そうした異文化言語間での思考検討を可能にする綿密な調整を怠ると、前提があやふやなままに分析を進める危険性があるわけで、本論文は、先行研究を批判的に考察しつつ、魯迅のめぼしい小説の全体を射程において物語分析を試みるという、例のない困難な作業に果敢に挑んだ野心作といってよい。

 従来の魯迅研究の重心が、中国の近代化の過程で作家が担った文学運動の理念の軌跡を作品内容のなかに跡づけることにあったのに対し、本論文は、表現形式が生まれるあらかじめ想定されている意味に、読みを還元することを拒否する。とはいえ、作者の思想とされてきたものを無視するのではなく、今ここにある文学空間の形、物語構造から読み取りうる意味を浮かび上がらせながら、その読み取られた意味が、しばし宙づりにしておいた作者の意図と後からめぐり逢いうるものかどうかを、改めて検討するのである。中国の近代性を、あまりにも厳しい歴史的現実のなかで自分の文学の内に担おうとする魯迅の意図。それと本論文筆者が来日以前、中国の大学時代に専攻し、魯迅自身も意識していた芥川龍之介や夏目漱石・森鴎外の営為との比較が本論文の底流をなす。そのうえで魯迅のそうした意図が、どのような語りの構造と装置において実現され、物語の構造や語りの機能は果してそうした主題の演出にどう関わっているのかを改めて検討すると同時に、現にある形において語られていることによって、それらの物語は、作者の意図を超えて新たな別の意味を放ちうるものとなってはいないかを検証する作業にもなっている。

 作者とその時代社会について既に知っていることを前提にして作品を理解すること、いい換えれば、その作品を読まなくとも、それを生み出した作者の人生から、書かれるはずの内容が想定されるような伝統的な作品理解に抵抗して、六〇~七〇年代にフランスで顕著になった文学批評は、ある主題内容が文学という表象形態をとっていること自体に着目し、文学の<文学性>を問い直そうとする動きであったといえる。そうした文学批評の一環を担ったジュネットの理論に大いに啓発され、物語論という分析方法をとる本論文は、中国文学研究を他の言語文化圏の文学テクストの読み方との共通基盤にのせることに賭けた、新たな試みとなっているのである。

 ジュネット理論を援用しながらも、本論文は、魯迅の物語テクストに対して、単に<語り>の類型に分類したり物語構成の一般法則の確認に終始するのではなく、物語を産出する行為の分析の結果、物語内容の従来の理解がどのように変わるのかを目ざす。たとえば中国語のモダリティの特質や現実との関係における小説世界の完結性と開放性などの観点から、魯迅の作品に即して具体的に論じた。その成果として、代表作品『狂人日記』では、中国の近代的知性の成熟度にかかわる「狂」度の問題を摘出しえたし、『阿Q正伝』を刑死後の幽霊(鬼)としての阿Qの、語り手の語りの中での、人への変容と再生の物語ととらえ、また『傷逝』の語り手にエゴイズムではなくナルシズムの表白を見出すなどの、従来の定説を覆す創見を示した。【彷徨】の『祝福』『酒楼にて』『孤独者』の三作品が「死の受容」という動機において通底することも発見した。さらに、中国では長年、歴史小説か諷刺小説かといった不毛な議論の対象となり、はたまた魯迅の前近代的回帰なのかと惜しまれ、日本でも魯迅研究で戦後の思想形成をしたともいえる竹内好をして「不都合」「不可解」といわしめ、以来、敬遠されてなかなか本格的な作品論の現れにくかった【故事新編】に関して、語りの分析による隘路打開に意欲を注ぎ、新地平を切り開いた。ことに、第二作『奔月』以後における古代的なものと現代的なものとの自在な交錯について、単なる作者の恣意とは異なり、語り手が語りの中におのれの「今」「現代」を持ち込まない形を貫くことで、かえって語られるすべての時代を「今」「現代」に開いてしまう、独特な語りの構造を指摘してみせた点は、見事というべきである。そのような語りが可能となった理由として、中国社会における歴史の独特なあり方により、物語内容たる「故事」が物語の外部にも存在するところから、それを作者のイデオロギーや恣意とはちがった経路で、また時には、物語がもとづくところの古典籍をも越えて、直接「今」「現代」と対話させるような語りを編み出す余地があったことを示唆した。魯迅小説の内包する意味をこれまでになく精確にくみ取ってみせたといえる。

 しかしながら、ジュネットの物語分析理論がもともとフランス語文法を基本とした動詞の文法から借用した「時制」「叙法」「態」等の範疇に基づいて体系化されているため、厳格な主語を設けず、動詞の形態変化がなく、したがって「時制」も設けられていないような、まるで異なる中国語文法体系による魯迅の小説テクストへのその応用が、厳密な議論の礎となるべき概念に若干のずれや曖昧さを生じさせ、論考をゆるませている箇所もないわけではない。文学理論としての錬成によってこの難点を克服することが今後の課題として残されている。

 また、物語<形式>および<機能>の分析の結果、いかなる新たな<意味>(あるいは<意味>の破壊・混沌)と出会うか、そしてそれが従来その作品にあてがわれてきた<意味>とどのような関わりをもちうるか、自己抑制的な厳密さを要する分析過程において、自己の思想にひきずられたかのような逸脱が見られるところもある。

 こうした課題を残しつつも、さきに指摘したように対象作品の読みに新たな光を投げかけただけではなく、理論援用の試行錯誤を経ながら、異文化言語間の思考検討を可能にする共通作業基盤の錬成のありかたそのものを問うている点も、本論文の全体的な成果として高く評価できる。そうした姿勢が、西欧言語での思考において稠密に組み立てられてきたこれまでの物語理論構築作業そのものを見直し、物語の一般理論の再構築にむけて提言をおこなったり、あるいは物語構造の一般理論化ははたして可能かという根本的な問題に迫るまで発展することを期待したい。

 最後に、日本語の水準において、思弁的な内容を破綻なく表現し得ていて、留学生の範となるべき希有の高さを示したばかりか、中国語的な熟語重ねの用法をとりいれ、新しい日本語としての味を創出するほどの域にすらいたっている、という点も特筆しておきたい。

 

 結論として、審査委員会は、本論文が魯迅小説のほぼ全体にわたる初めての物語論分析という意義深いテーマと誠実に取り組み、錬成と発展の余地を残しながらも、中国文学研究学界を刺激するに足る成果を確実にあげたのみならず、異文化言語間の文学・文化理論研究にも寄与しうる発展性を十分に示している点で、学位認定に値するものと判断した。

最終試験の結果の要旨

2001年10月24日

 平成13年10月24日、学位論文提出者景(加藤)慧(Jing,Hui)氏に対し、提出論文『魯迅小説の物語論的研究--【吶喊】から【故事新編】へ--』について最終試験をおこなった。試験において、審査委員の質疑に対し、景(加藤))氏はいずれも適切な説明をもって答えた。よって審査委員一同は、景(加藤)慧(Jing,Hui)氏が学位を授与されるのに必要な研究実績および学力を有するものと認め、合格と判定した。

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