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博士論文審査要旨

論文題目:健康増進計画における自主活動の位置づけ:長野県須坂市・健康補導員制度の成果
著者:張 勇 (ZHANG, Yong)
論文審査委員:久冨善之、関啓子、内海和雄、尾崎正峰

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1.論文の構成

 本論文は、厚生省を中心とする戦後日本の健康増進政策展開の批判的検討を通して、人々の健康の獲得における自主活動の重要性を抽出し、長野県、とくに、須坂市における保健補導員制度の55年間にわたる活動の展開過程の中に健康への住民自主活動の現実の姿を追跡し、その意味を考察した研究である。

 その構成は以下の通りである。

 序章 健康を求めるこころ
  第1節 今、なぜ健康なのか-健康に問われる意味
  第2節 1人1人の健康づくりとは何か・本研究の展望
  第3節 本論文の構成と先行研究
 第1章 日本の現代の健康づくり対策
  第1節 健康づくり政策の誕生
  第2節 健康ブームの到来(昭和41年~昭和52年)
  第3節 第1次国民健康づくり対策(昭和53年~昭和62年)
  第4節 第2次国民健康づくり対策・アクティブ80ヘルスプラン
             (昭和63年~平成11年)
  第5節 21世紀の健康づくり
  まとめ
 第2章 健康長寿・長野県
  第1節 長野県の健康施策
  第2節 健康長寿・長野県
  第3節 住民の手による健康づくり・長野県の保健補導員制度
  まとめ
 第3章 須坂市・保健補導員制度のあゆみ
  第1節 終戦直後の須坂市近隣の衛生環境
  第2節 保健補導員制度の芽ばえ
  第3節 須坂市・保健補導員制度の成立
  第4節 保健文化賞受賞と活動記録集発行(昭和43年~昭和52年)
  第5節 OB会発足と保健補導員だより(昭和53年~昭和62年)
  第6節 守る健康から作る健康へ(昭和63年~現在)
 第4章 須坂市・保健補導員活動の内容
  第1節 保健補導員会の組織
  第2節 保健補導員の実践活動
  第3節 保健補導員の研修活動
  第4節 講演会
  第5節 体験発表
 第5章 保健補導員制度の成果
  第1節 健康づくりの成果
  第2節 内外交流による成果
  第3節 地域における女性の役割
 第6章 保健補導員活動と健康意識
  1.調査の目的
  2.調査の方法
  3.調査の結果
  4.論議
  5.まとめ
 終章 自主活動による健康づくり
  第1節 須坂市に学ぶ健康づくり
  第2節 21世紀の健康づくり
  第3節 まとめと今後の課題

2.本論文の概要

 序章では、現代社会の中で健康問題が大きくとらえられる背景を考察し、先行研究の検討を行っている。「健康とは、身体的、精神的及び社会的に完全に良好の状態であって、単に病気や病弱でない状態というものではない」という1946年のWHO(世界保健機関)による有名な健康の定義は、今日発展的に継承され“spiritual”を加えた規定にその見直しがはかられている。こうした国際的な動向を視野に入れ、先行研究を検討する中から、張氏は、健康・健康づくりが単に「身体」の問題ではなく、それを通しての「生きがいづくり」を視点に据え、そうした価値を現実化する上での人々の自主活動の醸成、そして、活動の展開過程における自主的学習の重要性という自らの問題意識を提示する。とりわけそれが「住民主体で」という言葉で語られるような行政側の問題意識の範囲内でなく、住民の自主性が本物になる可能性と現実の姿を追究するという本論文の課題を設定する。

 第1章では、厚生省の健康政策の戦後史を総括している。第二次世界大戦より以前の健康政策から言及されているが、この章で主たる検討対象となるのは、高齢化社会に対応した国民健康づくり対策が展開された1970年代後半からの政策展開であり、その分析は第3節以下で展開されている。第1次と第2次にわたる国民健康づくり対策は、1990年の「高齢者保健福祉推進10カ年戦略・ゴールドプラン」にも象徴される高齢化対策という側面を持っていた。同時に、すべての世代にわたって健康な生活を送るための基盤形成や「啓発・普及」の展開をはかるものであった。現在、第3次国民健康づくり対策「健康日本21」が策定され、実施に移されている。以上のような政策展開について、張氏は、政策として重点的に取り組まれた第2次予防としての早期発見・早期治療は、身体面に偏したものであり、国民の健康への欲求を強め「健康づくりブーム」を生んだけれども、健康への不安も拡大し、長寿化とともに、医療費拡大を生み出すなど、そのあり方が問い直されていると分析する。続けて、今後の課題として、健康問題を身体面だけでなく現代的課題になっている「精神」面を合わせたトータルなものとしてとらえ、それと対応した施策を講ずることが必要であること、そして、まちづくりまでを含めた地域における対策の総合性が必要となると提起する。

 第2章では、全国の都道府県の中でも健康長寿県として評される長野県の実状について、その行政施策の展開過程を統計資料とともに検証している。長野県は、男性の平均寿命が全国第1位、女性が第4位で高齢者比率も高い。こうした長寿県でありながら、長野県の老人医療費は全国最低であり、1人あたりの老人医療費は49万3千円と、第1位の北海道95万8千円のほぼ半額となっている。こうした状況を生みだした要因として、第1節と第2節において長野県の健康施策を分析している。長野県の施策は、国の政策と連動した形で展開されているものであるが、張氏は第3節において、長野県の独自の制度である保健補導員制度とその自主性に注目する。保健補導員制度は、GHQの衛生政策とアメリカ社会保障制度調査団(団長ワンデル博士)の「社会保障制度への勧告」を受けて、1949年、厚生省が保健指導のための住民組織の設置を全国に呼びかけたことに端を発している。長野県においては、それ以前からすでに自然発生的に類似の自主活動が組織されている地域があったように、地域と密着する形でヴォランタリーな性格をもつ活動として展開してきたものである。県内の医療・保健関係者の取り組みとともに、このような住民自主活動の展開と蓄積が、今日「PPK(ピンピンコロリ)」として全国から注目される医療費の少ない「健康県・長野」の要因になっていると分析されている。

 第3章では、保健補導員制度は、全県規模で展開しており県内120の市町村ごとに設置されているが、その活動の歴史、組織形態などはそれぞれ異なっているとして、保健補導員制度の発祥の地である須坂市を対象に、保健補導員制度の源流やその後の活動の展開についてまとめている。保健補導員制度の源流については、現在の須坂市域である旧高甫村において、第二次世界大戦末期の衛生状態や栄養状態が最悪の中、国策としての「母性保健補導員」ではなく、不衛生からくる寄生虫や伝染病の対策、村民の健康対策を実際に進める「保健補導員」が委嘱された過程を掘り起こした。その後、戦後の混乱期における保健補導員の活動、1954年の市制施行と翌年の近隣2村の吸収合併によって現在の須坂市となることにともなう現在の保健補導員制度の確立、須坂市健康センター開設、保健文化賞受賞、「守る健康から作る健康」などの歴史が綴られていく。こうした中で、女性だけ、2年間で再任なし、学習と自主活動の重視、それへの委員達の誇りと伝統の形成の過程が行政資料とともに保健補導員の経験者など数多くのインタビュー調査をもとに浮き彫りにされている。

 第4章では、保健補導員の活動を、組織の変遷や学習内容にまで踏み込んで検討を加えている。現在、須坂市の保健補導員は市内69の各町から選出されるが、その定員は世帯数・人口を基準として実情に応じて定員が決定される。少ない町で2名、多い町で10名、平均4~6名であり、現在は計284名となっている。2年任期で、現在に至るまで5,000名を超える人々が保健補導員に任命され、活動を続けてきた。第1節では、そうした制度も当初から予定調和的なものだったのでなく、さまざまな紆余曲折を経ながら展開してきた経緯を明らかにしている。そもそも保健補導員制度の行政での位置づけをめぐってもさまざまな議論があった。既存の同種の組織や地域婦人会との関係も、当初の段階では円満なものではなく、地域によっては公民館が利用できないなど、その存在が認められないケースもあった。一つの転機は、厚生省や朝日新聞などが主宰する「第21回保健文化賞」を1969年に受賞したことで地域社会にも行政側にも重要組織として認識されるようになり、地域に密着した活動をよりいっそう追求していくことになる。そして、張氏は、第4節において保健補導員の研修活動に注目し、その「学習」の意義を高く評価する。新しく任命される保健補導員がさまざまな分野の研修を積み重ねる中で、地域の健康問題への広い視野を獲得していく。保健補導員の2年間を自分達で「保健補導員短期大学」と呼ぶ保健補導員自身の学び、そして、そのことを通じて保健補導員自らの意識改革を基盤とする活動であればこそ、須坂の地域において保健補導員制度が根付いたと張氏は評価する。

 第5章では、前章までの考察を通して、須坂市における保健補導員制度に基づく諸活動の成果について考察を加えている。保健補導員制度の中心的な目的である健康づくりの面については、保健補導員の戸別訪問という手法を通して、「母子福祉」「減塩」「栄養改善」「歩く」運動などなど、個別の健康問題を積み上げて地域の健康問題の全体像を描くという道筋をとることができたと評価している。こうした成果については、対外的に見ると、国内外からの数多くの視察という形で現れている。また、第3節においては、保健補導員制度が「女性の視点で」ということが強調され、女性しか委嘱されてこなかったが、1994年の段階で男性にも委嘱してはどうかという補導員会内部の議論がなされた点などに言及し、張氏はそれを、「女性でなければ」という従来の伝統からではない、新しい活動のあり方への模索ととらえている。

 第6章は、須坂市の保健補導員経験者1,120名を対象として2000年6月に実施したアンケート調査(有効回答数:1,002 回収率89.5%)の結果と分析である。この調査の目的は、第一に、保健補導員として実際に地域で活動した人々の意見を集約することであらためて制度の実態とその評価を改めて検討すること。第二に、保健補導員の活動がその人自身にとっていかなる意味をもつものであったのかを明らかにすることである。制度への評価については、インタビュー調査の対象である活動を中心的に支えてきた人々とは若干異なる部分(たとえば「戸別訪問活動への負担感」など)が見られるが、全般的には活動とその経験について高い評価をくだしている。そして、保健補導員の活動は、地域での健康問題への取り組みや学習活動によって保健補導員自身の意識変化がもたらされ、その経験が、その後の生き方にも大きな影響を及ぼしていることが明らかにされた。

 終章は、序章で示された張氏の問題意識に基づき、前章までの考察をふまえ健康づくりに関する今後の課題を論じている。厚生省が打ち出した「健康日本21」においても「住民主体」の必要性が述べられているが、それの現実化は決して簡単ではない。その実現を図ろうとするあまり行政主導の性格が強まることもまた真の意味での健康づくりに結びつきがたい。その中で、須坂市の保健補導員制度の戦後過程が示すものは、住民自身による「実践」と「学習」を2つの柱として、そこに自分・家族・地域の健康づくりをめざす人々の自覚と誇りが集団的に形成され、「補導員OB会」の組織化と活動に見るようにそれが継承・蓄積されることで、行政とも協働関係を構築していく、そのような実例として学ぶべきものが多い。「自主的に学び、自主的に行う」ことを基盤としてこそ、健康づくりとその中における「生きがいづくり」が現実のものとなるとする。

3.本論文の成果と問題点

 本論文は、400字に換算して1,150枚に及ぶ大部のものであるが、長野県の保健補導員制度の源流やその後の活動の展開を跡づける史資料紹介がこれまで非常に乏しい中、精力的に史資料の発掘につとめるとともに数多くのインタビュー調査を行い、その中から保健補導員の歴史を生きられた姿として再構成している。その結果、従来までの関連史資料の欠落を補うと同時に、氏の論点である自主活動に基づく健康づくりの取り組みの実像を生き生きと浮き彫りにさせていることは第一に評価される。

 第二に、1940年代の衛生知識普及に端を発した戦後の健康問題への取り組みは、慢性疾患が増えた1960年代の態度・習慣変容の重視、1970年代における病気の脅威を強調する心理的手法、そして、1980年代以降、QOL(Quality of Life)をめざす「ヘルスプロモーション」と展開を遂げてきた。そうした歴史過程を一つの地域を対象に丹念に検証することでたどったことは高く評価されるであろう。

 第三に、張氏が先行研究の中で高く評価し、問題意識を同じくするものとしている松下拡らの社会教育実践の研究領域においては、P.フレイレの理論を援用する中で、病気等の原因・背景の多面的把握が同じ課題を共有する人々のグループでの対話の中で深められ、解決のための個人的かつ社会的な行動へと進み出ていくことの理論的追究がはじまっている。こうした日本の社会教育、あるいは地域保健の研究領域において本論文は一つのケーススタディーとして貴重な成果になっている。

 第四に、張氏が強調する新しい「健康」観が、上の第一・ニ・三の点を貫いて、その現代的意味を示している点でも、論文としての成功を感じさせるものである。

 しかし、この論文にも問題がないわけではない。第一に、保健補導員制度をめぐるさまざまなレベルでのせめぎ合いの諸相をより鮮明に際だたせてとらえるべきではないかという点である。保健補導員制度を評価するあまり、その問題構造をとらえる視点がやや弱いきらいがある。その点に関わって、国家政策や行政施策との緊張関係のなかで保健補導員制度が展開しているという構図が見えにくい部分が見られる。

 第二に、ジェンダーの視角からのよりいっそう緻密な分析が求められる。保健補導員制度が女性を担い手として展開してきたという特質は、同時に、性的役割分業とその再生産に陥る危険性をはらむ。保健補導員制度の確立と地域の中における女性の位置の変化は、単に「地位向上」というだけでは微妙な側面をはらむことを明らかにしておく必要がある。

 しかし、以上の点は、いずれも張氏自身が今後の課題として意識しているものであり、すでに、氏自身が取り組みをはじめている長野県内の他地域の調査との比較を行う中で実践されているものである。したがって、これらの問題点は、本論文の達成した多くの成果を損なうものではない。張氏の今後の研究の中で今回の成果はさらに発展されるものと期待される。

 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与する十分な成果を上げたものと判断し、張勇氏に対して、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2001年3月14日

 2001(平成13)年2月28日、学位論文提出者張勇氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、提出論文「健康増進政策における自主活動の位置づけ-長野県須坂市・保健補導員制度の成果-」に基づき、審査委員から逐一疑問点について説明を求めたのに対し、張勇氏はいずれも適切な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は張勇氏が学位を授与されるのに必要な研究業績及び学力を有することを認定し、合格と判定した。

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