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博士論文審査要旨

論文題目:初期中世贖罪書の基本的性格
著者:滝澤 秀雄 (TAKIZAWA, Hideo)
論文審査委員:土肥恒之、阪西紀子、深澤英隆、瀧澤正彦

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 本論文はヨーロッパ中世初期における教会文書の一つ、いわゆる贖罪書(Bussbucher)の史料としての性格を分析し、その意義を確定したものである。中世ヨーロッパにおいてキリスト教信仰が決してスムースに浸透したわけではなく、さまざまなレヴェルにおいて在地の「異教」との「妥協」を余儀なくされたことは広く知られている。また中世初期にあってはキリスト教体系自体いわば「形成途上」であって、内部に少なからずの矛盾を抱えていたことも周知の事実であろう。贖罪はそうした中世の信仰において信者の欠かせない義務とされていた。つまり罪を犯したために「神の恩寵」を失ったとされる信者は、その罪を告白して贖罪の行為を求められたのである。贖罪書はそのための聖職者の手引書であった。けれども贖罪書の内容は決して一律ではなく、場所と時期によってかなりの異同が見られた。本論文はそうした贖罪書の史料学的分析が中心をなすが、それとともにこの作業を通して初期中世社会における「心性」の理解に新たな展望を切り開こうとする意欲的な論文である。

 本論文の構成は以下の通りである。

 はじめに 贖罪書を研究する意義
 第一章 カロリング期までの制度としての贖罪の歴史
 第二章 様式としての贖罪書の発展
   1 研究動向の概観
   2 用語について、並びに対象の範囲
   3 贖罪書の発展
 第三章 贖罪書はどのように用いられていたのか
   1 問題の所在-贖罪書は「現実を映した鏡」か
   2 贖罪書はどのような機会に誰によって用いられたか
   3 贖罪規定はどのように適用されたのか
 第四章 贖罪書における罪人への配慮
   1 罪人への配慮-序文と跋文
   2 意図の問題と罪人のカテゴリー
   3 贖罪の代替あるいは「買い戻し」
   4 「個人」への配慮がなされた理由
   5 贖罪書における飲食物の浄穢
 結論
 文献目録
 補論

本論文の要旨

 「贖罪を行なえ」。贖罪問題の原点は『マタイ福音書』にあるイエスのこの言葉にあるが、「はじめに」で著者は贖罪書研究が教会史研究においてもつ意義についてだけではなく、広く西欧文明の理解に不可欠なものだと言う。つまり贖罪には来世と現世、精神主義と行為主義とが重なり合っているからである。来世での救済のためには心のなかでの悔い改めで十分かもしれないが、現世を重視するならば、それだけでは不十分で、目に見える贖罪行為の形で共同体に示さなければならない。後者つまり贖罪が現世を志向する形で制度として発展してきたことこそ、西欧における「個人」の成立という問題とかかわり、そして西欧文化がいわゆる「罪の文化」の根源とされる理由もそこにある。贖罪書研究はそうした大きな問題にも繋がっていることが示唆されている。

 第一章では、ローマ帝国の時代から9世紀のカロリング期までの贖罪と贖罪書の歴史が簡潔に整理されている。古代にあって贖罪は公の行為であり、いわば「第二の洗礼」に等しい厳しい行為であった。だが中世に入るとその性格は私的なものに変化し、そして贖罪書が登場する。贖罪書が様式として確立したのは6世紀のアイルランドにおいてであった。それがブリテン島に、さらに両島から伝道団によって大陸に伝えられ、今日のベルギーを含む北東フランス、ドイツ、北イタリアといった地域を中心にひろく普及したのである。贖罪書は、贖罪規定を含むことから一種の法的文書であることは確かであるが、それは教会の公的な文書ではなく、いわば「私家版」という性格をもつものである。どの贖罪書を使用するかは、カロリング期まではそれぞれの教会の裁量に委ねられていたからである。教会の儀礼を文書に基づいた、「正しい」ものとするカロリング教会改革のなかで、どの贖罪書を用いるべきかの議論がおこった。だがここで問題は根本的な解決をみることはなかった。その後もさまざまな、内容の上では食い違いを含む贖罪書が併存し、そして使用され続けたのである。そうした贖罪書の使用、そして写本の作成という事実は、それが初期中世において一定の有用性をもっていたことを示唆するものである。贖罪書の写本が作られなくなるのは神学の発展による贖罪の意味付けが変わり、『聴罪師大全』という性格を異にする文書が現れる12世紀になってからであった。

 第二章は贖罪書についての史料学的な注釈である。現在まで伝えられている贖罪書は90点にのぼり、その写本は240点を数える。ここでは草創期、カロリング期まで、カロリング期、カロリング期以降の四つの時期に分けて贖罪書60点余りについて史料学的な解説が加えられる。贖罪書の中心は、告白すべき罪の種類とそれに対して科されるべき贖罪を定めた贖罪規定である。贖罪書にはわずか10余りの規定しかない短いものから、約100から200もの規定をもつ長いものまである。贖罪規定で扱われる罪は殺人、傷害、偽誓、偽証、窃盗、略奪、放火、姦通と姦淫、近親婚、同性愛をはじめ、夫婦間の性的な罪、堕胎、子殺し、暴飲暴食、また民間の祝祭や信仰、偶像崇拝、異端や破門者との交際、利子の取得、隣人との不和を招く感情や表情、聖体やミサ祭儀にかかわる違反と過失、穢れた物の飲食などがあった。現在の目でみると必ずしも教会の教えに反するとは思われない罪も含まれていたが、どのような行為が罪にあたるかが具体的に示される場合もあった。贖罪の最も一般的な行為は日中の断食であるが、その他に巡礼あるいは追放、施し、被害者への賠償金の支払い、祈り、詩篇の朗読、徹夜などの苦行、夫婦関係や帯剣の禁止、そして稀に禁固や隔離というものも見られた。本章ではそうした多様な内容を含む贖罪書の時期的あるいは地域的な区分、贖罪書間の相互関連や簡略化といった諸問題について精緻な考察がなされている。本章はまた、全体の三分の一以上を占める本論文の中心的な部分である。

 第三章は贖罪書の使用実態についての考察にあてられる。初期中世において贖罪書の有用性が認められていたとするならば、それはどのように、またどのような機会に使用されていたのか。従来の研究では古代にみられた「公の贖罪」とは異なり、中世のアイルランド型の「秘かな贖罪」においては、贖罪書が教区司祭あるいは聴罪師によって日常的に用いられていた「生きた文書」であることが前提されてきた。そこには贖罪規定の加筆修正がなされる場合もあり、また教区民の姿が反映されているとされたのである。これに対して近年F.ケルッフは異議を唱えた。彼によると、贖罪書はとくに司教裁判権が世俗権力との融合によって強い力をもつようになったカロリング期以降に、司教の教区巡察の際つまり「公の贖罪」にあたって使用されたのであるという。著者はケルッフ説はカロリング期以降については一定の妥当性はあると評価しながらも、それ以前の贖罪書が繰り返し編まれた時期については当てはまらないという批判を加えている。また「公の贖罪」と「秘かな贖罪」という区別はカロリング期にはじめて生まれたものであった。他方で、贖罪書やその加筆修正に現実の反映をみる見解についても、著者は留保をつけている。というのは写本には時として単なる誤写、あるいは写字生の無理解からくる誤写がみられるからである。

 第四章は贖罪書における「罪人への配慮」という問題を立て、従来の説を批判する。つまり贖罪書は個人の事情をまったく考慮しない一律で機械的な「料金表」、「罪のカタログ」であるとする見解が支配的である。この見解は12世紀に作成された『聴罪師大全』がそれ以前の贖罪書を批判したことに端を発しているのであって、初期中世の贖罪書の内容には必ずしも当てはまらない。とくに著者が注目するのは贖罪書のなかの序文や跋文である。そこでは、しばしば規定の杓子定規な適用をいましめる言葉がみられるからである。それによると、罪を続けてきた期間、教育の程度、性格、生活態度、改悛の深さ、罪を犯すに至った事情などをよく考慮して贖罪を科さなければならない。また身分、貧富、性別、年齢、配偶者の有無などにも配慮することが求められている。とくに貧しさ故の堕胎と窃盗については序文ではなく、本文の規定のなかに組み込まれていることが注目される。このような贖罪書における「罪人への配慮」そして長期的にみて贖罪の軽減の傾向というものは、著者によるとけっして「人道主義」に基づくものではない。むしろ余りに厳しい贖罪は、時として当の「罪人」を贖罪から遠ざける傾向があったという「現実主義」に求められるべきである。つまりこれは教会側の現実的な対応とみなすべきものなのである。この点で教会への「施し」による「買い戻し」も同様である。つまり「買い戻し」については、その濫用の危険性がつねに指摘されていながら、広く使用されたと思われる贖罪書には必ずそうした規定が含まれている。これは教会の「金銭欲」として理解されるべきではない。むしろ労働に携わる俗人にとっては、時として十年を越える断食を成し遂げることが事実上不可能であることに教会が配慮したこと、つまり贖罪書の編著者の「現実主義」に求められるのではないだろうか。贖罪書はこの点において、初期中世社会との接点をもつものであった。

本論文の評価

 本論文は我が国では初めての贖罪書研究であるばかりでなく、その緻密な分析によって現代ヨーロッパの専門史家の見解についても多くの不備を指摘している。こうした点で画期的な研究ということができる。

 第一に、本論文は初期中世に刊行され、そして写本として現存しているすべての贖罪書に当たり、その相互関係と異同を明らかにした。つまり刊行されている写本のすべてに当たり、その内容を分析・確定する困難な作業に従事したのであり、これまでその重要性が指摘されながらも断片的な紹介しかなかった贖罪書の研究において、画期的な意義を持つものと言うことができる。読解が必ずしも容易ではない中世ラテン語の膨大な史料に当たり、この作業をやり遂げたことは、高く評価されて然るべきであろう。本論文は初期中世のキリスト教の在り方の解明を大きく前進させるものと言える。

 第二に、本論文の緻密な分析によって次のような本質的な論点が説得的に明らかにされている。まず中世初期において贖罪書は「生きた文書」であったことである。この点で著者は贖罪書における規定内容の変更に現実の状態の反映を見る従来の見解には批判的であって、むしろ繰り返し編み直されたこと自体に「生きた文書」であることの論拠を求めている。それだけではない。著者は従来画一的とされてきた贖罪書のなかの序文や跋文に注目して、「罪人」への現実的な配慮がみられる点を具体的に明らかにした。最も象徴的にはお金による「買い戻し」がそれに当たるが、そうした「罪人」がおかれていた現実の社会的あるいは経済的な状態に応じて贖罪を区別するための規定が、時代とともに飛躍的に増加したことを明らかにしている。著者はそうした方針が「人道主義」にあるのではなく、その実用性を確保するために取られた規定、つまり「現実主義」あるいは現実的な妥協の結果であると論じている。この点は、「救済」をつかさどる司祭の側の義務という指摘とも併せて、きわめて説得的である。

 第三に、本論文は贖罪書の分析を通して中世初期の人々のいわば「心性」に光を当てるという貴重な副産物をもたらした。論文では「心性」自体に焦点が当てられているわけではないが、とくに初期の贖罪書には動物と飲食物の浄穢を扱った規定が少なくないことを明らかにして、その意味を考察している。この場合贖罪は聖体拝領の前の身の浄めとして実施されたと考えらているが、重要な糸口がもたらされたと評価できるであろう。言うまでもなく、キリスト教にあってこれは中世後期には完全に失われたものだが、初期の「心性」を考える上では貴重な問題提起と言えるだろう。

 以上のように、本論文では贖罪書というユニークな史料の精緻な分析から多くの重要な問題が解明され、そしてその手掛かりが与えられた。とはいえ本論文にもまだ少なからず問題点が残されている。その一つは贖罪書の史料学的分析が中心となるために、中世人の信仰そのものについての考察が正面からなされていないという点である。これは限定された課題設定からくるものであるとしても、もう一歩踏み込んで論じられるべきであった。もとより著者はこの点について強い関心をもち、また論文の端々で鋭い言及がみられる。またこの問題の権威と目されるF.ケルッフの見解についても批判的である。したがって仮説的にでもより纏まった形で論じられたならば、論旨は更に明快となっただろう。

 次に贖罪書以外の他の諸史料の利用によって、贖罪書を逆照射する試みが望まれたところである。この点についても著者は部族法の間接的な影響について言及しており、また聖者傳の分析が必要なことも自覚しているが、具体的な作業には入っていない。史料としての贖罪書の性格をさらに徹底して解明するには、こうした作業も不可欠であり、著者に期待されるところである。

 最後に、文章表現上の幾つかの問題点が見られた。例えば「教会の在俗組織」などであるが、その他に文章が長くて、主語述語の判読に苦しむ箇所も数カ所見られた。これらも論文作成において忽せにされてはならないところである。以上のような幾つかの問題点はみられるにせよ、本論文は徹底した史料分析及び批判の上に立って、中世初期のヨーロッパ社会の信仰の在り方を探った優れた研究である。 以上、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与する充分な成果をあげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と認定する。

最終試験の結果の要旨

2001年2月14日

 平成13年1月29日、学位論文提出者滝澤秀雄氏の最終試験を行った。試験においては、提出論文「初期中世贖罪書の基本的性格」に基づき、審査員から逐一疑問点について説明を求めたのに対して、滝澤秀雄氏はいずれも十分な説明を与えた。よって審査員一同は滝澤秀雄氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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