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博士論文審査要旨

論文題目:ドイモイ前後におけるベトナム紅河デルタ農村の変容:バックニン省チャンリエット村における農業生産合作社を中心に
著者:重久(岩井) 美佐紀 (Iwai-Shigehisa, Misaki)
論文審査委員:児玉谷史朗、中野聡、浅見靖仁

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[本論文の構成]

 本論文は、重久(岩井)美佐紀氏が、北部ベトナム、ハノイ近郊の1村落で、1994年に行った約9カ月の調査と、1995年から1998年に一回につき2週間から1カ月の計5回行った追加調査に基づいて、約40年にわたるベトナム村落社会の変容を考察したものである。

 本論文の構成は以下の通りである。

序章 ベトナム紅河デルタ村落の変容
 第1節 問題の所在
 第2節 本論考における課題の設定と先行研究
 第3節 ベトナム村落の地域的差異
 第4節 本論考の調査村の性格、調査方法および資料の紹介
第1章 チャンリエット村の概要
 第1節 自然地理条件
 第2節 歴史的背景
 第3節 居住形態:地縁集団としてのソム
 第4節 交通・情報システム
 第5節 村の人口構成およびその特徴
 第6節 現在の「郷約」:「王法も村の垣根まで」
 第7節 父系血縁集団ゾンホ
第2章 集団経営時代(1958~1980年)の合作社機能
 第1節 集団的生産システムと合作社組織の形成
 第2節 チャンハ合作社の経営内容
 第3節 集団経営時代の合作社と農家の関係
 第4節 女性の社会進出と託児所経営に見られる合作社の社会機能
第3章 家族請負時代(1980~1988年)の合作社機能
 第1節 全社合作社の解体と生産物請負制の導入
 第2節 合作社経営の変化
 第3節 チャンハ合作社と農家の関係の変化
 第4節 1985年以降の合作社機能の低下
第4章 家族自主経営時代(1988年以降)の経営変化
 第1節 「長期土地専有権」交付の意味
 第2節 「10号決議」以降の農業経営の変化
 第3節 農業収支
 第4節 農外経済活動の発展
 第5節 収入と生活水準
第5章 家族自主経営時代の合作社の機能変化
 第1節 合作社の経営システムの変化
 第2節 「規定費」の設定と徴収
 第3節 チャンハ合作社の経営内容の変化:経常収支と基金収支
 第4節 合作社と農家間の関係の変化
 第5節 チャンハ合作社組織の分割
 第6節 合作社の機能変化とそれに伴う管理機構の変化
終章
 1、合作社の機能・組織の変容
 2、農家の経営変化
 3、本研究の意味
 4、今後の課題

[本論文の概要]

 序章では、先行研究の整理と本論文の課題の設定が行われ、調査村の性格・位置付け、調査方法の説明が行われる。本論文の課題は、ベトナム北部、紅河デルタ村落において、農業生産合作社が1950年代末の成立から今日までの約40年にわたり、どのように形成され、機能してきたのかを、合作社と農村行政組織・村落との関係に焦点を当てて考察することである。それによって、合作社が集団化の時期に紅河デルタ村落においてどのような役割を果たしてきたのか、1980年代半ば以降のドイモイ(経済自由化)時代になって合作社の経営基盤が崩された際、村落社会がどのように変化したのか、そして合作社と農民の関係がどのように変化したのかを明らかにしようとするものである。本論文は対象時期を次の3つに区分して考察している。すなわち、(1)集団経営時代(1958~1980年)、(2)生産物請負制が施行された家族請負時代(1980~1988年)(3)農業面のドイモイである10号決議施行以降の家族自主経営時代(1988~1997年)である。

 著者によれば、従来のベトナム農村研究は、集団経営時代については合作社制度研究が、ドイモイ以降については農家経済研究が中心で、両者を関連づけていないという。従来の集団経営時代を扱った合作社研究では、合作社は総じて党中央・国家の末端機関、その指示・決議の忠実な実行者として描かれ、合作社が農民の利害と対立する存在であることが強調されてきた。すなわち、平均主義的分配を原則とする合作社制度は、自身の個人的利益を追求する農民の利害と一致しなかったという。従来の研究は、党中央の指示、決議、党中央機関誌などに依拠していたため、合作社の経営や合作社と農民との関係について、その実態が描かれず、具体性が乏しかったとする。

 第1章は、調査地であるチャンリエット村の地理的条件、歴史的背景、地縁・血縁組織を概観する。チャンリエット村は、ハノイの近郊、紅河沿いの自然堤防上に位置し、水利的条件にも恵まれた、人口約3,000人の村である。村は、立村から約700年を経てきたとされ、19世紀初頭の史料にはすでに手工業村として登場し、現在でも村の守護神を祭る村祭りが開かれている。また村は周囲を竹の生け垣(今日では煉瓦塀)で囲い、村人はソムと呼ばれる地縁組織とゾンホと呼ばれる父系血縁集団に属し、通婚圏はほぼ村内に限定される。このように、伝統のある、凝集性の強い村であることが示される。

 第2章は、集団経営時代における合作社組織の変遷、合作社経営の状況、および合作社と農家の関係について検討する。チャンリエット村では1950年代末頃に最初に合作社が形成され、1965年には、隣の小村ビンハとともに「連村合作社」チャンハ合作社が形成された。チャンハ合作社は、ベトナム戦争後の1978年に、同じ社に属する大規模村落ドンキのドンキ合作社と合併し、「全社合作社」ドンクアン社合作社へと統合されたが経営困難に陥り、2年で「連村合作社」に戻った。

 次いで著者は、1970年代前半の合作社資料を利用し、集団経営時代のチャンハ合作社の経営内容を分析する。当時のチャンハ合作社経営は基本的に稲作に依拠しており、社員である農民の労働時間の大半は合作社の生産システムに拘束されていた。合作社を構成する個々の農民(社員)は、労働点数によって評価されて、労働に応じた収入を得ていた。

 農民の労働報酬は、標準口糧に従って籾米と現金の両方で配分された。標準口糧は所得再分配機能と社会保障的な役割を果たした。またチャンハ合作社では、診療所、図書館、などの社会福祉施設の拡充が図られてきた。ベトナム戦争時代、農業生産の主力となった女性たちのために共同託児所が設立された。

 しかし、1970年代後半、ベトナム戦争終結後、状況は大きく変化した。多くの復員兵を迎えるとともに、共産党中央の社会主義的大規模化の政策により、1978年にドンクアン全社合作社が成立すると、合作社は経営不振に陥り、農業生産は著しく低下した。さらに、壮健な男性のいる家庭に有利なように標準口糧制度も手直しされ、標準口糧の所得再分配機能は低下した。

 第3章は、80年代の家族請負時代におけるチャンハ合作社の経営状況、合作社と農家の関係を考察する。生産物請負制は、合作社の共有地を農家に「一時的に」分配し、農作業の一部を農家に直接請け負わせるシステムであった。実質的な農業経営の主体は農家に移行し、農業経営における合作社の比重は低下した。また、ほとんどの農家は生産量ノルマを超過することができたために、農民が獲得する籾米量は増加し、食糧分配の平準化を目的とする標準口量の意味は薄れた。

 一方で、家族請負時代前半のチャンハ合作社では、煉瓦製造等の商工業部門が著しく発達し、経営構造が大きく変化した。合作社の商工業部門の主力は女性たちが担った。合作社は、商工業部門では就労機会を農民に提供する機能を果たし、農民が受け取る現金も集団経営時代に比べ増えた。

 しかし、1985年の東欧諸国への手工業品の輸出のストップにより、合作社内の商工業部門は壊滅し、ほとんどの農家では、女性たちが村外へ商売に出るようになった。農外収入が家計収入の大半を占めるようになり、村全体の経済に占める合作社の比重は急速に低下した。また、同じく1985年、配給制度が廃止され、統制経済が事実上崩壊した。これは、合作社の経営基盤をさらに弱体化させる結果となった。このように外的環境が大きく変化するなかで、チャンハ合作社では幹部の横領など不正事件が発覚し、合作社の権威は失墜した。

 合作社の経営変化に伴い、合作社の社会機能も縮小した。多くの女性たちが商売に出るようになると、合作社の労働時間に合わせた託児所の開所時間は、母親たちの労働形態の変化に対応できなくなり、まもなく閉鎖されてしまった。それに代わって、民間の託児サービスが始まった。

 第4章は、家族自主経営時代(1988年以降)における農家の経営変化とそれに伴う農家間の経済格差について考察している。チャンハ合作社では、1992年に各農家に「長期土地専有権証明書」が交付されることになったが、それに先立ち、1980年に分配されていた土地の再調整が行われた。各農家が3つの等級全ての土地を専有し、標準生産量が均一になるように土地が分配された。

 農業経営の変化にともない、農作業も大きく変化した。農家が自身で種籾の保管と育苗、肥料の購入、施肥に責任をもつようになり、耕起・整地作業も専門の農家に移管された。このような変化のために、農民の費やす農作業時間が大幅に減少したが、さらに農繁期に村外の日雇い労働者を雇用する農家が増加した。

 家族自主経営時代のもう一つの特徴は、個々の農家が行う農外就労が本格的に始まったことである。1994年の時点で、農家の96パーセントが、サンダル交換業(廃品サンダルの回収と新品サンダルの販売を行う行商)等の非農業部門から現金収入を得ていた。1994年に著者が行った世帯調査によれば、農家の農業収入と農外収入の割合は3対7で、農民の経済生活は農外収入に大きく依存している。農外収入の増大は、テレビやオートバイなどの普及をもたらしたが、その所有には農家間の格差も見られる。

 第5章は、ドイモイ以降、チャンハ合作社の組織や経営内容、機能がどのように変化したのかを明らかにする。1988年の10号決議の施行を機に、合作社の任務は、水利、農業指導・サービスに限定された。合作社は、また農業税などを各農家から徴収し、国家に納める行政代行機関としての役割を果たすようになった。合作社の収入源は、各農家から徴収する規定費のみとなり、財源が縮小し、それに伴いその経営基盤も縮小した。

 このように経営基盤が弱体化した合作社は、1990年代初め合作社共有地を売却することによって大規模な公共事業や、図書館などの公益活動を行う財源としたが、1994年以降は、社員から徴収するわずかな公益基金のみが公益活動の財源となり、その活動範囲はより縮小した。それに伴い、合作社組織も縮小し、幹部・職員に支払われた労働報酬は半減した。

 チャンハ合作社は、1994年にそれぞれラン(村)単位のチャンリエット合作社とビンハ合作社に分割された。1995年に行われた村長(1991年に設置)の改選では、合作社幹部ではない退役軍人が新村長として選出された。それを契機として、これまでほとんど実体のなかったといわれていた「村政権」と合作社の間で、合作社の共有財産および公共・社会福祉事業をめぐって確執が起きた。

 終章は、これまでの議論をまとめた上で、合作社と農民の関係について著者としての解釈を示している。従来の研究では、合作社と農民との関係は対抗的に描かれていたが、著者は本論文での分析から、合作社が農民の組織という性格を強く持っていること、合作社と農民は常に対抗関係にあったのではなく、協力関係にもあったということを主張している。

[本論文の成果と問題点]

 北部ベトナムの村落は伝統的性格が強く、自律的な共同体と言われてきた。そのような村落が、社会主義体制下での党や国家による集団化などの政策によって、どのように、どの程度変容したのか、国家の政策にどのように対応したのか。さらにドイモイ以降急速に変化してきた政治経済環境の中で、村落と合作社はそれにどのように対応し、変容しつつあるのか。著者は、これらのきわめて興味深い研究課題に挑戦している。ベトナムでは、近年に至るまで長期にわたる戦争や体制上の理由により、長い間外国人による農村調査はほぼ不可能であった。近年ドイモイによる開放の進展とともにようやくそのような調査が可能になってきた。著者は、この機会を積極的にとらえ、農村に住み込んで本格的な現地調査を行った。

 本論文の第一の成果は、農村での現地調査に基づき、一つの村、合作社を時系列的に研究することで、土地改革後の集団経営時代からドイモイ以降急激に変貌しつつある現在までのベトナム農村社会についてその変容の一端を具体的に明らかにしたことである。本論文は、1970年代、80年代に作成された合作社の資料や当時の幹部、農民からの聞き取りにより、集団経営時代、家族請負時代における合作社と農村の歴史像を再構成した。著者はまた、ドイモイ以降における合作社と村の変化を、村に住み込んで調査することで、合作社の資料、農民へのアンケート、インタビュー、観察に基づき克明に記述した。従来の合作社、農業研究の多くは、党の決議、政府の通達など、国家の側の情報に依拠し、農民の対応など社会の側の研究をする場合も新聞等の分析によるものが中心であった。しかし公式の制度や法規から実態を明らかにするには限界があり、またごく最近までは情報の公開が十分ではなく、法規自体が整備されていないのが実状であった。さらに合作社や農村の行政組織については、かなりの地域差があるため、一地域に密着した調査をまって初めて明らかになる事実も多いと言われる。このような研究状況の中で、従来の研究では抽象的、間接的にしか触れられなかった村レベルの変容を具体的に明らかにした貢献は大きい。

 本論文は、一農村の変化を時系列的に追う中で、特に女性の労働が政治経済状況や合作社の役割の変化に対応して、各時期ごとに変化してきた様子を明らかにしていて興味深い。女性たちは集団経営時代、特に戦時体制下で男性労働力の不足した時期には長時間に及ぶ合作社の農業労働を支え、家族請負時代の前半、合作社の商工業部門が繁栄した時期にはその労働の主力となり、ドイモイ以降に個々の農家の農外就業が家計を支えるようになるとそれを中心的に担うようになった。このように、本論文は合作社と農民の関係の変化と共に女性労働も変わっていった様子を描き出している。さらに、このような女性労働の変化が、合作社幹部への女性の登用と合作社経営による託児所の設置と発展、その後の託児所の衰退とそれに代わる民間託児サービスの興隆という、合作社の社会機能の変化と密接に結びついていたことも明らかにしている。

 本論文の第二の成果は、農村調査に基づき、合作社と農民の関係について従来とは異なる解釈を提示したことである。従来の研究はどちらかというと、合作社を党や地方行政の末端機構、すなわち国家の一部として理解し、農民の利害に反するものとして捉えてきた。これに対して、本論文は、合作社を通じて託児所のような社会福祉施設を運営したり、土地や食糧の平均主義的分配を行ったりするなど、農民自身がむしろ合作社制度を積極的に利用していた側面を明らかにしている。

 このように、本論文は著者自身の現地調査に基づいて興味深い事実を明らかにすることに成功しているが、問題点もある。第一の問題点は、経済的、数値的情報以外のデータ収集が比較的弱いことである。例えば、農民について土地所有の状況や収入額などに関して一次資料やアンケート、聞き取りにより、定量的情報が詳細かつ豊富に集められ、分析されているが、これに比べると、本論文が目的の一つとしていた「農民が合作社をどう見ていたのか、直接農民の声を聞」くというような定性的な情報の収集・提示の点では、いささか迫力に欠ける。

 合作社についても、財務関係の数値資料に依拠しすぎたという印象を受ける。著者が収集・利用したこれらの資料は、これまで利用されていなかった貴重な一次資料であり、その点は高く評価したいが、その資料の性格や数値の信頼性、限定性といった理由で、合作社の経営の実態についてこれから明らかにし得ることには自ずと限界がある。それにも関わらず、本論文はこれらの資料の紹介、分析にかなりの紙幅を割いており、その結果記述が平板、散漫になって論旨の展開が見えにくくなってしまった点が惜しまれる。

 第二の問題点は、党と合作社との関係があまり考察されていないことである。もちろん、本論文が設定した課題は、合作社と農村行政組織・村落との関係、あるいは合作社と農民との関係の究明であるので、この点を不十分点とすることは当たらないかもしれない。しかし、ごく最近までのベトナムの統治は、「党治・人治」と表現されたように、党がほとんどの分野において頻繁に介入していたし、合作社の主任も党の地方幹部が兼任するのが普通であったといわれる。合作社を党・政府の末端機関ととらえ、農民の利害と対立すると描いてきた先行研究を批判するのであれば、社や村落レベルで党と合作社や農民との関係がどの様であったのかその実態についても検討が欲しかったところである。

 このような問題点があるとはいえ、それは、本論文が現地調査に基づいて多くの興味深い事実を新たに明らかにしたという成果を損なうものではなく、問題点については著者が今後いっそう研究を進める中で究明されると期待したい。

 以上、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、一橋大学(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と認定する。

最終試験の結果の要旨

2001年3月14日

 2001(平成13)年2月16日、学位論文提出者、重久(岩井)美佐紀氏の論文および関連分野についての試験を行った。本試験においては、審査員が提出論文「ドイモイ前後におけるベトナム紅河デルタ村落の変容 -バックニン省チャンリエット村における農業生産合作社を中心に-」に関する疑問点について逐一説明を求め、あわせて関連分野についても説明を求めたのに対し、重久(岩井)美佐紀氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査員一同は、重久(岩井)美佐紀氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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