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博士論文審査要旨

論文題目:生涯学習と民衆の参加:内発的地域づくりにおける人間形成をめぐって
著者:マイリーサ (Malisa)
論文審査委員:関啓子、久冨善之、中田康彦、渡辺尚志

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[本論文の構成]

 過疎化の進む農山村を舞台に展開した内発的村づくりの過程を、住民の社会教育活動の観点から考察した論文である。マイリーサ氏は、京都府美山町と山形県高畠町を調査対象地域とし、地域づくりの展開と住民の学習のありようを研究した。彼女は、これまでの成人教育研究が学習活動のリーダーを分析の対象にしてきたことを改め、一般の学習者の学習活動と生産活動とのかかわりを解明しようとする。そこで、集団の組織構造、住民参加のあり方を規定する歴史的・文化的要因さらには学習形態を問うという枠組みを立て、地域づくりと学習活動を分析した。個と集団、男性と女性、都市と農村という3つの関係性を比較の基準として、それぞれの地域のもつ学習の型を析出し、現代の農村の成人が必要としている学習形態を提起する。二つの地域において、それぞれ農村の住民はどのように学習しながら村づくりに参加していったのか。本論文は、この問いの答えを綿密な実証で求め、独自の枠組みによって地域づくりと生涯学習とのかかわりを解明した意欲作である。

 本論文の構成は以下の通りである。

 序章
  一 問題意識
  二 先行研究
  三 研究課題と枠組み
 第一章 協同型地域づくりにおける人間形成
  一 内発的地域づくりの過程と住民の取り組み
    1 ナメコ生産組合の場合
    2 佐佐里スキー管理組合
    3 婦人の生活改善、産直グループと地域づくり
    4 京都農民連と新婦人の産直運動
    5 茅葺き山村の里づくり
    6 地域づくりに加わる新住民たち
  二 地域づくりを支える協同関係
    1 住民間の協同関係
    2 行政、組織労働者と住民の協力関係
    3 地域間の「連帯」と協力関係
  三 協同型地域づくりにおける人間形成
    1 個と集団
    2 男性と女性
    3 都会と農村の住民
 第二章 協働型地域づくりにおける人間形成
  一 有機農業の里づくりの過程と住民の取り組み
    1 「高畠有機農業研究会」の誕生と取り組み
    2 有機農業実践の後発集団
    3 農産品加工の取組
    4 地域開発阻止運動から地域創造運動へ
    5 「高畠共生塾」と地域住民の教育活動
  二 協同から協働への胎動
    1 住民と行政
    2 住民間の協働関係の胎動
  三 協働型地域づくりにおける人間形成
    1 個と集団
    2 男性と女性
    3 都会と農村の人々の人間関係
 第三章 歴史の連続性と人間形成
    1 相互扶助の伝統
    2 個人への束縛性
    3 権威構造と甘えの構造
    4 閉鎖性と同質性
 第四章 変容する学びの空間と文化の創造
  一 美山における学習活動の特徴
    1 共同学習--問題解決の学習活動--
    2 系統的な学習
    3 交流学習活動
  二 高畠における学習活動の特徴
    1 共同学習
    2 多文化間交流
    3 越境するネットワーク型学習
  三 異なる学習型の交錯と文化の創造
 結論
 参考文献
 あとがき

[本論文の概要]

 第一章と第二章では、内発的村づくりの歴史をもつ二つの地域(京都府北桑田郡美山町と山形県高畠町)を調査対象にして、地域づくりの過程における住民参加のありようと人間形成の場面が考察される。

 第一章では美山町の事例が扱われる。そこでは従来の参加形態である「協同型」地域づくりの事例が取り上げられ、相互協力関係を前提に進められる地域づくりが分析される。この型では、住民が地域の生活課題の解決に向けて協力し合うが、そこには積極的な参加者もいれば受け身的な参加者もいる。しかし、この形態の組織化は住民の各活動に高い参加率をもたらすことができる。集団のリーダーと一般の構成員との間には活動内容に大きな差異がみられる。リーダーは対外的に様々な役割を果たし、学習活動では全国の交流集会を含め様々な学習機会に参加する。集団間・場所間はリーダーという特定の媒介者によって結ばれている。女性の活動への参加形態は女性同士の連帯活動が主である。

 第二章では、新たに形成された「協働型」とこれまでの「協同型」が交錯する地域づくりの事例として、有機農業で有名な高畠町の地域づくりと学習活動が分析される。「協働」とは、相互協力関係を前提に、さらにパートナーシップの要素を加えたものとされる。「協働」は参加者が受け身的でなく、集団の活動や学習に積極的に参画し、対等な関係を築いていくことを意味している。

 高畠町の地域づくりもはじめは美山町と同様の要素をもっていた。リーダーの影響力と指導力が抜群に大きく、都市との連携に際してもリーダーたちが大きな役割を果たしていた。「有機農業研究会」の内部に生じた軋みを契機に、これまでの「有機農業研究会」とは異なる組織の仕方に取り組むブロックが生まれた。そこではメンバー全員が経営と運営に参画し、重要な対外的な役割も交替で行う。その結果、一人ひとりに対外的交渉力や対応力が育まれ、消費者との間に一対一の関係が徐々に形成された。女性は女性同士の連帯活動だけではなく、組織の方針や計画設定などに男性と一緒に携わるようになった。こうしてジェンダー関係にも変容が起こり始めた。農民は農村ばかりでなく都市の住宅問題や環境問題などの地球規模の難題についても注目し、それらの解決にかかわりうる空間として農村をとらえ直している。これまでの、啓蒙と被啓蒙という都市と農村との関係が変わりつつある。

 第三章と第四章は、第一章と第二章で検討した住民参加の質に差異をもたらす要因を析出する。

 第三章では、住民参加の質と人間関係に影響を及ぼす問題点を掘り起こし検討を加えていく。ここでは歴史的、文化的諸要因が析出される。内発的な地域づくりを可能にした要因が実は人間関係の変容や地域主体の形成を押し止めていることを鋭く浮かび上がらせる。一歩問いを進め、そうした要因がなぜあらわれたのか、それらの原点はどこにあるのかについても考察している。

 相互扶助の習慣や個人への束縛性、さらには権威構造と甘えの構造が引きあげられ、詳しく分析される。この相互扶助の精神こそ、内発的地域づくりを可能にした要因であると分析されている。農村にはさまざまな集団があり、形式は任意加入でも実質は異なり、ほとんどの該当者が加入せざるをえない。こうして高い参加率がもたらされるが、参加者が必ずしも信念をもって積極的に取り組んでいるとは限らない。リーダーと一般参加者とでは、意識や取り組む姿勢において相違が見られる。閉鎖性と同質性も従来の地域づくりと学習活動に見られる。集団と集団、地域と地域との交流活動は特定の価値観を共有する仲間によって取り組まれている。

 第四章では、人間関係を変容させる要因を分析する。前述した二つの地域において村づくりの過程で組まれた学習活動が、一見同じように見えるものの、実は独自の軌跡を有していたことが実証される。ここでは、社会と個人をつなぐ新しい概念--ネットワーク概念が用いられ、新しい学習形態が提起される。

 美山町では、従来の社会教育学習論である「共同学習、系統的学習、交流集会」が行われた。この学習は地域課題の解決に有効である。しかし、こうした学習は個人の発達よりも運動の広いつながりに貢献するもので、系統的学習と交流活動と時間・空間を共有したのは、町の職員や団体の代表、地縁社会のリーダーという「常連メンバー」である、と筆者は分析する。このような参加構造は「常連メンバー」と一般の地域づくりの構成メンバーとの間に境界を作ってしまった、と指摘される。

 高畠町では地域づくりの展開過程において、「共同学習」「多文化間交流学習」「越境するネットワーク学習」が行われている。有機農業経営による地域づくりを進める過程で様々な文化をもった人々との対面的なネットワーク型の学習活動が行われるようになった、とされる。消費者からの不満や付加価値などをめぐり、人間関係のネットワークを駆使し、アイデアが生み出されていく過程や、課題に気付き、協力し合って解決していく過程が説得力ゆたかに説明されている。

 従来の学習は、価値観の同一性を背景に閉鎖的な側面をもって展開され、発信者と受信者との関係が固定的な縦型であった。ネットワーク型の学習では、学習の展開過程が多様で複雑であり、学習は相互交流と交渉の過程で、相互に影響し合い、意味を出し合う。重層的なネッワーク学習は、共同学習と交流学習を結ぶ架橋性も有しており、共同学習を継承しつつ、その質を作りかえ、農村の地域づくりを展開させる可能性をもつものとして提起される。

[本論文の成果と問題点]

 本論文の成果として、第一に、マイリーサ氏の鋭い分析と結論が日本の社会教育研究の発展に貢献したことをあげたい。枠組みが工夫され、結論もしっかりしていて、問題提起型の論文として成功している。美山の協同型の地域づくりと連動した学習活動の成果を評価しつつも、高畠における協働型の地域づくりの深まる過程で生まれたネットワーク型の学習こそ、これまで対等な関係を築けなかった人々が人間関係を変容させ、地域づくりに参画する主体として形成される過程、すなわち発達過程であることを論証した。高畠における学習活動と従来の社会教育実践との違いを鮮明に描き出し、協働型地域づくりの人間形成作用をこれほど説得力ゆたかに論証した論文はない。現代社会における農村での成人の有効な学習のあり方を提起し、日本の社会教育研究と教育実践の進展に貢献したことを高く評価したい。

 第二に、美山についても、高畠についても、住民がどのように地域の発展を模索し、どのような成人学習を組み立て、どのような成果がもたらされたかを、インタビューや一次資料の収集などを丹念に行うことによって綿密に、丁寧に描き出すことに成功している。学習活動と地域づくりが抱え込むことになる確執や課題についても徹底的に考察している。その結果、生産現場や活動場面での人間関係の変容とそれと不可分の個人の自立と発達の過程とを浮上させることができた。加えて、人々のこころの動きや人々の関係の変化が読み手に伝わってくる論述も見事である。

 第三に、これまでの社会教育研究のほとんどは学習集団のリーダーに注目しその活動を分析するもので、学習主体としての住民の同質性が措定された議論が展開されてきたのに対して、筆者は学習集団のふつうのメンバー一人ひとりに注目し、学習を組み立て一人ひとりがどのように変わりうるかを考察している。こうして筆者はさまざまな価値観をもつ多様な人々が相互に影響を与え合い、関係を組み直していく過程を描き出すことができた。

 とは言え、本論文に問題がないわけではない。先行研究の評価などがやや少し厳しすぎたり、批判的考察が大胆すぎるように感じられるところもないではない。また、日本の共同体についての歴史的認識を掘り下げる必要性が感じられる。美山町の分析に際して、農村社会の現状が精緻に描き出され、美山町の社会教育実践の意義が的確に析出されてはいるが、いま少し詳しく共同体の歴史的考察を加えていれば、美山町の教育活動の意義さらには高畠町の意義がいっそう強く打ち出されたことと思われる。この点についてはマイリーサ氏も自覚しており、今後の課題としてはっきりと意識している。しかし、これらの問題点はこの論文の価値を減ずるものではないというのが、審査委員の一致した見解である。

 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大いに貢献したものと認め、マイリーサ氏に対して、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2000年10月23日

 2000年10月23日、学位請求論文提出者マイリーサ氏について最終試験を行った。本試験において、審査委員は提出論文『生涯学習と民衆の参加 -内発的地域づくりにおける人間形成をめぐって- 』に関する疑問点について逐一説明を求め、あわせて関連分野についても説明を求めたのに対して、マイリーサ氏はいずれも十分な説明を行った。よって審査委員会はマイリーサ氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格と判断した。

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