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博士論文審査要旨

論文題目:W・H・ベヴァリッジの社会保障論の原点:1909年失業論の研究を通して
著者:永嶋 信二郎 (NAGASHIMA, Shinjiro)
論文審査委員:依光正哲、西澤保、倉田良樹、林大樹

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【本論文の構成】

 イギリスにおける社会保障の進展にとって、W・H・ベヴァリッジの社会保障理論および政策体系はきわめて重要な位置を占め、1942年に公表されたいわゆる『べヴァリッジ報告』は、イギリスにおける社会保障の最初のモデルを提供したと言われている。この『べヴァリッジ報告』についてはこれまでにさまざまな角度から研究がなされ、またべヴァリッジ研究の中核も『べヴァリッジ報告』であった。

 永嶋信二郎氏の学位請求論文は、べヴァリッジの社会保障論の原点を1909年の『失業論』に求め、べヴァリッジの社会保障思想を内在的に理解し、イギリス社会政策史の中でベヴァリッジの思想と政策を位置づけようとしたものである。ベヴァリッジの初期の著作である『失業論』を本格的に取り上げた研究は乏しい。永嶋氏は、『ベヴァリッジ報告』の政策体系を理解するうえで、『失業論』の全体構造と政策体系を解明することが重要であると主張する。そして、本論文は、『失業論』を分析の中心に置きながら、ベヴァリッジが失業問題と取り組む過程での彼の思想的背景、活動内容、理論構造の変化、具体的政策立案、などを克明に分析したものである。

 本論文の構成は以下の通りである。

 序章 問題設定
  第1節 問題意識
  第2節 課題と方法
 第1章 ベヴァリッジとイギリス経済・社会思想
  第1節 イギリス経済・社会思想における失業認識
  第2節 1900年代におけるベヴァリッジの社会政策像
  第3節 ベヴァリッジとトインビーホール
  第4節 ベヴァリッジ失業論への理論的影響
 第2章 ベヴァリッジとイギリス失業問題
  第1節 「大不況期」のイギリス経済における失業問題の概要
  第2節 失業調査とベヴァリッジの失業論
 第3章 ベヴァリッジ1909年失業論の理論構造
  第1節 ベヴァリッジ失業論における失業発生の理論構造
    1  ベヴァリッジの失業に対する基本的認識
    2  労働の予備による失業
    3  産業活動の変動による失業
    4  労働の質の損失・低下による失業
    5  ベヴァリッジの妥当性
  第2節 ベヴァリッジの失業対策論
    1  ベヴァリッジの失業労働者法の評価
    2  職業紹介所による「労働市場の組織化」
    3  失業保険による稼得の平均化
    4  救貧法改革
    5  ベヴァリッジの失業対策の体系
    6  ベヴァリッジの失業対策論の妥当性
 第4章 ベヴァリッジとイギリス社会保障
  第1節 19世紀末から20世紀初頭におけるイギリス失業対策
    1  チェンバレン通達
    2  「雇用の不足による困窮に関する特別委員会」
    3  失業労働者法
  第2節 失業行政とベヴァリッジ失業論の展開
    1  中央失業者機関とベヴァリッジ失業論
    2  救貧法王立委員会とベヴァリッジの失業論
  第3節 ベヴァリッジと職業紹介法の制定
    1  失業対策の形成の要因
    2  職業紹介法の作成
    3  職業紹介法の実施
  第4節 ベヴァリッジと失業保険法の制定
    1  失業保険法の作成
    2  失業保険法の実施
 終章 結語
  第1節 『ベヴァリッジ報告』の原点
    1  ベヴァリッジ失業論の理論的意義
    2  ベヴァリッジ失業論のベヴァリッジの社会保障論との関係
  第2節 ベヴァリッジ社会保障論の現代的意義
    1  ベヴァリッジ報告との関係
    2  戦後のイギリス社会保障論の展開との関係

【本論文の内容要旨】

 永嶋氏は、ベヴァリッジの1909年の『失業論』を中心的に取り上げることの意義について次のように述べる。現在、各国においては社会保障制度の改革や再編成が進展している。これらを理解する上では、既存の福祉国家の構造、既存の社会保障政策体系の把握が不可欠である。この作業を進める重要な手がかりは、イギリスの福祉国家・社会保障をケーススタディーとして取り上げることによって与えられ、その原点ともいうべき『ベヴァリッジ報告』を検討することにゆきつく。こうして、ベヴァリッジの社会保障思想と政策体系を全体として理解することが求められることになる。ベヴァリッジの社会保障論を全体として理解するためには、ベヴァリッジが1909年に発表した『失業論』に遡って考察することが必要となる。こうして、永嶋氏は19世紀末から20世紀初頭にかけての「初期」ベヴァリッジの思想、活動、理論、政策を検討することになり、ベヴァリッジの社会保障論をトータルに理解することの基礎を固めることになる。

 第1章では、19世紀末から20世紀初頭のイギリスにおける経済学、フェビアン社会主義、社会調査などの領域からの失業認識について検討し、経験主義的研究によって「景気変動が最も重要な失業要因であることを把握することはできたが、失業を経済・社会構造の関連で理論的に把握することができなかった」ことの限界を指摘する。

 当時のベヴァリッジは、貧困の解消には国家介入が必要であると考えていたが、国家の介入が労働の重要性や労働の義務を阻害することにならないようにすべきである、と考えていた。彼のこのような思想は、トインビ-ホールに入所したことや同ホールの館長であるバーネットの社会改良を目指した失業論から大きく影響を受けた。

 さらに、ベヴァリッジが失業論を形成する過程で、ブースの社会調査やパーシー・オールデンの失業対策論から、臨時労働の認識、職業紹介による非臨時化、国家規模の失業保険という重要な失業対策の原理を獲得した、と永嶋氏は主張する。

 第2章では、大不況期から20世紀初頭にかけてのイギリスにおける失業問題の状況を概観し、経済成長率の低下と産業構造転換の遅れが高い失業率と不完全就労者の増加につながったことを論証する。こうした雇用・失業状況の下で、ベヴァリッジは失業調査(トインビーホールの失業調査や慈善組織協会のロンドン港湾での臨時雇用調査)に参画し、そこからの知見として、失業対策の根幹には、景気後退期において失業者の生活を支援し、労働能力を維持するための政府活動が欠かせないことを確信するに至る経緯を永嶋氏は論証している。

 さらに、これらの調査を通して、ベヴァリッジは次の3種類の失業を理論的に分類した。即ち、(1)特定産業の衰退と技術革新がもたらす失業(2)需要の季節変動・循環的変動による一時的失業(3)臨時労働市場の慢性的「不完全就労」、である。そして、失業対策としては、「不完全就労」の解消を最優先課題とした。具体的には、一方で職業紹介所による臨時労働者の組織化と非臨時化を推進し、他方では救貧法による矯正、という対策を構想した。これらの経緯を永嶋氏は丹念かつ的確にフォローしている。

 第3章では、ベヴァリッジの失業論の理論構造の検討がなされる。ベヴァリッジの失業に対する基本的認識は、労働市場の調整機能の不完全性によって失業がもたらされるというものだが、ベヴァリッジは労働市場の観点から失業を3つの類型に分類している。第1の類型は、「労働の予備による失業」と呼んでいる失業である。分立した労働市場では他の市場の動向がわからず、また、使用者の恣意的採用が労働の需要量以上の労働者を当該労働市場に引き付け、これらの要因によって「労働の予備」を増大させる。第2類型の失業は、需要自体が季節的・循環的性格を持つ場合に生まれる。第3の失業類型は、労働供給側が需要側の変化に対応できない場合、需要動向の判断を見誤る場合、個人的要因による労働能力の低下などによって発生する失業である。

 ベヴァリッジは、次の3つ失業対策を構想した。第1は、職業紹介所によって労働市場を組織化し、そのことにより労働市場の不完全性を克服し、労働の非臨時化を達成することである。第2は、失業保険制度により失業期間の窮乏を防止することである。そして、第3に、雇用不適格者に対して、救貧法の抑止原理を緩和させて、救貧法がカバーする範囲を拡大し、教育により労働規律を取り戻すことである。永嶋氏はこれらの構想の有効性についての検証を行っている。

 第4章では、ベヴァリッジとイギリス社会保障が論じられる。1880年以降、イギリスでは失業対策として、地方自治体の公共事業や新たな失業対策を実施してきた。しかし、これらの対策はベヴァリッジによれば正規労働者の失業に適合せず、むしろ労働力を堕落させる性格のものであった。

 ベヴァリッジは1905年に、失業労働者法の施行に参画することになる。そこで職業紹介所による臨時労働の排除を試み、救貧法王立委員会でも失業対策の提言を行っている。

 20世紀初頭のイギリスでは、失業対策を実施する政治的要因が整備されてきた。1つは自由党政府が失業対策に取り組み始めたことであり、行政サイドでは商務省のチャーチルが失業問題に取り組み、商務省が当時の社会政策・社会保障の推進役を果たした。永嶋氏はこの間の経緯を克明にフォローしている。

 そして、ベヴァリッジはこのような時期に商務省に入ることになる。いわば理論を実践する機会に恵まれたのである。ベヴァリッジは既に指摘した理論に基づく職業紹介法の制定やリュウェリン=スミスと共に失業保険法の制定に携わることになる。永嶋氏は法案の策定過程や法案の成立過程での主要人物の意見調整に関しても慎重に検討し、職業紹介法と失業保険法がベヴァリッジの構想に沿って法制化されたことを論証している。

 こうして、永嶋氏は、ベヴァリッジの失業論がイギリス失業対策の原点となり、また社会保障体系の原点に位置していることを論証し、有名なベヴァリッジ報告との連関を明らかにした。

【本論文の評価と問題点】

 以上のような内容の本論文の特徴は、第1に、ベヴァリッジの社会保障思想の展開に注目して、彼の初期の著作『失業論』を集中的に取り上げ、彼の失業論の全体像と政策体系を明らかにしたことである。第2に、従来の研究に欠けていたベヴァリッジ『失業論』の全体像を明らかにすることによって、1942年の『ベヴァリッジ報告』との関連性を理論的に解明したことである。第3に、ベヴァリッジ『失業論』の理論的解明とともに、彼の思想的背景、実践活動、実践を通した理論構築、政策提言、政策の策定と施行、という局面をフォローすることによって、イギリス社会保障体系の原点としてベヴァリッジの『失業論』を位置づけたことである。

 しかし、本論文には次のような課題が残されていることを指摘しておく。本論文は、ベヴァリッジの著作を丹念に検討しているのであるが、ベヴァリッジを相対化することに関しての分析が手薄になっている。たとえば、20世紀初頭のイギリスの経済状況・雇用情勢に関する分析が必ずしも充分とは言えない。また、ベヴァリッジが構想した社会保障論を当時の社会思想の潮流の中で相対化することやベヴァリッジ社会保障論の現代的意義についての考察も手薄であることは残念な点である。もっとも、当時の雇用情勢を分析することはそれ自体が1つの論文のテーマになる性格であり、また、公刊されてから約1世紀の時間が経過した著作を現代の政策思想や対策とは単純には対比できず、大きな構想の下での検証が求められる。従って、以上のような課題が残されていることが本論文の決定的な欠陥とは言い難い。その欠点を埋める努力の一端が本論文に示されており、永嶋氏の今後の研究の中での克服が期待される。

【結論】

 審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、永嶋信二郎氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2000年9月28日

 平成12年9月19日、学位請求論文提出者永嶋信二郎氏について最終試験を行った。本試験においては、審査委員が提出論文『W.H.ベヴァリッッジの社会保障論の原点ー1909年失業論の研究を通してー』に関する疑問点について説明を求め、あわせて関連領域についても説明を求めたのに対して、永嶋信二郎氏は充分な説明を行った。
 よって、審査委員一同は永嶋信二郎氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定し、合格と判断した。

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