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博士論文審査要旨

論文題目:日本の社会教育・生涯学習と異文化・異民族間<共同交流学習>:政令指定都市・川崎市における実践と地域創造に関する研究
著者:文 孝淑 (MOON, Hyo Sook)
論文審査委員:関啓子、中田康彦、横田雅弘、糟谷憲一

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【本論文の構成】

 戦後日本で成人の生涯学習をすすめ、地域主体を形成するうえで、社会教育の実践および理論は大きな役割を果たしてきた。とりわけ公民館を中心とした地域住民の共同学習とその理論が中心的な位置を占めてきた。しかし近年、生涯学習政策が推進される中で、社会教育の実践および理論はそのあり方を問い直されるに至っている。

 文孝淑氏の学位請求論文は、戦後日本の社会教育実践を支えた共同学習論の意義を評価しつつも、それが同質的な参加者を前提とされている点に注目し、異質な文化との交錯-共同交流学習-が地域主体を形成するうえで重要であることを指摘する。氏はその素材の中心を在日韓国・朝鮮人の日本語学習に求め、それが地域主体の形成にいかなる役割を果たしうるのかを実証的に解明しようと試みている。その作業を通じて、公的条件整備のもとに展開される社会教育を生涯学習社会に再定位しようとしたものである。

 本論文の構成は以下のとおりである。

 序論 社会教育・生涯学習に異民族・異文化間<共同交流学習>からのアプローチ
  第1節 研究動機
  第2節 研究課題と視座
  第3節 研究方法と論文構成
  第4節 先行研究とその限界

 [I] 日本の社会教育と生涯学習をめぐる動向-法制化・学習内容・<交流学習>-
 第1章 社会教育と生涯学習の制度化
  第1節 戦後の社会教育と公民館
  第2節 生涯学習推進体制構築の展開:1970年以降
  第3節 生涯学習体系化と外国人住民学習:1990年以降
 第2章 社会教育学習論における共同学習
  第1節 社会教育学習(論)の変遷
  第2節 共同学習と公民館
 第3章 <交流学習>の意義:新しい学習論定立の試み
     -東京都国立市公民館実践を手がかりに-
  第1節 共同学習実践の限界と新たな展開
  第2節 国立市公民館実践における<交流学習>
  第3節 「国際交流」:異文化から異民族への広がり

 [II] 川崎市の生涯学習と異文化・異民族間<共同交流学習>
     -市民館における「日本語教室」から地域創造へ-
 第1章 川崎市における外国人住民をめぐる動向
  第1節 川崎市と外国人住民活動・施策
  第2節 川崎市の社会教育・生涯学習体制
  第3節 川崎市における外国人住民施策の発展過程
  第4節 外国人住民の市政参加づくり
 第2章 川崎市・外国人住民の学び・自己確立・地域づくりの過程
  第1節 川崎市における日本語教室の動向及び意義
  第2節 市民館における日本語教室の取り組み
  第3節 中原市民館の取り組み
  第4節 日本語教室の誕生:川崎市モデルの源流
  第5節 日本語教室における日本語ボランティア
  第6節 異文化・異民族間<共同交流学習>の展望

 [III] 異文化・異民族間<共同交流学習>と地域創造
     -在日韓国・朝鮮人と「ふれあい館」の取り組み-
 第1章 在日韓国・朝鮮人と地域創造の前兆
  第1節 在日韓国・朝鮮人多住地域形成:歴史的背景
  第2節 在日韓国・朝鮮人の戦後における法的地位の歴史
  第3節 在日韓国・朝鮮人の実践と地域創造の前兆
 第2章 統合施設「ふれあい館・子ども文化センター」の取り組み
  第1節 青少年の「居場所づくり」から文化の継承・伝達・創造へ
  第2節 「ふれあい館」における識字学級の発展過程
  第3節 ふれあい館の「識字学級」の取り組み
 結論 生涯学習社会と異文化・異民族間<共同交流学習>

【本論文の内容要旨】

 戦後日本の社会教育において、公民館での住民の学習活動は地域創造の主体形成の中心的役割を担ってきた。しかしそれらに関する研究には、日常生活者として外国人住民をとらえ、外国人住民の学習を地域創造の過程に位置づけようとする視点が弱かった、と氏は指摘する。そして外国人住民の生涯学習の目的を社会的自立とともに地域社会で対等な主体の立場にたてるようになることとする。その学習活動は外国人住民の中で完結するものではなく、異文化接触によってホスト社会の住民にも文化変容が生じ、ともに地域創造をめざす主体が創出される、というのが氏の主張である。

 第I部では戦後日本の社会教育と生涯学習が法制・理論・実践の3つの観点から分析される。

 第1章では、1949年の社会教育法制定以降、公民館が社会教育法制および実践の場として中核役割を担ってきたこと、1990年の生涯学習振興整備法以降は社会教育法制による社会教育とともに、これとは独自に生涯学習施策を展開するようになったことが明らかにされる。そして公的保障に重点をおく社会教育法制と民間学習機関の積極的利用を図る消費型の生涯学習政策が同時に展開する中で、社会教育法制では提起されてこなかった異文化理解が生涯学習政策の課題として浮上してきたことを述べている。

 第2章では、社会教育における学習理論が共同学習論、系統学習論、高次の共同学習論と展開しつつ、1980年代以降は理論的停滞が生じていたことが指摘される。すなわち、地域生活課題を話し合いによって自主的・共同的に解決することを主張した共同学習論、社会構造の変動によって社会問題全体を科学的に把握する必要性を説くようになった系統学習論、両者を統合し、高い科学性をもって日常生活にみられる地域課題にとりくみ、生活と科学の結合を図る高次の共同学習論、が提唱されて以降、学習内容・方法については理論的発展がみられなかったとする。そこで氏は在日外国人の学習を例としてとりあげ、(1) 日本語学習の機会提供、(2) 異文化・異民族の生活習慣や文化の理解・習得、(3) 異文化・異民族接触による文化変容と地域創造、という三段階からなる共同交流学習というモデルを提起する。

 第3章では、公民館における学習活動の先駆的事例として東京都国立市公民館の実践をとりあげ、そこで展開された交流学習の意義と限界を考察している。交流学習とは同質の学習集団が必要に応じて自分たちとは異なる学習者と一緒に、一時的・部分的な異文化接触を繰り返す学習形態である。しかし高齢者と青少年、健常者と障害者、外国人と日本人という3つの組み合わせから異文化接触を図った国立市公民館の交流学習では、日常生活における課題の発見・共有と異文化接触の多様な広がりが見られるものの、地域創造をともにめざす主体の形成には至っていないことが明らかにされる。

 第II部は、川崎市における外国人の日本語学習の条件整備・実践が、氏の提起する共同交流学習という観点から検討される。

 第1章では、川崎市で異文化・異民族社会が形成された歴史的背景とその構成を明らかにしたうえで、外国人住民代表者会議の展開を検討している。そして日本人住民による社会教育実践の蓄積と外国人住民の市政参加推進体制という2つの基礎が築かれることによって、外国人住民が地域創造の担い手として位置づく土壌が形成される過程が明らかにされる。

 第2章では、社会教育施設における日本語教室・識字学級の実践と参加者の意識のありようを検討している。そしてニューカマーを中心とする外国人住民と実践をサポートする日本人住民との人間関係の形成に着目し、外国人住民の社会的自立をめざす中から自分と他者の学習の必要性を認め合い、共有することで地域創造の主体が創出されることを指摘している。

 第III部は、第I部・第II部の議論をまとめる結論にあたり、在日韓国・朝鮮人の学習に焦点をあてて、外国人住民が地域社会をつくりかえる過程が分析される。

 第1章では、共同交流学習が展開されるようになるまでの経緯を明らかにしている。在日韓国・朝鮮人による民族教育の場として設立された保育園が地域の子どもを受け入れ、子育てという生活課題が共有されるに至った点に共同交流学習の萌芽を見出している。

 第2章では、社会的差別の解消を目的とした教育実践が、地域住民のネットワークを組織化するようになる経緯を明らかにしている。社会教育と学童保育の機能を兼備したふれあい館の事業に焦点をあて、識字教育活動が単なる日本語学習にとどまらず、地域の生活課題を共有する人間関係が築かれる契機となったことが明らかにされる。

 最後に結論として、地域創造は生活の場における成人学習実践の蓄積の中から行われること、異文化・異民族接触が、課題をすでに共有している同質的集団に対し新たな生活課題と視点を提起することによって、地域創造の発展的契機となりうることを指摘している。

【本論文の評価と問題点】

 本論文は精緻な実地調査における参与観察と資料収集に基づくものである。とりわけ第I部第3章と第II部第1、2章は長期間にわたる綿密な実地調査の集成であり、より内在的に理解しようという姿勢が資料集積の密度として顕著に現れている。

 内容上評価されるべき特徴として以下の三点があげられる。

 第一に、これまで社会教育の領域で蓄積されてきた学習論の限界を明確にした点である。すなわち、共同学習の主体を共通の地域課題を抱える存在と措定してきた結果、学習集団の同質性が前提とされていることを指摘した点である。学習内容が地域における生活課題である限り、学習主体としての住民の性格はこれまで問われてこなかった結果、異なる立場におかれている者の声が学習に反映されにくかったとする。学習内容面のみならず学習主体の構成・人間関係を注目すべきことを示唆した点は秀逸である。

 第二に、これまでの学習論の限界を克服するものとして、共同交流学習というモデルを提起したことである。生涯学習推進体制の理念の一つとして語られる異文化理解が、単に文化・生活習慣の習得にとどまる限り地域創造への発展はありえないとし、文化を異にする者同士が地域課題を共有することの必要性を明らかにした点である。

 第三に、在日韓国・朝鮮人による日本語学習を地域創造の一過程と位置づけることによって、社会教育研究と在日韓国・朝鮮人問題研究とを架橋した点である。外国人住民の社会的自立を促す手段にとどまらず、人間関係の形成、ホスト社会の文化変容、地域課題の共有を促す役割を担うものであることを実証したのは新しい成果といえる。しかし、本論文には次のような課題が残されていることを指摘しておく。

 共同交流学習の社会的基盤として行政の条件整備と住民の学習の蓄積を分析しているが、地域における外国人住民の生活実態の分析にまではふみこんでいない。生活課題がどのような必要性を伴って生み出されるのかは今後の検討課題である。また「地域創造」という概念も分析指標としてじゅうぶん成熟したものとはいいがたい。共同交流学習というモデルが成人学習一般をどれだけ説明しうるかは、「地域創造」概念の精緻化にかかっていると思われる。

 このような課題が残されているとしても、それは本論文の決定的な欠陥であるとはいいがたく、社会教育の実践と理論を進展する契機として示されているものとみなされる。

 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、文孝淑氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2000年10月31日

 平成12年10月27日、学位請求論文提出者文孝淑氏についての最終試験を行った。本試験においては、審査委員が提出論文『日本の社会教育・生涯学習と異文化・異民族間<共同交流学習>-政令指定都市・川崎市における実践と地域創造に関する研究-』に関する疑問点について説明を求め、あわせて関連領域についても説明を求めたのに対して、文孝淑氏は充分な説明を行った。
 よって、審査委員一同は文孝淑氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定し、合格と判断した。

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