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博士論文審査要旨

論文題目:ソビエト・エトノス科学論:その動機と展開
著者:田中 克彦 (TANAKA, Katsuhiko)
論文審査委員:渡辺雅男、平子友長、糟谷啓介

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 (1) 本論文の構成

 これまでに著者は数多くの著作を刊行し、その該博な知識と深い学識、また、鋭い問題提起により内外の学界、論壇、そして一般読者に強烈な印象を与え、また、同時に、高い評価を得てきた。今回、そうした発表論文、既刊著書のなかから、ソビエトにおけるエトノス科学の生成と展開を明らかにし、その全史を通じて言語に対して与えられた独自のイデオロギー的役割を探り出すという年来の問題意識に沿って、論述を選別し、独立の著作を編集した。

 本書を構成する7つの章のなかで最も早い時期に属す第1章が1974年の発表であり、最も新しい第7章が2000年であるから、本書は、文字通り著者の研究者としての円熟期にあたる4半世紀を通して行われた、「ソビエト・エトノス科学」をめぐる研究の独自の成果である。

 主要目次を掲げると、次の通りである。

 序
 第一章 カール・カウツキーと国家語
  1 「民族問題」と言語
  2 レーニンにおける民族自決論の限界
  3 レーニンの祖型としてのカウツキー
  4 スターリンの一歩
  5 言語と民族の理論のために
 第二章 ソ連邦における民族理論の展開――脱スターリン体制下の国家と言語――
  1 民族の定義はなぜ必要か
  2 「接近と融合」の課題
  3 民族の条件
  4 エトノスについて
  5 単一国家と「族際語」を求めて
  6 「ソ連邦語」へむかって
 第三章 国家語イデオロギーと言語の規範
  1 生物的言語観と社会的言語観
  2 言語は民族を決定するか
  3 言語は形式か
  4 民族語から世界語へ
  5 言語から意識へ
  6 エトノスと言語
  7 国家語イデオロギー
 第四章 ソビエト・エトノス科学の挑戦と挫折
  1 過渡から解体へ?――はじめに
  2 超国家としての連邦
  3 「民族自決」の脅威
  4 やむを得ずの連邦制
  5 エトノス論のはじまり
  6 すべては『アンティ・デューリング論』から
  7 スターリンにおける「言語」と「東方」
  8 「ソビエト人」論の水面下で
  9 ロシア革命におけるエトノス――むすび
 第五章 「ソビエト連邦」の文明論――社会主義と「民族」論のゆくえ――
  1 ソビエト連邦とは何であったか
  2 ヨーロッパ文明の担い手、マルクス主義
  3 「歴史」と「発展」のイデオロギー
  4 逸脱としてのソビエト連邦の貢献
 第六章 「宗主国家語」をこえて――日本語の「国際化」をめぐるイデオロギー状況
  1 「日本(人)の国際化」から「日本語の国際化」へ
  2 母語ペシミズムの伝統
  3 言語改革と保守化
  4 「簡約日本語」の二つの面
  5 外国語を学ぶとは
 第七章 「スターリン言語学」精読
  はじめに
  1 「民族」の定義の構造
  2 一九二〇年代のスターリン
  3 一九五〇年マルクス主義と言語学の諸問題
  4 スターリン言語学と日本
  おわりに スターリン論文とは何であったか

 (2) 本論文の概要

 ロシアのマルクス主義者が革命の舞台として直面した現実は、二〇〇に近い種類の、さまざまな発展段階にある民族を抱えたロシア帝国の歴史的遺産であった。そのため、彼らは、被抑圧階級の解放のみならず、被抑圧民族の解放という課題とも対決しなければならなかった。

 その課題は西欧のマルクス主義にとっては中心的な問題ではなかった。民族の解放は、階級の解放の中に含まれるか、それに従属するものであって、民族それじたいが、固有の価値をもたない、やがて消滅すべきネガティブな存在であったからである。

 したがって、西欧マルクス主義に求めても得られない、民族問題、民族政策の土台となるべき民族理論は、ロシアという状況の中から、自前で作り出さなければならなかった。その政治的解答こそ、西欧マルクス主義が排した連邦制(その拡大としての「ソユーズ=同盟」制)原理にもとづく「ソビエト同盟」という国家形態であった。ソビエト・ロシアが引き受けたこうした歴史的、政治的課題を言語の問題を通じて明らかにしようというのが本論文の意図であり、広い意味での問題意識である。

 実際にはそのための理論と政策の構築にたずさわったのがレーニンととりわけスターリンであった。レーニンの期待をうけてスターリンによって著わされた一九一三年の「マルクス主義と民族問題」は、非西欧の「後進地帯」においては、頼ることのできる、マルクス主義にもとづく民族理論として、いわば古典的地位を占めるに至った。とりわけ日本では一九五六年、フルシチョフが暴露的スターリン批判を行うまでは、疑問が生ずると、そこへさかのぼって議論をたてなおすための原典として揺るぎない権威を確立した。奇妙なことは、それが政治のレベルにとどまらず、学界的レベルにまで及んだことである。

 スターリンの民族理論なるものが、どのような理論史の文脈の中で、どのような先行理論を材料として編みあげられたかを検討する試みはこれまでほとんどなかった。つまり、それは「教条」としてのみ扱われたために、ソビエト民族理論の特質そのものも明らかにされなかったのである。本書に収録された一連の論文は、狭い意味ではこの問題に挑んだものである。

 第一章「カール・カウツキーと国家語」は、スターリンの民族理論、したがってソ連邦の民族理論なるものは、オットー・バウアーに代表されるオーストロ・マルクス主義の民族理論に対するカール・カウツキーの批判をモデルとして生まれたものであることを示す。そこでは、カウツキーにならって民族の特徴づけとしての「民族的性格」を排して「言語」が強調され、文化的自治原理(Personalitatsprinzip)に対して、地域原理(Territorialprinzip)の優位が強調される。

 その一方では、オーストリア社会民主党のブリュン綱領が大いに参照され、それがレーニンによる「国家語(Staatssprache)制定の排除」という原則となって残る。この原則は、ソビエト崩壊の時点にまで至る、全ソビエト期を通じて、言語・民族政策をしばることになる。

 第二章「ソ連邦における民族理論の展開――脱スターリン体制下の国家と言語」は、フルシチョフ、ブレジネフ期に入ってからの脱スターリン理論が形成されて行く過程を示す。それは、すなわち、ソ連邦諸民族の脱エトノスと一体化の時代にあわせて、それにふさわしい理論を作るために、「ソビエト人」概念の構築のために民族学が動員されていく過程である。

 第三章「国家語イデオロギーと言語の規範」は、ソ連を舞台とする「言語と国家」の問題を、フランス革命にさかのぼり、また、レーニンが言語的民主主義の典型例として引いたスイスの問題をとりあげながら、より普遍的視野のもとで考察している。

 ソ連邦における言語・民族の問題が、政策のレベルにとどまらなかったことは言うまでもない。そこでは民族形成の中心概念をなす「エトノス」についてのアカデミックな議論が積み重ねられた。そして、このエトノス形成と不可分に結びついているのが「言語」であるという観点から、ソビエト独自のマルクス主義的言語学の構築が求められたのである。

 言語の起源と形成、言語の親縁関係などの基本概念を作ったのが十九世紀における「印欧語比較言語学」であったから、ソビエト言語学の課題は、印欧語比較言語学における言語の系譜観を破壊することだった。その役割を引きうけたのがN.Ya.マルであった。

 ところが、マルとその仲間が心血を注いで構築した「ソビエト言語学」を全否定したのが、スターリンの「マルクス主義と言語学の諸問題」(一九五〇)であった。本書の第7章「『スターリン言語学』精読」は、言語・民族に関するソビエト・イデオロギーの全史と核心をおさえながら、その本質を明らかにしようとしたものである。

 このスターリンの論文は、言語については階級性の観点をとることが誤まりであり、民族語の復権を主張したものであるが、それをはさむ前後の時代に行われたソビエト学界における論戦を、単にマルクス主義の枠内にとどめず、ひろく人類史の理解のための意義という点から論じようと試みたのが、第五章「『ソビエト連邦』の文明論」と、第四章「ソビエト・エトノス科学の挑戦と挫折」である。

 従来、ソビエトで行われてきた、言語・民族を人類の未来への展望のもとに考察する「ソビエト・エトノス科学」は、単にソビエト・マルクス主義の枠内でしかとりあげられてこなかったし、甚だしい場合には、単に権力闘争の構図としかみなされてこなかった。ましてや正統の言語学は、そこにはいかなる学問的な価値もないものとして無視してきた。著者はこのようなソビエト・エトノス科学をアカデミックな研究史のコンテキストをも参照しつつ、人類史を展望におさめたその営みと政治的・学問的な意義を明らかにしようと試みている。

 (3) 本論文の成果と問題点

 本論文のさしあたりの成果は、「ソビエト・エトノス科学」を手がかりにしてソビエト・マルクス主義の独自性を明らかにしたことであろう。西欧マルクス主義を越えるソビエト・マルクス主義の最大の特徴は民族問題にあるというのが著者の主張であり、この主張は、以下のような論点を通じてきわめて説得的に展開されている。

 第一に、ソビエト・エトノス科学の歴史を辿りながら、本論文は、民族概念の整理を行い、種族、ナロードノスチ、ナーツィアという三重の構造がエスニック共同体および、その本質としてのエトノスを貫いていることを明らかにする。それらが国家権力との関係性を規準に使い分けられているという指摘は、ソビエト政権の民族政策の基礎を理解するうえでの鍵である。

 第二に、本論文は、民族政策の変遷を1920年代の民族の自立から60年代の民族の解消(「単一のソビエト人」の形成)へという政策目標の変化してとらえており、そうした変化を現実の民族状況との矛盾的関係のなかで理解しようとする点は、本論文の第二の秀逸な着眼点である。

 第三に、言語と民族の一対一の対応関係を想定するソビエト・マルクス主義の伝統からすれば、民族政策をめぐる基本的構図はそっくり言語政策の変遷を理解する構図として移し替えられる。「民族の解放」を唱えて民族語の尊重を宣言し、しかも、「国家語」の否認を貫きながら、しかし、結局「単一のソビエト人」の形成を目標に掲げることによってロシア語の特権的地位(「単一の共通言語」)を事実上是認するようになるという言語政策の変遷は、ソビエト・マルクス主義が民族問題への取り組みの中で遭遇したのと同一の根本的矛盾の反映と見ることができる。この点の指摘も本論文の大きな特徴である。

 こうした矛盾を内包しながら、名目としての民族自決から実質としての民族自決へと向かう20世紀のソビエト国家の歴史は、同時に連邦国家の矛盾とそれに突き動かされるように進む解体の歴史であったことが説得的に明らかにされる。本書の第四の特徴はこのダイナミズムを明らかにした点にある。

 総じて言えば、本書の最大の成果は、「ソビエト・エトノス科学」を基軸に据えることによって、たんにソビエト・マルクス主義の独自性を理解する鍵を提供したことに留まるものではなく、それが孕む根本的な矛盾、連邦国家の解体へとつながる矛盾を解き明かし、スターリン言語学説、民族学説の功罪をこうした歴史的ダイナミズムのなかに位置づけた点にある。言語と民族の視点からソビエト国家の成立と解体をダイナミックにとらえる本論文の議論は他に類を見ない秀逸な議論である。

 とはいえ、本論文に問題がないわけではない。ソビエト言語学を否定し、伝統的言語学への回帰を宣言するスターリンの言語学論文は、著者も指摘するようにソビエト・イデオロギーの敗北宣言である。著者は、その背景にサイバネティクスへの大きな、さしせまった需要と期待があったことを鋭く指摘する。もし、著者の言うように、技術革新を迎え入れる言語学的な準備として「言語学のマルクス主義化」の試みが放棄されたとするならば、それは現代が「言語的意味の外被をなす、呪術的、宗教的、イデオロギー的要素が刻々と失われ、中核をなす技術的意味がますます重きをなしていく」時代であるという事実のまえに「イデオロギーとしての言語」が屈服したことを意味する。「技術としての言語」の前に「イデオロギーとしての言語」は無力なのか。技術のイデオロギーに対抗する言語のイデオロギーはどこにその可能性を残しているのか。イデオロギーが人間の精神活動とともにある限り、この問いは無意味ではない筈である。著者の議論は、言語のイデオロギー批判の将来的な可能性という点にかんする限り、問題の提起にとどまっている。

 以上のような問題点にもかかわらず、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに充分な成果を上げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するにふさわしい業績と認定する。

最終試験の結果の要旨

2000年9月27日

 2000年9月27日、学位請求論文提出者田中克彦氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員は提出論文『ソビエト・エトノス科学論――その動機と展開――』に関する疑問点について逐一説明を求め、あわせて関連分野についても説明を求めたのに対し、田中克彦氏はいずれも十分な説明を行った。よって、併せて行われた語学試験の結果をも踏まえ、審査委員会は、田中克彦氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格と判断した。

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