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博士論文審査要旨

論文題目:行政による生活困難支援の限界 ―現場レベルにおける支援をめぐる規範と意思決定の社会学的分析―
著者:山邊 聖士 (YAMABE, Masashi)
論文審査委員:猪飼 周平、白瀬 由美香、田中 拓道、辻 琢也

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1. 本論文の概要
 本論文は、行政による住民に対する支援に関して、現場レベルで生ずる困難の要因について、政令指定都市X市における行政活動を丹念に分析することを通じて解明を試みた論文である。自治体行政には、生活に困難を来した人びとを支援する機能の充足が期待されており、それは福祉国家による生活保障の最前線に位置づけられる。これに対し、近年つとに指摘されるようになったことだが、行政による生活支援にはいわゆる「苦手」領域が存在しており、とりわけ生活困難下にある個人のニーズに支援が届いていないということが指摘されるようになってきている。著者は、この点に着目し、現場レベルの組織や職員に保有されている意思決定に関する「規範」から、この支援する上で行政が抱える困難を解明しようとした。
 本論文は、7章構成となっている。序論および第1章において、著者の問題意識および本論文の課題を抽出した上で、第2章において、調査対象となったX市について概観している。論文の分析の中核は、第3章から第5章に至る3章であり、X市における現場での支援方針を決定する諸会議・会合での傍聴記録に基づいて、現場の職員および組織(本論文では「第一線職員」「第一線組織」と称する)がもつ意思決定のパターンを抽出した上で、その意思決定の前提となる価値を「規範」として抽出する作業を行っている。すなわち、現場=第一線組織・職員の意思決定に際しては、1)当事者が抱える困難に対応すべきであるという規範、2)組織の持続性に留意すべきであるという規範、3)第三者の評判を落とさないようにしなければならないという規範が並立しており、これらのバランスを取ろうとすることから支援に深入りすることを手控える意思決定が導かれるというものである。そして終章において本研究の総括が行われている。

2. 本論文の成果と問題点
 従来福祉国家の機能に関して中核の論点とされてきたのは、資源の分配に関する公平性や効率性であり、これに対応して自治体行政についても、現金やサービスの給付の公平性や効率性に関心が集まる傾向にあった。これに対して、本論文の最大の成果は、現場の職員や組織が、生活困難を抱えた当事者の存在を認識し、彼らのニーズに沿う支援をすべきであることを理解しているにもかかわらず、組織や職員の意思決定として支援を手控えるという現象に分析の光を当てたことであるといってよい。また、組織・個人に保有される「規範」を基盤とするメカニズムとして、生活支援を描き出した点も高く評価されうる。さらに、調査対象がX市に限定されていたとはいえ、膨大なフィールドワークに基づいており、著者による恣意的な評価を可能な限り排除しようとしていることも言及に値する。
 他方で、本論文にも残された課題はある。第一に指摘されるべきは、第一線組織・職員であってもそれらは、行政学が長年探求してきた行政組織それ自体の運動原理、および行政組織を規律する行政法に代表される法体系の強い影響下にはるはずであるが、この点についての顧慮がやや不足している点である。第二に指摘されるべき点として、本論文はX市という政令指定都市の主に保健部局のフィールドワークに基づいているが、その事例には代表性に疑問の余地があるということである。そもそも、行政組織の様々な意思決定の現場に立ち会うフィールドワークは、プライバシー保護等の理由から困難なことが多く、無い物ねだり的な注文であるともいえるが、この点については改善が求められる。第三に指摘されるべき点として、本論文では、意思決定の出発点となる位置に「規範」を置いたが、このような事象についての解釈の仕方が、他の解釈に優越するということが説得的に示されてはいない点である。
 ただし、これらの点は最終試験(口頭試問)の中で著者自身が認めているところであり、学位論文としての水準を損なうものではなく、むしろ著者の今後の研究の「伸びしろ」の大きさを示しているといえよう。将来の研究において本論文にみられる課題は克服されてゆくことが十分に期待できよう。

最終試験の結果の要旨

2021年3月3日

 2021年1月26日、学位請求論文提出者・山邊聖士氏の提出論文「行政による生活困難支援の限界−現場レベルにおける支援をめぐる規範と意思決定の社会学的分析−」について最終試験を行った。本試験において、審査委員が同論文についての疑問点について説明を求めたのに対し、山邊氏はいずれも十分な説明を与えた。よって審査委員一同は山邊聖士氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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