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博士論文審査要旨

論文題目:日本の19世紀における「好古家」の蒐集活動と歴史意識 ―武蔵国の在村医小室元長を中心に―
著者:古畑 侑亮 (FURUHATA, Yusuke)
論文審査委員:若尾 政希、渡辺 尚志、石居 人也、高柳 友彦

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1 本論文の概要
 日本の近世から近代にかけての時期に、「好古家」と呼ばれる人たちがいた。本論文は、「好古家」による古い事物を蒐集(収集)する活動に焦点をあわせ、彼らの歴史意識に迫り、その歴史的意義を解明しようとするものである。著者が分析対象としたのは、武蔵国比企郡番匠村(現、埼玉県ときがわ町)の在村医である小室元長(1822~1885)が遺した膨大な備忘録から随筆、スクラップブック等である。著者は、それらを「編纂物」と総称し、そうした編纂物を分析していくことによって、作成者である小室元長(以下、元長)が、いかなる情報や知識、書籍や遺物を所持していったのか、それはいつ誰からどのようにして入手したのか、を明らかにする。その上で元長がどのような「歴史意識」を持ったのかを考察していくのである。
 本論文は2部7章構成である。第一部「「好古家」の蒐集活動と近代メディア受容」では、40歳代で明治維新を経験した元長が、近代のメディアや学知をどのように受容していったのかを考察した4つの章からなる。第一章では、元長の随筆『不如学斎叢書』『叢書』『南木廼家随筆』を分析して、元長が前時代の<考証家>たちによる資料博捜という方法を引き継いでいることを明らかにした。第二章では、小室家文書中の日記・書簡、新聞の写し等を分析することで、明治前期において元長ら「好古家」たちが新聞・雑誌をどう受容したのか、を解明した。第三章では、『南木廼家随筆』の個々の記事の典拠を調査する基礎的研究を行い、元長による新聞・雑誌の読み方を明らかにし、元長の意識・思想に迫っていく。第四章は、小室家文書中の蔵書と編纂物の分析によって、元長による新井白石(1657〜1725)の著作の蒐集活動と、白石社(1881年〜)による白石著作の出版活動との関連を明らかにする。
 第二部「遺跡・遺物へのまなざしと「好古家」の歴史研究」では、第一部で明らかとなった元長の蒐集活動の実態と歴史意識を踏まえて、元長ら「好古家」の歴史研究を具体的に論述している。第五章では、小室家文書中の書簡や著作の分析から、元長が、明治十年代の考古学の知識をどう受容していったのか、を検討するとともに、元長の遺跡・遺物観を明らかにする。第六章では、元長が熱海・箱根を旅した際に作成した3冊の旅日記を素材にして、古物に向けられた元長のまなざしがどのようなものであったか、を検討する。第七章では、元長が生涯をかけて校訂した『小田原衆所領役帳』を取り上げ、その校訂作業が明治7年(1874)の箱根湯治旅行で出会った福住正兄(1824〜1892)との交友関係により深められていったことを解明した。

2 本論文の成果と問題点
 第一に、著者が「編纂物」と名付け分析対象とした備忘録、随筆、スクラップブック等は、小室家文書に大量に遺されているが、同種の資料は、小室家だけでなく、日本全国の文書群のなかにみることができるものである。これまで、研究者は、こうした資料の存在を知ってはいたが、あまりに雑多にみえ、どう扱っていいかわからず持てあまし放置してきたのである。著者はそうした史料に光を当て、それを真正面から分析した。これが本論文の最大の成果である。
 その際、著者が、そうした編纂物を、蔵書や書簡をはじめとした周辺資料と丹念に突き合わせていくことで、その作成者である元長の意識・関心に迫るという方法論を紡ぎ出していることも評価したい。それは、日本各地に残る膨大な同種の史料を読み解いていく際にも応用することが可能であろう。これが第二の成果である。
 第三に、元長ら「好古家」らを史学史上に位置づけようとしたことも高く評価できる。従来の史学史研究では、近代アカデミズムにおける歴史学が対象とされ、アカデミズムの外側で、社会のなかでその学知を享受し活用する人たちの営為に光が当てられることはなかった。
 第四に、近代初めの新聞・雑誌とは何だったのか。あるいは新井白石の著作集を編集・出版するというような営みが、どのような意味をもったものだったのか。こういった点について、元長に即して、元長の視点から、解明したことも本論文の成果だということができよう。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより残された課題がないわけではない。元長が「好古家」としての活動を行っていくための経済的基盤がどのようなものだったのか、また幕末・維新期の政治状況について元長がどのような認識を持っていたのか、というような点については、本論文では十分に言及できていない。もちろん、こうした点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、また著者もすでに自覚しており、近い将来の研究において克服されていくことが期待できるものであろう。

最終試験の結果の要旨

2021年2月10日

 2020年12月23日、学位請求論文提出者古畑侑亮氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が、提出論文「日本の19世紀における「好古家」の蒐集活動と歴史意識―武蔵国の在村医小室元長を中心に―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。よって、審査委員一同は、古畑侑亮氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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