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博士論文審査要旨

論文題目:民営化する教育協力の公正性 ―日本の民間企業・団体による教育輸出の正当化と知の統治体制の形成―
著者:朝倉 隆道 (ASAKURA, Takamichi)
論文審査委員:太田 美幸、上田 元、赤嶺 淳、児玉谷 史朗

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1.本論文の概要
 本論文は、民営化の進む国際教育協力においていかに公正性に関わる言説が生成されて
いくのか、その過程を、日本の学習塾を中心とする民間企業・団体の海外展開を主な事例
として、ソフトパワーの観点から解明しようとした意欲作である。著者は、近年開発協力
および教育協力において民営化が拡大深化し、民営化と公正性の両立について経営学と教
育社会学の両分野でそれぞれ異なる視角から展開されてきた議論の偏りを指摘したうえで
「人々のライフスタイルや夢の変容」を解明するという研究課題を設定する。また「ソフ
トパワーが介入を正当化する理屈として用いられ、学びの文化に変容を迫る知の統治体制
を展開している」という仮説を提示し、分析枠組みとして、政府と民間企業の関係を探る
ために「制度による同型化圧力」論を適用し、さらに、それでは明確にならない個々の民
間企業の独自性を明らかにするために、企業による「物語生成(ストーリーテリング)」を
分析するという手法で補う。
 第 1 章では、教育主権について、提供国の日本政府が各国の特殊性を尊重することで教
育主権の配慮をしていたことを紹介し、教育主権を強く主張してきた受入国インドネシア
が近年、教育機関受け入れに対する行政手続きの明文化をはかってきたことを説明する。
 第 2 章では、日本政府による教育協力が、学習塾を中心とした民間企業・団体の海外展
開に与えた影響を3期に分けて分析している。
 第 3 章では、公文教育研究会と才能教育研究会が現地社会で生活する人々に対して用い
た物語を分析することで、どのように他国の教育事象への介入を正当化しようとしたのか
を考察している。両組織とも受容側の社会に教科内容の強要はしなかったが、日本的学習
「手法」の移転や「技術大国」という日本イメージの利用が見られるなど、受容側社会を
日本の知のあり方に従属させることが忍び寄るように進められたという。
 第 4 章では、米国の EdTech 系企業 2 社が新しい教育サービスの事例として取り上げら
れ、自社の学習コンテンツの優位性と教育の機会均等への貢献に関わる語りが公正性とし
て利用されていることが示される。
 第 5 章は、3,4章で提示された調査結果を分析、考察する。受容側の社会の個人と組
織それぞれへのアプローチを分析することで、民間企業・団体が物語にまつわるシンボル
の持つ権力を行使しつつ、いかに知を正当化する統治体制を形成しているのかを考察しよ
うとした。民間企業・団体の物語を受容した学習者と家族は、海外からの学習法への期待
から、現地社会の学習文化に変容を迫られ、現地の価値観を保護する教育主権を自ら放棄
するようになる。また民間企業・団体が教育協力に関与することで、日本政府の役割に変
化が生じたという。日本の民間企業・団体と米国の EdTech 企業・団体は海外展開の方法や
利用するシンボルの違いはありつつも、どちらもソフトパワーを用いて現地社会に変容を
迫ることで知の統治体制を形成していると指摘している。

2.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、研究対象、研究方法両面で、最新の研究成果と実務の動向を視
野に入れて、多分野横断的研究を行い、開発と教育、比較教育学などの関連分野に新しい
知見を加えたことである。著者は、日本の国際開発論や教育協力論では従来あまり取り上
げられなかった経営学の新しい研究動向をカバーし、教育社会学における政策ネットワー
クの議論もふまえたうえで、分析枠組みとして新制度学派の社会学を援用し、さらにスト
ーリーテリングという手法で補っている。このように本論文は複数の専門分野を横断的に
応用し、多面的、複合的に研究する仕掛けを準備しており、日本における開発研究や教育
学の既存研究には見られない新しい動向を見据えた、多分野複合的研究となっている。
 第二の成果は、学習塾というこれまで国際開発論や教育協力論では、あまり取り上げら
れてこなかった存在に光をあてて、日本の教育協力や教育輸出において果たした、その重
要な役割を明らかにしたことである。従来の「開発と教育」研究において民間部門、非国
家部門のアクターとして研究対象とされたのは私立学校、NGOの運営するノンフォーマ
ル教育、コーラン学校やキリスト教ミッション系の学校などであり、また国際経済研究等
において日本の産業構造の変化やグローバル化に伴って海外展開する企業として取り上げ
られたのは、多国籍企業や製造業企業であって、学習塾が民間企業・団体の代表事例とし
て取り上げられることはあまりなく、もっぱら「私的補習教育」研究の対象として研究さ
れるにとどまっていた。このような状況で、本研究が学習塾を教育協力研究の対象と位置
づけたことは、「開発と教育」研究に新たな地平を切り開いたと言ってよいであろう。
 第三の成果は、日本の学習塾等を中心とする民間企業・団体の海外展開や教育協力を多
面的に描くことで、日本の開発協力および教育協力についての通説的イメージに修正を迫
ったことである。通説的理解では日本の援助は、主権侵害や内政干渉と批判されることを
避けるべく慎重で、要請主義と自助努力支援を原則とし、歴史の反省から日本型教育シス
テムの押しつけは忌避するものであった。ソフトパワーの活用は比較的近年になってから
で、その後の利用も限定的だとされてきた。これに対して、本研究は、学習塾を中心とし
た民間企業・団体が積極的に日本型サービスの質の高さを強調したり、日本の学習文化の
優位性を受容側の社会の個人に浸透させることで、介入の正当性を獲得しようとしたりと
いった姿を明らかにしており、通説のイメージとは異なった側面を描き出している。また
通説では日本の援助政策は米国とは対照的に異なるとされるが、本論文は、民間企業・団
体レベルではソフトパワーを利用して現地社会に変容を迫ることで知の統治体制を形成す
る等、日米で共通の傾向が見られるとしており、この点でも通説と異なった見方を示して
いる。
 民営化と公正性をめぐる経営学と教育社会学の従来の議論に対して、あるいは教育協力
に民間企業・団体が参入して政策を変容させているという議論に対して、本研究が研究結
果として見出したのは、そのような「公的援助=平等、公正」から「民営化、民間企業の参
入=効率性の優先、公正性の侵食」といった二項対立的関係の移行というより、教育協力
における官と民の関係の変化だという。民間企業・団体は、他国の教育に介入する際、公
的部門が教育協力において公正性として用いていたロジックを、自らの介入を正当化する
ロジックとして転用した。著者はこれを、政府機関が民間企業・団体の教育輸出に対して
同型化圧力を迫り、模倣的同型性を生じさせたと解釈し、官はこのように自分たちのロジ
ックが引き継がれる展望があったからこそ、教育協力の民営化が円滑に進み、結果的に政
府機関は、間接的ではあるが、影響力をむしろ強めたのだという。
 以上が本論文の主な成果であるが、当然のことながら問題点や残された課題もある。第
一の問題点は、成果と裏腹の関係にあるが、新規性と多面的複合性に優れていると言える
反面で、歴史的な構造、動態との連続性・断絶や関連領域の先行研究との接続・相違が見
えにくいことである。研究課題に関しては、国際開発、教育協力における民営化と公正性
をめぐる経営学と教育社会学の議論の偏りをレビューすることで論を開始しながら、ソフ
トパワーの利用、知の統治体制というフーコー的な知の権力論の検討に問いと仮説を位相
転換したために、経営学と教育社会学の議論に戻って「民営化は公正性の維持と両立する
か」という問いに直接答えることはしていない。
 また、教育主権と介入の問題は、受入国についての国民国家、主権国家の議論と密接に
関連している。比較政治学や地域研究の成果が示してきたように、インドネシアを含む東
南アジア諸国は、独立直後の国家建設・国民統合、冷戦期の反共軍事国家的開発主義国家
(あるいは開発独裁)、輸出指向工業化による経済成長、ポスト冷戦期の民主化というよう
に、変化する国際政治経済環境の中で政治史的変遷を経てきたが、学校教育を通じた国民
化を初めとして、国民国家と学校教育の関連は常に重要な国家的政治問題であり、民営化
する教育協力や教育主権と介入はこの変遷の延長線上に位置づく。教育学においても教育
主権は他国との関係だけでなく、国家と国民の関係に関わる問題として長らく議論されて
きた。しかし本論文では、関連する議論はされているものの、「国民国家と教育」の歴史と
接続させて、あるいは政治学、地域研究や教育学/教育社会学における議論と関連づけて
体系的に説明していないことに物足りなさを感じる。
 関連して、情報通信技術の発達に支えられた自由市場経済主導、金融支配の越境的グロ
ーバル化が主権国家による国境管理と統制を前提とした国民国家と国民経済に大きな影響
を与え、その再編成を迫るものであることはよく知られている。グローバル化によって国
民国家が揺らぎ始める一方で、反グローバリズムと関連してナショナリズムや宗教の政治
的原理主義的運動が噴出した。当然、グローバル化は教育面にも直接現れる他、教育協力
関係にも影響が及んだはずである。グローバル化は民営化する教育協力にとって変化の重
要な契機であったと考えられるが、本論文はこの観点から整理して説明してはいない。
 第二の限界として、被援助国・受容側社会であるインドネシアの調査研究について、広
い意味での地域研究的な精密さ、目配りが不足している。華人やイスラムの問題は、前項
の国民統合、開発独裁、民主化と関連するのに加え、ノンフォーマル教育、政府の許認可、
言語、海外への留学など教育に多くの関わりを持つ。都市と農村の違い、ローカルな自然
資源と環境教育など地理的、環境的要因も学校・教育施設の立地や住民の伝統的学習文化
に影響すると考えられる。著者もこれらの点は十分認識していたであろうが、調査の実施
にあたってこれらを十分反映させることができていなかった。
 第三の限界は、援助供与国・教育協力提供国の類型による違いや歴史的変化が十分考察
に組み入れられていないことである。本論文は、一部を除けば、日本の学習塾等を主な事
例として、日本の政府の教育協力や民間団体の海外展開を対象としている。これが著者の
設定した目的に沿ったものであることも、国際比較が残された課題であることも、本論文
中に書かれている。しかし国際比較になっていないのは対象を日本に絞ったことだけが原
因ではない。結論では、今後アメリカや韓国の学習塾と日本の学習塾を比較することが示
唆されているが、企業、産業レベルの検討が想定されているように見える。しかし本論文
で議論されているのは、政府の政策や公共と民間の両方の制度が関係する事象であって、
個人や企業だけにとどまらない問題である。今後、提供国・援助国の国際比較や類型化で
補完するのであれば、この点を考慮する必要がある。

3.結論
 指摘した問題点や限界は著者自身認識しているところもあり、本論文の成果を損なうも
のではない。著者の今後の研究において克服されると期待される。よって審査委員一同は
朝倉氏の論文が十分な完成度をもって、当該分野の専門性にふさわしい学問的貢献をした
ものと判断した。

最終試験の結果の要旨

2020年10月4日

 2020 年 9 月 4 日、学位請求論文提出者、朝倉隆道氏の論文について、最終試験を実施し
た。試験において審査委員が、提出論文「民営化する教育協力の公正性―日本の民間企業・
団体による教育輸出の正当化と知の統治体制の形成―」に関する疑問点について説明を求
めたのに対し、朝倉氏はいずれに対しても的確な応答をし、納得のいく十分な説明を与え
た。よって、審査委員一同は、本論文の著者朝倉隆道氏が、一橋大学学位規則第 5 条第 1
項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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