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博士論文審査要旨

論文題目:韓国政府樹立後の反共活動と国民保導連盟
著者:崔 仁鐵 (CHOI, Inchul)
論文審査委員:加藤圭木、吉田 裕、佐藤仁史、石居人也

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1 本論文の概要
 朝鮮半島が分断され、1948年8月15日に韓国政府が樹立される中で、韓国では反共主義が強化されていった。国民保導連盟(以下、保連と略す)は、左翼への取り締まりが強化された情勢下において、転向した左翼を加入させ、加入者(保連員)を日常的に管理・統制するとともに、反共宣伝を実施した団体である。朝鮮戦争を前後する時期において、韓国では「アカ狩り」によって民間人虐殺事件が数多く発生したが、その中でも一つの事件として最も多くの犠牲者が生じたのが、保連員に対する虐殺事件であった。保連員は朝鮮戦争の勃発にともなって、韓国側に不利な行動をとるのではないかとの疑いから、虐殺されたのである。この虐殺事件は、独裁政権の下で長らく隠蔽されてきたが、韓国の民主化にともない徐々に真相究明が進められてきている。保連をはじめとした反共活動の実態や保連員虐殺事件に関する検討は、韓国現代史研究の重要課題である。
 本論文は、韓国政府樹立後から朝鮮戦争の勃発に至るまでの約2年弱の期間における、保連を中心とした反共活動について、貴重な史料を博捜した上で考察した重厚な研究である。従来の調査・研究が保連員虐殺事件の真相究明に重点を置いてきたのに対して、本論文は虐殺事件の背景を探るという問題意識から、保連が具体的にどのように組織され、いかなる活動をしたのかという問題を中心に、地域社会の視点を重視しながらアプローチしている。本論文は、分断体制が継続する朝鮮半島の現実と切り結ぶ労作であり、本文・参考文献目録をあわせて400字詰め原稿用紙換算にして約500枚に及んでいる。
 保連員虐殺事件や韓国における反共主義は、日本側とも無関係の問題ではない。本論文でも強調されているように、保連や韓国の反共主義は、日本の植民地支配期の反共政策を継承したものであり、日本の植民地主義と密接な関連を有するからである。ところが、保連などの問題について日本語で読むことができる学術的な文献は限られている。かかる日本の状況において、本論文は日本の学界で出された保連に関する数少ない研究であり、貴重な成果である。また、本論文は韓国での調査・研究の動向を詳細に紹介しているという点でも、日本の学界における貢献は極めて大きい。

2 本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、保連の活動の実態について、地域社会のレベルで詳細に明らかにしたことである。これまでの研究は、朝鮮戦争期に引き起こされた保連員虐殺事件の真相究明に重点を置く傾向があった。このため、保連の地方組織の活動については十分な検討がなされてこなかった。これに対して、本研究では保連の地方組織がどのような形成されたのか、また地方組織がおこなった宣伝活動のあり方を詳細に分析している。こうした作業を通じて、韓国政府樹立後の反共活動の遂行において保連が果たした役割を明確にすることに成功している。
 第二に、釜山および慶尚南道といった保連の地方組織の幹部構成員を精密に分析し、保連が有している植民地期との人的側面における関連性についてミクロな視点から考察を深めたことである。まず、植民地期の対日協力者が保連中央の幹部を務めていることは従来から指摘されてきたが、本研究では地方組織のレベルでそのことを具体的に解明している。加えて、植民地期以来、独立運動や共産主義運動に積極的に取り組み地域社会で名望を集めていた人物が、保連を通じて反共活動に組み込まれていった様相が綿密に明らかにされている。
 第三に、韓国政府樹立以後における保連以外の反共活動の展開過程についても、新たな事実を発掘し、考察を深めている点である。まず、制定初期における国家保安法の運用の実態について検察側の史料から明らかにしている。また、秘密裏における反共活動を展開した大韓反共総連盟の活動実態や、地方公務員に対する取り締まりの実態などを本格的に検討している。
 第四に、左翼勢力(南朝鮮労働党系)が、保連に対してどのように対応したのかを検討したことである。保連に対抗する勢力に関する分析を組み込んだことで、立体的・多面的に政治史を理解することが可能になった。ことに、左翼による保連を隠れ蓑にした偽装転向の試みなど、興味深い事実を掘り起こしていることは重要である。
 第五に、韓国の国家記録院を中心に、検察事務書類や地方行政文書をはじめとした史料を広範に収集・検討しており、実証の水準を高めていることである。こうした史料の発掘も学問上の大きな貢献といえるが、これは明確な問題意識の下に粘り強い調査活動を継続してきた結果に他ならない。
 以上のような成果がある一方で、問題点がないわけではない。
 本論文の問題点の第一は、保連が果たした役割について、評価の仕方がやや曖昧になっていることである。本論文では、保連が左翼勢力を崩壊させる上で大きな役割を果たしたということが指摘されている一方で、保連内には偽装転向者が多かったことなど、その基盤が薄弱だったことも明らかにされており、保連が左翼勢力の転向という目的を達成したともいえないようである。保連に組織された人びとの内面を明らかにすることは史料上の困難がともなうとはいえ、上記の保連に対する評価の揺らぎを整理し、韓国における反共主義の特徴をさらに明確化していくことが必要である。
 第二に、国家保安法については分析が十分でないところがある。日本の治安維持法との比較検討をおこない、1928年の同法改正時に導入された「目的遂行罪」との関連などについて、分析を深めることが課題である。
 第三に、史料上の制約によりやむをえないことではあるが、保連員虐殺事件の考察については既存の調査・研究の枠組みを踏襲するものとなっている。本研究が示した地域社会の視点からのアプローチを活かして、一層本格的な分析をおこなうことが求められる。また、事件後における生存者の動向についても考察がなされれば、さらに奥行きのある議論となるだろう。
 しかし、以上の点は、本人も自覚しており、今後の研究において克服することが期待できる点であり、本論文の達成した成果を損なうものではない。
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究の発展に寄与する充分な成果を挙げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するのに相応しい業績と判定する。

最終試験の結果の要旨

2020年2月12日

 2020年1月15日、学位請求論文提出者・崔仁鐵氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が、提出論文「韓国政府樹立後の反共活動と国民保導連盟」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、崔仁鐵氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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