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博士論文審査要旨

論文題目:戦後日本の地域文化運動と人びとの意識―国民的歴史学運動の再検討―
著者:高田 雅士 (TAKADA, Masashi)
論文審査委員:石居人也、吉田 裕、渡辺尚志、若尾政希

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1.本論文の概要
 本論文は、戦後日本の地域文化運動、とりわけ1950年代前半の国民的歴史学運動の展開過程を、従来の研究が立脚してきた中央の動向や理念よりもむしろ、地域やそこでの実践に着目しつつ明らかにするものである。また、運動に参加した人びとの意識のありようにせまり、運動の経験が以降のかれらの生き方にどのような影響をもたらしたのかをさぐることをとおして、運動が「挫折」に終わったとする従来の評価にみなおしをせまっている。
 国民的歴史学運動とは、歴史研究者の石母田正が、村や工場など人びとが自身にとって身近な対象について、主体的に歴史を書くよう呼びかけたことに端を発し、1950年代に民主主義科学者協会(以下、民科と略記)歴史部会などが呼応したことで広まったものである。問題意識の根底には、戦前・戦中の歴史学のあり方への反省があり、それゆえ、歴史叙述の主対象を、国家や偉人から、地域や職場、民衆や女性へとシフトさせることが目指された。
 こうした経緯から、この運動には少なくともふたつの側面があったといえる。ひとつは、民科歴史部会の関与に象徴的なように、日本共産党の意向に左右されたという政治的な側面、いまひとつは、歴史を描き、学ぶ意味など、歴史ないし歴史学とは何かを問いなおすという側面である。申請者は、従来の研究が前者に偏重していると指摘するとともに、歴史を叙述する主体のあり方や、歴史を叙述すること自体が厳しく問いなおされている現在、後者と向きあうことこそが重要だという。
 このような問題意識のもと、本論文ではつぎのようなことが明らかになった。国民的歴史学運動は、敗戦後、地域における民主化ないし民主主義の模索や、それとともにあった文化運動の広がりのなかで展開した。それは、中央から地方へ、地方支部の担い手から地域の人びとへと、一方的に働きかけられたばかりではなく、地域や職場に生きる人びとによって主体的に担われもした。そして、運動を担った人びとは、実践のなかで自身のなかにある歴史をみつめ、「書く」主体として成長するとともに、「書く」ことで自身の経験を歴史化し、歴史を自らの手でつくってゆくという意識を醸成した。申請者は、それが1950年代前半の固有性であり、現在から導かれて過去をみつめ、未来を展望しようとする姿勢が、運動終焉後も地域社会や人びとのなかで生き続けたことが、国民的歴史学運動の意義だと述べる。

2.本論文の意義と課題
 本論文の重要な意義として、以下の3点が認められる。
 第一に、国民的歴史学運動の具体的な展開過程を、地域で運動を担った当事者への聞きとりや、関係者のもとに残されていた文字史料の分析にもとづいて、明らかにしたことである。
 戦後の地域文化運動に関する史料が、博物館や文書館などの史料所蔵機関にまとまって所蔵されているケースは稀である。かかる状況は今後、時間の経過にしたがって、徐々に解消されると見通せるものではなく、研究者や専門家が当事者や関係者に働きかけることなしには、史料の保存も、それに依拠した研究も、おぼつかない。
そうしたなかで申請者は、フィールドとなる奈良や京都南部にくり返し足を運び、当事者や関係者との関係を慎重に築きながら調査をかさね、史料的な制約の打破をはかってきた。その成果は、聞きとりのみならず、機関誌や日記・書簡などの文字史料の「発見」というかたちとなってあらわれた。その最たるものが、奥田修三(故人)のもとに残され、家族が保管していた「戦後初期奈良民主主義文化運動史資料(奈良文化運動史資料)」との出会いである。この史料群には、奥田が携わった民科奈良支部関係の史料だけでなく、奥田のもとに集まってきた、地域の多様な文化運動や、他地域の国民的歴史学運動などに関わる史料が含まれている。それらを活かすことではじめて、地域における文化運動の広がりのなかで、また国民的歴史学運動の全国的な広がりのなかで、民科奈良支部の活動を位置づけることが可能となった点は、特筆すべきである。
 第二に、1950年代の地域文化運動の広がりのなかで、地域における国民的歴史学運動をとらえるとともに、地域社会の戦後の歩みのなかに運動を位置づけたことである。
 いうまでもなく、当該期を生きた人びとは、国民的歴史学運動だけを生きていたわけではない。しかしながら、国民的歴史学運動に着目し、それを描きだそうとするとき、研究者の視線は運動そのものに集中しがちだった。それは、国民的歴史学運動がその理念や中央の動向にもとづいて把握されてきたことと無縁ではない。それに対して申請者は、国民的歴史学運動を、地域で担った人びとに即して考えることで、運動を多面的かつ現実的に描きだそうとした。そうして、敗戦後の地域社会に山積した課題とその解決へのとり組み、そのために用いられた多様な手段、それを担った主体といった、縦横への広がりのなかで、国民的歴史学運動を活き活きととらえたことも、重要な成果である。縦への意識はまた、国民的歴史学運動の終焉後も、その経験が担い手のなかで生き続け、意味を持ちつづけたことを明らかにするうえでも、重要な意味をもった。
 第三に、双方向的な力が作用するフィールドとして、地域における国民的歴史学運動をとらえた点である。
 従来、国民的歴史学運動が「挫折」として評価されてきた背景には、運動の理念や中央の動向が、地方支部の担い手や地域の人びとのあいだに、いかに根づき、連動したのかという評価軸が存在した。それに対して本論文は、地方支部が決して中央の動向ばかりを意識していたわけではなく、試行錯誤のなかで、地域社会の現実的な課題や地域の人びとの切実なおもいと向きあうことで、運動の方針や存在意義をみいだす場面が少なからずあったことを明らかにした。そうでなければ、運動の地域的な広がりは望むべくもなかったのである。そのような意味で、運動は中央から地方や地域へ一方通行で広がったわけではなく、地方や地域との双方向的な交渉のなかで展開されたと明らかにしたことにも、大きな意義がある。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより残された課題がないわけではない。
 そのひとつは、地域に生きる人びとの歴史意識の形成に、国民的歴史学運動がもった意味の解明である。地域で運動を中心的に担った知識人のなかで、運動経験がその後へどのように活かされたのかは、本論文で相当程度明らかになったが、そのフィールドはおもに歴史教育の世界だった。では、運動に何らかのかたちで関わった地域の人びとのレベルで、とりわけ継続性という観点でどうなのかは、申請者の問題関心に照らせば、とり組むべき課題だといえよう。
 いまひとつは、史学史の問いなおしという課題に関わってである。本論文は、狭義の史学史と科学運動史と地域史をクロスさせた点に特徴があるが、それが可能となったのは国民的歴史学運動ならではともいえる。つまり、国民的歴史学運動は特徴的な運動なのである。そう考えるとき、今後、広く史学史を分析してゆく際に、この特徴的な運動とそれを扱った本論文をどのように位置づけるのか、その見通しをもっておく必要があるだろう。
 ただ、こうした課題は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、また申請者も自覚しているところであり、近い将来において克服されていくことが充分に期待できる。

最終試験の結果の要旨

2020年2月12日

 2019年12月26日、学位請求論文提出者・高田雅士氏の論文についての最終試験をおこなった。試験において、審査委員が、提出論文「戦後日本の地域文化運動と人びとの意識―国民的歴史学運動の再検討―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれにも的確に応答し、充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、高田雅士氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに値するものと判断する。

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