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博士論文審査要旨

論文題目:年齢体系と儀礼:南部エチオピアのオロモ語系ボラナ人のガダ体系を巡る考察
著者:田川 玄 (TAGAWA, Gen)
論文審査委員:浜本満、長島信弘、清水昭俊、足羽與志子

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・ 論文の構成

 本論文の構成は次の通りである。

 序章 ボラナ社会
  第一節 主題
  第二節 社会概要
  第三節 社会構造
 第一章 ガダ体系の構造と問題
  第一節 ガダ体系の構造
  第二節 暦
  第三節 構造的問題と本論文の視点
 第二章 ガダ体系とライフヒストリー
  第一節 第一階梯からの人生
  第二節 途中の年齢階梯からの人生
  第三節 年齢階梯における人生の傾向
 第三章 年齢組の論理と世代組の論理
  第一節 「種ウシの息子」と「老人の息子」
  第二節 ハリヤ体系(年齢組)
  第三節 「老人の息子」としてのハリヤ体系
  第四節 二つの年齢体系の原理
  第五節 レイトカマーと世代組
 第四章 年齢階梯の儀礼
  第一節 命名儀礼
  第二節 役職者集団と儀礼の過程
  第三節 ガダモッジ階梯の儀礼
  第四節 総括
 第五章 国家におけるガダ体系
  第一節 オロモ・ナショナリズムの言説とその背景
  第二節 グミ・ガーヨ
 結び
 地図(二点)、表(三点)、図(六点)、資料(一点)

・ 本論文の概要

 本論文は南部エチオピアから北部ケニアにかけて居住するオロモ語系民族ボラナ社会における年齢体系の記述と分析を主題としている。フィールドワークの期間は1994年6月―97年1月と1998年8―9月の計34カ月である。

序章

 年齢体系に関する用語と定義、先行研究の概観、ボラナ社会の概要と社会構造、現在の政治状況における年齢体系などについて述べられている。ボラナ社会の年齢体系には、「世代組」と「年齢階梯」の複合したガダ体系と、それとは関連しているものの構造的には独立した「年齢組」から成るハリヤ体系とがあり、前者は歴史的に古く、後者は19世紀末に創設されたものと考えられている。

第一章

 ガダ体系の構造と、先行研究において「謎」「変則状況」として指摘されてきた諸問題を紹介し、田川氏が現地調査で得た資料と先行研究の記述との相違を示して、本論文の基本的視点を明らかにしている。

第二章

 4人の老人のライフヒストリーを記述・分析し、それぞれのガダ体系の構造との係わり方の違いをモデル化し、それによって「変則状況」の実例を提示している。

第三章

 人類学に矛盾、変則状況と考えられてきた年齢体系のあり方を、ボラナの人々自身はどのように表現しているのかに焦点を当てる。その結果、「世代組は生まれ、巡るが年齢組はその都度終わり、生まれることはない。」という説明を引き出す。この説明は「レイトカマー」の存在こそ「世代組」とそのラインに消えることのない永続性を保証していることを明示したもので、ボラナにとっては「変則」ではなく、必要不可欠な存在であることがわかる。いいかえれば、ボラナにはガダ体系に「謎」も「矛盾」も存在しないということになる。

第四章

 先行研究において不十分だったガダ体系の豊富な通過儀礼を詳述するとともに、多くの個人が、用意されている通過儀礼の全てには参加できない状況を明らかにする。このことは、ガダ体系をボラナ男性個人のライフサイクルとして捉えてきた先行研究が誤った点であると田川氏は批判する。

第五章

 現代エチオピアの政治的状況におけるオロモ・ナショナリズムの進展の中で、ガダ体系が「真のオロモ文化」を体現するものとして表象されていく過程を描き、それに対してボラナの人びとがどのように対処しているかを示す。

・ 本論文の成果と問題点

 成果として評価できる点

1) 問題解明における論理の一貫性、豊富な資料の簡明で凝縮された記述、完成度の高さ、これらのどの点においても抜群に優れた博士論文である。

2) 先行研究が「矛盾」としてきた一つの問題をフィールドワークを通じて徹底的に追及し、先行研究の共通認識を根本的に反転させるとともに、先行研究にみられる方法論的誤謬を痛烈に批判し、「矛盾」とされてきた問題こそがガダ体系の本質であると立証した点は、北東アフリカ民族誌への大きな貢献であるばかりでなく、現代の世界的な人類学研究において第一級の成果であることは疑いの余地がない。

3) 内容において優れた点を具体的に挙げる。ボラナ社会の「ガダ体系」は、その複雑性のために人類学のパズルといわれ、多くの先行研究がある。そこでは、「レイトカマー」の存在が、ガダ体系の矛盾が現れた逸脱的存在、あるいはた、ガダ体系の謎として捉えられてきた。しかし、田川氏はレイトカマーのあり方を緻密な論証を重ねながら問い直し、先行研究において人類学者は規制概念ガダ体系についての当座の「理解」を造ってしまい、そこに当てはまらない現象に謎というラベルを貼ったものが、レイトカマーであると結論し、そうした誤謬へと導いた人類学の自己中心的認識方法を厳しく批判する。この批判は全く妥当なものと評価できる。

 田川氏はそこでボラナ社会からみたレイトカマーとはどのような存在であるのか、という問題を立て、レイトカマーこそが世代組の年齢体系の移行を促し、ガダ体系を支える存在であることを「発見」する。なかでも、世代組は「生まれる」「巡る」「消え去らない」、しかし、年齢組は「生まれない」「消え去る」、というボラナ社会の認識様式の発見こそが、田川論文全体の最も重要な鍵となっている。世代組の年齢階梯の最終儀礼に到達できる大半の人が、レイトカマーであり、また到達できなかった死者を代行できるのも、レイトカマーである。この最終儀礼を執り行うことによって、新しい息子の世代組がガダ体系へと移行できるのである。

4) この発見を支えたのは、田川氏の豊富な民族誌的知識と、優れたフィールドワークの技法である。ボラナ社会の人々の現象把握の「ことば」を重視する手法を取ったからこそ、あるいは、取ることに成功したからこそ、この発見がありえたのだともいえよう。

 本論文の問題点

1) 論理性を簡明に提示することに専念したためか、ボラナ社会の基本的な民族誌的記述や調査方法についての説明が省略されすぎている感がある。そのため、ガダ体系がボラナ社会の中でどのような重要性を持っているのかが必ずしも浮かび上がってこないし、逆に、ボラナ社会そのものの姿も見えにくいという難点がある。

2) 田川氏の「発見」が帰国後論文を書く準備をしている過程で成されたためでもあろうが、発見をさらに説得力あるものするための裏付け資料が不十分である。そのため田川氏の論拠となっている一老人のことばがボラナ社会でどの程度の共通認識であるのかが曖昧になり、立証性に問題が残る。

3) 論理性を徹底的に押し進めるのであれば、「種牛の息子」と「老人の息子」という二つのカテゴリーの可変性を指摘したところで(これまた重要な発見である)間接的に言及されてはいるものの、最終的には、「レイトカマー」というカテゴリー認識自体がボラナ社会には「無い」ことを明示すべきであった。

4) ガダ体系の儀礼の詳細な記述(第4章)はあるが、儀礼自体の分析はなく、それが本論で展開される議論に直接的にどのような連携があるのか、不明確である。

5) ガダ体系と近年のオロモ・ナショナリズムの記述・分析(第五章)は、重要な着眼である。ガダ体系を人類学者のゲーム理解に終わらせることなく、現代社会の国家統合政治のなかにおいての位置や意味づけを分析した点は評価できる。しかし、ナショナリズムと地方文化の相互交渉の議論としても、政治システムと文化表象の相互作用の議論としても、より一層の整理の余地が多い。加えて、第4章までとの関連性が希薄であり、博士論文全体としてみるならば、第五章を「付録」として独立させた方が一貫性がさらに増したことと考えられる。

 以上、このような問題点はあるものの、本論文の抜群の優秀さを損なうものではまったくない。本論文はその論理性、構想、民族史的記述、いずれの点をとっても人類学の水準を高める貢献が極めて大である。よって、審査員一同、博士学位論文として優れた作品であると判定した。

最終試験の結果の要旨

2000年7月3日

 2000年6月16日、学位請求論文提出者田川玄氏の論文についての最終試験を行った。
 審査委員は、最終試験において、提出論文「年齢体系と儀礼-南部エチオピアのオロモ語系ボラナ人のガダ体系を巡る考察-」に基づいて質問を行ったところ、田川玄氏は適切な答弁を行った。よって審査委員会は、田川玄氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績及び学力を有するものと認定し、合格と判断した。

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