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博士論文審査要旨

論文題目:自然再生はいかにして可能か―自然倫理学における自然性の概念を手掛かりに―
著者:魏 偉 (WEI, Wei)
論文審査委員:加藤泰史、大瀧友理奈、若尾政希、山内廣隆

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1. 本論文の要旨
 本論文は、近年ヨーロッパでクレプスによって提唱された「自然倫理学」の構想を批判的に受け継ぎ、その構想を、ミュンスター学派のジープやマイヤー=アービッヒらの議論、さらにビルンバッハーの「自然性」の議論と突き合わせながら、特に「自然の歴史性」および「自然の自発性」に焦点を当てて、「自然倫理学」が提起した根本問題としての「人間と自然との間の倫理的関係」の可能性を具体化することで、現在進行している地球環境問題にも対応するとともに、その具体的可能性を東洋思想、特に日本思想の中に読み取ろうとする意欲的な試みである。この構想は、自然を倫理的に配慮するという側面のみに議論を集中させている従来の環境倫理学に対して、「人間と自然との間の倫理的関係」および「人間と人間との間の倫理的関係」という両側面を取り扱う新たな倫理学構想でもあり、ドイツのジープやマイヤー=アービッヒの試みを引き継ぐと同時に、和辻哲郎の風土論も独自の仕方で継承しようとする自然再生の構想でもある。それは同時に、東日本大震災後の自然再生のあり方に対しても規範的な議論を提起する、極めて実践的な意義も持つ。本論文は全体で5章から構成され、第1章で保全生態学の現状と問題点を踏まえながら「自然倫理学」構想の必要性が指摘され、問題が定式化される。第2章はジープ、マイヤー=アービッヒ、ビルンバッハーらの議論を検討しながら、自然の「自然性」に関する重要な五つの議論を分析して、とりわけ「歴史性としての自然性」と「自発性としての自然性」の重要性を析出する。その上で第3章では日本を含む東アジアにおける「nature」の翻訳問題が取り扱われ、日本独自の「おのずから性」という意味での「自然の自発性」の論点が析出された。第4章では、これまでの議論を踏まえて、東日本大震災の被災地における「椿の森づくり」の事例分析が行われ、そして最後に第5章でこれまでの議論が総括される。これらの議論はクレプス、ジープ、マイヤー=アービッヒ、ビルンバッハーなどの欧米の最新の研究を適切に踏まえた上で、そこで析出した「自然性」に関わる論点を東アジア、特に日本の思想と比較することを通して、自然再生の可能性を「自然性としての歴史性」および「自発性としての自然性」(これを日本哲学研究の言い回しで表すと、「おのずから性」となる)に見出すことができることを明らかにした。したがって、最新の「自然倫理学」の構想を日本思想の枠組みの中で再構築してこの構想の理論的行き詰まりを突破することに成功したと言えよう。それはまた、東日本大震災の被災地での自然再生活動を評価する規範的原理の具体的提案をも意味する。

2. 本論文の成果と問題点
 本論文の成果として次の三点を指摘することができる。
 まず、「自然倫理学」の構想はその重要性が認識されているにも関わらず、日本はもとよりドイツ本国でも十分に展開しきれておらず、その意味で理論的な行き詰まりを見せていた。しかし本論文はその構想に、価値論とは異なったアプローチを行い、クレプスの基本構想にジープ、マイヤー=アービッヒ、ビルンバッハーらの「自然性」に関する議論を適切に接続することで、「人間と自然との間の倫理的関係」の可能性にとって「自発性としての自然性」および「歴史性としての自然性」の両論点が重要であることを論証した。これは「人間と自然との間の倫理的関係」を考察する上で一つの重要な理論的橋頭堡を築くものであり、この点が本論文の第一の成果として評価できる。
次に本論文は、この論証を踏まえながら、日本を含む東アジアにおける 「nature」の翻訳問題を通してこの問題を日本思想の「おのずから性」に結び付けて論じ、「自然倫理学」の構想を日本思想の枠組みの中に位置づけ、その構想を日本思想によって再構築しようと試みた。この点が第二の成果として評価できる。これは、人間の主体性を包摂する風土論への道を理論的に切り開く試みであり、逆に言えば、風土論によって「自然倫理学」の構想を可能にする試みでもある。したがって本論文には、日本思想・日本哲学、特に和辻風土論に新たな可能性を読み取ることができると同時に、「自然倫理学」の構想をオーギュスタン・ベルクの風土学の構想と結び付ける可能性も看取できると評価できる。源了円の「型」に関する理解も適切である。
 最後に本論文は、以上のような理論的分析にもとづいて具体的な自然再生の実践を評価する規範的原理を提示しようと試みた。現在、例えば東日本大震災の被災地では様々な仕方で自然再生の試みが議論され、実際に取り組まれているが、現実にはどの自然再生プロジェクトがより適切であるのかの議論に関しては混乱状態であると言える。そうした状況に対して一定の規範的原理を提示して実践的に評価することは重要な学術的営為の一つに数えられるが、本論文はそれに応える内容を持つ。この点が第三の成果として評価できる。因みに、本論文の筆者は長年東日本大震災の被災地でボランティアに取り組んできたことも付記しておきたい。
 以上のほかにも本論文の成果として指摘できる点は少なくないが、また同時に残された課題もないわけではなく、以下に二点指摘しておきたい。
 第一は、ジープなどの議論によって補完した「自然倫理学」の構想を、日本を含む東アジアにおける「nature」の翻訳問題として接続して論じる中で、特に近代日本においてその訳語が「自然」に収斂してゆく過程の分析と関連する。この過程の中でもう一つの選択肢として「天然」の「天」が抜け落ちてゆく。その分析に日本近代における天観念についての先行研究を参照しているが、その分析が他の部分と比較して幾分か不分明な点が指摘できる。先行研究にのみ拠るのではなく、自分自身で天に関わる文献を読み込んで分析できていれば、さらに説得的に議論が展開できたのではないかと思われる。この点に関しては今後の独自の研究の中で補完されることを期待したい。
 第二は、自然再生の実践の具体例として「椿の森づくり」が取り上げられて評価されている点に関わる。この自然再生プロジェクトの評価はまだ現時点では不可能であって、本来は五〇年後、あるいは百年後に本格的な評価が下されることができるのではないのか、という問題である。その意味で「椿の森づくり」の評価はいささか早急すぎると同時に、類似した自然再生プロジェクトの事例研究をさらに行う必要があったのではないか、またそうすることでより客観的な評価を下せたのではないか、と思われる。
 これらの点は本論文の学術的な意義をさらに高め、より高い学術的評価を得るために求められるところである。ただ、これらの点は、本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、本論文の筆者自身も自覚しており、今後のさらなる研究において克服されてゆくことが十分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2020年2月12日

 2020 年 1 月 26 日、学位請求論文提出者・魏偉氏の論文についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が、提出論文「自然再生はいかにして可能か − 自然倫理学における自然性の概念を手掛かりに −」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。よって、審査委員一同は、魏偉氏が一橋大学学位規則第 5 条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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