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博士論文審査要旨

論文題目:ピーター・L・バーガーの宗教論—聖なる天蓋としての宗教のゆくえ—
著者:渡邉 頼陽 (WATANABE, Raihi)
論文審査委員:深澤英隆、町村敬志、多田治、山中弘

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1.本論文の要旨 
  本論文は、第二次大戦後のアメリカ合衆国を代表する社会学者のひとりであるP・L・バーガー (1929-2017) の宗教社会学および神学にかかわる業績の全体を検討・再構成することによって、バーガー宗教論の再評価をめざした労作である。バーガーは、その代表作『聖なる天蓋』(The Sacred Canopy 1967) においていわゆる世俗化論を強く打ち出し、以降の社会学の宗教理解に決定的な影響を与えた、しかしやがて「ポスト世俗化」時代とも呼ばれることともなったその後の世界の宗教状況の変化のなかで、バーガー自身はすでに1970年代より自身の世俗化論に修正を加えて来た。本論文は、バーガーの宗教社会学の理論的側面の解明とともに、バーガーのこうした変容のあとにも注目し、その跡を克明にたどっている。さらに、日本ではほとんど知られていないが、バーガーはその活動の全期間を通じて、プロテスタント神学者でもあった。本論文はこのバーガーの神学者としての業績にも立ち入った検討を加え、社会学の業績ともあわせてバーガーの宗教理解の全体像に迫っている。

2. 本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、今日でも引用されることが多いにもかかわらず、これまで十分な理論的検討の対象となってきたとは言い難いバーガーの『聖なる天蓋』およびT・ルックマンとの共著『現実の社会的構成』を中心に、バーガーの社会学理論の構造とその成立の背景を詳しく論じた点にある。とりわけバーガーの理論形成におけるシュッツの現象学的社会学とゲーレンらの哲学的人間学の影響を丹念に跡づけ、弁証法的人間-社会関係の理解が確立するプロセスが再構成されたほか、そうした社会学的枠組みのうちで、それ以前のバーガーの自身の神学的考察とは明確に差異化された形でバーガーの宗教社会学理論が形成されるに至る過程が明らかにされた点は、特筆に値する。
 第二の成果は、 バーガーの世俗化論の変遷を、その全著作を点検して克明に跡づけた点にある。世俗化論およびその批判的見直しは、今日でも宗教社会学の中心的主題をなしているが、バーガーは1960年代に端を発する社会学的世俗化論の代表と目されてきた。ところがバーガーの世俗化理解は時代とともに大きく変化している。著者はまずほとんど顧みられなかった『聖なる天蓋』以前のバーガーの世俗化論が、キリスト教神学の方向から世俗化をキリスト教信仰にむしろ親和的なものと見ていることを解明する。さらに著者は、『聖なる天蓋』の世俗化論がすでに1969年の段階で見直されていたこと、すなわち社会と文化の多元化が不可避的に世俗化をもたらしたというかつての見方にかわって、世俗化はあくまで多元性のひとつの可能な帰結に止まるとされるようになったことを確認する。著者はこうしたバーガーの世俗化論の展開を、今日の代表的な世俗化理解の数々と比較し、バーガーの多元化論的世俗化論の有効性を強調している。本論文のこうした作業は、今日の宗教社会学における世俗化をめぐる論議に対し重要な寄与をなすものと言える。
 第三の成果は、バーガーの神学思想の展開を跡づけ、その社会学との関係を解明したことにある。バーガーはそのキャリアの最初より、社会学者であると同時にルター派の神学者であったが、この面でのバーガーの研究は海外でもほぼ見あたらず、また日本では神学者であったことすらほとんど知られていなかった。この点で、本論文は画期的な意義をもっている。著者は、バーガーの神学上の業績を逐一検討し、とりわけその神学的立場の変遷が、バーガーの世俗化理解と深く関わっていることを明らかにする。著者は、新正統主義に近い神学思想から幾多の変遷を経て到達したバーガーのリベラル・プロテスタンティズムの神学的立場に、多元化の時代状況における宗教的コミットメントに向けられた提案として、一定の可能性を見ている。
 さて、以上のような成果が認められるものの、その一方で本論文にはいくつかの問題点も指摘できる。
 第一に、非常に浩瀚な本論文においては、バーガーの宗教・神学関連の全業績に対する検討は十二分になされたと言えるが、バーガーの立場の祖述と再構成が入念になされる一方で、著者自身の宗教社会学的な問題意識と立場が十分明確に打ち出されていない面がある。そのことはまた、バーガーの宗教理解への批判と評価という点でなお踏み込んで論ずべき余地があったのではないかと感じさせる結果ともなっている。
 第二に、比較検討のより以上の展開があってもよかった。たしかに、バーガーとオットーら宗教学者との比較や、世俗化論について、他の宗教社会学者の諸立場との比較検討はなされているが、全体としてはやはりバーガーの内在的な検討が中心であり、より広い社会学および神学の現況をふまえた他の諸立場との比較検討があれば、バーガー宗教理論の可能性と限界が、より鮮明になったとも言えるであろう。 
 とはいえ、もちろんこれらの諸点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、渡邉頼陽氏自身も十分に自覚するところでもあり、近い将来の研究において補われ克服されていくことが十分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2019年11月13日

 2019年10月24日、学位請求論文提出者渡邉頼陽氏の論文について、最終試験を実施した。試験において審査委員が、提出論文「ピーター・L・バーガーの宗教論—聖なる天蓋としての宗教のゆくえ—」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、渡邉氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、本論文著者が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により 一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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