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博士論文審査要旨

論文題目:発達障害の社会学 -特別な配慮実践からみる学級内部の秩序と能力-
著者:松浦 加奈子 (MATSUURA, Kanako)
論文審査委員:山田 哲也、小林 多寿子、中田 康彦、太田 美幸

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1.本論文の概要
 本論文は、小学校の通常学級に在籍する「発達障害」児に着目し、人びとによる障害概念の使用とこれらの概念を軸に展開された相互行為を検討する作業を通じて、社会的障壁の形成とその除去をめざす諸実践を社会学的に分析した論考である。その際、エスノメソドロジーと言説分析とを組み合わせた方法論を構想し、学級の秩序はいかに達成されるのかという観点から、学校教育が子どもたちの個別のニーズにどこまで応答しうるのか、その可能性と限界を明らかにした。

2.本論文の成果と問題点
 本論文の重要な成果は、三点にまとめることができる。
 第一の成果は、通常学級に在籍する「発達障害」ないしその疑いがあるとされた児童の事例から、かれらに対して教師や周囲の子どもたちが行う「特別な配慮」のあり方を具体的な相互行為の次元で記述・分析し、全体社会のなかで能力の形成・評価という機能を担う学校教育制度における社会的障壁の構築過程を克明に描き出した点にある。いわゆる発達障害のある子どもは、他の種別の障害と比較するとその有無が判別しがたく、とりわけ通常学級に在籍する場合には障害に関する情報の開示範囲が限定される事例(例えば、教師は障害を認識しているが児童生徒には開示されていないケース)が数多く含まれる。本論文はある公立小学校の通常学級をフィールドに長期にわたって行われたエスノグラフィックな調査を通じて、個別の配慮が要請されながらも基本的には集団を単位に教育活動を行う学級という場が要請する固有な秩序を達成しつつ、人的・物的な資源に制約があるなかで課題を抱えた児童のニーズに応じる教師の試みを描き出す。そこでなされた実践は、障害のある児童を学級の一員として受け入れることを可能にする反面、当該児童を特別な配慮を受ける対象として有徴化し、教師の抱く理念に触発され支援を試みる他の児童たちとの間に非対称的な関係をもたらすことで、ある種の負担をかれらに与えるものでもあった。エスノメソドロジー・会話分析の視座を援用しつつ本論文が記述する「特別な配慮実践」は、障害の社会モデルに基づく合理的配慮の可能性と限界を学校教育制度に即して明らかにするとともに、同モデルが依拠するインペアメント/ディスアビリティという区別自体に再考を促す興味深い事例となっている。また、長期に渡るフィールド調査の利点を活かし、転校による成員構成の変化が学級内の資源配分の優先順位に影響を与え、教師による障害カテゴリーの適用のあり方が変化するダイナミズムを描き出した点も高く評価できる。
 第二の成果は、言説分析のアプローチをあわせて採用することで、上記の「特別な配慮実践」が有意味なものとして展開する社会的な条件を一定の時間軸のなかで明らかにした点である。いま・ここの場で生起する相互行為の分析においては、そこで達成される秩序が、中長期のスパンでどのように変化してゆくのか、あるいはこうした時間軸における社会変動が相互行為に与える影響について論じることが難しい。論文ではこの難点に対処すべく、ミシェル・フーコーを独自の観点から引き取り歴史的存在論を構想したイアン・ハッキングのループ効果に関する議論を参照し、発達障害に関する新聞報道と保護者・教師に対象に行ったインタビューデータの分析を通じて発達障害概念の使用のあり方と個別のニーズに応答する責任の帰属の布置がどのように変化したのかを解明した。近年になるほど学校の責任が拡大し、障害のある子どもの個別ニーズへの応答を求められるなかで「発達検査につなげる教師」「連携する教師」いう新たな役割期待が教員に付与される一方で、そこで保護者、とりわけ母親が担う重責が解除されることはなく、適切とされるスタイルで子育て・教育に関与し、学校に協力を求める「努力する母親」でありつづけなければならない状況を指摘した本論文は、ケアの社会化が一定程度進展しながらも、家族主義から脱却することが難しい日本社会の今日的な課題を学校教育における変化として描き出したとみることも可能で、家族社会学領域における近年の議論とも接合しうる重要な知見を提示している。
 第三の成果は、教育社会学領域で展開してきた教師のストラテジー研究に新たな視座を提示した点にある。これまでの教師ストラテジー研究においては、主に1対多のディメンジョンにおける相互行為に着目し、教師が学級全体のやりとりを通じて自らの目的を実現する諸相が検討されてきた。それに対して本論文では、教師が1対1と1対多のディメンジョンを切り替える諸相に着目した点、特別な配慮を必要とする児童が複数存在する場面を取り上げることで、教育行為に必要な資源が厳しく制限された状況の下でいかなるストラテジーが展開しうるかを検討した点において、これまでの研究の射程を広げる貢献を成し遂げている。また、本論文では教師のストラテジーを分析する枠組みを構築するために、秩序や規範に関する社会学の理論的な潮流の整理を試みている。上記に示す第一・第二の成果を得た複数のアプローチを組み合わせる方法論はこの作業から導出されたもので、教師のストラテジー研究をその一部に含む教師の社会学/学校社会学が掲げる探究テーマの中核にある「学級秩序の解明」という研究課題に寄与しうる方法論を提示した点も重要な貢献として評価できる。
 他方で、本論文には以下に示すような問題点や今後の課題も指摘できる。
 第一に、「発達障害の社会学」という論文のメインタイトルからも窺えるように、本論文が掲げる問いとそれを探究するアプローチには、労働、医療や福祉など、教育以外の社会領域における社会的障壁の構築過程の解明にも寄与するポテンシャルがあるにも関わらず、著者はこの点を十分に自覚していない点があり、今回のモノグラフで明らかにされた知見が、教育以外の他領域における障害者の処遇をめぐる問題とどう接合しうるのかという点の論証が不十分な点に課題が残る。
 第二に、複数のアプローチを組み合わせて理論的な枠組みを構築するチャレンジングな作業は上記に述べた一定の成果をあげつつも荒削りなところがあり、理論的な首尾一貫性や概念規定の厳密さがやや欠けるように思われる議論が散見された。例えば、新聞記事と母親へのインタビューデータをもとに考察を展開した第一部と、教室内の相互行為を検討した第二部における「概念の使用」は、それぞれ背景となる文脈が異なるだけでなく、分析の対象となるデータや、それが指し示すことがらの特質もかなり異なっている。そのため、各パートの分析から得られた結果を接合する際には、いかなる意味で概念の使用を問うているのかについての慎重な検討が必要になるが、緻密な議論を経ないままに、それぞれの分析から導出された知見を結びつけて議論を展開する箇所が見受けられた。
 とはいえ、上記に示す問題点や課題は本研究が達成した成果を損なうものではなく、口述試験の質疑応答の場面ではこれらに対する筆者の見解が説明され、今後どのように応答してゆくのかについて一定の見通しが示された。著者の今後の研究でこれらの問題点・課題を克服し、さらなる知見が得られることが期待される。

最終試験の結果の要旨

2019年11月13日

 2019年10月10日、学位請求論文提出者、松浦加奈子氏の論文について、最終試験を実施した。試験において審査委員が、提出論文「発達障害の社会学—特別な配慮実践からみる学級内部の秩序と能力—」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、松浦氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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