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博士論文審査要旨

論文題目:性愛と倫理をめぐる人類学的考察
著者:深海 菊絵 (FUKAMI, Kikue)
論文審査委員:春日 直樹、安川 一、久保 明教

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1.本論文の概要
 本論文は、複数の性愛関係を合意に基づき築いていくポリアモリーの倫理について、米国南カリフォルニアでの長期調査をつうじてあたらしく提示するものである。ポリアモリーの当事者たちは「合意」のみならず、「責任」「倫理」「オネスティ」という語とともにみずからの実践を説明する。筆者は第1章「ポリアモリーの挑戦」で、これらの語が自律した自己の理想化とともにもちいられており、アメリカ個人主義を顕現する言説を構成しているが、現実には自律した個人になることは難しいと指摘する。むしろ人々はその困難な状況によって倫理的な主体へと促されており、ポリアモリーの実践はフーコーの提起する「自己の統治」の観点から分析するのがふさわしいと主張する。つづく第2章「性愛と自己の技術」では、自己への配慮が他者との権力関係を可動的な状況へと向かわせて、倫理的な主体化を可能にすることを示す。ただしポリアモリーの倫理は、性愛によって他者への根源的な受動性を課せられた状態で構築されるべきものであり、他者の優位性から出発するレヴィナスの議論があわせて参照されなければならない、と指摘する。とくに自己が他者によって傷つけられ、しかも他者の傷つきによって傷つくという、可傷性(vulnerability)の概念が重要である。
 筆者はこのように、前半部でポリアモリーの倫理の性質を具体的な実践に基づいて提示したのち、第3章「ジェラシー」と第4章「ポリアモリーとBDSM」の後半部で自己への配慮と可傷性の関係について詳しく例証している。ポリアモリーが否応なく直面するジェラシーは、彼らが主張するような管理可能で自他の成長にとって有用なものではない。むしろ他者から被る可傷性の最たる例であり、自己を苦しみや悲しみへと追いやるとともに、その自己に対する他者の責任=応答可能性を拓く条件にもなっている。BDSMはドミナント/サブミッシブの関係に基づく性愛だが、非ポリアモリストと比べてポリアモリストによる実践の比率が高いだけでなく、ポリアモリーとの深い類似性をみいだすことができる。とくに相手に身を委ねることを前提とする「ラディカル・オネスティ」は、フーコーの論じた「配慮を核とする告白」、レヴィナスのいう可傷性と不可避的に結びついており、ポリアモリストが支配や暴力に転じる危険の上に倫理的な実践を成り立たせることを知らしめる。

2.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、ポリアモリーの実践に基づいて考察を展開した点にある。性愛の対象はつねに一人でなければならず、性愛の対象になり得る人となり得ない人が明確に弁別されるというモノガミー社会において、ポリアモリーの実践者たちがどのような倫理を定立しようとしているのかに関する研究は限定的ながら蓄積されてきたが、いまだに言説の水準にとどまっている。深海氏は言説と実践の齟齬に着目することによって、彼らの倫理の特徴をあたらしく提示することに成功した。
 この点は同時に、本論がフェミニズム人類学・ジェンダー人類学に対して理論的に大きな貢献をなすことを意味する。性愛を不平等な権力構造との関係で分析する既存の研究は、愛にかかわる事象を構造の帰結として捉えつつ、女性たちを社会構造と社会規範の犠牲者として描くことを基本とする。彼女たちの抵抗や主体化には焦点を当てるが、性愛固有の経験についてはほとんど注意を払わない。著者はこの欠落を批判して、ポリアモリストの性愛をめぐる感情や行為こそが、彼らの倫理を必然化していることを例証する。
 本論文の第三の成果は、性を媒介とする人間関係について人類学全体に重要な問題提起をおこなった点にある。このテーマに関しては、すでに田中雅一氏の「エロスの人類学」が先行するが、田中氏は誘惑が一方的な権力関係を攪乱させて平等や相互性を顕在化させることを強調するだけであり、相手に対して受動的にならざるを得ない性愛の特質を置き去りにしている。我を忘れて他者に身を委ねること、自己の無力さを痛感すること、他者によって傷つけられること、といった根源的な受動性を人類学の性愛研究の中核に据える点で、本論の意義は大きい。
 以上のような成果が認められるものの、いくつかの問題点も指摘できる。まず、本論の提示したポリアモリーの倫理が多様な事例に依拠しているのは確かだが、フーコーとレヴィナスの議論の具象化にとどまるという指摘をしりぞけることができない。統治性や加傷性の概念を適用するだけでなく、ポリアモリーの実践をつうじてこれらを再検討する試みがあってよかった。フーコーとレヴィナスを結びつける議論に力が削がれるかたちとなり、彼らの議論を事例によって評価し直す姿勢に乏しいといわねばならない。
 次に、加傷性によって性愛を特徴づける著者の主張は、必ずしも十全に裏付けられているわけではない。たとえば、レヴィナスの独創性が倫理とエロスの類似の発見にあるとするフィンケルクロートの議論の検討や、他の諸々の権力関係との比較、それらとエロスとの類比の可能性などを考察することが、課題として残されている。
 さらに、倫理をネイティヴの観念として受け容れた上で、彼らの実践との齟齬をつうじてあらたなかたちで提起したとはいえ、人類学の外部の読者に対してポリアモリストの倫理性を説得力溢れるスタイルで知らしめる水準に達しているかと問えば、残念ながらそうとは言いがたい。
 しかしながら、これらの問題点は本論文の成果と水準の高さをいささかも損なうものではない。著者自身も問題点を深く自覚して今後の研究の課題としているところであり、さらなる研究の進展が期待できる。

最終試験の結果の要旨

2019年3月13日


 2019年2月22日、学位請求論文提出者の深海菊絵氏の論文について、最終試験を実施した。
 試験において審査委員が、提出論文「性愛と倫理をめぐる人類学的考察:米国南カリフォルニアにおけるポリアモリー実践を事例として」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、深海氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、所定の試問の結果をあわせて考慮し、本論文の著者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断した。

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