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博士論文審査要旨

論文題目:近代天皇制国家における「偉人」顕彰の歴史的意味の研究―金原明善の「偉人」化と天皇制イデオロギーの関連をめぐって―
著者:伴野 文亮 (TOMONO, Fumiaki)
論文審査委員:若尾政希、石居人也、渡辺尚志、高柳友彦

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1 本論文の概要
 本論文は、近代日本社会のなかで様々なメディアを通して(生前から)「偉人」として顕彰された金原明善(1832〜1923)に着目し、彼が「偉人」として顕彰されたことの歴史的意味を考察する。その考察を通じて、金原が生きた近代天皇制国家の内実と、支配イデオロギーたる天皇制イデオロギーの実像を明らかにしようとするものである。
 全体は、二部構成で、第一部「金原明善の思想と行動」では、三つの章を設けて、金原明善が生涯をかけて取り組んだ治水事業(第一章)と林業(第二章)、それぞれの経営実態を明らかにするとともに、金原明善のそうした活動の背景に「天皇意識」があったことを論証した(第三章)。
 第一部が、金原明善の意識・思想形成のプロセスを解明しようとした論考であったのに対し、第二部「金原明善の「偉人」化とその展開」は、金原明善が「偉人」として顕彰されていくプロセスを跡づけていく。まず第四章で、明治中期からアジア・太平洋戦争までの、各時期での金原明善「顕彰」の歴史的位置と背景を考察する。そして、具体的には、第五章では、安城農林学校校長の山崎延吉、第六章では、金原明善に師事し浜松で林業に関わった鈴木信一、それぞれの金原明善顕彰を取り上げる。最後の第七章では、植民地下朝鮮の『京城日報』に連載された金原明善を扱った小説を手がかりに、植民地において「偉人」金原明善像が流通することの歴史的意味について考察する。

2 本論文の成果と問題点
 本論文の研究対象である金原明善に関わる資料は、生家の明善記念館に収蔵されていたが、現在では、一橋大学附属図書館に一括して移されている。資料閲覧のために明善記念館に出入りし、子孫の方とも懇意であった著者は、当該資料のレスキューにおいて指導的な役割を果たすとともに、一橋大学移管後は、呼びかけ人となって、金原明善資料調査会を結成し、資料整理と目録の作成を進めてきた。著者による金原明善研究は、このような資料救済・保全の活動を伴った実践的なものであることを、まず高く評価したいと思う。従来の金原明善研究は、土屋喬雄が監修した『金原明善資料』(上下2巻)に基づいていたが、この資料集に収載されていない膨大な資料が、著者の尽力により保全され未来に残されたのである。
 第二に、安丸良夫の民衆史を継承・発展させるために、民衆の意識と近代天皇制イデオロギーを繋げていった「媒介項」を解明すべきだと指摘し、具体的に、近代日本社会のなかで様々なメディアを通して「偉人」として顕彰された金原明善に着目し、そのプロセスに焦点を合わせたことを評価したい。
 第三に、本論文は、金原明善その人の思想形成の過程を明らかにしようとした最初の論考と言える。この点も高く評価できる。天保三年に生まれた金原明善にとって、幕府の時代とは何だったのかについて、著者は、残された資料が少ない中で、明善が生まれ育った遠江国浜松の自然的・社会的環境と文化的環境を見ていくことによって、初期の明善の思想形成を位置づけようとしている。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより残された課題がないわけではない。著者が金原明善資料の保全に大きな役割を果たしたことは先に述べた通りであり、現在、著者らにより資料整理と目録の作成の最中である。つまり、著者が見ていない明善に関する資料が存在しているのである。くわえて、著者は、研究倫理上、目録を作成し公開するまでは、未公開の資料は使うべきではないと考えており、学位請求論文では、禁欲的に、上述の資料整理の際に得た知見を活用していない。すなわち新たな資料により、本論文の内容が更新される可能性があり、この点は、最終試験(口頭試問)のなかで著者自身が認めているところである。もちろん、こうした点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、また著者もすでに自覚しており、将来の研究において克服されていくことが充分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2019年5月15日

 2019年3月25日、学位請求論文提出者・伴野文亮氏の論文についての最終試験を行なった。
 本試験において、審査委員が、提出論文「近代天皇制国家における「偉人」顕彰の歴史的意味の研究—金原明善の「偉人」化と天皇制イデオロギーの関連をめぐって—」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。よって、審査委員一同は、伴野文亮氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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