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博士論文審査要旨

論文題目:戦後社会運動における民主主義と公共性―1950年代大衆集会の考察―
著者:長島 祐基 (NAHGASHIMA, Yuki)
論文審査委員:町村 敬志、石居 人也、菊谷 和宏、多田 治

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1.本論文の概要
 本論文は、1950年代日本における社会運動を対象に、戦後民主主義を体現するものとしてそこに誕生した「大衆集会」という形式が、知識人と一般参加者の間にどのようなコミュニケーション過程を生み出し、主体形成と動員の面でいかなる帰結をもたらしたのかを、各地に分散する膨大な資料の探索および読解に基づき、実証的に明らかにした作品である。従来、1950年代の社会運動については、大きな展開を見せた1960年代運動との対比において、その党派性や組織動員的性格が指摘され、討論に基づく公共空間形成という面では硬直性や閉鎖性がしばしば指摘されてきた。本論文は、こうした通説に対し、1950年代運動のなかでもとくに全国規模で展開された文化運動としての国民文化会議を取り上げ、そこで開催された討論や演劇を伴う大衆集会について、当時の議事録や写真、参加者アンケートなど多彩な資料をもとに、そこが主催者側による単なる影響力行使の場ではなく、知識人と一般参加者の間の多様性に富んだ相互コミュニケーションが展開する場でもあったこと、同時に公共空間形成としての限界もまた同じ過程から生起してきたことを、具体的に明らかにした。これら実証的研究の基盤として、公共空間の形成と民主主義に関わる社会学の理論を丹念に跡付け、それを分析作業の枠組みとして用いている点も、本論文の大きな特徴である。

2.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の貢献は、1950年代の社会運動を、戦後日本における「公共空間」の形成史の中に位置づけながら、独自の視点から先駆的な意味をもつ場として描き直すという困難な作業に挑戦している点である。その試みは、近年収集・保存・公開がようやく進み始めた各地の一次資料の丹念な収集と読み込み作業によって、一定の成功を収めていると判断できる。大きな展開を見せた1960年代運動の陰に隠れ、どちらかというと単なる「乗り越え」の対象と見られてきた1950年代運動が、たとえば「大衆討論」や「分科会」といった形式提示を通じて戦後民主主義に新しい実質的局面を用意したことを、豊かな資料で明らかにした点は、近年進展しつつある同時代史研究にも大きな貢献を成すものと考えられる。 
 第二に、大衆集会のコミュニケーション過程に関する長島氏の細密な分析は、主催者と参加者の空間的配置がもたらす権力的効果、司会や知識人の果たす重層的な役割、一般参加者の決して受け身だけではないしたたかな参加戦略を明らかにするなど、「公論形成の場」に対するきわめてオリジナルなアプローチ方法を呈示している。この時期に定着した「分科会」や「シンポジウム」といった形式は、現代に至るまで社会運動や学術団体を含む幅広い分野で継承されてきている。相対的に少数の参加者が司会者とおなじ空間を囲みながらフラットな討論を進める場とされる「分科会」は、開かれた討論を保証する戦後民主主義の象徴的な文化装置のひとつでもあった。それゆえ、「分科会」という形式自体が有する矛盾も含めた複合的な性格についての本論文の指摘は、単に1950年代だけでなく現代までを含めた戦後の公論形成過程のあり方への、鋭い問題提起ともなっている。
 第三に、1950年代社会運動が果たした両面的な役割を明らかにする上で、著者が、社会学や批判理論における公共性の変容論を追いかけながら、その成果を丹念に実証へと結びつけていく作業を行った点も、成果として指摘できよう。その結果、大衆集会という場が、現実には隠れた権力作用が行使される場でもあったことを確認すると同時に、その上でなお、参加者の主体性がパフォーマティブな形で呈示されていく契機ともなっていることを、懐深く明らかにしている。こうした重層的な発見が導き出された基盤には、ハーバーマスからバトラーらに至る理論的展開への著者の着実な理解が存在している。
 以上のように、本論文は、戦後日本における公共空間形成に対して1950年代社会運動が果たした独自の歴史的役割を実証的に解明した面で、学術的に見て大きな成果を挙げたと認められる。しかしなおいくつかの問題点も指摘できる。
 第一に、本論文は 大衆集会の個別の場面について多くのきわめて興味深い発見を行い、1950年代社会運動像を大胆に見直す方向に向けて一歩を踏み出すことに成功した。しかし、全体としてみた場合、論文題目にもある「民主主義」の位置づけに関して1950年代運動はどのような帰結をもたらしたのか、この点については俯瞰的かつ明示的な指摘が論文のなかではまだ十分に行われていない。
 第二に、本論文の白眉とも言える大衆集会の分析のうち、討論集会を扱った諸章の記述の深さや発見の豊かさと比較した場合、演劇活動を対象とした諸章の分析はまだ平板であり、それゆえ、討論と演劇のつながりもまた必ずしも説得的な形で説明されていない。この点についてはさらなる資料の発掘収集も含め、より多元的な分析が今後期待される。
 第三に、公共性をめぐる社会理論への貢献が論文のねらいとして意図されているものの、現段階についていえば、本論文はまずはすぐれたケーススタディとして評価されるべきと考えられる。実証分析の成果がはたしてどのように理論へとフィードバックされるのか。この点は時間をかけてさらに深められるべき課題である。
 ただし以上の問題点や限界は、本論文の学位論文としての価値を大きく損なうものではなく、長島祐基氏自身もその問題点を充分に自覚しており、将来の研究において克服されていくことが充分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2019年2月13日

 2019年1月23日、学位請求論文提出者、長島祐基氏の論文について、最終試験を行った。
 本試験において、審査委員が提出論文「戦後社会運動における民主主義と公共性―1950年代大衆集会の考察―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対して、長島氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、長島祐基氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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