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博士論文審査要旨

論文題目:渋谷ギャル・ギャル男サークルのエスノグラフィー―社会的成功のための勤勉さと悪徳資本―
著者:荒井 悠介 (ARAI, Yusuke)
論文審査委員:多田 治、安川 一、深澤 英隆、毛利 嘉孝

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1.本論文の概要
 本論文は、1990年代以降の渋谷センター街を拠点にイベントサークル(イベサー)活動を行ってきた「ギャル・ギャル男」と呼ばれる若者のサブカルチャーを対象として、彼ら・彼女らが現役時代にどういう活動を行い、いかなる価値観や特性、美徳を身につけ、それらを引退後の社会生活でもいかに活用しているのかを、長期の参与観察とインタビューから通時的に明らかにしたエスノグラフィー的研究である。
 本論文は三部構成からなる。当該イベントサークルの実態と現役メンバーの活動を詳しく描き出した第一部と、2010年代のSNSの普及や監視の強まり等を背景に当該サブカルチャーが衰退した経緯を扱う第二部、活況期のメンバーが引退後の社会生活にサークル活動で得た資本をどう活用しているかを明らかにした第三部、という構成である。
 理論枠組みとしては、サラ・ソーントンの先行研究の「サブカルチャー資本」概念を思考のヒントとしつつも、その視座がピエール・ブルデューの文化資本の面にせまく限定されていたため、ブルデューのいう他の諸資本、社会関係資本・経済資本・身体資本・象徴資本にまで議論を拡充し、若者サブカルチャーをこれらの資本の獲得と活用という観点からとらえている。

2.本論文の成果と問題点
 本論文の成果は、主に以下の三点にまとめることができる。
 第一に、著者が修士論文から一貫したテーマとして調査を継続してきた渋谷の若者文化について、メンバーの現役学生時代から引退後の就業生活まで、時系列的推移を丹念にたどる追跡調査の成果を、実り豊かな知見としてまとめあげ、提示したことである。著者の渋谷若者文化の研究成果はこれまですでに、市販本『ギャルとギャル男の文化人類学』(新潮新書、2009年)としても刊行され、本研究の中間報告に当たる。その知見は国内外の若者文化・サブカルチャー研究の分野で注目され始めている。著者は渋谷イベサーの若者の行動・価値観を、シゴト(勤勉さ)・ツヨメ(脱社会的逸脱行動)・チャライ(性愛の活用)・オラオラ(反社会的暴力性)という、4つの焦点に特徴づけた。本論文でもこれらを有効に活用・発展させ、ツヨメ・チャライ・オラオラの諸特性を「悪徳資本」として概念化し、中間報告以後の調査対象者の動向分析にも適用していった。著者は多数のインタビューに基づき、若者たちがイベサーの活動で培ったシゴトの勤勉さと悪徳資本(善と悪)の組み合わせ・二重性こそが、引退後のキャリア形成にも多様な形で生かされてゆくその実態を明らかにした。その際、アウトサイダー的業界、(当該サブカルチャーと直結する)渋谷ファッション業界、一般経済社会の3領域に区分してそれぞれの知見を提示したことも、立体的な理解を促して効果的であった。
 第二に、いまだ若者サブカルチャー研究の分野でも文化資本・階級・再生産などのステレオタイプに固定化されがちなブルデュー理論において、その別の側面を有効に引き出し、界と資本の関係性や、文化資本のみならず社会関係・経済・身体・象徴など多様な諸資本の組み合わせといった理論的視座を、渋谷若者文化の事例に柔軟に投入し、膨大な定性データと対応させながら説得的な議論を展開したことである。当分野の代表的論者ソーントンのサブカルチャー資本概念は、ほぼ文化資本の面に限定されていた。著者は、若者サブカルチャーでは文化資本以外にも、上記のより多様な諸資本の獲得・活用が、その界やのちの就業生活でも成功を収めるうえで重要な役割を果たすことを、渋谷イベサー界の事例を通時的に検証する中から明らかにした。また文化資本に関しても、学業・学歴という学校内に「制度化された文化資本」と並行して、イベサー界で得られるようなコミュニケーション能力や悪徳の経験も「身体化された文化資本」として、両方を補完的に合わせ持つことがこの若者たちには重要であったことを明らかにした。その際、ツヨメ・チャライ・オラオラの諸特性を「悪徳資本」という本論文独自の概念に位置づけ、シゴトの勤勉さと悪徳資本の善悪両面が重んじられていたという論点も、資本の議論に組み込んだ。またさらに、象徴資本はブルデュー理論のなかでも特に普及・理解が不充分にとどまる概念だが、本論文ではこの象徴資本もフィールドの記述・分析に積極的に導入された。各行為者がもつ文化・社会関係・経済の諸資本が主観的な認知・評価を受けることで、承認や自信、カリスマ性が与えられる象徴的な資本として、対象の時系列的な実証・記述に適用され、多くの有益な知見をもたらした。
 第三に、若者文化や非行・逸脱の研究潮流に対して、従来の代表的な先行研究において確立されていた非行や不良の理解とは異なる新しい見方を、ギャル・ギャル男の持続的な調査研究から提示し、一石を投じたことである。若者の非行や不良文化を扱ったエスノグラフィー的な研究としては、ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』や、佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー』などがよく知られる。だがこれらの研究では、学校文化になじまず非行や逸脱行動に走る若者たちが、やがては不良文化を「卒業」して労働者文化や地域社会に適応してゆくといったビジョンが提示されていた。これに対して著者は、時代や地域、属性が異なる点に留意しつつも、「学業・学歴が低いわけでもない渋谷のギャル・ギャル男たちが、なぜ逸脱行動を行うのか」という問題設定のもとに調査を進め、学校で得られる正統な文化資本に加えて、イベサーの活動経験から得る悪徳資本を合わせもつことが、当事者にとってむしろ合理的な面があり、そうした悪徳資本が卒業後のキャリア形成にも実際にポジティブに生かされてゆく側面を、十数年にも及ぶ長期の参与観察とインタビューから分厚い記述を通して明らかにした。こうした知見は、対象の特殊性から性急な一般化は避けるべきとはいえ、今後の若者文化の諸研究に対し、基本視座と方法の面で多くの参照すべき示唆を与えうるであろう。
 しかし本論文には、次のような問題点も見出される。
 まず、上記で示したようにブルデュー理論を有効に活用したとはいえ、諸資本の概念を充分に説明できたとは言いがたく、対象の描写や考察を深く掘り下げる面で、今後に課題を残した点である。特に資本を通して対象の現実を語る際に、社会的上昇や成功といったタームを多用し、その面にやや見方が集中しすぎたようにも見受けられた。だが、特に象徴資本においては、社会階梯上の地位という面だけでなく、マックス・ウェーバー的な主観上の正当化・正統性、承認・信用・存在肯定といった面も重要であり、本論文の考察を深めるうえでもより丁寧に議論を展開することができたと思われる。
 また、イベサーの若者たちの営みの身体的でパフォーマティブな次元、ビジュアルな側面への言及が充分とはいえず、同種の先行研究に比しても希薄なままにとどまった。その意味では、上記のブルデューの資本とはまた別に、ハビトゥスに関わる面の記述・考察にも厚みをもたせていれば、本論文の対象の特性をより明確に描写でき、当該文化の細やかな具体的記述にもとづく考察を発展させることもできたはずである。
 さらに序章の先行研究の整理では、諸潮流の特徴・成果・批判点をもっと明確に提示して、研究史に自らの研究を位置づける作業をより丁寧に行うべきであった、という点も指摘された。
 とはいえこれらの問題点は、本論文のすぐれた研究成果を損なうものではなく、著者自身もそのことを充分に自覚しており、今後の研究によってそれらの問題点を克服し、さらに知見を発展させていくことが期待される。

最終試験の結果の要旨

2019年2月13日

 2019年1月17日、学位請求論文提出者・荒井悠介氏の論文について最終試験を行った。 
 本試験において、提出論文「渋谷ギャル・ギャル男サークルのエスノグラフィー―社会的成功のための勤勉さと悪徳資本―」に関する疑問点について、審査委員が逐一説明を求めたのに対して、荒井氏はいずれも適切な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、荒井悠介氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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