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博士論文審査要旨

論文題目:空の区別 ―中観派哲学と区別のシステム理論―
著者:西 菜穂子 (NISHI,Nahoko)
論文審査委員:菊谷和宏、平子友長、岩佐 茂

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1.本論文の概要
 本論文は、生物学者フランシスコ・ヴァレーラが『身体化された心』(1991)において提起した西洋科学・思想と仏教哲学との融合を起点に、ルーマンの社会システム理論、ナーガールジュナの哲学、ヴェーダーンタ哲学、否定神学を比較し、それらの根底に一つの共通の思想(「空の区別」)が存在することを論証している。
ヴァレーラの身体化論は、西洋的主客二元論が陥った認識論的隘路を打開する道を仏教哲学の中道の論理に見出している。第一章では、彼がこのように考えるに至った経緯を、自己自身を含めない反省への批判、自己の根拠への問い、五蘊の認知科学的解釈、無根拠性と空、西洋的ニヒリズムとの相違、エナクティヴ・アプローチと無我という観点から論じている。
 第二章では、ルーマンのシステム理論を規定する基本的な認識論的構造が考察される。第一節では、ルーマンのシステム理論は区別(観察)の理論であり、境界線を引くことから全ては始まるという観点から、区別が世界をいかに分割するのかに焦点を当て、システムと環境、社会、意味、言語、自己、オートポイエーシスなどの主要概念を解釈する。第二節では、ルーマンの宗教理論のアプローチを超越と内在というコードおよび神概念を中心に考察し、宗教システムが意味の区別を問う根源的なシステムであることを明らかにする。さらに、仏教哲学への関心を表した後期著作の記述を参照し、キリスト教的神概念へのルーマンの疑義と、区別が埋め込まれている「空」というシステム理論の側からの仏教理解が、ヴァレーラらの認識と重なることを明示する。
 第三章では、ナーガールジュナの中観派哲学が主題的に考察される。第一節と第二節では、中村元による『中論』解説やヤスパース「ナーガールジュナ」を参照しつつ、ナーガールジュナの主著『中論』の主要概念とそれらの論理構造が詳細に展開される。ヤスパースによる帰謬法や空性の西洋哲学的な理解を媒介とすることによって、第一、二章で考察したヴァレーラとルーマンによる仏教思想へのアプローチの位置付けがより明確となる。第三節では、ナーガールジュナの縁起や相依性、非有非無の概念、時間や自我の問題、現象世界の把捉について第一章、第二章の議論と関連づけて総括している。第四節では、仏教とギリシア思想の自己理解を比較し、アートマン(自己)とブラフマンの区別を解消するヴェーダーンタ哲学の不二一元論を、中村のシャンカラ解釈を中心に論じる。
 第四章では、西洋における否定神学と東洋における空と涅槃の思想が対比され、東洋思想と西洋思想に通底する「空の区別」が考察される。第一節では、ルーマンが区別の理論の礎とするニコラウス・クザーヌスの否定神学とナーガールジュナの帰謬法の類似を指摘する。クザーヌスによる知識と叡智の区別は、仏教の二諦と対比されうる。最終的には仏教の慈悲と否定神学の「愛」とが同一の論理であることが示される。第二節では、ルーマンの仏教理解と差異の統一としての神概念に言及し、超越と内在の自己の分離の困難が、区別の相依性という理解によって解消されうることが確認される。第三節と第四節では、「空」概念によって、洋の東西、自他、学問分野、そして超越と内在といった諸区別を、一つの連関として記述(区別)することが可能となること、内在(現象世界)において可能となる観察・理論記述という区別は常に超越に伴われてあること、さら区別されたものに対する慈悲の必要性は、宗教のみならず、生物学や社会学の立場からも支持されることが結論として示される。
2.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、ルーマンのシステム理論を基礎づけているより基底的な認識論を深く究明している点である。システムは自体的に存在するものではなく、世界を観察するために観察者が「区別」を設定することによって初めて存在し始める操作的概念である。こうして「区別と観察」があらゆる言語による認識とコミュニケーションの起点に設定される。「区別」とは、「自己」と「他者」とを区別する二項コードによって作動し、この操作は常に「偶発性」と「選好」を伴っている。常に「区別」から出発するシステム理論は、にもかかわらず同時に、「差異の統一」、「区別に先立つもの」としての「世界」への認識を開示するパラドクスとして把握される。これらの論点は、システムの存在性格を自明なものとして受容し、システムの機能的連関を記述するという従来のルーマン・システム理論の通説的理解からは抜け落ちてしまうものであった。
 第二の成果は、ヴァレーラ、ルーマンがともに仏教哲学に深い関心を抱いていた事実に着目しつつ、宗教に関する両者の限られた記述を精緻に渉猟しながら、ヴァレーラの「身体化された心」理論およびルーマンのシステム理論が、「超越-内在」の二項コードに基づく独特な宗教哲学を内包していることを解明している点にある。筆者は、両者の宗教理解が西洋キリスト教史における否定神学の伝統および大乗仏教における中観派の「空」の哲学と共通の理論構成を持っていることを明らかにした。こうした研究は、世界においてもいまだ未開拓の分野であり、筆者がこの分野を初めて開拓したことの意義は高く評価される。
 第三の成果は、本論文が「システム理論-否定神学-中観派哲学」の理論構造の比較を行ったことによって、西洋・東洋の比較思想史研究に新しい接点を提示したことである。日本において西洋思想と東洋思想との対話を積極的に行ってきたのは、西田幾多郎らの京都学派の哲学者たちであった。彼らは、20世紀以降顕著に現れた西洋哲学者自身による西洋哲学批判を参照しつつ、それを仏教哲学の諸理論と接合させる様々な試みを積み重ね、こうした努力は「日本哲学」として高い国際的評価を受けてきた。しかし京都学派の仕事は哲学の範囲にとどまり、この哲学が完成すればするほど、それは戦前三木清らが構想した社会科学、自然科学への具体化の回路を喪失してゆく傾向にあった。本論文が西洋の否定神学、仏教の中観派哲学、インドのヴェーダーンタ哲学とルーマン・システム理論との理論構造の共通性を解明したことによって、社会科学の方法論も含めた比較思想史研究の可能性の領野を切り開いたことの意義は大きい。
他方、本論文の問題点は、以下の二点である。
 第一に、本論文の筆者にとって、今後、ナーガールジュナの中観派哲学およびヴェーダーンタ思想の本格的研究が期待される。本論文において筆者は、中村元『龍樹』、ヤスパース『ナーガールジュナ』などの優れた先行研究に助けられながら、ナーガールジュナやシャンカラの思想について深い理解を示している。しかし今後さらにインド思想、仏教思想の研究を深化させてゆくためには、原語による原典研究が不可欠であり、サンスクリット語および仏典中国語の理解が不可欠である。
 第二に、第四章において筆者は「超越と内在」のコードに基づいてあらゆる区別の統一として神を規定し、内在の側に存在する人間は神を言語的に表現することはできないが、にもかかわらず「超越に伴われてあるという安心感」を得ることができるというルーマンの指摘を手掛かりに「慈悲」概念を展開している。さらに筆者は、「排除された状態にあっても世界への慈愛を失うことがなかったナザレのイエス」というルーマンの規定に注目し、これを仏教における「菩薩の慈悲」と共通の思想構造をもつものであると説明している。こうして筆者の比較思想的考察は、「慈悲」概念を基軸として、ヴァレーラの生物学、ルーマンの社会学、キリスト教否定神学、仏教の菩薩思想を通底する共通の思想を解明するという壮大な構想を示した。しかしこの壮大な構想を緻密に理論化するには、第四章の記述は簡潔に過ぎ、また概念の定式化においてもさらに彫琢する必要が認められる。
以上指摘した二つの問題点は、問題点というよりはむしろ今後の課題というべきものであり、筆者もまたこのことは十分自覚しているところであり、また本論文の高い学術的価値を損なうものではない。口述試験においては審査委員から出された質問に対して、筆者はいずれも適切に回答した。

最終試験の結果の要旨

2018年10月10日

 2018年8月24日、学位請求論文提出者、西菜穂子氏の論文について最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文「空の区別 ―中観派哲学と区別のシステム理論―」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、西氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を行った。
 よって、審査委員一同は、所定の試問の結果をあわせて考慮し、一橋大学学位規則第5条第3項の規定により、西菜穂子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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