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博士論文審査要旨

論文題目:情報サービス産業における労働過程の編成とマネジメントに関する実証研究―労働者の労働過程への「関わり」と自律性に着目して―
著者:三家本 里実 (MIKAMOTO, Satomi)
論文審査委員:西野史子、倉田良樹、白瀨由美香、尾崎正峰

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1. 本論文の要旨
 本論文は、ハリー・ブレイヴァマンの労働過程論にもとづき、情報サービス産業における労働過程がどのように編成され、労働者の労働過程への「関わり」がどのようになされるかを実証的に明らかにした。理論編では、フリードマンの「責任ある自律Responsible Autonomy」の概念に着目し自律性の中身について検討を行った。実証編では、情報サービス産業の主に下流工程を対象に実証研究を行い、当該産業におけるマネジメントの特徴が、企業にとっての《自律性》を引き出すこととなっており、労働者は技能を形成したとしても労働過程への関わりが制限されていることを明らかにした。

2. 本論文の成果と問題点
 第一の成果は、理論面において、現代的な問題意識からハリー・ブレイヴァマンの労働過程分析を参照し、資本主義的生産における労働過程の特質を分析しようとした点である。現代の労働は、情報サービス産業に代表されるような、技能の高度化や「自律的な働き方」といった要素がある一方で、長時間労働やパワー・ハラスメント等の労働者が弱い立場にとどめ置かれる実態もある。この謎を解くため、本論文は、近年取り上げられることの少なくなった労働過程を対象としたのである。その上で、アンドリュー・フリードマンの「責任ある自律Responsible Autonomy」に着目し、これが労働者にとっての「自律性」ではなく、企業側にとっての《自律性》を指していることを明らかにした。本論文では、今日よく用いられる自律的という概念が、マネジメントの一環として付与された《自律性》であって、労働者が自身の知識にもとづき「自律的」に労働過程における決定を下している状態ではないことを鋭く指摘している。
 第二の成果は、実証面において、情報サービス産業の中小企業という非常に調査が難しい対象について、厚みのある実態調査を行なった点である。情報サービス産業の中小企業は、開発工程でいうと下流工程を担うことが多く、上流工程と比べて企業間関係が複雑である。また、下請けで業務を受託する形態と、労働者を派遣する形態が混在し、指揮命令の系統も非常に入り組んでいる。さらに、一つの会社でもプロジェクトごとに形態が異なる場合もある。こうした業界は関係者の了解を得ることが難しく、調査が困難であるため、実態調査自体がこれまでほとんど行われてこなかった。しかしながら三家本氏はそうした企業群を束ねる組織の協力を得て経営者側の聞き取り調査を実施し、さらに労働者を束ねる労組の協力を得て労働者側への綿密な聞き取り調査を行った。その上で、受託の形態、派遣の形態の様々なパターンについて、労働者への指揮命令と労働過程の内実を丹念に明らかにした。
 その上で、1)情報サービス産業では労働過程において分離された構想と実行を再統一する際に、課業を媒介させる事が相対的に困難なこと、2)そのため、《自律性》の付与というマネジメントの手法が必要となること、3)マネジメントおよびそこでの技能形成を通じて、労働者が知を取り戻すことは困難である事を明らかにした。
 第三の成果は、第二の成果とも関連するが、ITエンジニアの働き方の実態に関する政策論的な意義である。現在、高い専門性と自律性をもち時間管理が馴染まない職種を対象に、時間管理の概念を外す「高度プロフェッショナル制度」が国会で議論されており、ITエンジニアはその対象職種の代表としてあげられている。しかし、本研究を通して、そこで言及されている自律性は、企業側に資するために「手順を自分で決める」という《自律性》であって、仕事の全体像の把握し、知をもって指揮命令者に交渉できる「自律性」とは異なる事が明らかにされた。労働者が仕事の総量に関して交渉権を持たない状態で、時間管理の枠を外された時に予想される帰結は、長時間労働のさらなる増加である。本研究はこうした政策議論に警鐘を鳴らす意味で大きな貢献がある。
以上のような成果が認められるものの、その一方で本論文にはいくつかの問題点も指摘できる。
第一に、理論編と実証編の接合が不十分な点である。現代の労働を分析する視覚として労働過程に着目した点は評価できるが、当該理論が対象としていたのは製造業の大組織における現場労働であった。三家本氏が実証部分で対象とした情報サービス産業の、中小企業かつ企業間関係が複雑な領域について当該理論が適用できるかどうか、もう少し入念な検討と記述が必要だったと考えられる。またサービス労働の場合は指揮命令関係と顧客(対事業所サービスの場合はサービス提供先の事業所が顧客となる)の関係も含めて検討する必要もあったかもしれない。
第二に、労働過程に着目したことと裏返しであるが、制度や労使関係、労働市場について扱えなかった点である。本研究の最終的な目的は、弱い立場に置かれている労働者による抵抗の契機を探ることであり、三家本氏は労働過程や技能にその契機を求めるものであるが、それによって明らかになった部分と、逆に労使関係や労働市場の重要性とが浮き彫りとなった部分とがある。
もちろん、これらの諸点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、三家本里実氏自身も十分に自覚しており、近い将来の研究において補われ克服されていくことが十分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2018年6月13日

2018年 5月 10日、学位請求論文提出者三家本里実氏の論文について、最終試験を実施した。試験において審査委員が、提出論文「情報サービス産業における労働過程の編成とマネジメントに関する実証研究―労働者の労働過程への『関わり』と自律性に着目して―」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、三家本氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、本論文筆者が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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