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博士論文審査要旨

論文題目:近世後期旗本家の領主支配と家臣団の研究
著者:野本 禎司 (NOMOTO, Teiji)
論文審査委員:渡辺尚志、若尾政希、友部謙一

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1.本論文の概要
 本論文は、日本近世後期における、旗本家の領主支配の構造と、支配を支える家臣団の実態を追究したものである。本論文は二部構成をとり、序章・終章を含めて全11章からなっている。第一部「近世国家における旗本知行」では、旗本の財政基盤である知行所(領地)の支配の特質とその変容過程が解明されている。第二部「旗本家家臣団の再生産構造」では、旗本家の公的職務(幕府官僚職)遂行と知行所支配を支えた家臣団のあり方について分析されている。

2.本論文の成果と課題
 本論文の第一の成果は、幕府官僚としての旗本の職務遂行のあり方と、それを人的・物的に支えた知行所の動向とを、統一的に捉えたことである。旗本は、徳川将軍家の直臣として、幕府の軍事力の中枢を担うとともに、幕府の要職に就いて幕府政治を支える存在であった。そして、旗本の財政は知行所からの年貢等によって賄われたから、旗本が知行所支配を円滑に行なうことは、旗本の家政にとってのみならず、幕府政治を担うためにも重要であった。
しかし、従来は、旗本家関係の史料の乏しさにも起因して、旗本の公務執行と知行所支配を関連付けてトータルに解明した研究はきわめて乏しい状況にあった。そうしたなかで、野本氏は、旗本家に残された史料と知行所の村役人家に伝わる史料、さらには幕府側の史料等を博捜して、この点の解明に成功した。その結果、①旗本が幕府官僚機構のなかで就任する役職の如何によって、知行所村々に課される負担の量と質が規定されたこと、②旗本の知行所支配は、従来言われてきたような激しい収奪を専らとするものではなく、とりわけ幕末に近づくにつれて、知行所村々の合意と協力を取り付けつつ行なわれるものへと変容していったことなど、多くの重要な事実が明らかにされた。
本論文の第二の成果は、旗本家臣団の実態を詳細に解明したことである。旗本は、もちろん1人では公務の遂行も知行所支配も十全に行なえるはずはなく、家臣団の力を借りつつそれらを遂行したのであった。したがって、旗本家臣団の実態分析は、旗本研究のみならず、幕府官僚制研究等にとっても重要な課題である。しかし、これまで、特定の旗本家に対象を絞って、家臣団の構造分析を行なった研究は皆無であった。
 そうした研究状況を打開すべく、野本氏は、1000石台の知行所をもつ三嶋家や春日家を対象として、家臣団の構成と特質を具体的に明らかにした。その結果、①旗本の家臣には短期間で離職する者が多く、長期にわたって1人の旗本に仕え続ける者は少なかったこと、②それにもかかわらず、旗本が公務を遂行できたのは、専門的な知識と技能を備えて、それを武器にあちこちの旗本家を渡り歩く者たちが、一種の専門職集団として江戸に分厚く存在していたからであることなど、旗本家臣団の実態が具体的かつ多面的に明らかになった。
また、このような旗本家臣団のあり方は、大名の家臣団のあり方とは異なっており、両者の相互比較によって、近世領主制論についての包括的な議論が可能になろう。その端緒を切り開いたという点においても、本論文の意義は大きい。
 本論文の第三の成果は、知行所支配への着目を通して、都市(江戸)―農村関係論、武士―百姓関係論に関しても、重要な論点を提起したことである。旗本は、厳しい財政状況の改善と円滑な知行所運営を目指して、近世後期になると、知行所の村役人層を在地代官・割元・在役などと呼ばれる、知行所村々を統括する役職に任命した。彼らの知行所村々に対する影響力を利用して、彼らに財政運営と知行所支配の相当部分を代行させたのである。
そして、彼らのなかには、さらに進んで、旗本の用人となる者も現れた。用人となれば、苗字帯刀が許され、武士身分の下層に連なることになる。また、居村において農業経営や村運営に携わる一方で、頻繁に江戸の旗本屋敷に赴いて、旗本の公務・家政に当たることになる。このような「身分的中間層」=「通勤する武士」の出現は、都市(江戸)―農村関係の新たな一側面であるとともに、近世身分制の一定の変質の表現でもある。
 知行所の百姓が武士身分を獲得し、江戸へと「通勤」しつつ、領主財政の根幹を握るといったあり方は、大名家と比較すると非常に特徴的であり、この点からも近世領主制論の新たな展開が期待できる。野本氏は、知行所支配、なかんずく知行所村役人層の存在形態に着目することによって、都市(江戸)―農村関係論、武士―百姓関係論、近世領主制論に対して、旗本研究という視角から新たな論点を提示したといえる。
 本論文には以上のような顕著な成果が認められるものの、残された課題がないわけではない。野本氏は、19世紀における旗本の動向について、幕府官僚としての性格をより強めていくと述べる一方で、知行所支配においてはいっそう村民の意向に配慮する方向で家政改革を行なったとしている。しかし、旗本にとって、幕府官僚としての職務励行と、知行所支配へのさらなる注力とを両立させることは容易ではなかったはずであり、一方を重視すれば他方がおろそかになる危険性を孕むものだったと思われる。とすれば、この両者の相互関係をいかに統一的に把握するかという点が、今後の重要な課題になるものと思われる。
 もちろん、以上の点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、野本氏自身も自覚しているところであり、近い将来の研究において解決されていくことが充分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2018年3月14日

 2018年2月6日、学位請求論文提出者野本禎司氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が提出論文「近世後期旗本家の領主支配と家臣団の研究」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、野本禎司氏が、一橋大学学位規則第5条第3項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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