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博士論文審査要旨

論文題目:琉球沖永良部島国頭方言の文法
著者:横山(徳永) 晶子 (YOKOYAMA, (TOKUNAGA) Akiko)
論文審査委員:五十嵐陽介、森村敏己、下地理則

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1、本論文の概要
 本論文は、鹿児島県沖永良部島の国頭集落で用いられている沖永良部語国頭方言の言語体系を包括的に記述した文法書である。沖永良部語は、日本本土の言語と姉妹関係にある琉球諸語に属する言語のひとつであり、他の琉球諸語と同様に、消滅の危機にある。本論文の主たる手法は、フィールドワーク調査を通じて横山氏が独自に収集した大規模な話し言葉のデータを、他の琉球諸語に関する先行研究から得られた知見および言語記述の一般理論に基づいて、分析、記述するというものである。日本における従来の方言研究は、言語体系の一側面にのみ焦点を当てたものがほとんどであるが、本論文はこれとは異なり、その記述対象は、アクセント・イントネーションを含めた音韻論、形態論、統語論、語用論を含む言語体系のすべてに及ぶ。本論文は、その全貌が不明であった沖永良部語の体系を、自ら収集した大規模データの分析に基づき明らかにした力作であり、言語学的意義はもちろんのこと、危機言語の記録・継承という社会的意義を持つ。

2、本論文の成果と問題点
 本論文の成果は、何よりも、消滅の危機にある言語を包括的に記述することで、その記録を次世代に残したことにある。奄美群島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島に渡って分布する琉球諸語は、いずれも消滅の危機にあり、これを記述し次世代に残すことは、その言語学的価値からだけでなく、社会的価値(文化的多様性の保持、言語権の尊重)からも、喫緊の課題であると言える。沖永良部語は、琉球諸語のなかでも先行研究が特に少なく、十分な記録が行われていなかった。横山(徳永)晶子氏による研究がなければ沖永良部語国頭方言は、その言語体系の大部分が記録されないままに、数十年後に消滅した可能性がある。本論文が沖永良部語の言語体系を記述したことは、琉球諸語研究および言語研究一般に新たな知見を与えることでその発展に貢献するという学術的価値だけでなく、沖永良部島の伝統文化を保全し次世代に継承する活動に貢献するという社会的価値も有する。
 本論文の第2の成果は、沖永良部語国頭方言が希少な特徴を有している事実を明らかにしたことにある。第1に、国頭方言は、1) 疑問文が下降調を取り、2)有標主格型の格体系(主格が有形の標識を取り、対格が形式的に無標である体系)を持つが、これらは世界の言語の中でも非常に稀な特徴である。第2に、国頭方言は、1)双数代名詞を持ち、2) 他動性の低い動詞が主格-対格型の文型を用い、3) 焦点呼応(いわゆる係り結び)があり、4) テンス・アスペクト形式が証拠性(evidentiality)の意味を表すが、これらは日本本土の現代方言(標準語を含む)には全く見られない特徴である。第3に、琉球諸語の大多数は最大で3種類のアクセント型を持つが、国頭方言は4種類のアクセント型を有する点で、やや特異である。これらの希少な特徴、すなわち類型論的に珍しい特徴は、既存の言語理論の見直しの必要性を示唆するものである。
本論文には貴重な成果が認められるものの、最終試験ではいくつかの課題も指摘された。例えば、本論文は国頭方言を有標主格型とみなすが、自動詞主語が必ず標示されるか否かなど、琉球諸語研究や言語類型論において現在さかんに議論されている諸問題の一部に答えていないことが指摘された。また、これはあらゆる文法事項を包括的に扱う論文であるため不可避の問題ではあるが、一部の文法項目(例えば指示副詞)の記述に不十分な点が見られることが指摘された。さらに、アクセント体系の通時的変化を考察する章に関しては、音節構造の違いに従って特定のアクセント型が相補的に分布する事実が見逃されていた点が指摘された。もちろん、以上のような課題は、本論文の学位論文としての学術的価値を損なうものではなく、横山(徳永)晶子自身もその問題点を十分に自覚しているところであり、今後の研究の中で克服できるものと判断する。

最終試験の結果の要旨

2017年10月11日

 2017年10月6日、学位請求論文提出者、横山(徳永)晶子の論文について最終試験を行った。
 試験において審査員が、提出論文「琉球沖永良部島国頭方言の文法」に関する疑問点を質問したのに対して、横山(徳永)氏はいずれの質問にも的確に対応し、十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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