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博士論文審査要旨

論文題目:アニメ作画スタジオにおける経済活動と空間的秩序―職場のモラル・エコノミーの社会学的研究―
著者:松永 伸太朗 (MATSUNAGA, Shintaro)
論文審査委員:西野史子、倉田良樹、堂免隆浩、山田哲也

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1. 本論文の要旨
本論⽂は、東京都内にあるアニメーション制作会社X 社を事例として、フリーラン
ス(個⼈事業主)であるアニメーター達が組織に集まって働く実践を、モラル・エコノ
ミーの理論を⽤いて社会学的に分析した論考である。その際、エスノメソドロジーの⽅
法論に基づき、当該組織の道徳・社会的規範がどのように成り⽴っており、どのような
実践の中で⽰されるのかを明らかにした。
2. 本論文の成果と問題点
第⼀の成果は、モラル・エコノミーの理論に基づき、フリーランス(個⼈事業主)で
あるアニメーターの集まる組織とその職場の規範を描くことに成功した点である。労働
研究の⼀つの伝統として、⼀⾒すると⾮合理に⾒える活動について、当事者の合理性と
いう観点から明らかにしようとする視点がある。本研究は、その伝統的な視点を踏まえ
つつ、近年、⾏動経済学の分野で発展しているモラル・エコノミーという概念を⽤い、
社会学として分析してみせた。
松永⽒はこれまでの研究で、様々な組織に所属するアニメーターに共通する「職業的
規範」について明らかにし、本研究においてはある組織における「組織的規範」につい
て描くことを⽬的としたわけだが、上記のモラル・エコノミーの概念を⽤いることによ
ってそれに成功した。
第⼆の成果は、上記の⽬的を達成するために、エスノメソドロジーの⽅法論を貫徹し、
組織的規範を精密に描いた点である。労働研究・労働社会学にとって、労働組織の観察
は⾮常に重要な柱である。しかしその伝統ゆえ、社会調査論の分野で近年確⽴されてい
る調査の⽅法論を⼗分に取り⼊れているとは⾔い難い。さらに、最近は職場組織の機密
保持等の観点から職場の観察が⾮常に困難になっている状況もある。こうした状況にあ
りながら、松永⽒は調査先の貴重な協⼒を得て、動画撮影を含む164時間に及ぶ観測
を⾏うことに成功し、その上で、エスノメソドロジーの⽅法論を忠実に⽤い、分析を⾏
った。これらを通して職場における規範について、詳細かつ説得的に記述することを実
現した。これは、現在の労働研究の可能性を広げ得る、重要な貢献である。
第三の成果は、フリーランス(個⼈事業主)の集まる組織を対象として研究した点で
ある。これまでの労働研究においては、企業における雇⽤関係、すなわち使⽤者と労働
者の関係について膨⼤な蓄積があるが、近年増加するフリーランスの組織や職場につい
ての研究はそれほど蓄積がない。こうした組織における個⼈事業主の公正な働き⽅をめ
ぐっては、労働法政策のみならず、競争政策の観点からも検討が開始されるようになっ
ている。雇⽤の個⼈化、フレキシブル化が進⾏する現在において、フリーランスの組織
や職場について取り上げたことは、学術的にも政策論的にも⼤きな意味がある。特に、
本論⽂で取り上げた組織は、フリーランスの集まる組織の先駆けとして、⾮常に⻑い歴
史を持っている好事例であることから、この研究から学術的にも政策論的にも多くの⽰
唆を引き出すことができる。
本論⽂の実証部分では、⻑い伝統を有するこの組織が、個⼈事業者として独⽴して仕
事を請け負うだけでは得られないメリットを、個⼈事業主に提供していることを明らか
にした。それは具体的には、リスクのプール(5章)と技能形成(6章)である。⼀⽅
で、フリーランスが集まる組織として成り⽴つためには職場規範が必要であり、互いに
⼲渉しすぎないという職場の規範が⽇々実践され、それによって組織が成り⽴っている
ことを明らかにした(7章)。このような構図は、本論⽂が対象とするアニメーターと
いう職種を越えて他の類似の職種にも展開できる可能性を持っており、労働研究の知⾒
を豊かにするものである。
以上のような成果が認められるものの、その⼀⽅で本論⽂にはいくつかの問題点も指
摘できる。
第⼀に、本論⽂で「経済活動」と表現されている、フリーランスの集まる合理性とそ
の組織の機能について、内在的な特徴は明らかにできているものの、より深い意義につ
いて必ずしも踏み込めていない点である。これは、同じような特徴を持つ他の職種のケ
ースや、企業組織における雇⽤関係や権⼒関係との⽐較の視点を持つことによって、鮮
明に析出することが可能であると考えられる。
第⼆に、エスノメソドロジーの⼿法を貫徹した点と裏返しであるが、他の⼿法によっ
て明らかにした情報についての執筆を禁欲したため、物理的に職場以外の場所で⾏われ
ている実践について触れられておらず、ケースの全体像を理解する点でわかりにくい点
があった。
第三に、本研究で扱っている「労務管理」は⼀般的な労務管理の中のごく⼀部である
という点である。本論⽂の第5章「労務管理」では、仕事を引き受ける際の料⾦交渉と
いうエージェント機能と、仕事量の組織内調整というリスクプールについて記述してい
るに過ぎず、労務管理ではなく別の⾔葉で表現する可能性もあったかもしれない。
もちろん、これらの諸点は本論⽂の学位論⽂としての⽔準を損なうものではなく、松
永伸太朗⽒⾃⾝も⼗分に⾃覚しており、近い将来の研究において補われ克服されていく
ことが⼗分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2018年2月14日

2018 年 1 ⽉ 11 ⽇、学位請求論⽂提出者松永伸太朗⽒の論⽂について、最終試験を
実施した。 試験において審査委員が、提出論⽂「アニメ作画スタジオにおける経済活
動と空間的秩序―職場のモラル・エコノミーの社会学的研究―」に関する疑問点につい
て説明を求めたのに対し、松永⽒はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与え
た。
よって、審査委員⼀同は、本論⽂筆者が⼀橋⼤学学位規則第5 条第1項の規定により
⼀橋⼤学博⼠(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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