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博士論文審査要旨

論文題目:犠牲者ディアスポラと労働ディアスポラの間で―横浜市鶴見区で邂逅するウチナーンチュたち―
著者:藤浪 海 (FUJINAMI, Kai)
論文審査委員:伊藤るり、小井土彰宏、町村敬志、多田治

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1. 本論文の概要
本論文は1990年代以降に増加した日系-南米系移民のうち、横浜市鶴見区に移住してきた沖縄系-南米系移民を取り上げ、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>の生成と変容という歴史的パースペクティブから、その移動、就労、生活のあり方を、同じく鶴見区に戦前から集住してきた沖縄系-日本人との関係性において検討するものである。このことにより、もっぱら労働移民(「労働ディアスポラ」)として論じられてきた沖縄系-南米系移民と、鶴見の地域社会に根付いた沖縄系-日本人(「犠牲者ディアスポラ」)との邂逅を問題化し、両者の結合と分離の様態とその要因の解明が試みられている。
問題意識と分析枠組、またマルチサイト調査を含む研究方法が序章で論述されたあと、前半(第1章〜第4章)では、戦前に遡り、近代日本の植民地主義、帝国主義を背景として、沖縄からの出移民が「犠牲者ディアスポラ」(R.コーエン)を原型とすること、また戦後の米軍支配下、冷戦期における出移民でもこの原型が維持されつつも、その後グローバル化の時代までに、ディアスポラがボリビア、そしてブラジルの離散地において、しだいにその性格を変え、1990年代以降、「フレキシブルな非熟練労働力」(「労働ディアスポラ」)として、鶴見の地で沖縄系-日本人とまみえる過程が、主に歴史社会学的手法と南米での現地調査に基づいて明らかにされている。
後半(第5章〜第7章)では、鶴見のローカルな社会の文脈で、二つの<ウチナーンチュ・ディアスポラ>の結合と分離の過程が論じられている。電設業界において当初は協働関係を形成していた両者が、リーマンショック後、しだいに分離し、沖縄系-南米系移民が下請けとしての経営状況の安定化を図るようになったこと(経済と就労の位相)、また南米系の子どもたちへの支援活動の分析を通して、生活と教育の面では両者の結合が限定的なものに留まる傾向にあることがフィールドワークに基づいて明らかにされている。そのうえで、沖縄系-南米系移民の近年のブラジルへの帰還現象について、コミュニティ内部のジェンダー分業、職業のジェンダー化された限定性、人口の不均等なジェンダー比という観点から説明と考察が加えられている。
終章では、本論文で得られた知見とその限界がまとめられるとともに、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>への「ホームランド」沖縄からの働きかけが鶴見で新たな関係を生み出す可能性に言及し、この点を今後の研究課題として提示して締めくくられている。

2. 本論文の成果と問題点
 本論文の成果は、大きく以下の三点にまとめることができる。
 第一に、「日系南米移民」の一部として不可視化されがちな「沖縄系」に注目し、これを<ウチナーンチュ・ディアスポラ>という歴史的なパースペクティブに立って捉え直すとともに、他方で、鶴見を「日系南米移民」の受入地だけでなく、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>の離散地として位置づけ直すことで、離散地の違いによって異なった性格を帯びてきた二つのディアスポラの「邂逅」という問題系を析出した点を挙げることができる。
 また、以上の作業を行う過程で、戦前に遡る沖縄からの出移民について、これを貧困からの脱出として、貧困を自然化する通説を批判し、むしろこの貧困が、琉球王国に対する近代日本の支配と差別の構造の中で生み出されてきた歴史的文脈を有し、いわゆる「労働移民」とは区別されるべき、「犠牲者ディアスポラ」を原型とする点、さらにこの点が戦後の米国支配を通して、継続的に再生産されたことを先行研究の批判的検討を通して明らかにした点も評価できる。こうした分析視座によって、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>の内的多様性と関係性を捉えることに一定の成果を上げた。
 第二に、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>というスケールの大きなテーマに必要な、マルチサイトの調査研究に挑戦し、ポルトガル語の習得に取り組んだうえで、鶴見のみならず、ブラジルのサンパウロ市ビラ・カロン地区、ボリビアのコロニア・オキナワ、そして沖縄本島での調査を積み重ねてきたことも評価できる。このような複数地点での調査で得られたデータを照応させることで、二つのディアスポラの結合と分離のダイナミクスを捉えることが可能となった。
第三に、ディアスポラ研究に欠落しがちなジェンダー視点からの分析を、沖縄系ブラジル移民の移住過程や、コミュニティ内ジェンダー分業や職業選択の限定性といった点について適用し、このことを通してブラジルへの近年の帰還移動の意味を明らかにした点を挙げることができる。
 以上のような優れた成果が認められる一方で、以下のようないくつかの問題点も指摘できる。
 第一に、<ウチナーンチュ・ディアスポラ>の歴史社会学的な検討で採用される3つの時期区分(帝国の時代、冷戦の時代、グローバル化の時代)の設定において、沖縄の日本復帰、さらにまた東アジアの文脈における「新冷戦」といった固有の条件が十分に考慮されていない。沖縄の国際的環境の実態により適合的な時期区分を設定し、そのことで国内植民地論としてもより精密な議論が可能なはずであるが、この点、不十分なままに留まっている。
 第二に、本論文は沖縄出身者の各地への離散に関する歴史的パースペクティブや権力構造の視点の強調という点で、ディアスポラ研究の有効性を提示している一方で、オーソドックスな移民研究やエスニシティ研究でも議論可能な現象についても、ディアスポラ概念に回収する傾向が見られる。特に、終盤の「労働ディアスポラ」としての沖縄系南米移民の分析に近づくにしたがって、その傾向は著しい。従来の移民・エスニシティの社会学とディアスポラ研究、それぞれの有効性や切り分けについて、より自覚的で踏み込んだ検討が求められるのではないか。
 第三に、第6章で取り上げられる「沖縄へルーツを探る旅」が沖縄系-南米移民の子どもたちにどのようなインパクトをもたらすのかといった考察においては、沖縄のアイデンティティにかかわる象徴資本といった概念枠組を用いて、より理論的に掘りさげ、議論に厚みをもたせることも可能であったのではないか。現時点では、やや平板な議論に終わっている点が否めない。
 以上、主な問題点を記したが、これらについては口述試験の質疑応答において、筆者自身の見解が説明され、今後の課題としても認識が得られた。近い将来の研究においてこれらが克服されていくものと十分に期待できる。また、これらの課題にもかかわらず、本論文が達成した成果を損なうものではない。

最終試験の結果の要旨

2018年2月14日

2018年1月10日、学位請求論文提出者、藤浪海氏の論文について最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文「犠牲者ディアスポラと労働ディアスポラの間で——横浜市鶴見区で邂逅するウチナーンチュたち」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、藤浪氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、藤浪海氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定する。

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