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博士論文審査要旨

論文題目:現代ドイツの労働協約
著者:岩佐 卓也 (IWASA, Takuya)
論文審査委員:吉田 裕、倉田良樹、田中拓道

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1. 本論文の概要
 本論文は、ドイツの労使関係を規定している労働協約について、グローバル化が進展する2000年代以降にどのような変化が生じたのかを、製造業、小売業、低賃金サービス業という複数の業界を対象として、おもに使用者団体、労働組合の権力関係と戦略に着目しつつ、総合的に明らかにした労作である。ドイツの労使関係は、中央労使交渉にもとづく労働協約と、個別企業ごとの労使交渉にもとづく共同決定という二つのレベルから構成される。こうした独自の労使関係は、戦後ドイツの経済発展を支えたとされ、近年でも「ライン型資本主義」、あるいは「調整的市場経済」と呼ばれて、アングロ・サクソン型の自由主義的な市場とは異なるモデルを維持している、と考えられてきた。本論文はこうした通説に挑戦し、ドイツの労働協約がグローバル化のもとで根本的な変容を蒙りつつあることを明らかにしている。

2. 本論文の成果と問題点
 本論文の成果として大きく二点を挙げることができる。
 第一に、2000年代以降のドイツ労働協約の変容を、体系的に明らかにしえた点である。近年までの比較政治経済学の主流である制度学派によれば、労働市場のあり方は金融、教育、福祉制度などとの制度的補完性を持つため、グローバル化のもとでも「資本主義の多様性」は維持される、とされてきた。ドイツはアングロ・サクソンの自由主義モデルと異なる「調整的市場経済」の代表国とされ、とりわけ製造業を中心とする労使関係は強固な持続性を持つ、と考えられてきた。これにたいして本論文は、製造業、小売業、低賃金サービス業という異なる業界を対象とし、それぞれに固有な形で労働協約の根本的な変容が生じていることを明らかにした。すなわち製造業では協約に拘束されない企業が増大し、協約の個別事業所化が進行する一方、小売業では使用者の攻勢により労働条件全般が悪化しており、労使対立が激化している。低賃金サービス業では東欧からの移民労働者の流入などにより賃金引き下げが起こっている。これら業界ごとの差異に配慮しつつ、全体として労働協約の拘束範囲の縮小が見られることを描き出した点が、本論文の最大の貢献である。
 第二に、本論文は上記の変容を分析するにあたって、「制度」という静態的な対象に着目するのではなく、労使の権力的な対抗というダイナミックな視角を導入している。とりわけ各業界を代表する労働組合として、製造業のIGメタル、小売・サービス業のver.di、低賃金サービス業のNGGを取り上げ、その具体的な対抗戦術を詳細に考察した点も、本論文の重要な貢献である。筆者はこれらの点を考察するために、新聞記事、組合機関紙を包括的に調査するだけでなく、20名以上のキーパーソンへのインタビュー調査も行っている。それらによると、IGメタルは国際競争力の強化を取引き材料として労働協約の維持を求める一方、ver.diはフレクシブル・ストライキ、フラッシュモブなどを駆使して協約の一定の防衛に成功した。NGGは労使交渉を超えて世論への働きかけを強めることで、最低賃金制度の導入に成功した。このように本論文は、労働協約の全般的な縮小という趨勢のなかで、労働側のどのような対抗戦略が有効に機能しえたのかを明らかにした。
 以上のように、本論文は全体として大きな成果をあげる一方で、若干の課題も残している。
 第一に、本論文の考察対象が労働組合にやや偏っており、使用者団体の分析が手薄である点である。本論文では、グローバル化のもとで、使用者の側が協約からの脱退、労働強化、労賃引き下げという強硬な手段を取ることが半ば自明視されているように読める。しかしそれぞれの業界内部では、使用者団体の立場も多様である可能性がある。たとえば企業の多国籍化、外国人株主の割合などは企業ごとにも異なるであろうし、それらに応じて使用者側の戦略も一枚岩とは言えない可能性がある。これらの点に関する考察を深めることで、ドイツ労使関係の分析はより包括的なものとなったであろう。
 第二に、本論文は労働協約の拘束範囲の縮小を明らかにする一方で、労働協約の内容にかんする質的変化にはあまり言及していない。労働時間、労働賃金、雇用規制のほかにも、技能訓練、経営参画のあり方など、労使関係はより多面的な内容を含んでいる。これらの点を考察することで、ドイツの労使関係がいわば自由主義モデルへと収斂しつつあるのか、それとも内容の変化を遂げつつも独自性を維持しているのかについて、より明確な答えを導くことができたのではないかと考えられる。
 ただし、以上の課題は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、著者自身も十分に自覚している。近い将来の研究において、これらの諸点が克服されていくものと十分に期待できる。

最終試験の結果の要旨

2016年5月18日

 2016年3月30日、学位請求論文提出者・岩佐卓也氏の論文について試験を実施した。
 試験において審査委員が、提出論文「現代ドイツの労働協約」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、岩佐氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試問の結果をあわせて考慮し、一橋大学学位規則第5条第3項の規定により、本論文の筆者が一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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