博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:20世紀アメリカ合衆国の戦争と自立概念の変容
著者:小滝 陽 (KOTAKI, Yo)
論文審査委員:貴堂嘉之、中野聡、佐藤文香

→論文要旨へ

1.本論文の概要
本論文は、アメリカ合衆国における自立支援政策をリハビリ政策として位置づけ、安全保障政策と一体となった20 世紀後半のアメリカの福祉の特徴を浮き彫りにしつつ、「自立」概念の変容を考察した力作である。二次大戦から冷戦という「長期にわたる部分的動員体制」の時代にいたるまで、アメリカ政府は、兵士として、労働者として男性市民を有用な「人的資源manpower」とすべく医療と教育を柱としたリハビリ政策を実施してきた。第一部では、国内のリハビリ政策の出発点となった復員兵援護法(GI ビル)、朝鮮戦争復員兵援護法から、障碍者リハビリテーション、退役軍人病院における赤十字女性ボランティアの活動までを論じ、第二部では、南ベトナムにおける「平定作戦」に転用された同種のリハビリ政策を対象に、「自立」の意味が再定義されながら変容していく過程を分析した。
2. 本論文の成果と問題点
本論文の第一の成果は、アメリカの社会政策・福祉政策が想定する「自立」の意味の変容を明らかにした点である。先行研究で論じられてきたように、「分離領域」に基づくミドルクラスの家族規範にのっとった男性稼ぎ手モデルは、南北戦争後の家族保護政策に淵源をもち、19 世紀末以来、アメリカの社会政策の設計に大きな影響を与えてきた。従来、このモデルの変質として注目されてきたのは、シングルマザーに就労を強制するワークフェア政策であり、その変質の時期はおおむね1970 年代以降とされてきた。しかし、本論文では、二次大戦以降の冷
戦期、ベトナム戦争末期までに、アメリカ社会政策における男性稼ぎ手モデルがすでに変質し、そこに含まれる「自立」の意味も多様な形を取るようになっていたことをジェンダー視点から解き明かした。
第二に、この男性稼ぎ手モデルの主たる変容の場が、軍事や外交・安全保障と密接な関係を持つ政策領域であることを明らかにした点である。安全保障政策を射程に入れた本論文は、狭義のニューディール由来の福祉政策の連続・不連続として論じられてきた従来の枠組みに修正を促し、二次大戦以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争など冷戦下におけるアメリカ社会の軍事化に注目することで、新たな福祉史の叙述の可能性を切り拓いた。ニューディール改革と20 世紀末の新自由主義的な福祉改革との間をつなぐ「失われた環」を、軍事・安全保障の領域に見出そうとする視角は秀逸であり、今後の研究のさらなる発展可能性を有するものと評価できる。
第三に、軍事・安全保障の視角を用いることで、20 世紀後半の福祉政策から貧困や失業の背景にある社会・経済の構造問題に対する関心が失われていくプロセスと要因を子細に論じることに成功した点である。これまで、移民や黒人に対する人種的偏見、保守的な家族観にもとづくジェンダー面での偏見が指摘されてきたが、本論文では、二次大戦から冷戦期へと受け継がれたリハビリ政策の有する「人的資源」としての発想が大きな影響を与えているとした。男性稼ぎ手モデルが変容しても、自立を支援する様々なリハビリ政策が個人、もしくは家族や共同体単位での自助を強調する以上、貧困や失業の背景にある社会の構造問題は軽視され続けた。労働市場や戦時社会への個人の適応を肯定的に位置づけるこのようなイデオロギーを、20 世紀末の新自由主義的な福祉改革の正当化との連続線上に位置づけた点は、本論文の貢献を歴史研究にとどまらぬ野心的なものとしていると言えよう。
以上のように、本論文には貴重な成果が認められるものの、いくつかの課題も指摘できる。
第一に、二次大戦後の国内政策を扱う第一部と南ベトナムでのリハビリ政策を扱う第二部のつながりが必ずしもうまくいっていない点である。アメリカ国内の福祉事業に従事したソーシャルワーカー、障碍者リハビリの専門家、難民支援の専門家などが南ベトナムのリハビリ政策に結集する点で、その国境を越えた連関は興味深いが、同時代の国内のベトナム帰還兵向けの政策などについても論じる余地があったのではないか。史料上の制約があるとはいえ、今後の重要な検討課題であると言えよう。
第二に、リハビリ政策の対象および自立概念の変容がやや図式的に示されている点である。政策の柱となっていた男性稼ぎ手モデルの範疇の外側におかれた人々については、いま少し丁寧に分析する必要があっただろうし、自立概念の多様化についてもより精緻な叙述が必要である。
もちろん、以上のような課題は、本論文の学位論文としての価値を損うものではなく、小滝陽氏自身もその問題点を十分に自覚しているところであり、今後の研究の中でこうした問題点は克服できるものと判断する。

最終試験の結果の要旨

2017年1月18日

2016 年12 月21 日、学位請求論文提出者、小滝陽氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「20 世紀アメリカ合衆国の戦争と自立概念の変容」に関する疑問点について審査委員から説明を求めたのに対し、小滝陽氏はいずれも十分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、小滝陽氏が一橋大学学位規則第5 条第3 項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

このページの一番上へ