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博士論文審査要旨

論文題目:転換期における日本の高齢者対策に関する研究:高齢者雇用と公的年金を中心に
著者:鄭 基龍 (CHUNG, Ki Ryong)
論文審査委員:藤田伍一、加藤哲郎、倉田良樹

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 1.本論文の構成

 本論文は日本の高齢化を中心とする労働力供給構造の転換期において、新たな高齢者対策を提言する政策論として位置づけられる。その具体的な政策論は高齢者雇用を軸に年金制度を補完させる所得保障制度の再構築に向けられている。本論文の構成は以下の通りである。

 まえがき

 第1章 序論
  第1節 研究の目的と課題
  第2節 研究の方法と範囲
  第3節 本論文の構成

 第2章 戦後日本の高齢者対策の軌跡
  第1節 日本の高齢者対策の背景
  第2節 高齢者雇用政策の展開
  第3節 日本の雇用慣行と労働力人口の変化
   1.日本の雇用慣行の変化
   2.労働力人口の変化
  第4節 高齢社会における現役高齢者

 第3章 高齢者生活保障対策の新たな展開
  第1節 高齢者の生活と意識の変化
   1.家族生活と家族観の変化
   2.高齢者の雇用環境と経済生活の変化
   3.高齢者の社会参加
  第2節 高齢者生活保障供給源の多様化
   1.高齢者の公的生活保障
   2.高齢者の共同生活保障
   3.高齢者の私的生活保障
   4.高齢者生活保障供給源の多様化と総合化

 第4章 日本型高齢者対策の再構築
  第1節 日本型高齢者保障の方向
   1.高齢者保障視点の転換
   2.高齢者保障の基本原則
   3.個人差に基づく高齢者対策
  第2節 高齢者の生活における雇用と年金
   1.高齢者労働力活用の構想
   2.公的年金制度の現状と改革方向
   3.公的年金制度と高齢者の雇用
  第3節 高齢者対策の政策提案
   1.高齢者対策の他政策との整合性
   2.高齢者雇用拡大のための政策提案
   3.高齢者の所得保障モデル提案

 第5章 結び

 参考文献

 2.本論文の論旨

 第1章では、高齢社会を枠組みにして、高齢者対策、とりわけ高齢者の所得保障をどう再構築するかという研究課題と目的、研究方法、研究範囲などについて論述し、課題を次のように三点に要約している。第1に、21世紀初頭の日本のあるべき高齢社会の姿を想定し、それへの政策方向を見定めること、第2に、いわゆる「団塊の世代」が引退期を迎える今後10年程度にわたって政府がおこなうべき高齢者対策の基本方向や課題を明らかにすること、第3に、高齢者への所得政策の中心となる高齢者雇用と年金のガイドラインを示すこと、である。

 第2章では、戦後日本の高齢者対策の推移を1960年代からたどり、企業の雇用慣行を軸にして高齢者雇用の展開過程を検証している。とくに90年代に入って本格的な高齢社会を迎える中で、60歳定年の義務化と65歳までの定年後の継続雇用の努力義務を明記した高年齢者雇用安定法の改正に注目している。そして現在では、高年齢者雇用安定法および高年齢者等職業安定対策基本方針(95年)に基づき、65歳までの継続雇用の推進、高齢者の多様な形態による雇用・就業機会の促進、高齢期における雇用・就業に対する援助といった三つの高齢者対策の内容を詳述している。

 第3章では、高齢者の生活意識や家族形態の変化、生活保障主体の多様化を検討し、生活保障を三つに分けて考察している。すなわち、公的生活保障、協同的生活保障、そして私的生活保障の3分野である。

 まず、公的生活保障では、政府は社会システムを人生80年時代にふさわしい柔軟なものに転換する必要があるとして、労働時間の短縮や、労働市場の流動化を促し、年金についても本格的な高齢化社会にふさわしい改革、すなわち現役世代の負担能力の限界を見据えて、給付サイドに踏み込んで調整するよう訴えている。

 次に、協同的生活保障では、企業と個人の協同による生活保障、すなわち企業保障が取り上げられている。社会保障の整備・充実が進むなかで、企業の「福利厚生」のもっていた低賃金補完機能、社会保障肩代わり機能の低下が進み、1970年以降、労使双方の福利厚生への態度変化とあいまって改めて労務管理の一環として位置づけられ、従業員の精神的・文化的な領域を含む新たな「企業福祉」へと変容したとしている。そしてこれまでの福利厚生が労働者の生涯を核家族の延長線上で捉え、いわば単線的なライフスタイルを描いてきたが、今やその前提は崩れつつあり、生涯単身、共稼ぎ、介護家庭など多様な家族形態やライフスタイルが生まれているのであって、企業福祉も働く者の生涯にわたる総合福祉として考えなければならないという。

 第3の高齢者の私的生活保障としては、市場の役割を重視する。だが、市場機構への過信は禁物であるとしている。それは市場と政府の関係はこれまでになく複雑であるからである。市場機構の活用は、高齢者の生活において、必ずしも「公的サービス」を代替するものではなく、利用者個人の選択によって得られる補完的なものであるべきとしている。一方で私的保障手段として重視されるべきは家族であるという。すなわち高齢社会における市場の役割は政府の働きとともに家族の果たす役割を常に視野に入れながら検討すべきであるとしている。

 第4章では、以上の考察を踏まえて、「自立」と「連帯」の視点から高齢者の所得保障手段を論じている。具体的には高齢者雇用政策と公的年金制度の「補完関係」を軸に今後における高齢者対策の方向を見定めようとしている。

 生活保障システムは歴史的な所産であって、環境に応じて変化するものである。したがって一定の生活保障システムを維持するために環境変化に適応してシステムを修正しなければならないと主張する。生活保障システムは「社会共通の生活」が送れるようこれに調整を加えていくものであって、この調整を支える原理が連帯主義に他ならないという。社会保障制度には基本的に「連帯」が組み込まれているので、その枠組みを広げれば高齢者をめぐる社会的連帯は構築できるとしている。そして「自立」については、高齢者個人の事情がそれぞれ異なるため、自立支援の方法も単純ではない。だが、働きたい意欲をもつ高齢者には財産所得の活用、家族の援助、高齢者自身の労働能力を活かした労働所得を維持させることを通じて、自立化をはかるべきだと主張している。

 次に高齢者の類型別に政策を展開すべきであると主張する。前期高齢者を二分して、就労高齢者と引退高齢者に分けて政策的手当てをおこなうべきであるが、どちらを選択するかは本人の意思に任せるべきだとしている。また後期高齢者については、働かなくても得られる所得源をどのように確保するかが大きな問題であって、著者は後期高齢期においては公的年金による所得の確保が最重要であると見ている。

 したがって前期高齢期では労働所得と財産所得、そして後期高齢期では年金所得と財産所得で賄うのが望ましいが、その組み合わせは基本的に個人の選択に委ねられるべきだというのが著者の結論である。

 その前期高齢者の雇用のありかたについては、賃金構造との関係を重視して展開している。清家慶応義塾大学教授の仮説、すなわち「企業は雇用期間全体にわたって仕事能力に応じて賃金を等しく支払うように行動する」との理論を前提として、高齢者の仕事能力に応じた選択的な労働力活用策を引き出そうとしている。著者はこのような仮説に立てば企業側と高齢労働者側との相互の必要性に応じて再雇用、雇用延長、臨時雇用(パートタイマーなど)を自由に選択する枠組みができるとして、これを「選択的屈折型雇用」と呼んでいる。また高齢者雇用の賃金はこうした枠によって規定されると見ている。

 また、年金制度に関しては、高齢化が急激に進む中で、現在の給付水準を維持しようとするには世代間の負担格差が大きいことや年金負担が企業経営に悪影響を及ぼすおそれがあること、そして雇用との調整などを含めて総合的な視点から再検討する必要があると指摘している。公的年金には本来「最低生活保障機能」と「生活維持機能」があるとしているが、5年毎の財政再計算時に拠出の引き上げと給付の引下げが実施されており、生活維持機能は縮小しつつあるという。そのため高齢者の自立を支援する支援策、たとえば高齢者雇用でこれを補完することが必要となる。

 第4章第3節以降における高齢者対策の政策提言においても、年金と雇用の組み合わせによる持続的な高齢者対策を構築するよう求めており、この主張は著者の政策論における要をなしていると考えられる。その組み合わせ方については弾力的で多様であることを図示(=ソフトランディング型高齢者所得保障モデル)して、政府の強力なリーダーシップによって「活力ある高齢社会」が実現できると結んでいる。

   3.本論文の特徴と課題

 本論文の特徴は高齢社会、高齢者雇用、公的年金のそれぞれの分野における多くの資料を渉猟し、これを駆使して政策的展望に繋げようとしている点である。この試みは基本的に達成されており、本論文が評価されるべき第一の点である。とくに著者が資料制約の多い外国在住者であることを考慮すれば、説得力を生みだすだけの資料の収集、整理、分析をおこなっている点は十分に評価できる。その背景には、高齢化対策がようやく現実的課題となってきた母国韓国での対応を念頭において、先行する日本の制度と事情を体系的に学び、摂取しようとする著者の熱意と率直な研究姿勢を看取することができよう。

 また、政策論としての面では、高齢社会への対応策をオリジナリティを含むモデル仮説として提言している点が本論文の特徴であり、価値となっている。具体的には高齢社会を枠組みとして、高齢者雇用と公的年金の補完性をテーマに掲げており、そこでは弾力的な対応、すなわち政府、企業、高齢者個人の三者がそれぞれニーズを出し合い、調整コストを効率的に分担するという選択的なシステムづくりを提唱している。著者が提言する「選択的屈折型雇用」の概念や「ソフトランディング型高齢者所得保障モデル」は、まだ成熟した政策案とはなっていないものの、それを支える骨格部分は本論文で組成されていると判断できる。さらにモデルが精緻化され、近い将来、具体的な政策提言に繋がることが期待されよう。

 反面、課題を残している点もいくつか見られる。本論文は「転換期」をひとつの大きな枠組みとして考察しているが、これを人口構成の高齢化に限定して扱っている。確かに人口の高齢化は大きな社会変動の要因ではあるが、その他にも転換を促している要因もあるのではないか。たとえば経済のソフト化、サービス化やグローバル化、あるいは情報化や国際化などを挙げることができよう。しかもこれらの要因には高齢者雇用に対して阻害的に機能すると指摘されているものも含まれており、どのような枠組みとするかは今後の大きな課題といえよう。

 また、本論文はプラス経済成長の持続や労働力不足基調を前提においての考察となっている。その分、論旨は明確となり政策内容の説得力も高められているが、経済成長が止まり労働力が過剰となる別のシナリオも想定できるところであって、そうした場合を含めた柔軟な高齢者対策を練り上げるのも次の課題となってこよう。

 雇用については、高齢者サイド、すなわち供給面についての検討が主となっているが、現在ミスマッチが顕在化していることから理解できるように、産業構造の転換を視野に入れた需要面の開発が課題として残るであろう。年金についても、抜本的改革を望むのであれば、世代間扶養の賦課方式に踏み込んで改革の展望と道筋を明らかにする必要があると思われる。

 これらの残された課題については著者も自覚しているところであって、本質的に本論文の価値を損なうものではない。本論文は一定の条件設定の下で、論理構成に意を尽くして纏められており、博士論文に相応しい力作であると評価できる。

 審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに充分な成果を上げたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに相応しい業績と認定する。

最終試験の結果の要旨

2000年4月27日

 2000年4月27日、学位論文提出者鄭基龍氏の論文および関連分野についての試験を行った。本試験においては、審査委員が提出論文「転換期における日本の高齢者対策に関する研究-高齢者雇用と公的年金を中心に-」に関する疑問点について逐一説明を求め、あわせて関連分野についても説明を求めたのに対し、鄭基龍氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって審査員一同は鄭基龍氏が学位を授与されるものに必要な研究業績及び学力を有することを認定した。

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