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博士論文審査要旨

論文題目:近代天皇制の再編―皇室の経済機構とその変容過程―
著者:加藤 祐介 (KATO, Yusuke)
論文審査委員:吉田裕、中北浩爾、坂上康博、石居人也

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1、 本論文の概要

 本論文は、近代天皇制が日露戦後から1920年代にかけての時期に、どのように再編されたのかという問題を、皇室の経済機構(皇室財政と皇室財産)の変容に焦点を合わせて分析した労作である。分析の枠組みとしては、天皇制の国民統合機能を一貫して重視していることが重要である。また、経済機構の分析に際しては、制度と実態それ自体だけでなく両者を媒介する政治過程をも視野に入れることによって、制度と実態の相互関係を明らかにしようとしている点が注目に値する。

2、 本論文の成果と問題点

 本論文の成果としては、次の三点を指摘できる。第一には、形成期の研究に偏る傾向があった従来の近代天皇制研究の限界を克服して、皇室財政や皇室財産の歴史的変化を通史的にえがいてみせたことである。具体的にみてみると、皇室財政の問題では、1912年の皇室会計令の制定によって、御料地経営の収益が皇室財政の中に組込まれる過程が詳細に分析されている。また、「君徳」観念と矛盾するという判断から、大正期に入ると皇室費への国庫支出金の増額は事実上不可能になるが、その中で浮上してきた皇室財政の逼迫とそれに伴う歳出削減問題への対応についても、1920年代における宮内省の政策が一つ一つ具体的に明らかにされている。皇室財産の問題では、大正デモクラシ-状況が拡大する中で、皇室が保有する株券の処分が大きな政治的争点となり、これに対して宮内省は、株券の新規購入の抑制、国債、地方債の積極的購入という形で対応していったとする。なお、申請者は皇室財政や皇室財産に関する各種の統計を作成しているが、これらは経済機構の変化を知る上できわめて有益な資料である。
第二には、経済機構の問題を中心に据えながら、天皇制の再編過程を、そこにはらまれる対抗関係や矛盾にも着目しながら具体的に明らかにしたことがあげられる。皇室財産課税問題では、普通御料地は皇室の私的な財産であって課税対象であるとする政府と、普通御料地は公的な財産であって非課税であるとする宮内省の見解が長い間、対立していた。結局、この対立は、1920年に管内に御料地が所在する市町村に対して地租付加税に相当する金額を下賜する慣行が始まるという形で決着をみた。申請者によれば、これによって皇室は公的な存在であると同時に私的な領域も有するという皇室観が確立した。その結果、皇室を国家に包摂した上で、国務と宮務の分界を明確にする政策が採られるようになったとする。さらに、申請者は、1920年前半に起こった御料農地における借地人と転借人の間の争議(事実上の小作争議)を詳細に分析し、「一君万民」的、「一視同仁」的観念が浸透していく中で、双方がそれを自己の側に引き付けて解釈して自己の主張を正当化したため、争議が複雑化、政治化していくことを明らかにしている。
第三には、当該期における天皇制の再編過程を具体的に明らかにしつつも、その限界にも目を配っていることである。地租付加税相当額の下賜という慣行も法的根拠を持たない宮内省の内規に基づいて実施されたものだった。また、宮内省は皇室財産の実態の公開には一貫して消極的であったし、御料農地における紛争が、地主・小作関係に及ぼす影響を充分認識していない面があったため、その対応にも混乱が見られた。宮内省帝室林野管理局が推進した御料農地の経営を重視する構想も、全ての国民から等距離に立つという天皇像から乖離していくという矛盾も有していた。近年における近代天皇制研究には、1920年代における再編をストレートに戦後の象徴天皇制の形成に結びつける傾向がみられるが、本論文はそうした傾向に修正をせまるものとなっている。最後に史料についてであるが、本論文は最近公開された宮内公書館の宮内省関係史料を本格的・体系的に分析した最初の論文という性格を持っていることを指摘しておきたい。
 以上のように、本論文には貴重な成果が認められる。しかしながら、問題点も存在する。
 第一には、経済機構の歴史的変容として取り上げられている個々の事例分析は精緻なものになっているが、それが天皇制の再編全体の中にどのように位置付けられるのかという点は必ずしも明確でない。そのためもあって、再編される前の天皇制との違い、再編された天皇制と戦時期の天皇制との違いはやや不明瞭である。第二には、「全ての国民から等距離に立つ天皇」像という表現が繰り返し使われ、他方で「一君万民」的観念、「一視同仁」的観念という表現もたびたび登場するが、両者の関係は曖昧である。近代天皇制のイデオロギー的特質についての申請者自身の見解をもう少し丁寧に説明すべきではないだろうか。
もちろん、以上のような問題点は、本論文の学位論文としての価値を損なうものではなく、加藤祐介氏自身もその問題点を充分に自覚しているところである。今後の研究の中でこうした問題点は克服できるものと判断する。

最終試験の結果の要旨

2017年2月28日

2017年1月24日、学位請求論文提出者・加藤祐介氏の論文について、最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文「近代天皇制の再編―皇室の経済機構とその変容過程―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、加藤祐介氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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