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博士論文審査要旨

論文題目:M・K・ガーンディーの「宗教政治」思想―セクシュアリティ認識の変容とナショナリズム運動の展開―
著者:間 永次郎 (HAZAMA, Eijiro)
論文審査委員:足羽與志子、深澤英隆 、春日直樹、井坂理穂

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1. 本論の概要
M.K.ガーンディーは一般的には非暴力運動の父として知られる。彼のインド独立に向けた生涯にわたる一連の政治行動のなかには、直感的行動であるとみなされたり、一貫性が薄く非合理的であると評されてきたものもある。それに対して本論は、ガーンディーのセクシュアリティ認識の展開に注目することにより、それらが実は彼にとっては内なる思想実践と外なる思想実践を密接に連動させた秩序構築の追究であり合理的な過程であるべく努めた結果であったと論じる。
ガーンディーは外的な政治行動とは別に、生涯を通じてブラフマチャルヤ(brahmacarya:南アジアの慣習や宗教において一般的に独身、非婚、セックスの禁忌などを指す。本論の文脈において著者は「精液集結」を主要な実践の一つとした)の実験を通じて性欲を内的な力に転換する試みとしてのセクシュアリティの探求を行っていた。性欲を増長させ、かつ内的な力ともなる多義的な精液集結は彼の一生の課題であった。著者は政治行動とは無関係であるとされてきた彼の内的なセクシュアリティ探求に焦点を当て、活動初期からの彼の思想の底流にあった人の内的状態が外的な現実と一致するという宗教的思惟を本論において独自に「主客一致のコスモロジー」と名付けたうえで、彼のブラフマチャルヤの実験と政治行動の間に密接な連動性があると論じる。著者はガーンディーが非暴力運動であるサッティヤーグラハ闘争を最初に展開した南アフリカ滞在時期からインド帰国後の全国的ナショナリズム運動を起こしていった時期を通じて時系列的に彼の内的変化の分析と精緻な議論を積み上げ、以上のことを論証する。本論はヒンディー語、英語、そしてガーンディーの母語でもあるグジャラーティー語の三言語による一次資料と彼に深い影響を与えた思想家の著作等の文献資料を丹念にたどるという手法をとり、当時の東西の関係思想研究と彼の思想形成との綿密な関連の分析が本論の中心部分である。

2. 本論文の成果と問題点
本論の第一の成果は、本論の根幹をなす文献資料が膨大で広範囲にわたり、いずれも高い資料的価値を有するものであり、さらにその分析と解釈が緻密でかつ優れた論理性をもつ点である。なかでも本論はガーンディーが使用していた三言語であるヒンディー語、英語、グジャラーティー語で書かれた原語の一次資料を用いてガーンディー自身の思想の変遷を丹念に追っている点が高く評価される。このテーマに関して複数言語の資料をこれほど網羅的に収集し、分析した研究は他に類を見ない。また本論で展開する先行研究及び関連文献の緻密な読解と批評は、現代のガーンディー研究に新たな見解を寄与する本論のテーマ選択と議論方向を導き、論証を厚く支えてより説得的にしている。さらにガーンディーが大きく影響を受けた他の思想家の著作に著者が実際にあたることで、彼の思索の過程を丁寧に洗い出している。また本論のように、ガーンディーが晩年にブラフマチャルヤの実験として同衾した又姪のマヌの日記の一部を研究で扱い分析に用いた先行研究は極めて少ない。以上、本論は多くの一次資料も含めた文献資料による研究として極めて高い学術的成熟度を示す研究である。
第二の成果は、本論が、ガーンディーのセクシュアリティをめぐる思想と実践を正面から取り上げ、南アフリカ時代から晩年に至るまでの葛藤、思索、実験の過程を、彼の政治行動の展開と並行させながら、丹念にたどり明らかにした点である。審査員が知る限りではこうした研究は他になく新規性、独自性に富む。従来の研究ではガーンディーのセクシュアリティをめぐる一連の言動は不可解なものとされ、晩年の複数の女性との同衾に至っては、様々な反感や当惑、憶測を生んでいた。本論ではそれは彼が「大供儀」と呼ぶようにブラフマチャルヤ思想の完成を目した最終実験であると位置づけ、彼のブラフマチャルヤ思想をめぐる言動こそが彼の宗教政治(dharmraj)の根幹をなすものとして、そこに至る思想の形成過程を詳細に分析する。ガーンディーは折に触れてブラフマチャルヤに結びつく思想と実践について言及し公表してはいたが、本論は改めて、南アフリカ滞在期間に経験したカレンバッハとのホモセクシャルに類する関係と他の思想家からの影響の分析から始め、精液集結とシャクティ、性欲と正しい力の関係、乳製品摂取のタブー、ヒンサーとアヒンサーの重層的な関係についての思索、そして晩年になって近代タントラ学に傾倒する様子を、例えば、ラージチャンドラ、トルストイ、ヴィヴェーカナンダ、ウッドロフ、さらにはインドの地方の宗教家の著作による影響と彼の書物を対比させることにより深く掘り下げ、一貫した思索構築の過程として説得的に論証した。
第三の成果は、本論の中心的課題である、ガーンディーの政治行動とセクシュアリティをめぐる内面的思想構築の模索とを結びつけて論じた点である。南アフリカで開始したサッティヤーグラハ運動から、チャウリー・チャウラー事件、塩の行進等の一連の政治活動、また彼の世俗主義や独立前後の政治構想については、それらに連続的、合理的な展開性を認めるのが困難で、本能的であるとも評されてきた。それに対して本論は、彼の私的セクシュアリティ認識が宗教政治思想と連続してあり、彼の主観的、現象学的問題が外面的なリアリティとして数々の政治的実践に直結して表出した結果であり、そこには一貫したガーンディーの「合理性」が認められることを論証した。この論拠としては著者が名付ける「主客一致のコスモロジー」という、ガーンディーがその初期から持っていた、内面的な状況が外面的なリアリティに一致するという思想信念があり、そこにこそガーンディーの「宗教政治」の本質があることを本論は看破した。人類学においては、主として未開社会を対象に、個人の認識論的経験が外部での諸現象、諸活動というリアリティと直結し、かつコミュニテイの包括的な集合的コスモロジーを構築するという定石的見解が
あり、それと著者の「主客一致のコスモロジー」は共通する認識論的方法論であるが、ガーンディーの宗教政治思想において、アートマン思想、キリスト教神秘思想、近代タントラ学などと結びつけて「主客一致のコスモロジー」を論の中核としして新たな理解を構築した功績は重要である。
以上の成果を踏まえたうえで、本論には疑問点も残る。まず、本論のキーワードである「宗教政治」「精液集結」「主客一致のコスモロジー」など中心的コンセプトが著者独自の命名や翻訳であるとはいえ、本書の文脈においての限定的な解釈になってはいないだろうかという問題である。第二点は、著者が論じるガーンディーの「合理性」がどこまで一貫したものだったのか、場合によってはある部分においては著者の合理的な解釈が先行しての議論である可能性も無視できないことである。さらに著者も本論で触れているが、ガーンディーの生涯の思想形成過程と政治行動について、彼が影響された思想家の著作とブラフマチャルヤの思想によってのみ解釈することには限界があり、彼の広い人物交流やそのときどきの政治や社会状況への実践的対処という文脈での確認も必要であろう。とりわけブラフマチャルヤの実験について女性の自発性の問題もあり、マヌの手記等からの女性側からの視点に踏み込んだ考察があれば、今後ガーンディーの他者性および対話についての思索の糸口となるであろう。またガーンディー自身によるグジャラーティー語の言葉の意味合いについての理解と、著者自身の解釈にずれが生じる可能性や、それを日本語で翻訳することの難しさについての指摘もなされた。
しかし以上の問いは本論の価値を減じるものではなく、現段階でも完成度の高い本研究に対して、今後の一層の展開を促し期待するものである。
本論はガーンディー研究に新しい分野を切り開く論考であるだけでなく、南アジアの近代政治史において中心的課題の一つである宗教政治の研究に斬新な見解を加えるものであり、さらに実証主義的・経験主義的研究方法を主とする社会科学研究において、認識論的方法論を重ねあわせた論理組み立ての可能性を示す、独自性の高い優れた論考である。

最終試験の結果の要旨

2017年3月4日

2017年 1月27日、学位請求論文提出者の間永次郎氏の論文について最終試を行った。本試験において審査員が提出論文「M.K.ガーンディーの『宗教政治』思想―セクシュアリティ認識の変容とナショナリズム運動の展開―」について疑問点を質問したのに対し、氏はいずれの質問においても十分な説明を行った。よって審査員一同は、間永次郎氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規程により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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