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博士論文審査要旨

論文題目:1990年代における東アジア地域及び台湾の放送事業の変容 ― グローバル化/ローカル化の連動という視点から ―
著者:邱 琡雯 (CHIOU, Shwu Wen)
論文審査委員:山本 武利、梶田 孝道、町村 敬志

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一.本論文の構成

 本論文は以下のように構成されている。


・ 「放送事業のグローバル化/ローカル化」研究
 第一章 「国際コミュニケーション研究」の系譜
 第二章 「放送事業のグローバル化/ローカル化」研究の対象

・ 東アジア地域の放送事業の変容
   :グローバル化とローカル化の一局面としてのナショナル化の連動を中心に
 第三章 米国側の主導によるグローバルな放送事業の拡張
 第四章 東アジア諸国側の放送事業政策の対応
 第五章 東アジア地域からの在外同国人向けの衛星放送

・ 台湾の放送事業におけるグローバル化/ローカル化の再編成
 第六章 テレビ放送事業の変遷と現状
 第七章 映像分野のメディア多国籍企業の進出
 第八章 中国語圏放送メディア空間の構築
 第九章 政治活動とケーブルテレビ事業の発展




二.本論文の要旨

 本論文は、一九八〇年代以降、とりわけ一九九〇年代に入ってからの東アジア地域及び台湾の放送事業の変容を分析するものであるが、第・部では、これまでの国際コミュニケーション研究の系譜の整理を行い、理論的な準備作業としている。

 第一章「『国際コミュニケーション研究』の系譜」では、近代化の理論としてのコミュニケーション論、文化帝国主義論、文化多元主義論という順序で、国際コミュニケーション研究における先行アプローチを紹介し、それぞれを分析している。

 近代化の理論としてのコミュニケーション論に関しては、欧米と発展途上国における状況の違いに対する無自覚等が批判されている。

 文化帝国主義論に関しては、これが、特にアメリカのメディア帝国主義の拡張とグローバルな資本主義文化の拡大を強調するものであり、ラテンアメリカ等の発展途上国における初期のメディア構築期につくられた理論であるため、筆者が後で東アジアを例にとって議論することになる、現代の技術的・文化的諸状況を十分に説明できないとしている。

 文化多元主義論は、一九七〇年代末頃からラテンアメリカなどで出現した「域内メディア中心国」(メキシコやブラジル)に着目するものである。メディアの種類という点でも、またメディアの内容という点でも、グローバルな放送とは一線を画するものであり、こうした存在が文化帝国主義論に対する批判になっている点を指摘する。ラテンアメリカ地域では、文化的親近性がラテンアメリカ的な番組選別を規定する重要な要因として提起されているとしている。このような言語的状況は、後述される東アジアの中国語放送圏とも類似したものであり、興味深い。

 この文化多元主義論に対する批判点も、筆者によって指摘されている。域内メディア中心国のメディア生産の競争力を過大評価することはできず、発展途上国のメディア産業の生産規模、品質、流通などの競争力は先進国に較べて劣っているとされる。また域内メディア中心国は、ある意味ではアメリカ等の文化帝国主義に代わる機能を果たしており、もうひとつの、より小規模な文化帝国主義にすぎないとされる。さらに、ナショナル次元は、グローバル次元との関係でいえばローカルであるが、ナショナル次元の内部に下位文化という文字どおりローカル次元が存在する。域内メディア中心国を中心とした文化多元主義論は、こうした次元を十分にとらえるものではないとする。

 こうした議論をふまえて、筆者は、第四の視点として「グローバル/ローカル・モデル」を提示する。グローバル化は、常にローカルなものを一方的に破壊すると想定されがちであるが、実際には、グローバル化がリージョナリズム、ナショナリズム、ローカリズムを押しつぶすのではなく、むしろそれぞれの次元の顕在化を促すとし、グローバル/ローカルの緊密な連動に注目する。

 第二章「『放送事業のグローバル化/ローカル化』研究の対象」においては、こうした理論をふまえて、筆者は、放送事業におけるグローバル/ローカルの関係をみていくことになる。ただ、筆者も指摘しているように、東アジアの放送事業においては、強い政治的権力と高い経済成長に支えられる形で、広義のローカル次元のなかでも、とりわけナショナル次元が顕在化しており、通常のグローバル/ローカル理論の示す内容とは一定の距離があるという点は否定できない。すなわち東アジアでは、欧米主導のグローバル次元、そして強いナショナル次元が存在する一方で、中国語文化圏に代表されるリージョナル次元、より小規模なサブ・リージョナル次元、さらには、後述される台湾にみられるような、国内の反対勢力や地域に依拠するサブ・ナショナル次元(文字どおりのローカル次元)も存在するという。

 こうして筆者は、東アジアにおける放送事業を分析対象として選び、送り手の登場を生み出す背景、登場する送り手、送り手の製作する番組の三点について、本論文の第二部と第三部でみていくことになる。

 「東アジア地域の放送事業の変容:グローバル化とローカル化の一局面としてのナショナル化の連動を中心に」と題された第二部において筆者は、グローバル化のもとにおけるローカル化のもっとも重要な局面であるナショナル化の顕在化過程に焦点を当てながら、東アジア地域の放送事業の変容とその特徴を明らかにしている。まずはじめに第三章で、東アジア地域における放送事業のグローバル化を主導してきた米国側の戦略が具体的に明らかにされる。国際衛星通信事業の自由化、知的財産権の国際的保護などを押し進めることによって米国は、放送事業と映像産業においてその比較優位性を一貫して維持しようと努めてきた。そしてその背景には、国際競争力強化をねらう米国系メディア企業のコングロマリット化策があった。

 こうした外資系メディア企業の進出は、それを受け入れる東アジア諸国の側に複雑な動きをもたらす。第四章で筆者は、東アジア諸国側における放送事業政策の展開を、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、韓国、タイなどの豊富な事例に即して克明に跡づける。そして一つの基本的潮流の存在を明らかにしている。従来、当該地域においては、「情報主権論」に基づく放送事業への外資規制、外国番組の輸入制限が一般的であった。ところが、東アジア各国の経済成長とグローバル化戦略、放送の多チャンネル化、衛星放送の一般化による受信制限の無効化などの結果、こうした制限は各国で緩和されつつある。そして近年ではさらに一歩進んで、東アジアにおける放送・通信ハブの育成を目指して外資系放送企業を積極的に誘致しようとする動きと、国内放送事業の多角的整備をめざす動きとが同時に進行している。この二つの動向は一見相対立するように見えるが、両者の背景には、経済成長の維持策として情報産業育成にかける政府の積極的政策がともに介在していることを、筆者は強調する。グローバル化の進展が現実には、国家による政策的対応をさらに広範囲な規模で引き出していくところに、依然としてナショナル化を重視する東アジア諸国の大きな特質が見出せる。

 ちなみにこうしたナショナル化の方向は、各国の国内だけで完結するわけではない。在外同国人向けの衛星放送の展開は、国境を越えた形でのナショナル文化の再生産に貢献している(第五章)。

 第・部が東アジア地域全般の放送事業のナショナル化を論じた総論とすれば、第・部の「台湾の放送事業におけるグローバル化/ローカル化の再構成」は、台湾の放送事業を世界や東アジア地域のなかに位置づけ、台湾の普遍性と特殊性を明らかにしようとした各論といってよい。

 第六章「テレビ放送事業の変遷と現状」は、一九六二年に開局した「台湾電視公司」という最初の地上波放送からケーブルテレビ、ビデオテレビ、そして現在の衛星テレビという三十年余りの台湾のテレビ事業の足跡をまとめる。台湾の放送は草創期から国民党政権の「一つの中国」の正統性をアピールし、世論を誘導する政治的社会統制の道具として駆使されてきた。放送の内容や使用される言語も厳しく規制されていた。ところが一九七〇年代後半からホームビデオが普及しはじめ、一九八〇年代になるとそれにソフトを供給するレンタルビデオ店が急増した。またこれとほぼ軌を一にして、既成の地上波三局に代って四つ目のテレビ局の「第四台」という違法のケーブルテレビが乱立しつつ、急速に各家庭に普及した。ビデオ店や「第四台」は日本や欧米の各種の海賊版ビデオテープを売り物に官製的な既存のテレビ局への国民の不満を解消するのに役立った。そして一九九〇年に入って、日本のテレビ放送受信の共同アンテナ設置や日本製ドラマ番組VTRの輸入が合法化され、またアメリカを中心とする欧米系のメディア事業者の台湾進出も認可された。台湾の衛星テレビも打ち上げられ、地上波放送の増設も認められた。とくに多様な欧米 の衛星放送の電波が台湾に降り注ぐ時代となるや、「第四台」や共同アンテナ施設がそれらを吸収するインフラストラクチャーとして、台湾をめぐる放送事業の多元化に貢献した。

 第七章「映像分野のメディア多国籍企業の進出」では、まず最初にメディア多国籍企業の標準化/現地化の戦略についての説明がなされる。複数の国家にまたがって対外直接投資を行う多国籍企業は、世界ブランド品としての標準化と同時に、それぞれの進出先の文化的特性に対応した現地化を行う。これはマクドナルドやリーダース・ダイジェストの戦略と変わりがない。衛星技術の広域性やデジタル技術などがこの戦略を可能にした。

 メディア多国籍企業の代表格は、ニュース・報道専門のCNNである。一九八〇年にアメリカ・アトランタで開局したCNNは、早くも八二年に日本、八五年にヨーロッパに番組配信を開始した。そして九〇年代から本格的にアジア地域に事業展開するようになり、香港に制作センターを設立し、東洋人のキャスターを起用した。台湾を対象とするCNNでは、マンダリン字幕スーパー入りの番組を毎日放送し、台湾特集の番組も流している。筆者はCNNの他に音楽専門局のChannel-VとMTV、スポーツ専門局ESPNの標準化/現地化の戦略についても紹介している。

 以上の四局はアメリカ系多国籍企業である。その他の多国籍企業としてStar-TVとABNをとりあげる。前者は香港、後者はシンガポールに本社を設置している点に、アメリカ系とは異なる積極性が見られる。とくに前者は東は日本、西はトルコから、北はモンゴル、南はインドまで、アジア三十八か国に毎日二十四時間のノンスクランブルの放送をしている。しかし放送言語や内容には、各国の文化的、政治的背景を考慮して、現地化の努力を行っている。中国では、BBCのナマのニュース放送を外すことによって、北京政府に妥協した。台湾では日本製トレンディードラマを流すなど、視聴率獲得を図っている。

 このように第七章では、メディア多国籍企業の番組制作の標準化/現地化を把握しながら、文化的帝国主義論の一面性を批判し、グローバル/ローカルの視点の重要性を指摘している。

 第八章「中国語圏放送メディア空間の構築」は、中国、台湾、香港のスリーチャイニーズの他に、東南アジア、欧米などに住む中国系住民をも含めた中国語圏の空間に放送を流す企業の動きを追っている。台湾と中国の政治・経済的接近が番組や人材、資本の相互浸透を促している。東南アジアの華僑や欧米の中国系住民の中国語番組へのニーズも高い。こうして香港の華人系資本を中心に、TVBS、CTN、CETVなどのメディア企業が活動を九十年代に入って開始した。たとえばCTNは世界二十か所以上に取材の拠点をつくる一方、台湾の九五年の立法委員選挙のスペシャル番組などで高い視聴率を得たという。しかし筆者によれば、CTNは中国当局の見方で台湾を批判しており、そのマンダリンの発音が台湾の視聴者に違和感を与えているという。

 このように中国語圏放送メディア空間の構築を論じたこの章は、文化的差異化の事例として、文化多元主義論に根拠を与えることになる。

 第九章「政治活動とケーブルテレビ事業の発展」は、政治活動がケーブルテレビ事業を発展させた台湾の特殊性についてまとめている。八七年に戒厳令が解除されてから、国民党も民主化要求の野党側も、ともにケーブルテレビを通じてキャンペーンを展開してきた。とくに野党民主進歩党のケーブル「民主台」は「オルターナティブ・メディア」として各地に支局を開設し、言語、政治の自由化を訴え、支持者を増した。しかしケーブルテレビの事業としての定着のための中立化の動きが、政党の活動を逆規定するというプロセスにも注目する。

 また近年、地方意識の台頭とケーブル事業の関連についても言及する。地方意識とは、中華ナショナリズムに対抗する台湾ナショナリズムであり、また、台北の中央政治と対峙する台湾内のローカルな意識の噴出である。二つの地方意識はマンダリンという中国本土の「標準語」、台湾の「口語」の代わりとして、台湾語、客家語の使用がある。新しいケーブルテレビは台湾語、客家語の番組に力を入れており、それが各政党の選挙活動とも関連している。

 このように第九章では、「民主台」や地方意識を反映したケーブルの台頭が、ナショナル文化に対抗する下位のローカル文化の存在やその顕在化を示すと筆者は述べ、さらに政治活動とケーブルテレビ事業の相互依存の関係を明らかにした。


三.本論文の成果と問題点

 本論文は急激に変動する一九九〇年代の台湾、東アジアのテレビを中心とする放送事業を客観的、総合的に把握している。各国の放送事業者、放送政策、放送立法、放送システム、放送技術など多様な放送をめぐる状況に周到に目配りしながら、それらを理解し、それらの特徴や関連性を指摘している。内外の研究書、研究論文、新聞、雑誌記事ばかりかインターネットのホームページ情報、メディア企業への訪問などを通じて豊富、新鮮な情報を入手し、とかく平面的になりがちな放送事業の分析を回避することができた。

 また筆者は修士論文で取り組んだ文化帝国主義論、文化多元主義論の理論分析をさらに進展させ、グローバル/ローカル・モデルを新たに提示しながら、台湾や東南アジアの放送事業の分析に使っている。こうした国際コミュニケーションの理論史の理解は概ね正確であり、事業分析において適切に利用されている。したがって本論文は理論と実証を有機的に結びつけた意義ある論文といえよう。欧米の理論のアプリオリな適用、複雑な現実に流されがちな分析といった弊害を克服するのに成功した。国際コミュニケーションや国際政治の研究に寄与したばかりでなく、多国籍メディア、放送事業の研究でも研究の空白を埋めることができた。とくに中国語圏放送メディア空間をグローバル/ローカル・モデルを使って分析した第八章は、本論文のなかでも光っている。

 もちろん問題点もないわけではない。東アジアの地区分け、類型化がやや弱く、アジアのなかでの台湾の位置が明確でない。また台湾の政治活動とケーブルテレビ事業の関連性を分析した第九章も大きな成果であるが、台湾の社会・政治構造への言及が足りないため、ダイナミックな分析とはなっていない。

 本論文は送り手研究であるため、内容分析や受け手研究がほとんどなされていない。ないものねだりになるかもしれないが、少なくともより詳しい内容分析がなされておれば、本論文の送り手分析もより説得力が増したことだろう。たとえば、日本番組のアジア各国での放送をとりあげて、各国のメディアの分析も行えば、研究はさらに生彩を帯びたであろう。

 構成上の問題点も指摘できる。アメリカなどの多国籍放送事業のアジアへの進出を分析した第七章はグローバルの放送事業の拡張を論じている点で第三章のあとに入れることも可能であった。また、第二章に示されたグローバル/ローカル・モデルは文化帝国主義論、文化多元主義論との対比の上で、さらに精緻化することが可能であったと思われる。

 しかしこれらの問題点は、今後の研究によって筆者自身が解決すると思われる。


四.結論

 審査員一同は、上記の評価に基づき、邱琡雯氏に対し一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

1997年5月8日

 平成九年四月二十三日、学位論文提出者 邱 琡雯氏の論文および関連分野についての試験を行った。
 試験において、提出論文「一九九〇年代における東アジア地域及び台湾の放送<事業の変容 -グローバル化/ローカル化の連動という視点から-」に基づき、審査員一同から逐一疑問点について説明を求めたのに対し、邱 琡雯氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は邱 琡雯氏が学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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