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博士論文審査要旨

論文題目:日本近世社会と町役人― 甲府町年寄坂田家の歴史的位置―
著者:望月 良親 (MOCHIZUKI, Yoshichika)
論文審査委員:若尾政希、渡辺尚志、石居人也、高柳友彦

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1 本論文の概要
本論文は、日本の近世都市において、町年寄を世襲的につとめた家が、いかにして存続することができたのかを、主として町年寄の家に伝えられた文書を読み解くことによって、解明しようとしたものである。具体的に取り上げたのは、1724年(享保 9)に幕府領となった甲府町の町年寄坂田家である。
2 本論文の成果と問題点
本論文の第一の成果は、甲府町年寄をつとめた坂田家当主の意識と行動を、18世紀初頭から19世紀半ば過ぎまで追跡し、歴史叙述としてまとめ上げたことである。坂田家の文書は、もともと坂田家に伝来してきたものであるが、現在では散在している。子孫宅に400点余、日本銀行金融研究所貨幣博物館に60点余がある他に、20世紀に入ってから郷土史家が収集した甲州文庫(現在、山梨県立博物館に所蔵)の中に、坂田家旧蔵と推定される文書が多数含まれている。著者は、こうした史料を索捜することによって坂田家当主が作成してきた「御用留」や書簡の写し等を見出し、それを読みこなすことによって、家を維持・発展させるために歴代当主が何をしてきたのかを明らかにした。これまでの近世都市史研究においては、町役人の家を通時的に扱った研究は行われておらず、それゆえに本研究は新鮮であり、有意義なものと言える。この点を本論文の成果として評価したいと思う。
第二に、坂田家という世襲的な町役人に着目することによって、甲府という都市の歴史を叙述できたことも高く評価したい。たとえば、1724年(享保 9)に幕府直轄都市になると、甲府町年寄坂田忠堅(1687~1747)は、相方の町年寄である山本金左衛門とともに、年始や将軍代替時に将軍がいる江戸に参上すること(「将軍年始参上」)の許可を求める運動を開始する。甲府町年寄にとって、「将軍年始参上」という特権を得ることが、他の直轄都市と同様の格を得ることであり、そのために彼らは半世紀の間、嘆願を続けるのである。これは、近世社会において儀礼が大きな意味を持っていたことを改めて気づかせてくれる事例
であるが、甲府町が時期ごとにどういう課題に直面していたのかについて、(町年寄の視点からではあるが)通史的に叙述することに成功している。
第三に、坂田家の歴代の当主を、個性をもった人物として叙述することに成功している点も成果として挙げたい。とりわけ、魅力的なのは、坂田忠尭(1726~1797)である。「将軍年始参上」を実現すべく奔走した忠尭は、ついに1776年(安永 5)に「将軍年始参上」が実現し宿願を果たす。ところが、その直後、甲府に戻る際に帯刀のまま甲府郭内に駕籠で入るという忠尭の尊大な態度が、甲府城下を支配していた甲府勤番支配に咎められ、忠尭は「閉門」に処せられ、「隠居」させられてしまう。諦めきれない忠尭は、前の甲府勤番支配が一橋家の家老に着任していることを利用して、処分解除の嘆願を行うのである。宿願を果たしてたどり着いた絶頂から、一転して絶望の淵に沈みこむ忠尭という人物を描くことができたのは、本論文の成果である。
以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより残された課題がないわけではない。著者は甲府町年寄坂田家当主の意識と行動に焦点を合わせたのであるが、一般町人、あるいは他の町役人が彼のことをどのように見ていたのかが、論文から窺うことができない。また、坂田家がいかにして家を経営・維持していたのかについても、論文中に描かれていない。坂田家以外の家の史料や、坂田家の経営状況を示すような史料を探索し、掘り起こしていくことによって、こうした点を明らかにする必要がある。もちろん、こうした点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、また著者もすでに自覚しており、近い将来の研究において克服されていくことが充分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2016年7月13日

2016年6月1日、学位請求論文提出者・望月良親氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が、提出論文「日本近世社会と町役人―甲府町年寄坂田家の歴史的位置―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、望月良親氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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