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博士論文審査要旨

論文題目:近世後期の四国遍路と民衆の信心
著者:西 聡子 (NISHI,Satoko)
論文審査委員:若尾 政希、渡辺 尚志、石居 人也、深澤 英隆

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1 本論文の概要

 本論文は、近世後期において四国遍路の旅を行った人々と、周囲の人々の信心や意識のありようを、一方では民衆思想史研究の視点から、他方では地域文化史研究の視点を取り入れて検討し、四国遍路の歴史的特質を明らかにしようとした論文である。阿波の商人の酒井弥蔵の風雅と信心のありようを分析した第一部、阿波国内で行き倒れた人々に村がどう対応したかを分析した第二部の、二部構成である。

2 本論文の成果と問題点

 本論文の第一の成果は、徳島県立文書館と子孫宅とに分割して収蔵されている膨大な酒井家文書(文書館寄託1804点、子孫宅4702点)を読みこなして、19世紀を生きた酒井弥蔵(1809~1892)の生涯を可能な限り明らかにしたことである。酒井家文書は、弥蔵が残した様々な記録とともに、弥蔵が収集した大量の蔵書が現存している、きわめて恵まれた史料群である。著者は、そうした史料を読解・分析して、例えば、弥蔵が何を契機にしていつ俳諧に強い関心を寄せたのか、またいつ石門心学を学び始めたのかというような、生涯のそれぞれの時期の弥蔵の文化的関心がどこにあったのかを明らかにして、弥蔵の思想形成の過程を把握しようとしている。従来の日本近世思想史研究では、人物が残した著作を史料にしてその思想構造を把握するにとどまることが多く、その人物の思想がどのように形成されたのかを解明するような研究は少なかった。本論文は弥蔵の思想形成の過程を探ろうとした貴重な研究であり、この点を本論文の成果として評価したいと思う。
 第二に、酒井弥蔵という人物を掘り起こした点を評価したい。弥蔵は、村役人でもなく豪農・豪商でもない。農業を営む傍ら、村の有力商人に雇われて運送や出張、委託販売などを行った人物で、晩年には易占を生業としたともいう。家の経営規模では村のリーダーではないのだが、俳諧や石門心学等の文化面ではこの村の指導者的位置にあった、弥蔵という個性を歴史の闇の中から発掘したことが、本論文の成果である。
 第三に、著者が、「弥蔵にとって旅とは何か」、「遍路とは何だったのか」という課題に対して、弥蔵が残した旅の記録(「旅日記」)を分析することによって考察している点も高く評価したい。これは著者が、その前提として弥蔵の思想形成の過程を把握していたからこそできることであり、著者の分析は堅実であり、また歴史叙述としても秀逸である。
さらに本研究は、歴史学のみならず人類学や宗教学などでも今日活発に議論がなされている巡礼や宗教ツーリズムの研究に対しても、重要な示唆を与えるものと思われる。
第四の成果は、阿波国をフィールドにして、行き倒れ人に関する史料を網羅的に分析したことである。他国から遍路に来て行き倒れた人々の意識、またそうした人々と接した阿波の村人たちの意識に迫ろうとした点を高く評価したい。民衆を対象とした思想史研究では、みずから記録を残さなかった人々の意識をどうつかまえるのかということが大きな課題となっているが、本論文はそうした課題に挑んだ労作と言えるのである。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより残された課題がないわけではない。著者は阿波の商人酒井弥蔵に注目したのであるが、四国の他の地域ではなく阿波の事例を取り上げたことの意味、また他の人物ではなく弥蔵を取り上げたことの意味が問われねばならない。弥蔵が魅力的であればあるほど、弥蔵の事例を、一般化させて良いのかという疑問が出てくるのである。また、酒井弥蔵を分析した第一部と、行き倒れ人への対応を扱った第二部との繋がりがわかりにくいという指摘がなされた。もちろん、こうした点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、また著者もすでに自覚しており、近い将来の研究において克服されていくことが充分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2016年6月8日

2016年3月28日、学位請求論文提出者・西聡子氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が、提出論文「近世後期の四国遍路と民衆の信心」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、西聡子氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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