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博士論文審査要旨
論文題目:都市下位文化集団の相互行為に関する社会学的研究 -スケートボーダーの都市エスノグラフィー-
著者:田中 研之輔 (TANAKA,Kennosuke)
論文審査委員:町村 敬志、小林 多寿子、中澤 篤史
1. 本論文の概要
本論文は、スケートボードを媒介に形成される若者の都市下位文化集団を対象に、集団と社会的環境との間の相互行為過程に関する長期にわたる経験的分析を通じて、スケートボーダーの集団がいかに形成・持続されていくのか、またその身体的実践を通じボーダーとして生きた若者たちが集団としてどのような軌道を描きながら社会的に構造化されていったのかを明らかにする、都市エスノグラフィーの力作である。駅前のパブリックスペースで文字通り「痛み」を分かち合うことから出発した若者たちは、多様な身体的経験を積み重ねながら職業移動を含むそれぞれの人生行路を歩んでいく。しかし15年が過ぎ明らかとなったのは、ボーダーとしての実践を媒介に形成された下位文化集団への没入が、「学校から職業へ」の移行を経るなかで、若者たちをより不安定な境遇へと組み込んでいく作用をもつという厳しい現実であった。現代の都市下位文化集団が提供するアンビヴァレントではあるがなお力動的・創発的な社会的場の特性を、豊かな記述とともに明らかにした点が、本論文の最大の貢献である。
2. 本論文の成果と問題点
本論文の成果は、大きく以下の三点に分けて指摘することができる。
第1に、本論文は、15年に及ぶ長期の参与観察と丹念なインタビューをもとに、スケートボーダーの世界を、そこを生きる若者たちの人生の軌跡と重ね合わせながら生き生きと描きだした作品であり、長年のフィールドワークが結実した論文として高く評価することできる。2001年から2004年にかけて土浦および新宿のストリートで出会った若者(本論分析対象は計34名)との長期の交流から浮かび上がる社会的世界の豊かさとその記述は、本論文の最大の魅力であり、またそれ自体大きな達成でもある。
第2に、本研究は、単に若者文化論という枠を超え、2000年代に入って急速に悪化していく労働条件の下、なおもスケートボーダーとしての実践にこだわり続けた若者の行為の集積が、どのような集合的帰結をもたらしていくのかを克明に描き出す。スケートボーダーとして社会の眼にさらされるという身体の経験の累積は、若者たちにさまざまな個性的軌道を選び取らせていった。しかし10年以上の歳月を経たとき、結果的に彼ら/彼女らに対しては社会空間における下降移動という厳しい現実が突き付けられていく。痛みに耐えながらも「声を荒げずに生きていく静かな舞台」を、滞留する若者たちに対して提供すること、現代の都市下位文化集団が果たすアンビヴァレントな役割を、著者は、当事者の「語り」に託して淡々と描き出すことに成功している。
第3に、本論文は、近年世界的にも注目を集める都市エスノグラフィーの領域において、新境地を開く可能性をもつ作品としても位置づけることができる。都市下位文化のエスノグラフィーは、記述の緻密さが増せば増すほど秘儀性を帯び、結果としてある種の「閉鎖性」を抱えてしまうことがある。これに対し本論文は、あくまでも平易な表現のなかで「語り」と分析とが融合されており、多様なリアリティに開かれながらも「読める」エスノグラフィーとなっている。それが可能になった理由の一つは、著者の海外も含めた豊富なフィールドワーク経験、そして方法論への徹底した自覚にある。加えて、一人の個人として対象者と長期の交流を持続しつつ、しかし観察者の眼も保持し続けることができた、フィールドワーカーとしての著者のすぐれた資質も指摘されるべきであろう。
以上のような成果が認められるものの、本論文にはいくつかの問題点も指摘できる。
第1に、本論文は、スケートボーダーとしての身体的実践が、集団的帰結という面では「下降移動」という結果を招いたことを、緻密にまた冷徹に明らかにした。著者は先行研究の整理のなかで、P・ウィリスらの「階級再生産」分析を評価しつつも、なお民族誌的記述が単なる理論構築の道具となってしまう傾向を指摘し、その限界回避を目指して、身体・ストリート・社会の交錯する場に徹底的に身を置きながら調査者としての表現を紡ぎだそうと格闘してきた。そして、それは確かに一定の成功を収めた。しかし結論だけをみれば、「集団の軌道としての下降移動」という「再生産」論に近い見方にたどり着く。スケートボーダーの世界の記述がきわめて厚いだけに、この結論はいささかシンプル過ぎるものにみえてしまうのは残念と言える。
第2に、上記の点とも関連するが、「都市下位文化集団の生成とその社会的帰結を規定する要因群を問う」のが、本論文の課題だとするならば、論文全体の結論もまた、そうした要因群を体系的に示すという形式をもう少し明示的にとるべきであった。記述の厚みに対してコアとなる固有の発見は何であったのか。たとえば、「下降移動」を強いる構造的な力は、若者たちの身体的経験の累積のなかで実際にはどのように作動していたのか。また、彼ら/彼女らのキャリアをさらに追跡していくことで、単なる「下降移動」には還元されない様相を発見することはできないのか。本論文の成果の上に、こうした新しい課題が浮かび上がってくる。現時点で、単純な「階級再生産」論や素朴な「抗いの可能性」論へと容易に逃げ込まない知的誠実さを有する著者が、これら課題にどう取り組んでいくのか。さらなる成果が期待される。
ただし、これらの諸点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、著者自身が十分に自覚しており、近い将来の研究においていずれも克服されていくことが十分に期待できるものである。
最終試験の結果の要旨
2016年3月9日
2016年2月22日、学位請求論文提出者・田中研之輔氏の論文について、試験を実施した。 試験において審査委員が、提出論文「都市下位文化集団の相互行為に関する社会学的研究――スケートボーダーの都市エスノグラフィー」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、田中氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
よって、審査員一同は、所定の試問の結果をあわせて考慮し、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。