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博士論文審査要旨

論文題目:職場の知識形成と技術移転:「外国人研修制度」によるアジアへの技術移転の研究
著者:宣 元錫 (SUN, Won suk)
論文審査委員:依光正哲、倉田良樹、一條和生、児玉谷史朗

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 【本論文の構成】

 本論文は、外国人研修生を受け入れて研修・実習を実施している日本の製造業企業の生産職場と開発・設計職場を研究対象として、職場の知識形成による技術移転について実証的・理論的な考察を展開したものである。日本の外国人研修制度に関しては、これを外国人労働者政策の一環として位置づけて、その政策的妥当性を問う視角からの研究がこれまでもすでに多くなされてきたが、本論文の特質は、そうした政策論争からは意識的に距離を置き、研修生受け入れ職場の内側に入り込んでその多様な実態にアプローチしようとした点にある。

 本論文は以下のように構成されている。

 第1章 序論
  1 研究課題
  2 研究対象
  3 研究方法
  4 論文の構成
 第2章 作業仮説と調査項目
  1 作業仮説
  2 調査項目の構成
 第3章 分析の枠組み
  1 技術とはなにか
  2 知識とはなにか
  3 技術移転をどう捉えるか
  4 技術移転における「文化」の問題
  5 技術移転の方法
 第4章 職場の知識形成と技術移転
    -「職場聞き取り調査」のケーススタディー-
  第1節 基礎技術教育に重点を置く研修
    -自動車セット・メーカーH社のエンジン組立職場の事例-
   1 研修生受け入れの概要
   2 現場作業者の教育訓練体系
   3 エンジン組立職場の生産方式
   4 職場内の中国人研修
  第2節 汎用性のある労働者の育成
    -中小自動車部品メーカーK社の量産型職場の事例-
   1 企業の概要
   2 研修生受入れ状況
   3 ドアトリム組立職場の生産方式と技能形成
  第3節 海外直接投資の高度化と先端技術の移転
    -大手電子部品メーカーA社の開発設計職場の事例-
   1 企業の概要
   2 研修生受け入れ経緯
   3 開発設計職場の概要
   4 開発設計職場の技術形成と移転可能性
 第5章 結び
  1 本研究のまとめ
  2 本研究の意義と残された課題
 参考文献

 【本論文の内容要旨】

 第1章「序論」では、本論文の研究課題、研究対象、研究方法が説明されている。本論文の研究課題は、外国人研修生に焦点を当て「職場の知識形成による技術移転」の実態を明らかにすることである。宣氏は製造業の生産や設計の職場をそこで働く労働者の仕事能力が形成され、労働者間に知識が伝達される場として機能していることに注目する。外国人研修生の研修においても職場の持つ知識形成と知識伝達の機能が大きな力を発揮している、というのが本論文の基本的な視点である。

 「技術移転」に関しては、近年のアジアでの日本企業の事業展開が、人件費や部品コスト等の「生産コストの削減」のための進出という目的に代わって、アジアでの「市場の確保・拡大」と「需要多様化等のための市場近接地生産」を目的とする割合が伸びている事実に注目している。現地企業に対する技術移転を促進し、開発設計機能を移転するなど一貫生産体制の整備との関連で外国人研修制度を活用しようとする企業が現れているからである。

 本論文における調査の基本単位は研修生を受け入れている職場である。調査対象の職場を選ぶ際にその選定の基準になったのが企業の規模(大企業と中小企業)と職場の作業類型(量産型と非量産型)である。本論文の問題意識は、30カ所をこえる団体と企業に対するヒヤリングの積み重ねの中から次第に練り上げられてきた。この間題意識を最終的に検定するためのインデプスサーベイを実施する職場として、大企業量産型職場には完成車メーカーH社のエンジン組立職場を、大企業非量産型職場には電子部品メーカーA社の開発設計職場を、そして中小企業量産型職場には自動車部品メーカーK社の部品組立職場を選定して調査が実施された。

 第2章「作業仮説と調査項目」では、筆者が1998年に調査(1999年に実施した本調査と区別する意味で予備調査と呼ばれている)を積み重ねる中で次第に方向を明確化していった、研修を理解するための概念枠組み、本調査にさいする筆者の問題意識と作業仮説等について説明している。

 研修の実態を職場調査から検証しようとするならば、職場調査の中で研修を正確にとらえるための概念枠組みを用意しなければならない。そこで「研修」を「研修目的」→「研修過程」→「研修成果」→「研修結果の発揮」という4つの概念からなる枠組みでとらえたうえで、「研修過程」と「研修成果」を本調査における調査項目の中心にすえるという方法が選択された。「研修過程」とは職場で実施される研修そのものであるが、今までの調査事例や職場OJTに関する先行研究から学ぶ中で、筆者は技術研修、生産慣行研修、組織人研修という三つのサブ概念に分解して考察する、という方法を採った。「研修成果」という概念は、研修生自身の中に研修の結果として何が身に付いたかという面に焦点を当てた概念である。修得された技能の結果送り出し国復帰後に発揮される効果とは区分して「研修成果」という概念を設定し、研修実施職場の中に限定しても捕捉可能な研修のアウトプットを測定しようとするのが筆者の意図である。

 本調査において筆者が設定した作業仮説とは、「外国人研修生を対象に実施される職場のOJTによる研修は、研修を実施する職場の生産慣行を伝えるものである」というものである。この作業仮説によって筆者は、(1)職場の持つ知識伝達機能が最もよく発揮されるのが、日常の業務の中で展開されるOJTであること、(2)OJTを構成する諸要素の中でも生産慣行の伝達こそが究極的なコア要素であること、を本研究における実証の最重要課題として設定したのである。

 第3章「分析の枠組み」では、前章で示した概念枠組みや仮説の設定の前提となった理論的考察をまとめている。技術や知識の本質とはなにかについての議論から始まる本章の考察は、生硬かつ未成熟な面を多く残していることは否めないが、主観的な知識や暗黙知こそが職場OJTを介して研修生に伝達されている知識の本体であるとの主張は、一定の説得力を有しているとともに、今後の筆者自身の理論研究への足がかりをなすものであると評価することができる。

 筆者はポラニイによる形式知と暗黙知というタイボロジーに注目し、両者が「相互循環的・補完的関係をもち、暗黙知と形式知との間の相転移を通じて時間とともに知識が拡張されていく」という現象を職場のOJTにも見いだそうとしている。また技術移転に関連させて、この暗黙知が「定義しきれない知識」の移転を可能にする媒介項の役割を果たしており、本研究のコア概念である職場の「生産慣行」もその一つである、との主張がなされている。暗黙知は人の身体に体現される。そのため技術移転のためには人に体現する知識を職場での共通の体験を通じて伝達していくしか方法がない。そうした人を介する技術移転のことを筆者は「ヒューマンウエア技術移転」と名付けている。

 第4章「職場の知識形成と技術移転」は、本論文の中心部分であり、1999年に筆者が本研究の最終ステージで実施した3つの職場実態調査の結果が叙述されている。

(1)H社エンジン組立職場の研修実態

 自動車セットメーカーであるH社のエンジン組立職場における研修の目的は、H社の技術提携先である中国の機械加工系企業で働く中国人の基幹作業者、監督者に対して、技術供与の一環として機械保全等を含めた機械加工の現場技術を教え込むことにある。自動車業界でのアジアからの外国人研修生受け入れでは、部品製造子会社や部品調達先企業の品質向上という観点から、マザープラントである日本の工場の固有的製造技術を伝えるための研修が多く見られるが、H社の研修は上述のような目的を持つため、その内容はより汎用的な技術、技能の伝達に力点をおいているのが特徴的な点である。

 H社の研修過程の最も特徴的な点は、エンジン組立職場の作業組織の特性である「分離と統合の混在」を研修生の研修過程にもそのまま適用していることである。

 研修の効果に関しては、研修終了後現地に派遣された日本人技術者の品質や改善要求についてその内容を真つ先に理解する役割を果たすなど、生産慣行について'暗黙知'伝達のためのキー・パーソンとしての機能を果たしていることが注目される。ここからも研修が具体的な技術修得と技能形成に限らず、現場作業を通してその職場の生産慣行を身につける効果を持っていることがわかる。

 (a)K社ドアトリム組立職場の研修実態

 K社は中小の自動車部品メーカーで、研修生の受入れは同業者組合から受け入れる「団体監理型」である。K社の場合、受け入れた研修生を研修終了後、技能実習制度の枠組みで労働力として雇用、活用していくことを前提に制度が運営されている。従って、帰国後の技術移転という観点よりは、K社の生産ラインでの戦力化という観点が優先されている点は、この章で取り上げた他の2事例とは異なった特徴である。しかしながら、研修生が仕事を覚えていく手順には一般の日本人作業者とは異なるいくつかの工夫が加えられている。ライン作業においては日本人作業者と同様、低熟練工程の多能工化訓練が進められているが、研修生の一部が比較的短期間で、高熟練の職場(同期出荷職場)に選抜されることや、研修生全員が「品質管理」という汎用技術に関する0JTを受けることは、日本人作業者の研修とは異なる部分である。汎用技術を教え込むことは、アジアへの技術移転という外国人研修制度の目的にかなうものであるが、その背景には、経営的な観点から見た合理的な理由が存在している。K社のような中小企業の低熟練部門をまかなう労働力はかなり流動的であるが、それに比べて研修生、実習生は「計算できる」安定した戦力であり、K社はその側面を積極的に活用しているのである。そして研修生本人からの聞き取りでは、「責任」という言葉で「品質管理」の大切さが述べられており、研修効果がかなり浸透していることがうかがえた。さらに規則を守ることもかなり意識していて、研修過程で職場の「規律」や「慣行」といった組織人としての基本素養についてもきっちりと研修を受け、それを内面化していることが確認できた。

 (b)A社移動通信機送受信ユニット開発・設計職場の研修実態

 A社では、米国で開発されたCDMA方式という規格による移動通信機の心臓部にあたる基幹的部品である送受信ユニット(RFユニット)を開発・設計する職場に、韓国の現地法人から技術者を研修生として受け入れている。韓国の移動通信機市場では、米国で最初に実用化されたCDMA方式が急速に拡大しているが、A社ではこれまで、日本で開発、製造したCDMA方式のRFユニットを韓国の通信機セットメーカーに供給するという事業しか展開できず、同じ高周波関連の他の事業に携わっている韓国現地法人を活用することができないできた。急拡大する韓国市場を前に、市場により密着した開発と製造を展開することが急務となり、現地法人の高周波関連技術者の日本の開発・設計担当職場での研修がスタートしたのである。

 この研修の特質は徹底したOJTであり、韓国人研修生は特定の開発プロジエクトの正規メンバーとして組み込まれ、ブロジエクトリーダーの指示の元で業務を与えられる。合わせて、ベテラン技術者が講師役を務める定期的な「勉強会」にも参加させ、日本人の若手技術者に混じって技術の吸収をはかる。基本的に日本人技術者を対象とするOJTと同じやり方が取られているのだが、研修生に関しては、1年間のスケジュールで到達させるべき目標が予め自覚化されている点だけが異なる。こうした研修の特質を筆者は「ヒューマンウェア技術移転」と名付け、この章の末尾で技術吸収、技術発揮、技術移転というプロセスをたどる「ヒューマンウエア技術移転」の概念図を示している。

 第5章「結び」では、「職場の生産慣行」に関する研修こそが職場OJTの最終的な目標となっていること、企業も研修生も「職場の生産慣行」の修得に最も大きな努力を払っていること、そして、その取得のために職場集団がとっている方法が、体験の共有による「暗黙知」の自覚化によるものであることを、本論文の結論として述べている。そして、外国人研修制度や技術移転に関する筆者の今後の研究課題を要約するとともに、本研究で明らかになった職場での知識形成や知識伝達に関する知見が、現下の日本の製造業が直面している、高齢化や労働力構成の多様化による「技能伝承の危機」の問題を解決するためにも有益な視点を提供しうることを述べて本論文の結びとしている。

 【本論文の評価と問題点】

 本論文の第1の、そして最大の功績は、豊富な職場実態調査の知見を駆使して、職場で研修生へ技能・技術が伝承される過程を鮮やかに叙述した点にある。その実証分析は、量と質の両面において、既存研究を圧倒的に凌駕する優れた内容となっている。予備研究も含めれば筆者が訪問した研修生受け入れ職場の数は、30カ所を超えている。第4章で示された、監督者、研修生、同僚らからの微に入り細を穿った精密な聞き取りと職場に密着した作業観察に基づいて示された事実発見は、外国人研修制度をどのような立場から論じる場合であっても、今後この領域を研究しようとするすべての研究者から参照されるべき貴重な貢献をなしている。

 本論文の第2の功績として、そうした職場実態調査の設計にあたって、知識形成や熟練形成をめぐる先行研究から取り入れた、荒削りではあるが明確に自覚化された概念枠組みを適用している点にある。本研究での研修実態の叙述は、熟練形成や知識形成に関わる先行研究との対話を通じて筆者が独自に設定した明確な概念枠組みに導かれているために、単なる事実の羅列に終わることなく、そこから理論的な考察を発展させることが可能な内容になっている。この点で本論文は「外国人研修生」論にとどまることなく、知識形成論、労働組織論の研究としても一定の貢献をなしている。

 本研究の第3の功績は、外国人研修制度が製造業の職場に限つただけでも実に多様な用いられ方をしていることを示し、そのことの発見を通じて、この制度の政策的運営に関して、貴重な示唆を与えていることである。筆者自身は政策論争そのものからは意識的に距離を置いているとはいえ、本研究における多様な研修類型の発見は、政策論議の観点からも看過することのできない貴重なインブリケーションを有している。とりわけ第4章第3節で示されたA社の事例はこれまで全く省みられることの無かったタイプの研修である。移動通信システムの送受信ユニットの開発技術者という、世界的な競争下にあって最先端の技術を駆使する職場の基幹的な職務において外国人技能研修制度が活用されている事実、そしてそこでの研修への取り組みが米国、日本、韓国の3カ国にまたがるグローバルな先端技術の移転をサポートするうえで明白な成果を上げているという事実は、この制度がいかに多様な広がりを持ちうるものであるかを示す貴重な発見であり、ともすればステレオタイプに陥りがちなこの制度をめぐる政策論争に対しても、新たな一石を投ずるものといえよう。

 とはいえ、本論文が理論面でいくつかの課題を残していることは事実である。例えば研修過程を説明する重要概念である「生産慣行」についてさらに精微な定義付けがあれば、研修の類型把握も一層説得的なものになったであろうと思われるのは残念な点であった。さらには、本研究のテーマに近接する研究として、職場の知識形成に関する組織論的研究の成果が米国を中心に近年急速に蓄積されてきているが、それらを吸収し、実態調査の設計や分析の中に取り込んでいくだけの時間的猶予がなかったことも残念な点であった。

 理論面で以上のような課題が残されてはいるが、いずれも決定的な欠陥とはいいがたく、今後の理論面の研鑽を実態調査の中に反映させていく努力の中で克服されていくことが期待されうるものである。

 【結論】

 審査員一同は本論文が当該分野の研究に大きく寄与したものと認め、宣元錫氏にたいし、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2000年1月31日

 2000年1月28日、学位論文提出者宣元錫氏についての最終試験を行なった。本試験においては、審査員が提出論文『職場の知識形成と技術移転-「外国人研修制度」によるアジアへの技術移転の研究-』に関する疑問点について逐一説明を求め、合わせて関連分野についても説明を求めたのに対し、宣元錫氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって審査員は一同は宣元錫氏が学位を授与されるのに必要な研究業績及び学力を有することを認定し、合格と判断した。

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