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博士論文審査要旨

論文題目:日本の気候変動政策過程 ―三極構造から生み出される「自主行動」中心統治―
著者:佐藤 圭一 (SATOH,Keiichi)
論文審査委員:町村 敬志、田中 拓道、寺西 俊一

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1. 本論文の概要
 本論文は、「ポスト京都」段階における日本の気候変動政策がなぜ法的・制度的対応ではなく産業界による「自主行動」中心の形をとるようになったのかを主要な問いとして、インタビューを含む膨大な実証作業、ネットワーク分析をはじめ多くの手法を駆使しながらその理由の解明に取り組んだ、環境政治社会学のきわめて意欲的な作品である。進行中ゆえにその全体像が明らかでない政策過程に迫るため、著者は、70以上の団体・機関の当事者への面接調査を実施すると同時に、巧みな分析モデルを用いて膨大なデータを緻密に読み解いていった。これにより、気候変動政策過程においては環境省、経済産業省、経団連を中核とする3つのブロックが形成されており、それらの相互関係のなかから「自主行動」中心の様式が結果的に選び取られていったことを詳細に明らかにした。

2. 本論文の成果と問題点
 本論文の成果は、大きく以下の三点に分けて指摘することができる。
 第1に、本論文は、「京都議定書」以降における日本の気候変動政策を対象に、それが「省エネ・原発・補助金・自主行動」からなる特有の体系をもつに至った理由を、明快な分析枠組、分厚いデータ、緻密な分析により、説得的な形で解明することに成功した。温室効果ガス排出削減に関して日本では、政府による法的・制度的な縛りがなかったにもかかわらず、企業の「自主行動」によって削減目標が達成された。政官財界による強い政治的影響力の行使が可能であった状況の下で、個別企業に負担を強いる「自主行動」による削減がなぜ実現したのか。この点について著者は、「省エネ・原発・補助金」という既存政策が温存される一方で、環境省・NGOからなるブロックが相対的に力を増すなか、削減の制度化をきらう経団連・企業側がコストのかかる「自主行動」をあえて選択していった過程を、緻密な分析を通じて明らかにした。
 第2に、以上の発見を可能にした要因として、著者が、面接調査を通じ政策形成に関わる膨大な一次資料を独自に構築したことを特筆しなければならない。厳密な手続きで選ばれた70以上の関係機関・団体(省庁、政党・政治家、経済界、研究機関、NGOなど)の当事者への詳細なインタビューを通じ、貴重なデータが蓄積された。ここには、各機関・団体が取り結ぶ国内外機関・団体(100以上)との間のネットワーク情報が含まれる。他では得難いデータの蓄積に巧みな計量手法が連結されることによって、上記のような研究成果が初めて可能となった。
 第3に、本研究は、単に気候変動政策過程だけでなく、現代日本の政策決定過程分析一般に対しても、方法論的にみて大きな革新の可能性を示したと評価できる。グローバル化や新自由主義などの動向の下で、政府、財界・企業、市民社会といった各セクターの政治的布置が大きく変化するなか、新たな政策決定過程の解明については試行錯誤が重ねられつつある。著者は、政策ドメイン等の新たな分析概念、社会調査による自前データの収集・構築、ネットワーク分析等の手法を体系的に組み合わせることにより、環境省、経済産業省、経団連という3つのブロックの併存、それらの相対的自律性を含むブロック間の相互関係を、独力で解明した。これら成果は、社会学・政治学・環境研究といった各領域の手法や成果を柔軟に吸収し自在に結び付けていく著者の大胆さと周到さ、そして地道な努力なしには達成できなかった。グローバルなテーマに国際的研究チームの一員として取り組んだ研究組織の面を含め、本論文は、社会科学の領域における新たな研究スタイルの可能性を提示している。
以上のような成果が認められるものの、本論文にはいくつかの問題点も指摘できる。
 第1に、ネットワーク分析という手法は、アクターの布置と相関関係を「記述」するうえで有効性を発揮し、その結果、従来は実感でしか知られていなかった3つのブロックからなるアクター連関の存在が明らかにされた。これは大きな成果と言える。ただし環境省、経産省、経団連という3ブロックの指摘自体は、ある意味想定内とも言える面をもっていた。では、なぜこうしたブロックが生まれたのか、またどういう条件でそれは変化するのか。ブロックの形成過程に関わる因果を含む新たな問いが浮かび上がってくるが、それらはまだ課題として残されている。
 第2に、本研究が明らかにした分析結果がどのような範囲の時期について妥当するのか、この点は今後さらに検討される必要がある。著者は、「京都議定書」の第一約束期間(2008~12年)を主要対象として分析をおこなった。聴き取り調査じたいは2012年から2013年にかけて実施されたものの、当該期間には福島第一原発事故も発生するなど、本テーマをめぐる状況には激変が生じた。はたして本論文が明らかにした政策過程の特徴は、どの程度構造化されたものなのか。本論の課題設定を越えるものではあるが、繰り返された政権交代の影響を含め、政策過程の分析としてはなお多くの要因を考察の対象に含めていく必要がある。
ただし、これらの諸点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、佐藤圭一氏自身が十分に自覚しており、近い将来の研究において克服されていくことが十分に期待できるものである。

最終試験の結果の要旨

2016年3月9日

2016年2月15日、学位請求論文提出者佐藤圭一氏の論文について、試験を実施した。なお、本試験では、一橋大学学位規則第8条第4項の規定により、外国語及び専攻学術に関する試問は免除した。 試験において審査委員が、提出論文「日本の気候変動政策過程――三極構造から生み出される「自主行動」中心統治」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、佐藤氏はいずれに対しても的確に応答し、充分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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