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博士論文審査要旨

論文題目:市民社会と政治社会の間:インド、ムンバイの市民をめぐる運動の人類学
著者:田口 陽子 (TAGUCHI,Yoko)
論文審査委員:大杉 高司、春日 直樹、久保 明教

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Ⅰ.本論文の概要
 田口陽子氏の学位請求論文「市民社会と政治社会の間 ―― インド、ムンバイの市民をめぐる運動の人類学」は、現代インドにおける市民社会をめぐる論争、ムンバイ市における活動家たちの主張や運動の展開の分析を通じて、当地において市民であることがどのような様相をしめすのかを論じた野心的な労作である。「市民社会」の概念は、従来、好ましくない社会状況や体制への対抗概念として規範性を付与され、その普遍適用可能性が想定されてきた。それに対して本論では、この規範性と普遍性を前提とせずに、「市民社会」概念が現地社会でどのように受容され、諸活動を導きだしているのか、その過程自体を考察の対象としている。インドでは、1990年代の経済自由化以降に台頭する「新しいミドルクラス」が、複数の局面で市民運動を主導してきた。ところが市民社会を希求するこの動きには、さまざまな批判が向けられている。とくにパルタ・チャタジーらのサバルタン研究は、市民運動が、階級的アイデンティティに基づいて活動家たち自身の生活向上を謳い、独自の美学のヘゲモニーを強化しつつ、サバルタンを排除していると批判する。そして、自律した市民たちが形づくるとされる「市民社会」に、「統治される者」たちがパトロン・クライアント関係などを活用しながら主権者に対して要求をおこなう「政治社会」の領域―たとえば、留保制度の領域―を対抗させ、後者の意義を強調している。さらにこの知識人層の論争が、市民運動の領域に送り返されることで、運動はその「非政治性」を強調しつつ展開してきた。
 こうした背景のもと、田口氏が市民運動の具体的あらわれとして記述と分析の対象とするのは、市議会議員選挙に市民候補者を擁立する運動「ムンバイ227」、都市行政と市民との協働事業「先進的地域管理(Advanced Locality Management)」、マス・メディアが主導し、多国籍企業やNGOがスポンサーとして名を連ねる美化キャンペーン「汚れとの戦い(Fight the Filth)」の三つの取り組みである。筆者は、これらの取り組みを、いずれも「市民社会」と「政治社会」の対から派生する、反腐敗と腐敗、ウチとソト、個人と分人という三つの対立軸のうちに位置づけながら分析を進める。そこから浮かびあがるのは、「市民社会」を希求する運動が、「政治社会」に対抗しつつ自らを形づくりながら、あるいはまたそれがゆえに、たえず当初の目的からずれていき、「政治社会」との関係のうちに再文脈化される事態だった。たとえば、反腐敗を掲げる「ムンバイ227」は政治家や官僚の汚職や癒着を批判し、「非政治的」で企業家的な市民議員を議会に送りだそうとするものの、運動の担い手たちはやがて主流政党へと鞍替えし、再び腐敗と愛着の両義的なつながりのなかに自らを見いだしていく。また、「先進的地域管理」の事業は、共同住宅を単位としたウチの領域に清浄な市民的公共空間をつくりあげようとし、「汚れとの戦い」における街路美化キャンペーンは、そのウチの空間を汚物にまみれたソトへと拡張して行く試みであったが、やがてこれらの運動はソトとの交渉を介して運動家たちの自身のウチなる人格を浄化することへとずれていく。さらに、よき市民とは一個人(individual)としてインテグリティをもった人物であるとされ、「心理計測アセスメント」がこのインテグリティ計測の手法として「ムンバイ227」などで活用される一方、その手法の実際の運用において可視化されるは、生モラル秩序や個別文化に埋めこまれた人々の分人性(dividuality)であった。
 反腐敗の先に回帰する腐敗と愛着の両義性、ソト=汚れとの交渉によるウチ自体の浄化、個のインテグリティ計測の先に可視化される分人性は、ムンバイの市民をめぐる運動が、たえずポジションとカウンター・ポジションを行き来していることを映しだしている。市民をめぐる運動は、このように、「市民社会」と「政治社会」、またそこから派生する二項対立のどちらか一方に完全に組み込まれることなく、むしろそれらの狭間に留まりつづけている。田口氏は、M・ストラザーンの「部分的つながり」の議論を援用しながら、この狭間に留まりつづけることこそに、何らかの全体に包摂されることなく、たえずさらなるカウンター・ポジションを生みだしていく運動の政治性が見いだせると、結論づける。

Ⅱ.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果として、「市民社会」概念につきまとう規範性や普遍適用可能性の想定から距離を置き、観察可能な具体的論争や事象を足場にしながら、インド、ムンバイにおける市民をめぐる運動のありようを綿密に記述し、説得的に分析したことがあげられる。「市民社会」概念の普遍適用可能性の想定は、西洋社会を尺度として非西洋社会の現状を特定の発展段階に位置づける議論を導きだす傾向が強く、明示的に発展段階論を採用しない場合でも、たとえば排除・抑圧されている者たちの主体性の回復といった天下りの規範的な議論に帰着しがちであった。この点から、インドにおける市民をめぐる運動の動態を、反腐敗運動から発した市民議員候補の擁立の動き、行政と市民の協働事業、マスコミが主導する街路美化キャンペーンなどを通じて具体的かつ多面的にとらえ、さらにその固有で複雑なありようを、サバルタン研究が析出する「政治社会」との対抗関係、脱植民地化の過程で前景化したウチとソトの空間認識、インド民族社会学が着目してきた分人性と関連づけながら、鮮やかに分析してみせたことは大きな成果といえよう。
 第二の成果として、都市のミドルクラスという人類学的には捉えにくい対象を独自の手法によって浮かびあげ、今後の都市人類学に対し重要な参照点を提供したことがあげられる。とくに、コスモポリス・ムンバイのように、知識人の論争が社会の在り方に無視できない影響をあたえる状況下では、記述の言語と分析の言語の峻別がつきがたく、記述の文脈と分析の水準を階層的に維持することは困難である。この困難を田口氏は、一方で知識人の分析的言語を記述されるべき事象とみなすと同時に、他方で知識人の論争にあらわれる対立軸を、そこからアナロジカルに派生する複数の対立項に置き換えて、それらを記述対象である行為者たちの活動に見いだすという手法によって乗り越えている。現代インドを研究対象とする社会学、政治哲学においては、当地における「市民社会」論と「政治社会」論の対立はよく知られるところだが、それを反腐敗と腐敗、ウチとソト、個人と分人の対立に変換することで、知識人層とミドルクラス、分析と現実が循環的に互いを形づくっていることが示されることとなった。
 第三の成果として、現代人類学にあらたな潮流を生み出しつつあるM・ストラザーンの議論を活用して、インドにおける市民をめぐる運動の特色と輪郭を明らかにしたことがあげられる。ストラザーンがいう「部分的つながり」は、異質なものや不釣り合いなものが、一つのシステムや有機的全体に包摂されることなく、部分的に関係しながら生成を繰り返す運動を表現している。この「部分的つながり」の概念を援用することで田口氏は、「市民社会」と「政治社会」が、一つの全体に対する二つの見方であったり、互いに無関連に独立して存在していたりするのではなく、運動に参加する行為者たちの活動のただなかで分離と接合を繰り返しつつ相互生成していることを明らかにしている。
 以上、本論文は際だった成果をあげたものの、そこに問題点と課題が指摘できないわけではない。まず、第三の成果としてあげた点は、本論文の弱点とも関連している。ストラザーンの「部分的つながり」の概念は、異質な形象のそれぞれが他方の部分となるフラクタルな関係性や、それぞれが他方に潜在する可能性の派生=拡張となるような関係性を表現している。翻って本論文では、「政治社会」に抗して「市民社会」を希求する運動のうちに「政治社会」的要素が見いだされることは論じられたものの、反対に「政治社会」のうちに「市民社会」的要素が見いだされる可能性について論及がなく、また派生=拡張の概念も十分に活用されたとは言い難い。さらに、本論文の題目で用いられ、論文中でも頻出する「間」ないし「狭間」の概念と、ストラザーンの議論との関連もさらなる精査と整理が必要となろう。第二に、本論文で言及された他の複数の論者たちとの関係で、筆者である田口氏の理論的立場をより明確にする必要があった点もあげられる。アパデュライ、チャタジーから、フーコーや田辺明生の議論まで、関連する議論がほぼ網羅的に言及されたことについては評価できるものの、今後より一層考察を深め、独自の理論構築をめざしていくことが望まれる。
 もっとも、これらの問題点ならびに課題は、論文が全体として提示する成果の学術的価値をいささかも損なうものではなかった。また、筆者も問題点を強く自覚し、今後の研究の課題としているところである。さらなる研究の進展を期待したい。

Ⅲ. 結論
 審査委員一同は、上記のような評価にもとづき、本論文が当該分野の研究に寄与すること大なるものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2016年1月13日

2015年12月8日、学位請求論文提出者田口陽子氏の論文について、最終試験を実施した。
 試験において審査委員が、提出論文「市民社会と政治社会の間 ―― インド、ムンバイの市民をめぐる運動の人類学」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、田口陽子氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、田口陽子氏が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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