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博士論文審査要旨

論文題目:開戦決定と人造石油―何故、日本に人造石油工業は成立しなかったのか―
著者:岩間 敏 (IWAMA,Satoshi)
論文審査委員:吉田 裕、中野 聡、中北 浩爾、佐藤 仁史

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1、 本論文の概要

本論文は、戦前日本における最大級の国家プロジェクトであり1937年度から計画が開始された人造石油開発計画に焦点をあわせ、開発計画の立案、工業化の過程を丹念に追いながら、それが失敗に終わった原因を研究を主導した海軍と工業化を担った満鉄・朝鮮窒素肥料との関係、日本の工業水準、物資動員計画との関連などに留意しながら具体的に明らかにした論文である。同時に、アジア・太平洋戦争における日本の開戦目的の一つが南方地域での石油資源の獲得にあったことに留意し、人造石油開発と開戦決定との関連を解明することも、その課題とした研究である。

2、 本論文の成果と問題点

 成果としては、次の三点を指摘することができる。第一には、人造石油の工業化が挫折した要因を詳細に明らかにしたことである。具体的には、海軍が当時の日本の科学技術水準では難易度が最も高い石炭の直接液化法に固執し、低温乾留法の採用、頁岩油(シェールオイル)の工業化という現実的な選択を行なわなかったこと、工業化の過程で海軍と満鉄・朝鮮窒素肥料の技術者グループとの間に深刻な対立が生じ、統一した工業化政策を持てなかったことなどが指摘されている。また、物資動員計画との関連では、人造石油の生産に必要な鉄鋼が充分に供給されず、配給された鉄鋼の品質も低いものでしかなかったことが計画の実施をいっそう困難なものとした。
 第二には、日本の研究開発体制の持つ問題点を人造石油問題に即して明らかにしたことである。当時の日本では、広範囲な研究分野の共同を必要とする最先端の技術開発を行なうためのシステムを構築した経験がなく、大規模なプロジェクトを企画、運営する人材、知識、ノウハウを欠いていた。そのため、人造石油の問題でも、日本の工業水準の低さと相俟って実験―半工業化―工業化という事業の段階的スケール化や他分野の専門家との共同体制の構築に失敗したのである。本論文は、そのことを極めて具体的に明らかにしている。
第二に、開戦決定をめぐる研究への貢献である。この問題では、次の二点が重要である。一つは、1941年10月30日に開催された大本営政府連絡会議と11月5日の御前会議の問題である。この会議において鈴木貞一企画院総裁は、開戦に踏み切った際の石油の需給見通しを報告しているが、申請者は膨大なデータを読み解くことによって、この需給見通しが現実から大きく乖離した楽観的な内容のものになっており、そこには民間の需要量を極端に低く見積もるなどの作為があったことを克明に明らかにしている。これまでの企画院の見通しと異なるこの報告をきっかけにして、外交交渉に活路を求めたようとした「臥薪嘗胆論」は大きく後退することになったのである。もう一つは、石油関係の実務に携わった陸海軍の中堅層の動向である。一般的には、日本政府と軍部が対米英開戦を実質的に決定したのは、1941年11月5日の御前会議においてだとされている。ところが申請者の研究によれば、すでに同年8月から政府は破壊されることが予想されていた南方油田で復興作業にあたる技術者の選別・内示を開始し、さらには必要な掘削機の国内油田からの撤去作業に着手していた。これは国内油田の休抗を意味する。続いて10月1日には、石油関係の技術者の徴用を正式に発令し、11月上旬には、この技術者陣は開戦に備えサイゴンで待機態勢に入っていたのである。このように石油関係の実務者レベルで開戦準備が早い段階から進められたていた事実は、開戦に至る経緯を考察する上で重要な意味を持つ。特に、9月6日の御前会議決定の重要性を浮き彫りにした点は、従来の研究に一石を投じるものとして高く評価できる。
以上のように、本論文には貴重な成果が認められる。しかし、問題点も少なくない。
第一には、「開戦決定と人造石油」というタイトルが付せられているものの、開戦決定と人造石油開発計画との関連は曖昧さを残している。特に、キーパーソンである鈴木貞一企画院総裁がどのような政治判断に基づき、楽観的な需給見積もりを提出したのか、また、そのことと主戦派の動きはどのように関係していたのか、という問題には充分な説明がない。
第二は、日本の科学技術動員体制の中での人造石油開発計画の位置付けが明確でない。この問題を明らかにするためには、陸海軍の対立構造だけでなく科学技術者集団そのものの持つ問題点や特質を、その養成過程や経歴、学歴や学閥、いわゆる「技術屋」文化の問題などをも含めて掘り下げて分析する必要がある。また、人造石油の工業化に成功したドイツとの比較も試みられてはいるものの、その分析は、いまだ不十分な段階にとどまっている
第三に、人文社会科学系の論文としてみた場合、論文全体の構成、叙述や引用の仕方、註記の仕方などに違和感があり改善の余地が少なくない。
もちろん、以上のような問題点は、本論文の学位論文としての価値を損うものではなく、岩間敏氏自身もその問題点を充分に自覚しているところである。今後の研究の中でこうした問題点は克服できるものと判断する。

最終試験の結果の要旨

2016年2月10日

2016年1月15日、学位請求論文提出者・岩間敏氏の論文について、最終試験を行った。 本試験において、審査委員が、提出論文「開戦決定と人造石油―何故、日本に人造石油工業は成立しなかったのか」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、岩間敏氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。
 

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