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博士論文審査要旨

論文題目:日本における精神病床入院の研究―3類型の制度形成と財政的変遷―
著者:後藤 基行 (GOTO, Motoyuki)
論文審査委員:猪飼 周平、石居 人也、宮地 尚子、白瀬 由美香

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I. 本論文の概要
 本論文は、精神医療政策史の従来的解釈の一面的な解釈を乗り越えて、日本の精神病床入院がいかなる構造をもって生じてきたのかについて、あらたな歴史的視座を提示しようとするものである。この目的を達成するために、著者は、とくに1950年代から70年代の日本における精神病床入院に焦点をあて、そのメカニズムを検証しようとしている。著者はこの検証に際し、入院医療費の経路の違いによって、精神病床入院に実質的な性質の違いがあることを利用して、精神病院入院をそれぞれ社会防衛的な「行政収容型」、生活保障的な「救貧・公的扶助型」、治療的な「私費・社会保険型」に分類して分析を行っている。
 第1章から第4章では戦後における精神病床入院の検討に先だって戦前期における分析を行っている。それは、著者の精神病床入院の3類型の構築作業としての位置付けも担っているものである。第1章では、「行政収容型」の原型として整理可能である精神病者監護法第6条による公的監置の検討を行っている。同法は知事・市区町村長・警察の三者のみで入院を決定できる、日本で最初の全国法規としての精神障害者に対する社会防衛的な強制収容体系である。著者は、川崎市文書や統計資料から、実際にそれが行政主導の社会防衛的な性格をもつものとして運用されたことを確認すると同時に、これが戦後の措置入院の祖型であることの論証を試みている。
 第2章では、戦前期における「私費・社会保険型」の精神病院入院について検討を行っている。「私費・社会保険型」入院は、戦後の皆保険化によって拡大し、措置入院や公的扶助入院による公費投入の対象とならなかった精神病院入院を財源的に支えたものである。本章では、戦前においては、社会保険入院が量的にごくわずかであった一方で、精神病院への自費入院を行う中産階層は当時から既にある一定規模で形成されていたことを実証しようと試みている。
 第3章では、「救貧・公的扶助型」の原型である戦前の救護法の収容救護の運用実態を中心に検討が加えられている。著書は、救護法による収容救護に際しては、親族らによる救護申請後の公費収容が一般的であったことを踏まえ、この手続が戦後における精神衛生法による同意入院と生活保護法の医療扶助の組み合わせによる精神病床入院と同型の特徴を有することを指摘している。この知見から、著者は、戦前の救護法の収容救護が、生活保障的機能をもつ「救貧・公的扶助型」の精神病院入院の原型と位置づけられることを主張している。
 第4章では、戦前期の精神病床供給システムの公私バランスについて論じている。その結果、戦前期日本における病床供給システムは、とくに1930年代から地方自治体が精神障害者を市立病院に公費で委託収容するケースが一般化していったことが明らかにされた。このように、戦前期において、精神病床ストックが私立病床に偏った原因として、著者は、公立精神病院を道府県が設置した場合、長期にわたる赤字経営を見込まざるを得ず、当時の道府県の乏しい衛生関連予算によっては、それが現実的でなかったことを指摘している。
 第1章から第4章にかけて検証した戦前期における精神病床入院の経路に関する3類型の原型的発達についての認識を踏まえ、第5章および第6章においては1950年代から1970年代にかけての日本の精神病床入院のメカニズムの検証を行っている。第5章においては、まず戦前において形成された3類型が戦後の制度に継承されたことが確認されている。その上で、著者は3類型のうち、「救貧・公的扶助型」の生活保護の入院が、1950年代から70年代の間において量的に最多となっており、かつそれが精神衛生法の同院入院とセットになって行われていたことの実証を試みている。
 第6章では、特に「救貧・公的扶助型」の精神病床入院が、戦後の精神病床増に果たしたインパクトについて論じている。まず、1960年代における措置入院の拡大運用は、生活保護法での医療扶助入院から精神障害者の切り離しを厚生省が企図したことが背景にあったが、それでも最終的に生活保護での入院の増加を止められなかったことが確認される。そしてその理由として、当時の日本社会における精神障害者世帯の経済的困窮の広がりが背景として存在していたことを著者は指摘する。他方で、1950年代から1970年代の期間中においては、行政収容型の入院は、従来の精神医療政策史においてもっとも重視されてきた入院形態であるにもかかわらず、対応する病床供給は3類型中で最も小さく、戦後の精神病床入院増を説明できないことを主張している。
 以上の議論を踏まえ、終章において著者は、概略次のように結論づける。すなわち、第1に、精神病床入院を、社会防衛的機能を中心とする「行政収容型」、治療的な「私費・社会保険型」、生活保障的な「救貧・公的扶助型」という3類型を通してみるとき、それぞれが戦前に祖型を有し、そのバランスを時代によって変えながらも戦後に引き継がれていった。第2に、従来の精神医療政策史が重視してきた「行政収容型」の入院は、戦後精神病床がもっとも著しい発達をみせた1950年代から1970年代の期間の病床変動を説明しない。第3に、同時期の病床発展に最も寄与したのが救護法に由来する「救貧・公的扶助型」の入院であること。第4に、戦後の精神病床入院メカニズムを駆動してきた根源に、社会保険入院を含め、同意入院(医療保護入院)を主導してきた家族の存在がある。

II. 本論文の成果と問題点
 本論文の成果は概略以下の3点にまとめることができるであろう。
 第1に、精神病床入院に対して、3類型の理論枠組みを提示したことである。この理論枠組みに基づいて、戦後の精神病床入院数を集計すると、たしかに類型ごとにその推移には実質的な違いを見出すことができる。その意味では、従来見逃されてきた精神医療の秩序をこの3類型枠組みは明らかににしたといえ、その理論的成果は高く評価されうるといえよう。
 第2に、精神医療政策史を3類型のバランスの変化の歴史として把握することで、従来の歴史観を改定するに値する新たな歴史観の提示に成功したことである。従来、戦前においては精神医療を象徴する収容形態は私宅監置であり、戦後においては著者の用語を借りれば「行政収容型」の入院であった。だが、本論文によって、戦前においては、少なくとも私宅監置に比肩しうる数の精神病者監護法による行政収容の存在が確認され、また戦後においては、「行政収容型」よりも「救貧・公的扶助型」の入院の方が重要な役割をはたしていたことが説得的に示された。したがって、本論文は、従来の歴史観をより高い実証水準において、大幅に改訂するだけの論証に成功していると評価されうる。
 第3に、「救貧・公的扶助型」の背景に、精神障害者をもつ家族の問題が浮かび上がってくることである。日本においては、精神障害者はその家族が世話等の責任を負うことが当然視される傾向があるといえる。それは、一方では当事者に対する家族の包摂的性格がみられるが、他方では、そのような負担が家族にとって重荷となり、時として当事者を家族が外部へ押しだそうとする「斥力」に繋がることもあり得る。本研究において、著者は、この家族の「斥力」と戦後の精神病床入院の発達との間に密接な関係があることを発見したといえる。この点は、今後の日本の精神医療政策に対して、学術的にも政策的にも重要な貢献となり得るものであると評価できよう。
 このように、本研究には優れた成果が含まれている一方で、課題もあることは指摘しておかなければならない。第1に、3類型枠組みになお理論的に整備される余地がある点である。一般に社会理論の有効性は、理論から見出される認識利得によって評価される。本論文からは、認識利得についての示唆が、系統だって述べられているとはいえない印象をうける。第2に、本論文は実証的には川崎市文書に依存している部分が大きいが、川崎市文書の史料としての代表性についての吟味が十分ではないようにみえる。第3に、精神病床の発達と家族との間に密接な関係があるらしいということは示されているが、本論文では具体的な内容に踏み込むことはできていない。第4に、戦前期においては、そもそも3類型に当てはまらない、地域社会において生活を続けていた精神障害者が過半であったことが推測されるが、そのことが本論文の検討に適切に組み込まれていない。
 ただし、上の課題は、本研究の欠点というよりは、今後の研究の発展の可能性を示すものであるといえる。こうした課題については、著者も十分自覚しており、今後の研究のなかで克服されてゆくものと期待される。
 審査員一同は、上記のような評価と、2015年10月7日の口述試験の結果に基づき、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、後藤基行氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2015年11月11日

2015年10月7日、学位請求論文提出者、後藤基行氏についての最終試験をおこなった。本試験においては、審査委員が提出論文「日本における精神病院入院の研究——3類型の制度形成と財政的変遷——」について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、後藤基行氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は、後藤基行氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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