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博士論文審査要旨

論文題目:世阿弥伝書の思想の研究
著者:上野 太祐 (TAISUKE, Ueno)
論文審査委員:平子 友長、若尾 政希、深澤 英隆、中野 知律

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Ⅰ 本論文の構成

序論 問題の所在
 一 本論文の主題
 二 使用資料
 三 世阿弥関連研究の整理と課題、および本論文の役割
 四 本論文の見通し

第一部 ことの起こりとしての思想史研究
 第一章 世阿弥にとって「初心不可忘」の教えとは何であったか
  一 はじめに
  二 『花伝』にみえる「初心不可忘」
  三 『花鏡』奥段にみえる「初心不可忘」
  四 「初心不可忘」の教えと禅思想
  五 「初心不可忘」の昇華と亡父の影
  六 おわりに
 第二章 世阿弥の「感」の変容をめぐって
  一 はじめに
  二 大和猿楽の趣向・感性
  三 「音曲」への傾き
  四 世阿弥にとっての『毛詩』大序
  五 おわりに
 第三章 『風姿花伝』第三篇第九問答「花情」をどう読むか
  一 はじめに
  二 『風姿花伝』成立の過程
  三 「花は心、種は態」の問題
  四 「メヅラシキ」の論理
  五 「花情」をどう読むか
  六 おわりに
 第四章 『毛詩』を読み替える世阿弥
  一 はじめに
  二 世阿弥伝書における『毛詩』引用の特徴
  三 『毛詩』大序の「感鬼神」
  四 『毛詩』大序の清家系解釈と中世「古今注」
  五 読み替える世阿弥
  六 おわりに

第二部 問われたこととしての思想研究
 第一章 能における「芸術」性の根源
  一 はじめに
  二 能が能になること
  三 能における「美」
  四 「妙花風」の芸と美
  五 おわりにかえて――能が能になることのうちで保たれているもの
 第二章 世阿弥は禅語で何を語ろうとしていたか――「無上の上手」の意識を手がかりに――
  一 はじめに
  二 「妙花風」から「無位の位」、そこから「安き位」、そこから「有主風」へ
  三 「有主風」の内実をめぐって
  四 「有主風」の淵源へ
  五 「有主風」のそのまた淵源へ
  六 おわりに
 第三章 世阿弥伝書の根本問題
  一 はじめに
  二 「出で来」る能における「感」
  三 「同心」の内実と「無心」への逆転
  四 「花」のあらわれ
  五 「花」の伝え方
  六 おわりに
 第四章 見手が「感」ずるということ――謡曲《忠度》を例にして――
  一 はじめに
  二 「メヅラシキ」の構造
  三 「その能一番の本説の理」
  四 「名」と「人倫」
  五 おわりに――夢と現の地続き構造――

結論 成果と課題
 一 まとめ
 二 成果と課題、及び展望

Ⅱ 本論文の要旨
 本論文における著者の問題関心は、世阿弥が観阿弥の芸を受け継ぎつつ伝書をしたため後継へと芸を伝えようとしたこの最も原初の「伝え」のときに、いったい何が起きていたのか、そのときに紡がれた世阿弥伝書の思想とはいかなるものだったのか、この「伝え」はどのような仕方で成されていったのか、という諸点の解明にある。
序論では世阿弥の略歴と本論文での使用資料の紹介がなされ、先行研究の整理を通じて研究史上における本論文の位置・役割が確認される。著者は、世阿弥伝書に対し文献学的・歴史学的視角から迫ろうとする思想史研究と、世阿弥伝書・謡曲の内在的読解から世阿弥固有の思想へ迫ろうとする思想研究との間の大きな隔たりを問題視する。そして、「思想」を接点としてこのふたつの研究を架橋させることを、本論の負うべき役割として位置づけている。具体的には、本論文を「ことの起こりとしての思想史研究」と「問われたこととしての思想研究」の二部によって構成し、前者では亡父観阿弥との内面的関係を掘り起こすとともに、世阿弥を取り囲む歴史的状況や思想受容の実態を解明することで彼の思想形成を明らかにすることがめざされる。後者では前者の成果を基盤にしながら内在的に伝書を読み込むことで世阿弥自身の思想の基底へと迫ることがめざされる。こうした構成と手法で、前者と後者の有機的連関がはかられているのである。
第一部では、世阿弥伝書の思想の基底が生まれた背景を思想史学的手法により精査している。応永15年(1408)より足利義持が室町殿として家督を相続し、この時期に世阿弥の能楽論は大きな転換点を迎えたと著者は考えている。この転換点が、「ことの起こり」とされ、具体的には、応永15年から同35年頃までの時期に世阿弥が抱えた葛藤について、当時の歴史的・社会的状況を踏まえながら考察される。その際、著者が考察の軸としたものが、観阿弥の存在、および観阿弥と世阿弥との内面的な関係である。観阿弥は至徳元年(1384)に没しているため、この時期の世阿弥にとっては「亡父」である。ところが、この「亡父」は世阿弥伝書のさまざまな部分で現れる。著者は、世阿弥の代表的伝書『花伝』『花鏡』に対する観阿弥の内面的な影響という観点を導入して世阿弥の思想形成を検討し、続いて同時代における思想受容の実態解明へと論を進める。
第一章では、「世阿弥にとって「初心不可忘」の教えとは何であったか」という問題意識の下に叙述が展開され、この教えが生み出された背景に、観阿弥の芸に対する世阿弥のまなざしが読み取れることを指摘する。著者はまず『花伝』第五篇と第七篇にみえる「初心不可忘(初心忘るべからず)」の教えの質差を検討し、前者ではさまざまな見手を満足させるための「十体」の習得の教え、後者では固定した見手を満足させるための「年々去来」の教えとして語られていることを確認する。その後、さしあたりこの教えの完成形態とみられる『花鏡』奥段を検討し、なかでも「時々初心不可忘」が教えの核心であることを指摘する。ところが、猿楽役者にとって極めて重要なはずの「初心不可忘」の教えは、後年の伝書に出現しない。この点について著者は、教えの核心が能楽論『九位』の習道体系に取り込まれていることを明らかにする。従来「初心不可忘」の教えには、禅思想の影響が指摘されているが、著者はこの教えの本質に観阿弥の芸を理想視し分析する世阿弥の姿を見出し、その分析の深化の過程が「初心不可忘」の教えの深化の過程と軌を一にすることを示す。
第二章では、応永15年の足利義持政権への移行に伴い、世阿弥のめざす芸の情趣が変容していく過程を明らかにしている。従来の研究では個別に論じられていた世阿弥伝書における「感」の内実、室町期の田楽・猿楽の芸の実際とそれらの芸のめざす感動の質、増阿弥の台頭と世阿弥の危機意識という三つの論点を、世阿弥の芸の情趣の変容という問題に結びつけ総合する。世阿弥が生まれる以前、一世を風靡していた芸は躍動的な「感」を催す田楽能であったが、そこに「物まね・儀理」と曲舞(くせまい)風音曲に力点を置いた芸風で足利義満の目にとまったのが観阿弥であった。義満はこのような観阿弥の芸に「感」じていた。ところが、義持の時代に入り「少しきの非をも御讃嘆に及ぶ」ようになると、求められる「感」の質も「冷えに冷えたる」ものへと変容していった。著者は、伝書中にみえる「感」のこのような質的変容を捉えるとともに、「感」が変容する時代のなかで亡父観阿弥の創り上げた音曲を乗り越えようとした世阿弥の姿を見出す。そして、そのための理論的梃子として『音曲口伝』第六条にみえる『毛詩』大序が重要な役割を果たしていることを指摘する。
第三章では、「心」をめぐる世阿弥の思索の深まりを考察している。具体的な主題は、『風姿花伝』第三篇第九問答末尾にある慧能(えのう)の偈(げ)をめぐる読解である。世阿弥が禅と接触し、その成果が伝書にあらわれ始めるのが、およそ応永10年代後半から応永25年頃、すなわち『花伝』が『風姿花伝』として増補・改訂された頃と推定され、慧能の偈もこの段階で加わったと考えられる。しかし、著者は第三篇の偈の直前の文脈で、(為手(して)が物数を極めようとする)「心」が「種」とされていながら、直後に「花は心」と語られている点に不審を抱き、「花は心」の真意が語られた「別紙」(第七篇)の文脈からこれを整理し、第三篇に慧能の偈が引かれたことの意味を考察する。そこでとりわけ注目されるのが、偈の中にある「花情」の読み方である。著者は、世阿弥伝書固有の文脈を踏まえ、本来の禅の文脈とは異なるかたちで、ここを「花は情(こころ)」と読む可能性を提示する。そして偈の全体は、種としての為手の心を、花としての見手の心へとつなげるべく「花は情」と頓悟することが語られていると解釈され、この頓悟へと至るための思索こそが、後年の世阿弥の課題であることが指摘される。
第四章では、これまで必ずしも思想面からの言及が積極的に成されてこなかった世阿弥の『毛詩』受容について、特に「正しき感」の「正しき」の内実に注目するかたちで解き明かしている。具体的には、世阿弥の時代に出来うる限り近接した『毛詩』大序の解釈(清家系『毛詩』解釈)や、中世古今注として知られる『三流抄』の分析を通じて、世阿弥の文脈における主張の特質を吟味する。この作業は、世阿弥の思想を同時代のなかに位置付けるとともに、そこに埋もれない世阿弥固有の要素をも同時に描き出すことを目指したものである。世阿弥のいう「正しき」は、当時共有されていた「誠」「正直」「心直ナル」といった中世的教養に基礎をもっている点で同時代的であるといえるが、一方で二条良基の連歌論において低い評価であった「無文」の概念に「正しき」を結びつけ、飾り気のない音曲を高く評価する文脈で用いてもいる。ここに、世阿弥の同時代性と固有性の両方を認めることができる。こうした世阿弥の語りの分析を通じて、同時代の教養との重なりと隔たりとが具体的に明らかにされるとともに、世阿弥が何らかの独自の語りを内にもちながら、こうした思想を受容し、自在に読み替えて利用していることが明らかにされる。
第二部では、第一部の内容を基盤としながら、世阿弥の思想の基底が解明される。著者は第二部を世阿弥によって「問われたこととしての思想」の研究と位置付けている。第二部全体を通じて、著者が一貫して注目している論点は「妙花風」である。これは後年の伝書『九位』において、いわゆる無上の上手が到達する至上の芸位としてされており、とりわけ注目される境地である。著者は、第一部で考察した世阿弥と禅との関係を踏まえながら、「妙花風」についても、安易に禅思想の観点からのみ捉えようとするのではなく、世阿弥の語りの核心を捉えるべく、テクスト内在的な読解を進めていく。そもそも「妙花風」は、これまでの伝書においてもしばしば言及されてきた「妙」の思想に由来すると考えられ、「妙」とは、為手が意識することのできない芸の在り方であるとされ、その芸に接した見手もまた「無心の感」を催すのだと世阿弥は説明している。このように整理すると、「妙花風」には、為手側・見手側の両者の意識の問題が密接にからみあった形で表されているといえる。そこで本論文第二部では、為手・見手の両面から、「妙花風」「無心の感」を追究することを通じて、無上の上手の芸の内実を総合的に把握し、世阿弥が伝書を通じて伝えようとしていたことの核心に迫っている。
第一章では、能の「芸術」性の問題が取り上げられ、問題の射程が能の伝統の根拠にまで広げられる。著者によれば、美学をはじめ、能楽研究や思想研究においても、能が「芸術」であるとの言及はしばしばなされてきたという。しかし、そもそも能がどのような意味において「芸術」であるのかということについては、これまで十分に論じられてこなかったとされる。この問題を世阿弥伝書から基礎づける試みをしたのが本章であり、結果的にこの章は、第二部全体に関わる問題をゆるやかに提示したものとなっている。世阿弥のいう能とは、根本的には「出で来」るものであり、すでにそこにあるものではない。能の「芸術」性の根源を、美的価値としての幽玄にではなく、美的経験としての「妙」に見出す見解を著者は提示する。
第二章では、世阿弥伝書にみえる「妙花風」「無位の位」「無心」などの一連の禅語が指す事柄について伝書の内側から検討している。先行研究では、世阿弥の禅理解の程度はあまり高く評価されておらず、聞きかじった用語を使用しているに過ぎないとの見解も示されているが、これに対して著者は、その禅語を使って世阿弥が本当に語ろうとしていたことが何であったかという点こそが重要であるとする。著者はまず、「妙花風」「無位の位」「有主風を得る」といったさまざまな言葉が、実際にはすべて同一の内実を基礎に持つことを伝書の読解から明らかにする。その内実は、《をする》から《になる》へという無上の上手の「成入(なりいる)」意識として指摘され、世阿弥が用いる一連の禅語は、この意識を捉えて表現するための手段であったことが示される。こうした「成入」意識に対する世阿弥の関心は、禅と濃厚な接点を持ち、禅語が頻出するようになる『九位』『拾玉得花』『至花道』以前にもすでに見出されることが指摘され、最終的には『花伝』第七篇や第一篇に遡って探究される。そして、《をする》と《になる》とをめぐるこの意識差の問題こそが、世阿弥伝書を貫く思想的基底であると著者は主張する。
第三章では、観阿弥の如き無上の上手が繰り出す「妙花風」の芸の内実が解き明かされるとともに、その芸がどのように伝えられるのか、という問題が同時に取り扱われる。著者はまず、これまでの章で論じられてきた内容を振り返りながら、世阿弥のいう能が、根源的には見手と為手との間において「をのづから」「出で来」るものであることが確認され、見手と為手との間にまたがる「感」の用例分析から、両者の「同心」が「無心」によって達成されることが指摘される(「無心の感」)。とりわけ為手の「無心」は、前章で確認した「成入」ことによって成就し、それは、為手が究極的には「生きたる能」《になる》ことだとされる。続いて、そうした芸を為手自身が十全に語りえぬうえに、自覚的に到達しえないとする世阿弥の語り(「言語道断、心行所滅」)から、こうした「妙花風」の構造が、無上の上手の稽古の余地を底なしに広げていく可能性をもつことを明らかにする。無上の上手をめざす者は、稽古《をする》ことによってしか、その境地《になる》ことはできない。そのような仕方でしか、至上の芸は受け継がれえないのである。このような語り伝えの不可能性こそが《をする》から《になる》へという伝えの在り方を切り拓き、結果として「花」が伝わるという「花」のもつ緊張関係が浮き彫りにされる。
第四章では、見手の「無心の感」の具体的描写に焦点が当てられる。著者がこれまで論じてきた世阿弥伝書の分析が、謡曲《忠度》の作品研究に接続するかたちで考察され、作品の内在的読解を通じて、見手の「無心の感」の在り様が描き出される。見手は、「心を忘れて能を智」ることで「無心の感」に至ることが確認され、それは端的にいえば、見手自身の内側から能を知ることとして示される。《忠度》に即せば、本作品の主題である「行き暮れて」の歌を追体験した諸国一見の僧(ワキ)が、おのれの「夢」にあらわれた若武者忠度の語りによりその最期を見届け、まさにおのれの内側から忠度の歌を「智」る。この経験によって僧は、「須磨」の「花」を見る度に、この「歌」を、他ならぬ忠度の「名」とともに、おのずから思い起こすことになると著者は読み解く。このような作品中のワキの在り方は、世阿弥の「メヅラシキ」の構造などを通じて、現実の見手にも地続きに接続し刻まれていく。こうして、見手は為手の「心を忘れて能を智」ることになり、「無心の感」を経験すると著者は語る。

Ⅲ 本論文の成果と問題点
 これまでの世阿弥研究においては、世阿弥伝書の成立過程を同時代の能楽発展史の中に位置づける能楽研究および世阿弥に影響を与えた禅仏教・『毛詩』などとの関連を解明する文献学的研究など世阿弥の思想史的研究と、世阿弥の思想の構造とその意義を理論的に解明する哲学・倫理学的な思想研究とが乖離する傾向が支配的であった。本論文の第一の意義は、従来の世阿弥研究において乖離していた思想史研究と思想研究とを架橋し、世阿弥研究の新しい地平を切り開いたことである。
 本論文の第二の意義は、世阿弥の思想の発展において観阿弥の存在がいかに大きな役割を果たしたのかを、世阿弥伝書の精緻な分析を通して解明したことである。世阿弥にとってめざすべき理想像であった観阿弥の芸に対する世阿弥の意識という観点は、従来の世阿弥研究では見落とされてきた。
 本論文の第三の意義は、世阿弥思想と同時代の禅思想との関係に関わる。世阿弥伝書には多数の禅仏教用語が含まれており、従来の世阿弥研究は、世阿弥思想に大きな影響を与えた同時代の禅仏教について精緻な文献学的研究が積み重ねられ、また哲学的思想研究においても世阿弥と禅思想の関係について多くの考察が存在する。しかし従来の研究は、世阿弥の思想を禅思想にストレートに還元する傾向が強かった。またその裏返しとして世阿弥の禅理解の一面性を批判する研究も存在した。本論文の意義は、これらの研究動向を乗り越えるために、禅的用語を用いながらも禅思想それ自体とは完全に一致することの無かった世阿弥思想の独自性とその思想的意義を解明した点にある。
 本論文の第四の意義は、本論文第二部第四章において、世阿弥伝書研究を通じて解明された世阿弥の能楽論が謡曲『忠度』という作品においてどのように具体化されているかを解明し、このことによって世阿弥能楽論と世阿弥作品研究とを接続させる研究を行っていることである。これに対して従来の研究では、能楽論と作品との関係を問う研究が十分なされてこなかった。
 以上示したように、本論文は従来の世阿弥研究に新しい視点を提供した力作であるが、とはいえ今後の研究によって解決されるべき問題点が無いわけではない。
 第一の問題点は、著者の理解する「芸術」の意味に関わる。本論文おいて筆者は「芸」「芸能」「芸術」の三用語を用いている。このうち前二者は世阿弥自身が使用している概念であるが、「芸術」は翻訳近代語であり、筆者は、芸術の存在論的意味に着目したハイデガー『芸術作品の根源』から着想を得て筆者の「芸術」概念を構想している。筆者はこうした「芸術」概念に基づいて、能における美を分析し、従来の世阿弥研究は幽玄という能の美的価値を問題としてきたに過ぎないが、能における「芸術」性の根源を突き止めるためには「妙」という美的経験の問題に焦点を当てる必要があると強調する。世阿弥の「芸術」論を解明するために貴重な指針となり得る指摘であるが、「芸術」論という枠組みが著者によって構成された概念であることを十分自覚しなければ、著者によって構築された「芸術」論が世阿弥自身の「思想」や「経験」として実体化される恐れがある。
 第二の問題点は、「語りえぬもの」の性格に関わる方法論的問題である。著者の世阿弥論において芸の最高境地は「語りえぬもの」であり、この「語りえぬもの」を体得し継承する道は言葉ではなく能の「出で来る」「感応」という美的経験であることが強調される。しかしこのように「語りえぬもの」の次元に美的経験が設定されるとしても、このことそれ自体が語られたテキストの読解を通して確認される他ないとするならば、ここに「語りえぬもの」とテキストとの間の関係を批判的に捉え返す視座が必要になってくる。
 第三の問題点は、世阿弥の思想を世阿弥が生きた時代に影響力を持った中世日本の諸思想の中に位置づける作業に関わる思想史的課題であり、これは問題点と言うよりはむしろ今後の課題と言うべきものである。このことは著者自身も認めるところであり、著者は、この課題を、世阿弥によって典拠の明言された文献(『碧巌録』『夢中問答』『毛詩』など)に留まらず、典拠の判然としない知的背景として作用したと思われる文献(『中世古今注』『中世日本紀』など)をも視野に入れて考察しようとしている。
以上、問題点を三点指摘したが、これらの問題点は本論文の高い水準と優れた研究成果を損なうものではなく、また著者自身が十分に自覚するものである。今後の研究によって克服されることが期待される。

Ⅳ 結論
審査員一同は、上記のような評価と、2015年6月12日の口述試験の結果にもとづき、本論文が当該研究分野の発展に寄与するところ大なるものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2015年7月8日

2015年6月12日、学位論文提出者上野太祐氏の論文について最終試験をおこなった。試験において、提出論文『世阿弥伝書の思想の研究』に関する疑問点について審査委員が逐一説明を求めたのにたいして、上野氏はいずれも適切な説明を与えた。よって審査員一同は、所定の試験結果をあわせ考慮して、本論文の筆者が一橋大学学位規則第5条第3項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を受けるに値するものと判断する。

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